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とても、とても、とてもここのブログはご無沙汰いたしております。ここまで来るともう新人、という歳ではないので、単に新参者でしょうかね? 楽天ブログさんにも感謝しています。 だってこんな怠け者にも、毎日欠かさずメールからのアップ通知を日々欠かさず送信してくれているのです。本当にありがとう。 この項目を残そうと思ったのは、多分私が年老いた印なのかもしれませんね。 昨日、二男の長男(息子の二人目の子ども)生後9ヶ月の初節句だったのです。前回のブログの孫(卒園式のことを書いた)は既に今年小学校4年生。その後、二つ年下に「みれちん」なる女の子が生まれたんですよ。(ここまで長男夫婦)次いで二男が結婚し、そこに女の子が誕生。 そして昨年、4人目の孫の男の子が誕生したわけです。 2007年に私が落命の危機だった時に、見舞いに来てくれた子が当時生後9ヶ月。なんと今年あれから10年。しっかりだらしなく息をしているだけの様なこの10年に、わが親族は次々に子をもうけ、私が4人もの孫を目にするじぃ~じになっていたのです。 けいちゃん、すくすくと大きくなってね。一番上の従兄のゆっきーや、女の従姉や姉たちと力を合わせてすてきな後継者になっていってね。
2016年05月06日
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大変ご無沙汰いたしております。皆さんにもいろいろなお変わりがあったでしょうね。私は、お陰様でまだ生きてるジョォ!久しぶりですから、今日は本題だけにしておきますね。平成18年に初孫が生まれ、お祝いを戴いたお返しに山形の酒「初孫」を内祝いにしたのが、ついこの間のような気がしています。その孫ユッキーが3月16日に保育園を終えて、めでたく卒園させていただきました。この孫が生まれて9ヶ月目に私の最初の入院でした。手術後1週間程で見舞いに来てくれましたっけ。まだ、あゆみがおぼつかない脚で、じぃ~じの足下へのあゆみでした。あれから6年近く経った3月半ばあの孫が卒園ですって!あいなと(ありがとう)、早く大きくなってくれて、じぃ~じが生きている間に、小学生になってくれるなんて…そ、そんな事いってはいられないんだよね。二番目の孫があと2年で小学校だもんね。それまでがんばらなくちゃ!そうそう、もうすぐ2番目の息子もいつの間にか所帯を持ちましたし、私の戸籍はもう、私とパートナーの二人だけの寂しいものになってしまいましたね。66歳になる年からこんなに家族イベントが次々とやってくるなんて、前期高齢者(直前ブログネタ)なんていっていられない心の忙しさになっています。もう少しがんばらなくちゃね。
2013年03月25日
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今日がなんと1234日目だそうです。そんな日におこしくださった方が、77777人であることが偶然起こるなんて・・・・・・・皆様にお礼を申し上げるばかりです。2012/12/6
2012年12月06日
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報道では「事故」ということばで片付けているけれど、本当に事故? 一つ例を挙げると、欧州の家屋は年月が経てば建つほどその価格が上がるよね。日本の家屋で建築時より値が上がっているのは歴史的建造物ぐらいのものじゃないかな? その原因は何? メンテナンスというカタカナ語で誤魔化されているが、あくまでも応急措置、付け焼き刃、見た目修復のことをいっていやしないかな? 今回の事故と称する事件も穴掘った地球との接合部分とその下に作った構造物とを繋ぐ物の地球との接合部分のたたいての点検なんて開業以来一度もしていない。そんな事を記者会見でいっていたよね。 そんな事でいいのかな?構造物の完璧なまでの人造部分はよいのでしょうよ。それを地球という体内へ潜り込ませたら、入れさせてもらった人造物との間に折り合いが付いているかどうかを一番に気にしなくてはいけないんじゃないかい?2011/3/11日本の東半分が地球の部分として揺れたでしょう。その後の点検が、今年の9月に実施したが、目視点検だった。そんなのって人差し指をその方向に向けて「ヨシッ!」といってしまえば安全だということですよね。 心筋梗塞で手術を受けステントが埋め込まれた患者をエコーもX線も透さずに触診だけで「大丈夫ですね。」という医者様(少なくとも私がお世話になっている医師にはいらっしゃらない)とどこが違うんでしょうね。 非破壊検査を毎回行うことはできないにしても、蒸気機関車の毎日点検のように鉄材のひび、ねじの弛みなどを発車前にしているのですよ。 そんな中で35年も経っている構造物で「開業以来…」等ということばを吐いて恥ずかしくないのでしょうか? これはモラールの問題などという易しい物ではないでしょう。最近、「目には目を、歯には歯を」に近い原始民主主義が横行しているような気がします。こんなときこそきっちりとこんな思いもよらない事件に巻き込まれて瞬時にこの世を去るよう実行されてしまった、哀しい9人の魂に対する処罰が業務上過失傷害などという生やさしいものですませて欲しくない気持ちでいっぱいです。 日本の片隅で、なんの権力も技能も知識のないじじぃが叫んでいることです。そんな小さな叫びを読んでくださった方ご自身のお仕事に照らし合わせて戴いて、己を律する力という意味での「自律」(自分で「立っちできたと喜ぶ」 「自立」でなく)につなげていただければ、それだけで過去の職としての「冥利」につきます。
