秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.05.02
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今回は1968年にできた霞が関ビルのお話です。小学生の頃、ジャンボジェット、大型タンカーとか目新しいものができると、子供向け雑誌の巻頭カラーで特集され、霞が関ビルもその一つだったと思います。

それまでは地震大国の日本では高層建築が認められなかったのが、上野・寛永寺の五重塔をヒントに1本の柱で大地震に耐えられる建築法が開発され、日本でも高層ビルの建築が認められ、三井不動産が建築主となり鹿島建設が建設したビルです。

初めての高層建築だったので苦労も多く、鉄骨の位置が正確に計測して組み立てても朝晩で数ミリずれて、工事が止まったりして苦労の多いプロジェクトだったようです。原因は以前ご紹介した大型タンカー建造時の問題と同じでした。

また、地上100m以上の高さを命綱もつけずに細い鉄骨の上を身軽に歩くとび職の方の真似は自分にはとてもできないと思いました。

建設工事中に恋が芽生えて社内結婚するカップルとか、昭和の古き良き時代の日本企業の人たちが見られて懐かしいです。

2年後の1970年にできた世界貿易センタービルはもう解体されました。霞が関ビルは1990年代はじめに英会話学校があり、TOEICの点数が高かったので、会社のお金で週1回甲府から通わせてもらっていましたので、自分には縁起の良い場所です。はじめて学校のロビーで、今では珍しくもないウォーターサーバーを見て、しゃれてるなと思ったものです。これからも霞が関ビルにはリニューアルで長持ちしてほしいものです。














■参考リンク
プロジェクトX 挑戦者たち 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い ~地震列島 日本の革命技術~ [DVD]
昭和の始め、日本にはまだ10階を超える建物はなかった。
建築基準法によって、高さ「百尺(約31m)」以下と制限されていたからだ。

しかし、地震の揺れを吸収する「柔構造」の研究が進んだことで、昭和37年に建築基準法が改正、高さ制限が撤廃された。
そして計画されたのが、霞が関ビル地上36階、高さ147mの日本初の超高層ビルだった。

Wikipedia:霞が関ビルディング
霞が関ビルディング(かすみがせきビルディング、略称:霞が関ビル)は、東京都千代田区霞が関3丁目にある地上36階、地下3階、地上高147mの超高層ビル(オフィス・商業複合施設)。所有者は三井不動産。ただし、34階に入居する霞会館は現在も敷地の一部と10階、11階部分を所有している。
概要
一般に日本最初の超高層ビルとして知られ[注 1]、1970年(昭和45年)3月に竣工した世界貿易センタービル(建て替えのため2021年閉館)に抜かれるまで2年弱の間、高さ日本一の座にあった。
複合高層ビルの先駆けとして、36階に展望台(のちに閉鎖)、下層階に郵便局(霞が関ビル内郵便局)や診療所さらに周囲を公開緑地とすることで、「街」としての機能を取り込んだ。柔構造を実現するため、素材では大型H型鋼を全面的に採用したほか、スリット入り耐力壁による強度の異なる地震への対応、さらに揚重機械であるタワークレーンの「セルフクライミング方式」、床版工事における「デットプレート捨型枠工法」など、工法・工程管理の累積的な改善が、さまざまなレベルで行われ、中央監視、自動起動・停止など無人運転による新しい自動制御方式も採用された[3]。工事費は163億6300万円[2]。
1972年(昭和47年)にビル照明を制御して、アポロ計画における有人月面着陸を祝し、外壁にメッセージを描くウィンドアートを行ったが、これは日本で初めて霞が関ビルが披露したのものである。
空調・給水や情報通信といったインフラストラクチャーの更新や、後述する周辺再開発などのため、約470億円を投じて3度の大規模改修(1989年、2000年、2009年)を実施[5]。東日本大震災後の2014年(平成26年)には防災対応能力を強化した[6]。
沿革
1959年(昭和34年)秋ごろ、東京倶楽部の向井忠晴会長(元三井総元方理事長)から当地にあった倶楽部ビル(敷地2000坪)の建て替えについて、三井不動産の江戸英雄社長に協力が求められ、立地条件も良いので、共同ビルを建設することで合意した[7]。だが、着工直前に景気が悪くなり、政府からビル建設ストップ令が出て、着工の1年繰り延べを勧告された[8]。ストップ令が出ている間に、東京倶楽部の有力メンバーで、同倶楽部との話の橋渡しをした寺島宗従から、隣接する霞会館(敷地約3000坪)でも、共同開発を希望しているとの情報が入った[8]。江戸がさっそく、細川護立理事長と徳川宗敬副理事長のもとを訪ね、自分の考えを伝えたところ、「それはいい考えだ。一つよろしく頼む」との賛同を得て共同開発に参加してもらえるようになった[8]。これで東京倶楽部と霞会館の敷地統合の話が進んだ[8]。しかし、この5000坪に従来どおりの31メートル以下(いわゆる百尺規制)のビルを建てると、敷地いっぱいの平面的なビルになり、長い廊下、採光の悪さなどの欠点が出て、都市美観上も好ましくなかった[8]。
ちょうどそのころ、建築行政の面で新しい動きが出ていた。旧建築基準法でも周囲に広い道路、空き地があれば、31メートル以上のビルを認める特別の緩和制度があり、この特例を利用して、16階のビルを建てることを計画したが[9]、河野一郎建設大臣の諮問に応えて、1962年(昭和37年)10月、日本建築学会が高さ制限を撤廃し、代わって容積制限制度を導入すべきとの答申を出した[9]。さらに建築手法の上で、従来の剛構造理論にかわって画期的な柔構造が確立されつつあった[9]。おりしも当時、三井不動産では超高層ビル建設への関心が強まっていたことから[1]、61年末、柔構造の超高層オフィスビル(30階)と周辺開発の青写真が描かれ、62年6月に霞が関ビル企画室、次いで10月には建設委員会が設けられた[1]。他方、63年7月には学会の意見に基づき、高さ制限を撤廃する建築基準法の改正が実現した[1]。ところが、全体計画が進行中のとき、東京倶楽部から、「64年秋の東京オリンピックまでに、新ビルを完成させたい」との強い申し入れがあり、やむなく霞が関第一期工事として、地上6階建ての東京倶楽部ビルを先行して着工させることになった[10]。

