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いまさらなんですが、明日、調布でアースディが開催されます。それで、毎年恒例となりましたが、お山の仲間たちで出店します。ご都合よろしかったら、どうぞ来てくださいね。場所は市役所前広場で、朝10時から午後4時まで。お天気良いといいな~。詳しくはこちらをチェック!http://ameblo.jp/mamecho-chofu/
2011.05.06
本当にお久しぶりになってしまいました。いろんなことを考えました。普段は考えたことがないようなことも考えた貴重な時間。何が大事なのかを考える良い機会だったのかもしれない。自分はどのように、この人生を歩いていくのか。自分の子どもをどう育てたいのか。子どもに何を伝えていきたいのか。これから子どもたちが生きていく世界は、きっと、過酷な世界だろう。私たちが生きてきたのより、何十倍も厳しい時代が待っているかもしれない。そんな中、どんな時でも、不安や恐れに押しつぶされることなく自分の足でしっかりと立ち、つねに心の中に小さな希望の光を灯していられるようなたくましい人間に、私の子どもにはなって欲しい。あらゆるものや、情報が溢れる世界で本物、正しいものを見極め選びとり、自分の力に変えていける賢い大人になって欲しい。不完全ではあるけれど、その手本になろうとすることが、今の私の努めだと思っている。この2ヶ月たらずのあいだ何度も読み返したシュタイナーの「受容のための祈り」。何べん読んでも、私の進むべき道を照らしてくれているように思えます。************************************* <受容のための祈り>何が来ようとも、次の時間、次の日が私に何をもたらそうとも、とりあえず私にはそれがなんであるのかわからないとしても、不安や恐れによってそれを変える事はできない。私はそれを完璧なる内的な魂の平静によって、完全に海の様に静かな心情と ともに待ち受ける……。私たちの進化は恐れと不安によって妨げられ、不安と恐れの波によって、未来から私たちの魂に入ってこようとするものを退けてしまう……。出来事において神的叡智とよばれるものに帰依すること。来るべきものは、そうあるしかなく、それは何らかの方向において良き働きを持つはずだという、考えと感情と心情生活の力を繰り返し自分の中に呼び起こす事。この気分を魂の中に呼び起こし、それを言葉と感情と理念において生き抜く事、それが受容のための祈りの気分である。ルドルフ・シュタイナー(輿石祥三・香川裕子訳)1910年2月17日ベルリン「祈りの本質」より
2011.05.05
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