2012年12月03日
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久し振りにめえるこうしんです。目得る更新(?) 見えるからかな?今日から「師走」。そういうメリハリがもう何年もなくなった生活。だから私にとっては、今日からは「師走れ」なのよね。強いて気づくのは、そうそう、今年来た喪中はがきをまとめなきゃ。年賀状かきはじめなきゃ。御歳暮(正しくは、「歳暮御祝儀」)をお送りしなくては。くらいしか生活ストレスを感じられなくなっているのです。みなさま、これから冷え込みます。ノロウィルス大流行、インフルエンザともに大流行の兆しです。お身体おいといになって、新年にお供えくださいね。その前に、人気ランキング投票になりそうな総選挙がありましたね。 (大笑)
2012年12月01日
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先日誕生日を迎え、何ともいえない年齢になった途端に市役所から届いた一通の封書「確か、うちの市町村は交通機関~とはいっても○奈中バスしかないが~優待券は70歳からとなったはずだが…」そんなことを思いながら封を切ってみると、その中に入っていたのは下の写真のような「介護保険被保険者証」と書いてある。これからは、要介護認定を受けると働いていらっしゃる皆さんが泣く泣く強制的に納めさせられている、介護保険料に支えられて「お世話になっていいよ!資格」をいただいたことになる。健康保険は病気をしたときに、本人が携えて医療機関に行くための証。しかし、今回の介護保険証なるものは、今まで具体的に考えることすらなかったのだが、本人がこの証を携えて専門機関に行くというのとは違い、私が、介護を要する要介護者になったときに家人ないし息子達が遣うためのもののような気がするのね。人生ってそんなものなのかしら? 生まれてきて少しずつ資格や、経歴や、肩書きが貼り付けられて肥っていって「社会的人格」というものが付いてくる。そして定年という歳になると、肩書きが剥がされ、技術が落ちてゆき、新たな経験が剥が遠ざかってゆく。「そんな年寄りにはかわいそうだから、今までご苦労さん」という意味でこういうプレミアムを付けてくれて「人間的目減り」や「社会的やせ細り」を軽減してくれているのかしら?もらったけれど、生年月日と介護認定さえされれば、手間や、費用を保障してくれるのが、「社会保障制度」であって、もらって何か哀しさを感じるような「レッテル」を貼られてしまったことで、一抹も二抹もさびしさを感じる、年寄り入門に駆られてしまいました。
2012年09月21日
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ご無沙汰をしております。つい先日、とうとう65回目の誕生日が来てしまいました。その直後にTVでは「団塊の世代が65歳を迎えるので、一気に高齢化率が高まる…。」とおっしゃっていました。有益な高齢者も、無益な高齢者も一挙に増加するから、なになのだろう?好むと好まざるとに関わらず、59歳で終るかも知れなかったその命をいまだに長らえている現実に何かこらえきれない物を感じてしまった。同じ日に、現役最後の年の給与明細が集団ででてきた。(捨てていなかっただけかも?)当時の給与は景気が落ち込み昇級停止が早まり、数%の給与カットがあったのに管理職としての手当の1/4の月額収入で生きている。けっこう生きていけるものだよね。身を切って家のローンを払い終え、辛うじて二人の子どもを成人させ、満足に生活をしているみたいです。同居でもしていなければ、彼等の経済状況なんて分かりませんものね。でも、そこそこ幸せに生きています。だって、文句を言いながら、思うように生きられないと不平を言いながら、だれだって、思うように生きているのは何処かの政党の幹部位のもんだよね。来年の今頃、まだ不平を言い続けていたとしたら、いってやってください。もうそろそろ消えても善いよ。 ってね。もしも、もしもですよ、不平を言っていなかったら、もう、歳だね! といってやってください。
2012年09月18日
