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バーバラ・ブレナン・スクール・オブ・ヒーリング(BBSH)の2年生だったとき、プロセスグループ(グループカウンセリングのようなもの)で、日本人の雛形を壊すようなものをやりなさいと、BBSHの名物先生のBに言われたことがある。そのときは、コーラスガールの真似事を、他の日本人の女性と、振りつきで、思いっきり、やった。後々、クラスメイトたちが、こんなに面白かったプロセスグループは初めてだって言ってくれたほど、結構はじけちゃったのだけど、本来の自分を取り戻す旅は別にお涙頂戴ストーリーじゃなくていいって、心の底から思った。そして、ジャパニーズ・テンプレートを破るのは、私の中の何かが解放されて、心が喜ぶんだってことを体験した。今日、ニュースを見てたら、サウジアラビアの女性が車を運転して、規則違反で訴えられたというのをやってた。サウジアラビアでの女性は、車を運転するのが法律で禁止されているらしい。私たちから見ると、何で?って思うかもしれないけど、それが、文化という目に映りにくい、民族のテンプレートや思考パターンかもしれない。だから、私も、もう一度、よく考えよう。私の周りで当たり前なことは、私の求めているUniversal Truthなんだろうか?私の制限をなくし、私をより大きく、ワンネスへと導いてくれるだろうか?それとも、私を制限する思考パターンや、何かのテンプレートなのだろうか?
2008.06.16
「こんなにがんばったのに、どうしてそんな仕打ちを受けるの?」「誰かのためにこんなにしたのに、どうして?」っていう「報われない想い」を昔はたびたび感じていた。与えるほうが受け取るよりも気楽な私は、昔はこんな風に、何でいつも報われないんだろうって思っていた。いろいろとスピリチュアルなことを始めた頃から、自分が心底やりたくないことはやらないように気をつけ始めた。誰も私にそうするように仕向けているわけではなく、私が勝手に、こうすべきだからとか思い込んでいるだけだったり、こうしたほうがより人から評価されるからだとかの理由でやっているっていう、自分の隠された意図がはっきり見えてきたからだ。そしてその奥には、私は今のままでは不十分だ。自然体でいてはいけないって思考があった。だから、嫌なことはなるべくやらない。気がのらなかったら、基本的にはやらない。そして、人の評価は気にしすぎない。皆が皆独自の評価基準を持っていて、それにすべて合わせるのは不可能だし、人に評価されても、気がのらなかったことをしていたら、怒りがどんどん溜まっていくからだ。怒りがたまると、先入観なしに、白い心で人や物事を見たり感じたりするのが難しくなる。自然体になるとか、本来の自分自身でいるためには、こんなトレーニングも、一役買えるかもしれない。
2008.06.15
最近、何かを公に伝えたいという気持ちになれなくて、ブログの更新がおろそかになってしまっていました。何だかとっても忙しかったし・・・。自分で選んで忙しくしているし、あと少しはこれを続けることに深いところでコミットしている気がするのだけど、そろそろ休息も必要としているようです。最近私がよく感じるのが、思考の枠組の大きさのこと。昔、私が、アメリカに留学していた頃、きっと私は、世界のどこへ行っても暮せるだろうってことと、どんな国の人ともきっとわかりあえることがあるだろうってことを漠然と思っていました。アメリカで目にするいろんな国の人の考え方なんかが珍しく、イチイチ感心してたりなんかして・・・。許容量が大きかったかも。だけど、あれから、外国人と触れ合う機会も減って、日本企業ならではの画一的な考えに触れて、あわてて人の常識というものを学んだりしているうちに、自分の壁がどんどんと厚くなって、外国に住むなんて、ありえないとか思っている自分に気づく機会が最近ありました。人のことを「外国人」とか、外面で判断とかして、相手を一人の人間として見ていなかったみたい。人に分別ラベルを貼ってた感じかな?自分の枠組みが小さくなって、自分の小さな身の回りでの主流の考え方に縛られるようになっていっていたっていうか・・・。結局、これも、外の世界ばかりを自分の基準にしてたってことか・・・。だけど、今、気づいたんだから、これからは、私の枠組みも広がっていくことでしょう。何だか楽しみです
2008.06.06
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