クリシュナ108のブログ
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人間の持つ四つの欠点「シュリー・イーシャ・ウパニシャッド」の冒頭、「序」の部分に条件づけられている魂と自由な魂の違いが書かれています。その違いは前者には四つの欠点(不完全な認知力)があるということです。第一の欠点 「必ずまちがえる」(ブラマー:見まちがえる)第二の欠点 「幻惑される」(プラマダ:見てるのに見ない、きちんと見えていない)第三の欠点 「だます癖がある」(ヴィプラリプサ:故意に見まちがえる)第四の欠点 「感覚が不完全である」(カラナバタヴァ:見えない)「バガヴァッド・ギーター」の節からそれらを確認することが出来ます。順を追って見て行きましょう。ギーター第15章16節 「必ずまちがえる」「誤つ者と誤たぬ者という二つの生命体が存在する。物質界の生命体は全て誤つ者であり、精神界の生命体は全て誤たぬ者とよばれている」生命体は永久に至上主の部分として仕える立場にあるが、物質界と接触した時にジーヴァブータとよばれるようになる。この節にある、 ksarah sarvani bhutani というサンスクリット語は「それらの者たちは誤ちを犯す」という意味である。物質界と接触すれば生老病死という肉体に起こる変化を強いられ自分が永遠で変化しない存在であることを忘れてしまう。本来の創造の目的を忘れ、一時的な感覚満足(マーヤー)に魅かれる。自分が楽しむ者であるとまちがった認識を持ち、誤った行動をとるようになる。ギーター第7章27節 「幻惑される」「おお、バラタの子孫よ、敵を滅ぼす者よ、全ての生物は幻影のなかに生まれて、自らの欲望と憎悪により生じた二元相対性によって幻惑されている」ギーター第10章3節「私が非誕生、無始であり、全世界の至上主であると知る者のみ、人類のなかにあって幻惑されることなく、全ての罪悪から解放されている」ギーター第16章10節「飽くなき欲望を住みかとし、自惚れと虚栄に浸っている悪魔的な人は、幻惑されてはかない物に魅せられ、不浄な活動に終始する」生命体は物質で出来た肉体に入れられると、その肉体と自分を同一視して幻惑される。私は人間、日本人、男性、何歳、それが私というように。そして私の妻、私の家、私の会社そして私がその主と考える。そしてその妻、家、会社を他と比べ優越感、劣等感に浸る。二元相対性に幻惑される。自分が楽しむことばかりに固執して、私達の存在理由は至上主クリシュナを喜ばすことであるという本分を忘れてしまう。至上主クリシュナの無上の立場の理解が欠落し、至上主(イーシュワラ)と創造された者(ジーヴァ)とは別であることを忘却してしまう。サンバンダ・ギャーナが分らない。自分が享楽者と考え、性的快楽と富の蓄積という不浄な活動に執着し偽の自分を満足させる。ギーター第3章6節 「だます癖がある」「感覚および行動の器官を抑制しても心が感覚の対象に執着しているのは、おのれ自身を欺く者であり、その人は詐欺師とよばれる」実際には感覚的快楽を心で追い求めていながら、自分が瞑想していることを宣伝し、なかには私が神だなどと言い出す詐欺師がいる。幻惑され自分が何者か分らないものだからあらゆるものを支配し、楽しもうとする。うそをつき人をだましてまで自分に従わせ快感を得たい。人から崇められるのはとても爽快だから。欠点だらけの人間なのに哲学書を書く、それは病気であり欺瞞である。そういう輩は至上主の妄想エネルギー(マーヤー)に幻惑され、カーマ、ローバ、クローダという地獄へ到る道を歩む。そういう輩を神と信望する無知な者もそれに追随することになる。プラブパーダは「シュリーマド・バーガヴァタム」を人をだますことを排除する書物だと言いました。不要なものを捨て去ることを教えているからです。クリシュナも「バガヴァッド・ギーター」第18章66節でバクティ・ヨーガに必要のないものを捨てなさいと言っています。ギーター第11章7節 「感覚が不完全である」「しかし君がいま持っている眼では、私を見ることはできない。だから君に神聖なる眼を与えよう。さあ、私の神秘豊潤なる力を見なさい!」よく「私に神が見せられますか」と挑んでくる人がいる。そういう人には「ではあなたは神を見る眼を持っていますか」と聞きかえす必要があります。あなたの眼はいきなり部屋が真っ暗になれば自分の手さえ見えなくなる。私達にどれほど見る力があるでしょうか。私達ジーヴァは独自の単一体であり主クリシュナも独自の個別人格である。暗闇のなかでは全てのものが一様に黒い(一元論)けれども、太陽が出るとそれがハッキリと別であることが分る。一定の条件が満たされた状況でないと私達の感覚は機能しない。使い物にならないことが分る。絶対真理は君がいま持っている感覚では理解できない、と主クリシュナがこの節で断言している。プラブパーダも1974年ローマでの法話で「闇の中ではパラマートマーとアートマーの区別が理解出来ない。太陽の光がないとサヴィタ(眼)が見えません」と言っています。無知は暗闇であり、神は大光明である。神智のあるところに無知は存在しないのです。このように四つの欠点を持っている生命体が、物質界の大海を渡り人生のゴールに到達するにはどうすればいいのか。これが私達の課題である。この肉体は大海に浮かぶ船である。船を動かす風が至上主クリシュナの教え、その風を受ける帆がグルである。帆がないと船は進めない。自力で漕がないといけない。四つの欠点がある私達が自力で船を漕いでもどれだけ進むことができるだろうか。私たちはグル、シャーストラ、サドゥという帆にたよらないと前に進めないし、方向も定まらないのである。「シュリーマド・バーガヴァタム」第11編20章の節の中で「人間という身体はまことに稀な恩寵であり、それはグルによって導かれて私という風に吹かれるこの世を渡る最適の船といえる」と記述されています。グルは無知の大海から欠点を持った私達を救い上げてくれます。
Nov 2, 2012
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