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大変ご無沙汰しております。心境穏やかならぬ5月6月を過ごし、心安らかになってからよい話題で再出発と思っていましたが、最も腹立たしい話題で再開です。ことの始まりは6月20日の午後4時15分頃、Willcom プラザ本厚木からの電話である。「本日(発売前日)、ご予約を戴きましたDigno Dualがとどきました。」嬉しい報せである。しかし、電話はこれで終わらなかった。「なお、明21日は発売日でございますが、当店の定休日に当たりますので、お受け取りは明後22日以降となります。」おいおい、ちょっと待てよ!予約をしたときには、「では、21日の発売日にお待ちしております。」とプラザ職員が言って快く店を出たのだ。このときも、6月1日午後3時過ぎに店を訪れて、「当店では1番目のご予約を戴きました。」で在りながら、昨日の電話では「当時21日にお渡しするといったことばは、間違いでは済まされぬ事ですよね。」そういうと「申し訳ございません。」の一点張りで、「ご了承ください。」の宣告である。(長い人生の経験からするとこの台詞は「かわいそうだとは思う、しかし当方は何もする気も処置もしない。黙って引き下がれ!」というときに使われる悪しき日本語になっている。欧米であれば、「謝るのなら、その賠償を求める」とやられることが、常識でしょう。そのくらいの覚悟でこのことばは吐けよ!)商取引で、こんな事ってあっていいのか?待望の新発売を予約まで取って、発売する当日に販売よりも一営業所の定休日が優先するなどという。最近、やり玉に挙がるばかりの役所だって、休日でも窓口を設けて市民、住民の代替的処理手段を設けているのに。タカが、販売代行を勤めるプラザ如きがなぜ定休日だ。そこで止む無く「116」からウィルコムセンター電話をし、対応窓口に一部始終を話した上で、ステーションから傘下のWillcom プラザ本厚木に対して何某かの指導か、購入者が発売当日に商品を受け取れる様仲介をしてくれる様に依頼した。ここでも枕詞「申し訳ございません。」が付いたが、対応者には上記()内の説明をして、このことばを禁じた。その中で許せなかったのは、「お客様(当然私)は、プラザからの電話でご了承くださったのですよね。」である。「了承というのは、申し出、乃至は相談についてあるいは提案についてのことであって、強者になりきった宣告乃至は通告に対しての拒否権など顧客にはないでしょう。ですから承諾または了承の余地はありません。だからこそステーションにお願いしているのです。」このやりとりを総て録音しておいたので後日、社会的制裁が必要になったら、youtubeにでもアップロードする用意もある。己の利益はそのままに、顧客に犠牲を強いて、しかもこれに腹を立ててクーリングオフでもすれば、予約特典である各種の無料になるプレミアムは総て消滅する。黙っておとなしく販売者に「お売り戴きます。お代官様」は顧客として認めてやるが、少しでも販売者の日を付く奴はペナルティー付でならば売ってやるが、「何か文句があるか?」そういわんばかりの方式だよ。別会社の発売日については、親会社が販売店に定休日でも店を上げさせ、臨時営業させた。その裏には、「当日休業の代理店には、今後の出荷制限をする。」これが商業努力ではないのかな?バカみたいではあるけれど、今日はとことんいじけてやるぅ。
2012年06月21日
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今朝から去年と同じように大型プランターにゴーヤーの苗を6本植えました。 今年は種子から発芽させてと思ったのですが、その試みははかなく消えました。 だって私の人世と同じように、 芽が出ないんだもん。 まっ、いいことにしよう! うまくすくすく育てよ!
2012年06月04日
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以前に電子レンジを変えた話をしました。出力が以前のものでは700wだったのですね。ところが今回のレンジは500wなのですよ。先ず、最近流行の焦げ目の付く電子レンジ用の皿ってありますよね。これを買ったので、意気揚々とスーパーマーケットで22cmサイズの冷蔵ピッツァを買ってきたんです。お昼ご飯に食べようと余熱を6分ほどしてから、ピッツァを入れてさらに6分。"ピッ、ピッ、ピッ!" 待望のピッツァの焼き上がりです。嬉しそうにレンジから皿ごと引き出して、テーブルにセット。ピッツァナイフできれいに切って、…?なんかちょっと変だニョ?薄いクリスピータイプのはずなのに、モッチリ、モチモチ。ピッツァになっていません。美味しくないのです。何か1週間ほどおいちゃった食パンを鉄板のとろ火で温めた様なのですよ。がっかりでした。これは焼き色ツケの皿のせいではなくて、レンジの出力不足のせいみたいです。チーズはもうダメでしたが、追加して小さく切り分けてもう一度レンジで温めたもの→×オーブントースターで温めたもの→○ロースターで温めたもの→○フライパンにふたをして温めたもの→△だったのですよ。やはり焼けた石の上に置いて、炎で焼けた空気で包んで焼く窯は一番美味しいんですね。蛇足ですが、最近近所にできたレストランで食べたピッツァは電気オーブンで焼いたものでしたが、これもイマイチでした。
2012年05月02日
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わが家の庭も春真っ盛りです。クンシランは今盛りです実も花も手をかけないわりにはよく咲きますよね(エライ、エライ! いやお花ですよ。)♪うぅ~すべに色の…♪ のハナミズキが今年は咲きましたねえぇーっと、なでしこでした まだ咲いてるんだから忘れないでねっ!