超高層ビルの建設は特定街区の手法を活用し、北側に隣接する増築を計画中であった会計検査院(2007年中央合同庁舎第7号館に新築移転)の敷地との間で使用権交換が行われ、64年8月になって、建設省から3ヵ所を統合した特定街区の第1号となる「東京都市計画霞ヶ関三丁目特定街区」の指定を得た[1][11]。ビル設計は、山下寿郎設計事務所に依願され、施主である三井不動産と鹿島建設(のちに三井建設も参加)の2社が、設計から竣工まで緊密に協力する体制を構築し[2]、その後、ビル建設委員会には、武藤清、高山英華、吉武泰水ら建築学者も参加する協力体制のもと[2]、1965年(昭和40年)3月18日に起工、1967年(昭和42年)4月18日に上棟し、1968年(昭和43年)4月12日にオープンした。
日本におけるはじめての高層ビルの建設のため苦労も多く、そのエピソードはNHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられた[12]。竣工当時、13階は縁起の悪い数字のため、テナントではなくビル内の空調機器をまとめて配置する機械室として用いられた。非常階段は中央共用部に設置され、火災の際に煙が溜まらない構造となっている[13][注 2]。
ビルは建設中から、見物人が大挙して現場に押し寄せ、その完成は人々を驚かせ、開館後、最上階36階の展望台「パノラマ36」は大盛況となった[14]。この展望台は最上階機械室のまわりの空間を回廊式にしただけのものだったが、連日、虎ノ門交差点あたりまで長い行列ができ、入場料だけで数階分ビルの家賃に匹敵する収入があった[14]。しかし、高層ビルが珍しくなくなった1989年(平成元年)にフロアはオフィスへと改装された。展望室の閉鎖後、35階でレストラン、宴会場、会議室を運営する東海大学校友会館が[15]、一般客が利用できる最上階となったが、 2020年(令和2年)8月から休館となった[16]。
ビルの総容積は約50万立方メートル(総重量約10万トン)あり、東京ドームが竣工する前は莫大な体積を表現する際に「霞が関ビル何杯分」という表現がよく使われていた[17]。かつてはGoogleで「東京ドームを霞ヶ関ビルで」と検索すると、「1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル」と換算が表示される機能が実装されていたが[18]、2018年(平成30年)時点この機能は削除されている。
難航した資金調達とテナント探し

テナントはビルが完工する1年前から受け付けを開始した[21]。日本最初の超高層ビルということで、マスコミは早くから大きく取り上げ、2、3階、それに地下1階のショッピングゾーンは、またたく間に成約をみたものの、オフィス部分は打診はあっても、ビル不況のときで、なかなか成約に結びつかなかった。このため江戸がトップセールスでテナント探しにかけずり回った[21]。 テナント候補企業のなかには、超高層ビルは地震のとき危険だという先入観を抱き、二の足を踏むところもあった[22]。そこで安全性を科学的に説明した映画をみせたりして、PRに努めた[22]。そうした熱心な売り込みが奏効し、竣工年の秋には満室となった[3]。

鹿島紀行:第13回 超高層のあけぼの~霞が関ビルはいかに造られたか/産業芸術映画の新分野を開拓~





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Last updated  2023.05.04 11:16:36


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