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2019.01.31
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テーマ: 経済(1537)
18世紀後半から現代まで続く、欧州の財閥であるロスチャイルド家のオーストリアにある土地が売却されるというニュースです。面積は山手線の内側と同じくらいの7,000ヘクタール。 英語の原文

2016年の欧州連合からのイギリス脱退や2016年アメリカ合衆国大統領選挙の際、株式・為替市場が大きくいったん逆の方向に大きく上下したあと、反対方向に大きく触れたことがありました。その際、ネットで検索していたら「ネイサンの逆売り」という言葉が出てきました。

ロンドン・ロスチャイルド家の祖とされるネイサン・メイアー・ロスチャイルドが、1815年のワーテルローの戦いで、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと言われていたところ、ロスチャイルド家の素早い情報伝達体制を駆使して、いち早くイギリス勝利の情報を掴みます。ネイサンはまず公債を売ると見せかけて投資家たちの売りを誘い、公債が暴落したところで急遽莫大な量の買いに入ります。イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功したという話です。

情報のスピード、質、量ではとても、巨大国際金融資本にはかないません。あえてそれでも戦いを挑むか、おとなしく株価インデックスで運用するか、それとも懐に飛び込んで巨大国際金融資本の株で運用するか考えさせられます。特にイギリスのEU離脱の話がぐずぐずになって、まだ何が起こるかわからない中、最近のようにコンピュータプログラムによる売買で下落スピードが加速する時代には、なおさら慎重に行ったほうが良いのではと思います。

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■参考リンク



NYセントラルパークの20倍の森林、包装材メーカーに売却
かつてナチスが接収、戦後に返却-分家で2分割し保有していた

  フランクフルトを拠点に活動した銀行家、マイヤー・アムシェル・ロートシルト(英語読みでロスチャイルド)は、19世紀初頭に5人の息子を欧州各都市に送った。その1人、ザロモンはウィーンで1815年に事業を開始。ロスチャイルド家は鉄道や製鉄所などへの投資で成功を収め、ハプスブルク帝国で最強の銀行家にのし上がった。
  ロスチャイルドの分家は約7000ヘクタール(ニューヨーク、セントラルパークの20倍に相当)に及ぶニーダーエスターライヒ州の森を保有する2つの信託を、ウィーンを拠点とする包装材会社プリンツホルン・ホールディングスに売却することで合意したと、匿名の関係者が明らかにした。登記の移転はまだだという。
  これは一族のアルベルト・フォン・ロートシルト男爵が1875年に取得した土地の一部。ナチス・ドイツが1938年にオーストリアを併合した際に接収された。第2次大戦後に一部が返還され、一族の跡取りであるベッティーナ・ルーラム氏が2012年の死去まで住んでいた。死去後に2つの分家が土地を分割したが、いずれも今回、プリンツホルンに売却することにしたという。
原題:Rothschilds Sell Last Piece of Austrian Empire After 200 Years(抜粋)

Wikipedia:ロスチャイルド家
ロスチャイルド家(Rothschild、「ロスチャイルド」は英語読み。ドイツ語読みは「ロートシルト」。フランス語読みは「ロチルド」[1]。)は、ヨーロッパの財閥、貴族。門閥として名高い。ロマノフ家とはHubert de Monbrison (15 August 1892 – 14 April 1981) の三度にわたる結婚を介して家族関係にある[2]。また、ベアリング家ともギネス家を介してやはり家族関係である[3]。モルガン家やゴールドシュミット・ファミリーとも親密であり、1001クラブ等の広範なビジネスコネクションをもつ。アメリカについては、ウィルバー・ロスやフィデリティ・インベストメンツと、実業家時代のドナルド・トランプを支援した[4][5]。

Wikipedia:ネイサン・メイアー・ロスチャイルド
経歴
マイアー・アムシェル・ロートシルトの三男として神聖ローマ帝国(現ドイツ)帝国自由都市フランクフルト・アム・マインに生まれる。
1798年、21歳のとき繊維業の中心地であるイギリス・マンチェスターへ移住した[1]。フランス革命以来、ドイツでは流通が混乱して綿製品が高騰していたので、産業革命により綿製品の大量生産がおこなわれているマンチェスターで安く仕入れ、ドイツへ送って莫大な利益をあげることができた。さらに中間マージンを節約するため、買い入れだけではなく、綿糸や染色業にも手を伸ばしていき、綿糸業全体を扱うようになった[2]。
やがてこの事業で得た利益を使って金融業も手掛けるようになった[2]。1804年にはロンドンへ移住し、1811年にはN・M・ロスチャイルド&サンズを起こして為替手形貿易の銀行家に転じた[3]。
大陸を席巻したナポレオン・ボナパルトは1806年に大陸封鎖令を出して敵国イギリスとの貿易を禁じた。これによりコーヒー、砂糖、煙草、綿製品など大陸諸国がイギリスやその植民地からの輸入に頼っている商品の価格が高騰した。一方イギリスでもそれらの商品の価格が市場の喪失で暴落した。ネイサンをこれを利用し、イギリスで安く買って大陸へ密輸し、父や兄弟たちが大陸内で確立しているロスチャイルド家の通商ルートや情報網を使って各地で売りさばいた。これによってロスチャイルド家は莫大な利益を上げられた上、物資不足にあえいでいた現地民からも大変に感謝された[4]。
現金や金の密輸も手掛け、イギリス政府が反フランス同盟国に送った軍資金の輸送も請け負った。パリの末弟ジェームスと協力して、イギリスからフランスを経由してピレネー山脈の向こうのイベリア半島で戦うイギリス軍司令官ウェリントン公爵のもとに金塊を届けたこともある[5]。

1815年のワーテルローの戦いは、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと言われていた。ネイサンはロスチャイルド家の素早い情報伝達体制を駆使して、いち早くイギリス勝利の情報を掴んだ。ロスチャイルド家の優れた情報収集体制は金融界に知れ渡っていたから、みなネイサンの同行を注視していた。そこでネイサンはまず公債を売った。それを見た他の投資家たちはイギリスの敗戦を確信し、一斉に売りに入った。公債が暴落したところでネイサンは急遽莫大な量の買いに入った。イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功した。これは「ネイサンの逆売り」として伝説化した[7][8](ただしこの伝説は後世の創作とする説もある)。

ネイサンの逆売り (情報収集)





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Last updated  2019.01.31 09:11:26
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