2012年05月01日
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予算年度がはじまり、学校がはじまり、気分的に何となく新年度。退役の私にはあまり関わりがない様な気がするのですが、税金の書類の束がジャンジャンやってくるのもそろそろですね。現政権になって、「前政権政党のせいだ」といっていられるのももう限度だろうに…だんだん世の中がひどくなっていきますよね。瀬戸内寂聴さんは戦時中よりも経済状態も国民生活も悲惨だとおっしゃっている。私の様に、敗戦後東京で生まれた者にとっては、農村地帯は裕福に米を食べていた。東京特に旧制度の市部(豊玉郡渋谷村より内側)の食料の悲惨さはなかったのです。あの頃は4月になったら、どこかによい風が吹く予感と共に「がんばりがい」があったよね。平成24年予算年度がはじまって1ヶ月、どうだろう?日本中の独占企業である「トラスト電力」グループは己の仕業を棚に上げて料金値上げを顧客の皆様に清々と追いかぶせる。それを護ろうとするうまみを食べてしまった今の内閣は何をそういいたいのかは知らないが、尤も知りたくもないのだが、「一体改革」の美名に隠れて、要は自分のうまみを削らず「みんなでがんばろー!」往年の労働組合のシュプレヒコールを唱えた新年度1ヶ月であったに過ぎない様に思う。私も含めてかとは思うが、民青、革マル、三派が活躍していた頃の政府をもひっくり返しそうなあの活力が懐かしい。それを知っている者も既に老いさらばえてしまい、次の世代にあの心意気を伝えることを忘れてしまったのだろうか?
2012年04月30日
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前後の日記を書いているうちに藤の花の写真は撮っておいたのにここへのアップをしそびれてしまいましたの。4月13日の日記にみの虫だか、毛虫だかみたいなおかしな写真を載せましたよね。あれがね、一つひとつこんな風にみんな花房になったのです。小さくても、数少なくても一所懸命咲いているわがやのミニ藤なのです。
2012年04月29日
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先週20日と同じように築地通いです。 最初は毎月、半年後から3ヶ月毎に。 そんな事言っている内に、一年たってまた入院。 そんな回り道をしながら、今日で、右肺下部偏平上皮がんの手術から 5年と25日が経ちました。 長かったとも、早かったともいえますね。 朝5時に起きて6時に家を出る。 8時半には病院の受付にいる。 そんな生活の節目が間もなく無くなるかもしれない。 嬉しいだけのはずなのに、命の恩人であるお医者様と間もなく、 お目にかかれなくなるかも。 余ほど嫌なお医者さんででもなければ、5年付き合えば情が湧くものですからね。 ここのメール更新のデイリーアドレスが毎日9:18に来るのです。 診察が終った頃、今日もアドレスが届くでしょう。そんな事をいっている間に、いつもだと9時半頃からはじまる主治医のA先生がデイリーアドレスがとどくよりも早く診察室の灯りを点けて、診察開始。3番目だった私。「Bluesmokerさん29番へお入りくださぁ~い!」「Bluesmokerさんは、…と、これで5年目だよね。」「ハイ、本当に先生のお陰で命を取り留めて戴いて5年が経過いたしました。ありがとうございます。」すると、この先生にしては精一杯のお世辞か「いや、一番苦しかったのは患者さんですよ。」(なんと謙虚なお言葉)20日の日記に書いた様にこれで5年生存で卒業って言われやしないかな?そんな不安を抱いていると、「そうですね、もう1年は胃外科のK先生の検診がありますよね。肺がんは6年間フォローアップすれば完全だから、Bluesmokerさん今度は半年後に来てください。じゃ、K先生のところが10月○○日だから、その日に、どっちが先でもいいから、見ちゃいましょう。」腹を立てれば何処までも腹が立ちそうな、ありがたいと言えば何処までもありがたさの身にしみる診断だったのでした。2007年4月5日肺がんの手術以来5年経過して今日を迎えられる今の幸せを喜んでいたい今日の私です。
2012年04月27日
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公民館年度当初事業の会議です。 ご覧いただいたような事業を初めとする、公民館事業の全般を検討する会議なのですが、前回とんでもないご意見で、会議が紛糾したように時折大問題が発生します。ですが、今回はおかげさまで比較的シャンシャンと終ってくれました。今年一年が盛大に行事開催できることを決意する事ができました。
2012年04月26日
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この写真何かおわかりですよね。最近暖かくなってきて、この花が咲いているのです。そう当然チューリップですね。しかし、朝日が昇って、真っ向から日光を受けるまでは絵本の仲のチューリップなのです。デモでも、一旦強い陽射しを受け始めると、こんなあられもない姿になってしまうんですよ。よくハナからハまでが遠いことを捕らえて鼻の下の長い男限定の例えとして、好色な人を表しますが、ここまでだだっ広く開いてしまうと何ともだらしない図柄ですね。
2012年04月24日
