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私たちが大学の時、スキーやテニス、ディスコが全盛の時で学生ツアーと称して、旅行会社が学生にスキーツアーを企画させ集客から添乗員、ツアー中のイベントまでを任せ人気のツアーはいつも女性客でいっぱいだった。ディスコもサタデーナイトフィーバーでブレイクし夜な夜なコンパからディスコへ大変盛り上がっていた。ファッションもサーファーブームからアイビーまでアメリカンファッションが活況だった。今から考えるとあの頃、ウエスタンブーツに6万円、フィラのジャージーで上下5万円、ダウンジャケットに5万円と随分高額の商品が売れていた。そんな中、学生の身分でこんな高額商品を買うためにはバイトするしかなかった。もともと水泳部だった事もあり、まずスイミングクラブのインストラクターのアルバイトをはじめた。子供向けのスイミングで毎日夕方と日曜は朝から一日3時間程度のアルバイトだった。さらにその後スイミングの生徒のお宅に家庭教師に行って、それが終わるとスナックでバイトしていた。最高で一日3件のバイトを掛け持ちした記憶がある。大学も理系なので朝一番から4限目までしっかり講議があり出席しないと単位がもらえないので結構一日ハードな毎日を過ごしていた。つづく・・・・
January 22, 2005
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ちょうど中学3年生で高校受験の時、志望校を決めるにあたり地元の高専高校に進みたいなと漠然と思った。もともと、図画工作とが好きで小、中学校の展覧会でいくつも賞をもらっていたので将来、建築やインテリア関係の仕事に就けたらいいなぐらいの思いだった。中学の成績が、まん中ぐらい(300人中150番ぐらい)だったが受験の年にもぎ試験で13番をとったことから高専より進学校へ進んで、大学受験で建築家へ行く方が良いとのことから地元の男女共学の私立の高校へ進んだ。この高校は、県内でも有数の進学校で中学から入ってきている生徒が三分のニいて、高校からは二クラスしかなかった。高一から能力別のクラスに別けられ、入学当初は上のクラスだったものが卒業する時は一番下のクラスまで転がり落ち、大学もギリギリ私立理科系の機械科に入学する事となった。大学時代は、授業の合間をぬって・スイミングのコーチ(小学4年生から水泳をしていたので、水泳は好きだった。)・家庭教師(家庭教師とは名ばかりで、ホームヘルパーなみだった。)・スポットで喫茶店やスナック掛け持ちでバイトしてかなり自由に使える小遣いを持っていた。私たちが、大学生の時はちょうど「ポパイ」が創刊された時期でファッションやスポーツが盛んだった。つづく・・・・
January 16, 2005
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