秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.09.28
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中高生の頃、よく観たクイズ番組です。シルエットクイズとか好きでした。

小池アナウンサーの落ち着いた安定感と、美人でかわいい声の佐々木美絵さんが印象的でした。佐々木アナウンサーは、後にヤングおーおーの齋藤努アナウンサーと結婚されたと今回Wikipediaで知りビックリびっくり

日曜の昼間の番組と思いこんでましたが、日曜夜19:00とわかりました。昼はパネルクイズアタック25だったか大笑い

優勝のハワイ旅行には憧れましたが、時代を感じさせます。協賛はパンナムと思いこんでましたが、日本航空でした。遠い記憶はあてにならないものです。調べたらパンナムは兼高かおる世界の旅でした。

2022.3.16リンク切れにより差し替え。
2024.6.2リンク切れにより削除、内容の追加。



2024.9.9内容の追加。








『アップダウンクイズ』は、1963年10月6日から1985年10月6日まで、毎日放送(MBS)の製作により、NET (現・テレビ朝日) 系列の一部[1] 、およびTBS系列[2]で、毎週日曜日19:00 - 19:30(JST)に放送されていた視聴者参加型クイズ番組である。ロート製薬の単独提供(第1回放送より)、日本航空の協賛で放送された。
番組概要
解答者6名が解答席であるゴンドラに乗り、早押しクイズに挑戦。10問正解(10段まで上り詰める)でハワイ旅行と賞金(初期は副賞の20万円、後に10万円)が贈られた。
正答(正解)の場合には解答者の乗ったゴンドラが1段上昇(アップ)、誤答(不正解)の場合にはゴンドラが一気に0まで下降(ダウン)するルールだった。
1963年10月6日、喜劇俳優・市村俊幸の司会、当時毎日放送アナウンサーだった小池清の出題でスタートした。市村はロート製薬が当時発売していた胃腸薬「シロン」のイメージキャラクターであり、前年1月から放送していた同じロート製薬一社提供の前番組『私はナンバーワン』の司会者でもあった。半年後の1964年3月29日放送分で市村が降板[3]、翌週4月5日(第29回)放送分より小池が司会を担当、出題を同じく毎日放送アナウンサーの長田淑子が務めることになった。その後、出題者は1971年4月11日放送分から市毛毬子、さらに1972年11月19日放送分から佐々木美絵(いずれも毎日放送アナウンサー)が担当、以後「小池司会・佐々木出題」で11年間にわたって親しまれた。
番組のキャッチコピー
キャッチコピーは「ハワイへのご招待。10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!」。後に海外旅行が大衆化した1970年代前半からは、「ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう!」に改められた。
10問正解の賞品が海外旅行であることから、JALが協賛していた[8]。「♪ロート…」のオープニングキャッチ前に、19:00の時報とともにカウキャッチャーとして、JALのCM(JALPAKなど)が放映されていた。
また、オープニングテーマ曲が流れているときにも「協賛 日本航空」と表示された[9]。
番組冒頭のあいさつなど
小池が司会を務めていた時代は「ハワイへのご招待。10問正解して、さあ、夢の(「夢の」のフレーズは1970年ごろまでだった)ハワイへ行きましょう! ロート製薬がお送りするアップダウンクイズ、私は司会の小池清でございます」に続き、

佐々木 「皆さん、こんばんは(お元気でいらっしゃいますか)。佐々木美絵です、どうぞよろしく(お願いします)」(なお、後期は「問題を差し上げます、佐々木美絵です」とアナウンス)というあいさつで番組が始まった。
オープニングテーマ曲が流れ終わると小池はゴンドラの前に立ち、上半身を画面アップ状態で挨拶をした。ネットチェンジからしばらくしてオープニング曲が変更されてから、小池は司会者席に座ってあいさつをするようになった。
解答者の紹介が終わると、小池時代は、「それでは、日航機によりますハワイ旅行を目指して、大いに頑張っていただきましょう!」というセリフで一問目に入った(司会が西郷になってからは「日本航空で行くハワイをめざして、皆さんしっかり頑張って下さい!」と言っていた)。
シルエットクイズ
1967年2月26日放送分から登場。番組の目玉コーナーといわれ、最終回まで続いた。これはかつてNHKで放送された『私の秘密』、『それは私です』のコンセプトを取り入れたものといえる。なお、当初は「ゲストクイズ」という名称だった。

ゲストは歌手・俳優・タレントなどの芸能人、プロ野球選手・大相撲の力士・プロボクサーなどのプロスポーツ選手、その他政治家や作家・評論家・芸術家・漫画家など、時の話題の人たちがゲストとして呼ばれた。ただし、スポンサーがロート製薬 協賛日本航空だった関係から、放送当時に製薬や航空の同業他社の広告に出ていた人は、ゲストとして呼ばれなかった。
当初は中CM明けに行われており、開始音楽やテロップは無かったが、TBS系全国ネット後(推定)からセットをバックに開始のジングルを流した。ゴンドラが色分けされてからはジングルを行進曲のファンファーレ調に変更すると同時に、「シルエットクイズ」とテロップが出る様になる(構成は上に「シルエット」、下に「クイズ」)。そして西郷時代には、中CM手前に移動、ジングルを一新し、シルエットをバックにテロップが出るようになった(構成は右上がり一直線に「シルエットクイズ」)。また、小池時代は「ジングル→説明→問題」という順番だったが、西郷時代は「説明→ジングル→問題」という順番になり、説明は小池時代よりも少なくなった。一時期このクイズの正解者にはゲストからゲスト賞が進呈されていた。
10問正解達成解答者に対する演出
10問正解してゴンドラが頂点に上がるとファンファーレが鳴り、解答者席上(天井)に吊るされていたくす玉が割られて(くす玉は小池時代前期は造花であり、後期は銀色である。西郷時代はくす玉の代わりにゴンドラセット上の天井から丸いランプが点滅しながら)、大量の紙吹雪と風船(色は赤・橙・黄・緑・青・紫の6個、番組開始当初と西郷時代には銀色の紙吹雪のみでゴンドラセット上の天井から降らせるため風船は入っていなかった)が降り、日航で行く「夢のハワイ旅行」と賞金10万円獲得となった。なお、降ってきた風船は出場者あるいは観客の子供たちがもらうことができた。

Wikipedia:佐々木美絵
佐々木 美絵(ささき みえ、本名:斎藤 美絵。1950年12月5日[1] - )は、フリーアナウンサーで、元毎日放送(MBS)アナウンサー、羽衣国際大学客員教授。所属事務所は昭和プロダクション。夫は(佐々木と同じく)元毎日放送アナウンサーで、羽衣国際大学名誉教授の斎藤努。
経歴
京都府京都市伏見区生まれ。奈良県立高田高等学校を経て、関西外国語短期大学卒業後、一旦大阪テレビタレントビューロー所属のタレントとしてMBS専属の契約アナウンサーとなる。後に正式に局アナとして入社。1972年11月から同局の看板クイズ番組『アップダウンクイズ』の出題者で人気を集めた。その他「MBSヤングタウン」(角淳一アナ、笑福亭鶴光と共演)などのパーソナリティーなどを務めた。フリーになってからも引き続き『アップダウンクイズ』の出題を1985年10月の最終回まで担当。また、講演、司会、執筆など、多方面で活動している。
アップダウンクイズを担当していた時、MBSには佐々木宛てのファンレターが多数寄せられたという。
2006年4月より、夫と同じ羽衣国際大学に講師(社会学部)として、放送メディア・アナウンスや話し方の講義を担当するようになる。2012年4月から客員教授。





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Last updated  2024.09.09 22:03:40
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