On the Sunny side 誰にでも居場所がある

On the Sunny side 誰にでも居場所がある

2007/06/06
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カテゴリ: 障害者と働く
11:30pm
遠くで (世界中の誰よりも着メロ) が聞こえた、はい

「Mです、留守電を聞きました」  <う~ >
「遅くにすいません今、帰ってきたもので。」  <ハイハイ、M君のことです>
「又なんかしましたですか。」  <怒られるような事はしてませんよ、彼はなんか言ってましたか>
「いえとくに何も、いま私の食事の用意してくれてます。」  < ん? 食事の用意
「何でしょ?」    <ハイ、彼の此処での時間を長く出来ないかの相談なんですが。>


 M家は一家4人で、結婚して家を出た長男とM君の男兄弟と両親で長男は聴覚障害、お父さんは10年ほど前に交通事故で中途障害になったらしい。
うちが作業所を始める2年前ほどに、作業所を転々としたあげく最後の作業所の職員が施設にも母親にも内緒で連れてきた。

ここで、かわいそうな 後継者 がなぜ車中でM君の話しを持ちだしたか思い当たった。
M君は今でこそ、それほどではないが、ウチに来たときは落ち着きのないコで朝から鳥小屋にイタチを入れたようなテンションで昼前にはへばって動かなくなって、ヘロヘロになって帰るコでした。
仕事を始めた頃、例の母子家庭(引越)のお母さんがパートでいて、M君が魔女に教わった包装を確認しをしていた(たぶん3日ほど)。彼に「これが出来たら此処にずっと置いてやる」と偉そうに言った覚えがある。

その時いらい、M君はどうしてますかと母子家庭のお母さんに訊かれるし、今回後継者君にも訊いたのかもしれない。  
私のオカンによそのコには気長にしてやれるのに自分の子にはねえって涙ぐんでたって聞いた覚えがあるし。

 『あのコはお兄ちゃんのこともあってほったらかしで、それまでなにもさせらへれんかったけど、お父さんの具合(障害の程度?)が悪くなってから、おもいきってやらせてみたら案外、出来るようになって、自分がお父さんの病院に泊り込んだりしてもチャンと一人で留守番させられるようになったし、そんでお前に負けてられへん、と始めて(何が初めてか不明) M君にお父さんがいってからもう家族が     (夜中に電話口で泣かれても)  社長さんのおかげです』    (家事なんか教えてない、仕事しかさせてない、やってるとしたら本人がお母さんを見て学習したはず)

『 でも 』 <子供はは親をみて学習するんですよ>
号泣』(だから夜中に電話口で泣かれても)

今日はいっそう、M君が上げたテンションで可哀想な後継者君を困らせていた。

報告、7月から、3時の休憩後さらに30分働く事して様子を看る事に決まりました。

M君のお母さんと電話では何度か話したが実際にあったのは2度、一度目は、彼が復帰したとき、2度目は去年12月に施設としての契約時。

M君の技術指導はウチのコたちの中ではかなり楽なほうで、本人は仕事が出来ることがここに居場所を作る最短コースと自分で見定めているように思う、そして家にも居場所を見つけたようだ。   
                   そんな今日この頃です。





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Last updated  2007/07/16 08:00:09 AM
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