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昨日は検査とデートで楽しんだ1日でした。その中で、一番嬉しかったのは、…手一杯の女性とのデート…それはそうかも…正直なところ、第一は検査がスムーズに進み、当日結果ではあってもよい告知を得られた。そんなよい状況下で素敵な女性方三人とのデートがよかったのだと思いまする。そこで忘れちゃいなかったのが、お抹茶を買うことでした。それを少し余分に手に入れてきました。そして先日できあがったのに、色の似たものといえば残念ながら、粉末青汁しかなかったのです。それではあのお茶碗がかわいそうですよね。はじめてあのお茶碗で抹茶を点ててみました。こんな事でといえばそれまでですが、駄作であっても抹茶茶碗として生まれてきたからには、青汁茶碗ではかわいそうですものね。さ、今日は夕刻から、本年度最初の地域文化振興会総会が行われます。委嘱任期は2年。今年はその2年目です。昨年何となく雇われ○○○のように1年の経験で副会長になっちゃって、今年から、前会長が公民館長に昇任しちゃいましてね。そうしたらその関係でところてん型に私が会長などという下馬評がそう、今はやりの言葉で言えば「風評被害」というヤツで、3月に風評が立ったとたんに、自宅へああせいこうせいと皆様からのご要望のお電話をいただく始末です。「はい、はい」と大人しくうかがってはおきましたが、「人事は他人事」というがごとく、こんなケチな人事でも人事ですから、いい加減辟易としていたのです。いよいよ会が始まって、シャンシャン総会のはずが、まともに会長選挙なんてのをやりやんの!開会前にちょっと功策をしておいたので、わずかな票差で大学の先輩であり、副会長歴5年のY氏に会長は決定しました。やれやれでございましたゎ。
2012年04月21日
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午前の診察が終って、それも先の日記の様に要領よく行き過ぎて、会計を済ませてもまだ11時少し過ぎでした。実はこのあと、午後1時に築地周辺で昼食を一緒にしようと待ち合わせをしていたのです。しかし、これでは早すぎます。2007年以来ここ築地市場には大いに馴染みの地になったのですが、初めの3年ほどは病と二人連れでしたから、気を病んでいたり、身体を病んでいましたよね。病院の14階や17階から見下ろしていたり、その後も18階の食道から入院中のことを思い起こしながら見ているだけだった築地市場の場内市場なんて行ったこともなかったのですよ。そして、河岸近くにある 「波除神社(なみよけじんじゃ)」へも行っていないんです。それ全部行ってみました。ようやく12時。このあとは、何処で食事をするとも決めずに取り敢えず、地下鉄築地駅の近所の でお二人の女性との待ち合わせして、昼食OFFの予定なのです。12時15分、早すぎることは分かっていましたが、行ってみたのです。ここって意外に狭いんですね。これじゃ私を含めて3席を独占することは少々無理です。そこで一軒おいた隣の へ鞍替えをして待ちました。そんな時は携帯のメールやTwitterというのは便利ですね。場所を変えて待っていても変更さえ知らせれば、一人ひとりに電話で知らせなくても一挙に済んでしまう。じぃさまにとっては嬉しい手抜きです。そのうちにひとり、そしてもう一人、いやいやもう一人の1級先輩とヒャッホォー、両手に花どころか元気の出そうな四人連れで昼ご飯です。ここらで食べるのならば、やはり寿司でしょう。以前からもいっている様に、私、生魚はちょっと弱いのですが、お寿司屋さんって、生魚はありますが、何となくした料理したネタって結構多いのですよ。かんぴょう巻、こはだ、玉子、蒸し海老、穴子、しめ鯖…ああ、もちろんマグロのづけなんというのもその仲間ですよね。半分の胃袋で 7,8貫ほど食べたらやはりお腹いっぱい!それでもねそんなに食べられる日が来るとは思っていなかった。その後、コーヒーと、エクレールを銀座の喫茶室でさらに食べたのです。5年前を振り返って考えると、不思議な夢を見ているようです。しかも、妙齢のご婦人三人と食事ができることも です。うん、美味しかった、ご馳走さまでした。
2012年04月20日
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問題の検診です。あさ6時家を出て8時29分に病院着。電車の駅の自動発券機のような機械に面して、今日の診察を確認するエントリーシートを印刷するために診察カードを入れてプリントを受け取る。これが今日半日の私の行動を決定するのです。ふむ、ふむ、ふむ いつものように意外なものはありません。まずは健康保険証の月別照合。ここが意外と人数が列を作っていると先に2階へ上がって一仕事しちゃう最近の要領の良さという知恵が付いてきているんです。今日は数人だったので、素直に並んじゃいました。チェック終了。エスカレーターで2階へ。上がった背中側に採血採尿室があり、いつもここで10分程度待たされるのですが、この半年で、進化していました。確か今までは5ヶ所で採血をしていたと思います。しかし、今日行ってみたら8ヶ所に増えているのですよ。それはやはり早いですゎ。あっという間に採血が終りました。さっ、これからが病院の検査らしくしっかり待たされてすぐ終るというパターンです。4階まで上がって、X線やCTのフロアでいつもはX線、今日はCTです。受付へ行って、エントリー、ちょっと手洗いへ行って戻ってきたとたんに呼び込まれました。いつもなら、メールの一つぐらいは打てる暇があるのです。(速度は時速じぃさんポチポチ/参った!位です。)だけれども今日は少し違いました。野球場の選手控え室のように一人ずつ試着室のような所へ入れられて、服を脱いでいると、「Bluesmokerさん、造影剤の注射の針を入れまぁす。」