.     47歳今まで中途半端に生きてきたけど,この歳になって「今から医者になる」と決意しました

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2025年06月12日
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カテゴリ: かむ太郎の法則
最悪の日…とか、

最悪の結果…とか、

最悪の事態…

というのが年に数回訪れます。

そんな時は、普段から学習している「微分積分」のお世話になります。

2次以上の関数のグラフは曲線を描きます。

人生の浮き沈みは、時にグラフに例えることしばしぱ。

2次関数のグラフは概ね「U」の広がり方が広いか狭いか、

上向きか下向きか、ですが



上がって、下がって。また上がる…

あるいはその反対の形になります。

4次関数は、下の図のような感じです。

このグラフの、上の方(y軸の+方向)を「良き状態」

下の方(y軸のー方向)を「悪しき状態」

と考えると、人生山あり谷あり、という感じになります。





「定義域」を過去の人生とする(左から右へ時間経過とする)と、

その範囲内で、「最悪の日ぢやぁあ!」となるのは「最小」の地点です。

これは、過去の人生(定義域内を左から右へ)において

未曽有・未経験の値であり、文句なしの「最悪」です。



「今までで最小=人生最悪」となっており、

その後はひたすら「過去最悪を更新」しつつ、現在に至る・・・わけです。

同様のことは、「極小」の時点で既に起こっていて

この時は、実は後々襲ってくる「現時点の最小」は見えていないので

その時はその時で「最悪ぢゃぁあ!」と叫んでいたわけです。



のほほんとするうちに「極大かつ最大」

即ち、「ここ数年で最も良き時」かつ「過去の人生でも最も良き時」

が訪れたのです。

・・・やがて「最小値=過去の人生で最悪」が待っているとも知らず

有頂天になったり、「世の中、敵なし!」などと

ちょ~すいた考えを抱くに至ります。

 (注)ちょ~すいた
  語源は「調子づく」⇒「ちょ~すく」と推察される。
  幼少期は、当然のごとく「全国共通語」と信じて疑う余地もなかったが
  どうやら、所謂「方言」のようである。
  しかもしかも、調べてみたら、「甲州弁」「尾張・美濃の方言」
  との事。
  尾張・美濃は当然としても、「甲州弁」とは!
  私の出身である岐阜県美濃地方西部(西濃)は、
  戦国時代の勢力図の交差点のような地域で
  他にも、様々な地方の方言と相通ずる言葉が散見する。

その時の「人生の絶頂期」である「極大値=最大値」の前にも

「極大値」があります。この時点ではここは

「(それまでの人生の)最大値」であったわけです。

その時もその時で、それなりに「ちょ~すいた」わけです。



さて、グラフ上の最初(左)の「極大値」は

「その時点では最大値」即ち「今までの人生での絶頂」

最初(左)の「極小値」は、

「その時点では最小値」即ち「それまでの人生で最悪!」

だったわけです。

それぞれ、「絶頂!」「最悪!」と、

ちょ~すいたり、落胆したりしたわけですが、

その後に、次の「極大値」「極小値」が訪れ

「これ以上無いほどの絶頂!」

「これ以上は耐えられぬほどの生き地獄!」

だと思っていたそれまでの記録をまんまと抜き去ってしまいます。

現時点での「最小値」も、その前段階で前回(左側)の

「極小値」を下回った時点で、「まだ極小値ではないが過去最悪の最小値」

を叩き出しつつ尚グラフは下向きに「日々最小値=過去最悪」

を更新する毎日がやってくるのです。

「極大値」も同様です。



かくして、新たな「極大値」「極小値」が訪れ

 ※グラフは、「極大値」「極小値」共に時間が経過した方(右へ行くほど)
 が大きな値になっていますが、
 人生後半から終盤において、若かりし頃の「極大値」「極小値」を
 更新することなく、「あの時の極大値が振り返ってみれば人生の最大値」
 「あの極小値が人生の最悪の時」ということも有り得ます。
 即ち、左側の「極大値」「極小値」が結局どちらも「最大値」「最小値」
 であることも十分起こるわけです。
 あるいは、「極大値」または「極小値」いずれか一方だけが
 時間経過とともにどんどん記録更新する可能性も有ります。
 この場合、「極大値のみ」が更新されれば、人生尻上がりに運気上昇し
 過去の人生最高の幸福時に死ぬことになります。
 逆の場合は・・・とほほ。



どんなグラフで生きてきたか、この先どんなグラフになるかは

言うまでもなく百人百色であり、

同じものは存在しません。

ただひとつだけ共通するのは、

グラフが続いている限りは「生ある時」なのです。

私が考える「この上ない最小値=本当の最悪」は

「人生の終焉」です。

即ち、その時点でのグラフの値はどうあれ

(上向きだろうが下向きだろうが)

途切れた時点(人生の終点)が訪れた瞬間に

「本当の最小値」となります。

となると、グラフが如何なる軌道を描こうとも

グラフが続いている限りは「本当の最悪」にはなっていない!

今まで幾度となく見舞われてきた「極小値」は

過去の記録を更新するたびに

「ををを!今度こそ最悪(=本当の最小値だと思った)」

と嘆いてきたけれど、何の何の

「これ以上は耐えられない」と感じた「過去の最小値」を

やすやすと更新して、「新記録の最小値」に遭遇したことは

2度や3度ではない。

それでも、その都度「死にゃあせん=本当の最小値ではない」

で乗り切ってきたわけで

私の想定する「本当の最小値」である「死」さえ免れれば

過去如何なる「最小値」も乗り超えてきたように

この先の「些細な極小値」は勿論のこと

新記録となる「最小値」でさえも、生きてる限りは

「の~・ぷろぶれむ」である。



そうと決まれば(決まったのか?)先日の「数学的帰納法」
  記事は⇒「​ 臥薪嘗胆の日・・・「数学的帰納法」で明日も生きる!

と合わせて、二通りの理屈によって

「我が人生、何とかなる!」

との確証が得られるわけです。



【証明】
・最初の極小値は、それまでの「過去最悪=最小値」であるが乗り越えた。
・記録更新した次なる極小値が新たな「本当に過去最悪=新たなる最小値」
 であったが、乗り越えた。
・となると、日常の「極小値」は、へのかっぱで、
 記録更新した「本当に本当に過去最悪=更に新たなる最小値」
 も問題なく乗り越えられる。
・てなわけで、どんな「最小値」も所詮は「新記録の極小値」
 にすぎない。
 ーーーQ.E.D.ーーー

  ※「Q.E.D.」とは?
  Q.E.D.はラテン語のQuod Erat Demonstrandum
  (かくのごとく示された/これが示されるべきであった)
  が略されてできた頭字語。
  照明や論証の末尾に置かれ、議論が終わったことを示す。
  現代の数学においてもQ.E.D.は一般的に使用されている



なので、「本当の最小値=人生の終焉」までは

一見「過去最悪の最小値」と思われるものも

所詮は、次なる「新たなる最小値」までの暫定値なのです。

今後は

「げ!最悪やんけ~!」と思っても

「最小⇒しょせんは新たなる極小」なので、

      「最悪」= 「極悪」
(「ごくあく」ではなく「きょくあく」とする。)

即ち

「あらま!極悪やんかいさ~!」

ぐらいの叫びにしておこうかと。





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最終更新日  2025年06月12日 18時39分18秒
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