日本のバイク史とベストマフラー
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久しぶりにブログを更新しました。取り合えず自分の無事をお知らせします。さらに私の家族も難を逃れております。でも、うちの妻が津波に飲み込まれた名取の閖上(ゆりあげ)地区の職場で働いていて、当時建物の3階に避難した為何とか無事だったという状況でした。一階の部分は津波にもっていかれ、妻の車も波に飲み込まれ、壊された建物や船などと一緒に流されて行くのを見た時は死ぬかと思ったということです。自分はその時北海道に出張中でなんの連絡も取れないままその晩は札幌で過ごしました。息子たちはそのうち無事が確認されたのですが、妻の無事の確認は28時間後でした。仙台空港にいけない自分は翌日羽田に向かい、新幹線の運行を期待しましたが、無理とわかり、色々と帰る手段を考えていると、取引の会社の社長の好意で車を借りられることになり、この車で4号線を北上し16時間かけて自宅にもどった次第です。(レンタカー屋さんは仙台に乗り捨てをお願いすると拒否され貸してくれませんでした)(タクシーも燃料の関係で無理のようでした)仙台空港に停めていた自家用車は流されて行方不明となってしまい、妻のと合わせて家の車は無くなってしまいました。まあ、命拾いしただけでもありがたいということにします。月曜日は会社に出勤できたわけですが、電気も電話も水もダメということで営業ができず、しばらくお休みということにさせていただきました。ガソリンも入手困難となった為、息子の原付スクーターで行ったのですが、小回りもきくので会社の周り(仙台市宮城野区や多賀城市)の取引のある会社も訪問したのですが、被害の大きい地区では誰もおらず、むしろ壊滅状態にまでなった事務所を見て唖然とするばかりです。それとおびただしい数の壊れて流されてきた車両の多さに目を疑います。ブログといえば写真を添付したいと思い、カメラももって行ったのですがとても撮る気になれず、一枚も撮りませんでした。知り合いにも会ったのですが、彼も写真を撮ってもしょうがないと言ってました。それ程ひどすぎる光景です。どうやって復興できるのだろうかと、不安が増すばかりです。何とか自分の家の周りは月曜日の午後に電気だけは復活してインターネットもできる環境になりましたが、本当にこれからどうしていったら良いかわかりません。取り合えず目の前の問題をひとつずつ解決して行くだけです。
2011/03/14
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