え?もう?鍼灸院にでも行ったように簡単に腕の静脈に針を刺して、長い透明のチューブの先に60ccほど薬液の入った注射器を差し込んで、「これ持っていてくださいね。」ですって。ベテランはこれもよく知っている!造影剤の針を刺したら、長くても3分程度のうちに検査に入らないと拙いらしい。(早いな、最大3分だ)等と考えていたら、ナースウエアではない技師の服を着た女性が10秒と経たぬ内に呼びに来て例のCTの台に寝せられましてね。検査開始です。そのスライドの速度も今までよりもかなり速くなっていてそんなに早くて良いの?といぶかる程。だから呼吸を止めている時間も胸部X線の時の倍位で終了。尋ねたら、先月工事が完成してリニューアルしたのだそうで、今までの機械ではないらしいのです。さあ、地獄の内視鏡のお時間です。1フロア降りて3階。ここでも、全てが速い速い!私の方があおられている感じです。昨日の日記の分までに書いたように、18日19日の6食を他の物を口にせず、チューブ食ばかりにしたのに、やはり食物残渣があったのです。驚くことに17日の昼食にわかめタンメンを食べたのですね。そのわかめが粉々になりながらも、3泊4日も胃の中に連泊! うっっそぉ~!先月の長野行きが3泊4日だったんだゾッ!(一緒にはならないね。)でも事前に食生活のレポートをしておいたので、技師さんは見にくい胃の中を丹念に(その間あたしゃ苦しかったけどね。)見てくれたのでした。(きたないのにアリガト!)ここも、検査時間を除くと殆ど待ち時間なしに近い状況。最後の胃外科の診察待ちに入りました。流石にここでは少々待ち時間がありました。だけどここもブログを書ける程の時間はありませんでした。診察室に入るといきなり、「顔色が良いですね。4年経ったんですよね。」「赤血球が健康状態の上限に近い程に増加していますよ。」「栄養状況も良いですね。」(いいわけなかロー!二日もチューブなのに)でもいいんですって!逆流性食道炎がある以外は「健康な人みたい」なんですって!一番嬉しいお医者さんからの言葉ですよね。これから実は両手に花の妙齢と妙な齢の方とのデートが待っているのです。だから余計に上を向いて胸張って歩けますね。今朝までのBluesmokerとは別人のように…自分でもお天気屋だな?と思う昼前でした。
2012年04月20日
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今日は59歳での肺、60歳での胃からそれぞれ5年、4年を経過した検査日。 といったところで、半年毎に大検査、小検査を繰り返してきたのですかね。 2時間以上かけてくることが分かっているのにいつも検査開始は8時30分。 自分の身体の事となると半年おきでも、習慣になるものですよね。 その半年毎に がいわゆる「5年生存率」というくくりで言うと、今回満了するのです。 一抹の不安は、 一度がん細胞が活動した身体は新規にせよ、再発にせよ、なりやすい体質なのですよね。 再発なんてしたくないに決まっていますよ。 だけどしやすいのですよ。 その恐怖たるや、いい加減人間のBluesmokerにして、大きに真剣になっちゃうんですよね。 しかし、肺(いや普通は胸かな?)や胃が痛む思いなのです。 自分でも変なヤツとは思っているんですよ。 「治ってきたんだから、素直に両手をあげて喜べよ!」ってね。 まもなく外来診察が始まるでしょう。1st updated 2012年04月20日 11時05分46秒
2012年04月20日
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今日は今日とて・・・チューブ食二日目です。もう食べない方がいいような気がしてきた。ほぼ90分おきに1パックずつ吸い込むのだけれどね。ストック分と併せて味は5種類あるのね。でも、どれを食べてみても同じ様な味がする。というか、口当たりがどれも同じなんですよね。そこで、甘い物好きの私は今日とんでもないことをやってみたのです。まずい最初の一口を大きく吸い込んで、その隙間になんとガムシロとポーションのミルクを入れたのです。結果が気になるでしょう。甘味はグーでした。しかし、ポーションのミルクは私にとってはNGでした。これも今日の午後8時までのことですから、我慢しましょう。明日は、6時に出かけて築地のがんセンターで、半日人間ドックみたいなものです。結果さえよければ・・・・・・・・・・・・と、その後の「おたのしみ」に期待して、今日は早く寝ましょう。
2012年04月19日
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今日から二日間流動食になります。絶食まではいきません。しかし、つらいと言えばつらいのです。なに?月1回のダイエット?などとお聞きにならないでくださいね。そう、明後日は病院での定期検診なのです。ほんの少しだけ怖いのです。いや、自覚症状があるわけではないですし、なぜか自分でも知り得ない恐怖があるのです。胃の運動が未だに満足でないために、過去の手術月の定期検診では胃カメラを飲むのですが食物残渣が残ってしまうので、もう3年前から、病院から前日のチューブ食が義務づけられているのです。現役の頃からチューブ食はあったのですが、なんだか「良薬口に苦し」を地でいったようで、ちっとも食べた気がしないばかりか、むしろ胃にとどまっている時間が長い気がするのです。毎年4月後半が来る度に、病んだ身体を思い出すのです。今日と明日はどうという事はないとは思うのですが、でも、少し地獄です!
