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2016年09月22日
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今晩は。
 社会活動のトピックで言うと「9・19」ありましたし、日本共産党の節々の活動振り返る会議・報告もあったばかり。
 が、私のタイムラインは「透析患者は殺せ」の対応に傾注しました。これを「ああそうですか」で済まされた日には「本当に虐殺が始まる」からです。
 長谷川豊氏には多くの批判も来ていましたが、「真意~」「全文~」「問題点は~」…等という観点から擁護される方もいます。その中には「アンチ批判派」もいます。

 その中で「長谷川氏を批判するやつがキーキーわめいている」等の一文が。

 んー。

「反対派は感情的だ」

 なる批判はよく見かける文面です。そこには「俺の意見は立派で云々」だが「対立者は劣っている」というのを表す一文に使われます。感情的言われるとそれをマイナスに見がちですが、感情は思いの起意の場でもあります。一概の否定はできないはず。
 まして、今回長谷川豊氏の放った言葉の大意は「透析患者を殺せ」です。「殺せ」という言葉を発した時点で議論は終了です。その対象者を排除しろ、現代社会で最低限踏まえなければならない「生存権」を踏みにじった時点で「お話なりません」と席を蹴っていいもの。



 「殺せ」

 いう言葉。
 どんな屁理屈つけようが、この言葉に入った意味は「対象者を死に追いやれ」でしかない。透析患者から透析取り上げたら死なざるを得ませんね?

 どう取り繕おうが「殺せ」は「殺せ」でしかありません。

 そうやって殺意向けられた以上、向けられた側は対応する必要があります。殺されたくなかったら。ただ「対象者」の中には日々の空気にさらされ過ぎてしんどいからと「えーえーいいよ、殺されても」というリアクションとられる方いますが待ってください。

 一次的には「本人のため」でもありますが、それは多くの方が触れますので私からは言いません。
 問題は「他の同類者が死んでもいい言っている。お前も死ね!」という話の持っていかれ方に使われること。他人構ってられない思いますが頭には入れてください。

―夜に入って―

 長谷川豊氏発言に関して。様々な経験を基に氏に対して異議を申し立てるのは正直意味無いようで。大体氏はそういう経験をする人に対して「殺せ」言ってますから、聞く気なぞありません。氏に対して述べるのは「認めない、許さない」だけでいい。あとは世に訴えるだけ。

 もうひとつ。「自分&周辺がかかったら」てのも正直意味無いようで。氏のような人は「俺とその回りは『価値ある存在』だ」と手のひら返すでしょうから批判聞く気なぞありません。氏に対して述べるのは「認めない、許さない」だけでいい。あとは世に訴えるだけ。

 更にもうひとつ。言説のわずかな違いを基に「全文読め(中略)お前は(中略)か?(中略)と(中略)は違うんだ(以下省略)」と述べ擁護する方がいますが、対象者を「殺せ」言う時点でもう対話は成り立ちません。排外主義勢力でさえ「殺せ」は使わない言葉です。


 『9月19日に掲載した長谷川豊氏の記事についてのお知らせとお詫び』(魚拓からご覧になることを推奨します)

 まず、記事の削除は「違うだろ」と。取り繕うのではなく、反応浴び続ける必要が。加えて、本人は開き直り、更なる挑発的な態度を展開しています。こんな状況で「記事の消去でこと足れり」で済ましていいわけない。それに今度はこの消去を利用して「弾圧だ」と言いかねませんし(実際23日記事では記述した)更に別な方面の利用に使われかねません。
※別な方面の利用→多数圧力による意に沿わない形での発言の封じ込め。

 ただし、氏は憎しみすら煽って文を書き、その一文が世の空気を汚しても来ました。意見の是非云々でなく。この事考えたら、もう言論者、表現者として失格だというのを指し示し、退場させることは必要ではないでしょうか。
 家族などを食わしていきたければ別な方法でなされればいい。苦境陥るなら社会保障は氏を棄てませんよ。



―夜の1時過ぎ―

◇あまり全部全部対応しない方がいいのはこれまでの経験上分かりきっていますが、いい加減な…。普段あまり考慮の対象にしない東浩紀氏が「本音だけむき出しにすれば殺し合いになる」と述べていますが、それはその通りかもな、と。「長谷川氏本人含めて事件起きないこと願う」―危うくなってきた。

 今晩のネットラジオで相当荒れていたという話ですが、何あなたが荒れているの?というのが感想。荒れる通り越して憎悪すら感じているのが全国に何人いると思っています?「炎上上等」等という世迷言吐けないようにしますよ(※危害行為に非ず)。ご意見賛同者が口々に述べるのは「社会の負担」。そして「こんなの生かしておいて何になる」という「効果性」。

 しばらく前までは「机上の話」でしたが、「社会保障切り棄ての新自由主義跋扈」と「詰められた心身」を元にした障害者虐殺事件がのし掛かります。
 関東大震災の朝鮮人・社会主義者の虐殺。その後の「国策非協力者の棄民」。他の国を見渡しても類似事項は沢山ありますね。ドイツのT4然り、アフリカのアパルトヘイト然り、ロヒンギャ民族問題然り。各々の圧迫には「正当化する理屈」が添えられていた。それでも「正当化する理屈」を乗り越えて掴んだのが「生存権」。「誰もが不当には殺されない権利」。その広範な確立。

 大まかな流れとして「役立たずは切り棄てる」社会をずっと続けていた人類。めんどくさいと思うものがいるのも事実です。そこから正当化する理屈つけ「~は“殺して”いい」が。
 「誰もが不当には殺されない生存権」実行の面倒さからくる「回帰現象」起こっているのが今でないかと。既に重度障害者対象では楔が打ち込まれてしまった。この「調子」で次々と楔を打ち込み、「生存権の剥奪または“空洞化”」を図りたいと。そこから出てくるのでないですか。「殺せ」発言は。

 昨晩から何人かの「“透析は殺せ”賛同者」に対して…はっきり言えば突っかかりにかかりました。正直、突っかかったからと「ああそうですね分かりました」言う人も少ないでしょう。
 でもね、都度都度異議を露にしていかないと「気がついたら…」にされてしまう。獣に戻りますか?

 小泉政権時代、毎々年の予算削減で社会保障体系と被受給者の生活はぶっ壊された。概要以下に(イメージとして)
一年目→100を98
二年目→ 98を96
三年目→ 96を94
 …と。物価上昇など考えればダメージは来る。

 安倍政権は小泉政権以上やる気でいる。それを助力するのが「透析殺せ」発言。ほんに、東氏の言う「本音ベースだけの言論は一歩間違えば殺し合いになる(趣旨)」というのはその通りです。何としてもひとつの決着はつけないと、と思うものです。





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最終更新日  2016年10月22日 09時46分30秒
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