2012年04月18日
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私事ですが、今日はこの駄文日記、中サボ日記をはじめて1,000日目になるのです。昨日の日記だったら駄洒落で大阪の「千日前」などといった処でしょうが、今日、当日になってしまいましたので「私のブログは今日で法善寺さんでございます。」古くは藤島桓夫さんの「月の法善寺横町」で有名になりましたがね。これ知っている一日なりの骨董品ですよ。化石の皆さんより古いのが骨董品といえるかも知れませんね。この法善寺さんは「千日念仏」というので有名で、別名「せんにちさん」というのですよ。というわけで、日記上は私にごほうびこれからも2,000日目が迎えられる頃まではなんとかがんばれるかな?今後ともどうぞよろしく。そうそう、この後から追掛でバックナンバーみたいな日記が前に埋められますが、気がお向きになりましたら、お読みくださいませ。
2012年04月16日
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まったりの日例のクンシランを初めとして少しずつ咲いてきた庭の花たちあ・ら・かると!空の青さも一際冴えて、気がかりなのは右→左に伸びた花広地震雲の様な筋最近ギョロは自分で膝に飛び乗って毛繕い後に丸まって一時間ほど クンシランも赤い丸い玉だけでなく、花をつけはじめていますかつてこんなに見事に蕾が行列したことはなかったような シャクナゲも紅白共々素敵な花づきですゎ藤の木、去年の暮に蔓を全部切ったんですゎ、今年奇妙な虫が付いていると思ったら・・・・・
2012年04月13日
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先月後半に長野市内へ旅行に行きましたよね。その折に第二会場(ながの東急)でJr.1の義父である画伯の絵を一点買ったのです。配送を百貨店の美術部にお願いしていたのです。展覧会が終わり、事務が済んだ段階で配送されたらしく、この絵が今日届けられました。今までの最新の絵がこれでした。今回の絵は、彼の「青のシリーズ」の中の一点で、好みとしてはMs.の好みの絵でした。その絵が凍り付いた滝を表したこの画伯の代表作のひとつともいえるものでした。絵の収集をするほどの資産はありませんが、また入手してしまいました。末永くわが家で輝いてくれることでしょう。
2012年04月13日
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わが家にも春がやってきたような感覚の一日です。朝のうちにガラスの温室にあったランの仲間達を表に出してやりました。クンシランには今年は大きな実がたくさんテラスの上には今日の日差しを楽しんでまたギョロの一夜干しポーズ庭のミツバツツジは今年はずれの年らしいです。と思ったら、石垣の上段の二本のミツバツツジはよく花が着いていますゎ。 上段にはさらにこんなに大きな蕾がもう沢山着いていて春間近です。 庭の忘れられたような片隅に今年もこんな花が咲いて、今を盛りと姿を誇示していました。冬のうちからこんな姿でいた花が赤みを帯びて、ほころび寸前ですね。わが家の庭の木々もはなたちも「もう、はるだよぉ~~!」と一斉に叫びはじめています。
2012年04月10日
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先日、おめでとうの心を込めて新任校長先生を表敬訪問させていただいたお一人から昼過ぎに宅配便がとどいたのです。送り主を見て、「ああ、あの義理堅いK先生か。」とすぐ分かりました。むかし私の下で、私を支えていてくれたくらいの方ですから、私が「カエル年」であることは先刻ご承知なのです。(「ゲコゲコゲコ」ですよ。)何が入っているのだろうと四角い包みを開けると呑兵衛ならばこれででも日本酒くらい飲んでしまうのだろうけれど、私はやはり煎茶を飲ませていただくようかな?K校長先生、おこころありがたく頂戴いたします。
2012年04月09日
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今日の話題が無くなって、困ったなぁ。サボっても誰もなにもいわないことは分かっているのですがね。ありました、ありました。よぉ~!いつぞや文化振興会の研修で粘土遊びをやったじゃないですか。そうですあれですよ。それが月末には仕上がっていたのですよ。私が長野へ旅行をしたりなんやかやと忙しかったものですから、公民館に預かっていてもらったのを持って来たのです。こんな作品に仕上がりました。 これで3回目の陶芸ですが、なかなかいい働きをしたものだと自画自賛しています。
2012年04月06日
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今日は全国の多くの小中学校、公立高等学校の入学式ですよね。やはり元教師としては、この日は何となく区切りの日。それを忘れていたのは、行政時代の7年間だけかな?小学校6回、中学校3回、高等学校3回、大学4回そして学級担任として19回、管理職として12回、合計47回これだけ焼き付けたら、身に染まってきますよね。わが家の周辺からも、数名の小学校1年生、数名の中学校1年生、高等学校の生徒と大学生は実態としてはつかめません。しかしこれからの6年間、3年間、4年間と自分を太らせるために、そして親のいうことも、ましてや「先生のいうことを受け入れる」という「勉強」に勤しんでくださいね。「悪い影響を与える」といえば、先生は1/80です。親はそれに比べると最低でも15/80です。よき1年の出発の日になりますように!
2012年04月05日
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私は以前からそこここで言い続けていることなのですが…困ったとき、助けて欲しいときには大声で騒ぎ立てる。それを戒める人もいる。しかし私はこれを肯定しているのです。苦しいときはその苦しさを身体全体で騒ぎ立てなさい。と。しかし、手落ちは許さないのです。それは助けの手を延べてもらって助かって、苦しさを乗り越えたときにはもう一度それを大きく表明しなさい。 と。例えば何かを無くしたとします。そのことに気付いたらみんなに知れ渡るように「●●を無くした!」と騒ぎますよね。それでよいのです。よほど冷徹な人以外は、その困っている人に手を貸しますよね。 で、見つかったときにその人がどうするかが私の価値判断の基準なのです。騒ぎ立てたときは衆人に及ぶ広報をしたのに、見つかったときには見つけてくれた人だけに「ありがとう」で済ませていないかということなのです。衆人に広報したからには解決も衆人に広報し感謝すべきでしょう。同じように自分が世話になった人に対して、世話になるときだけは頭を下げて、それが実ったときやその人に喜ばしいことが起こったときにそれに対しての謝意や祝意の表現をできない人を私は軽蔑の対象とし、それがきちんとできる人を尊敬の対象としているのです。今年厚木管内で校長昇任をした何人かの校長のうち、一人は私が現職の頃、彼が行政にいて何かにつけて相談に載ってくださって、サポートしてくださった人が新たに校長に昇任なさったのです。一人は、私が教頭として赴任したA小学校で中堅職員として、いろいろ力になってくれて、私の協力者を積極的に集めてくださった先生。最後の一人は隣接の愛川町に赴任したときに、教頭の私に「あの先生は優秀だから、先生方の指導者としての抜擢をするように」と、教育長直命があって、現場の教員としてがんばっていた先生を行政に行くよう説得し、赴任して戴いた先生がようやく(とはいっても年齢は破格に若いのですが)校長に昇任なさったのです。私の歓びは並大抵のものでは済みません。それぞれの学校へ出向きお祝いに行って来たのです。今日のこの日記をお読みになって、「Bluesmokerは年下のはずの人に、やけに敬語を使っているのはおかしくないか?」そんな風に思っておいでの方もいらっしゃるかも知れませんね。そこが、私独特といえば独特の、独りよがりといえば独りよがりの処ではあるのですが、感謝や祝意に年齢の上下はないと思っているのです。どの様な内容であっても、自分の知らない程度よりも高いものを持っていたらそれは「師」だと思っているのです。そんなで、少々お読み戴きにくいところはあるかも知れませんが、お許しください。
2012年04月04日
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今日はなんてつまらない日になってしまったのだろう。朝のうちは晴れていたのに、午前中から雨が落ち始め、午後にはひどい雨と風。近所で外壁塗装工事を始めていて、パイプの足場と塗料飛沫防止のネットが張り巡らされている家屋が2棟ある。そんな物が巻き上げられてとんできたら、わが家の構造からすると東側と南側の二面がそんな被害に遭う可能性があるよね。そこで何年ぶりかで、東、南に面した2階の雨戸をたてた。(「雨戸」は「たてる」ということばも口をついて出たが、最近は忘れられているよね。)あとは、ひたすら寝たきり老人を決め込んでいましたゎ。
2012年04月03日
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今日4月2日(月)はどこでも新年度の顔合わせが行われているでしょう。新年度が実質4月2日にはじまることになるのは、今年、そして5年前の2007年3月以降の1年でした。2007年3月30日(金)その日は快晴でした。私とあと二人の職員の退職辞令伝達のための式に午前中出かけ、昼直前に帰校し、退職職員に辞令を伝達しました。本来ならば、このあと昼食会のはずなのですが、その隙もなく私はすぐに退勤したのです。それはその後午後2時までに築地の国立がんセンター中央病院へ入院するためでした。職員のみんなに気の毒な思いをさせながらも、どさくさ紛れの退職劇でした。午後2時半少し前に無事入院を果たし、その午後から夕刻までに幾つかの検査を済ませ、その日は過ぎて行きました。さて、2007年の今日いよいよ私の肺の偏平上皮がんの切除手術の日です。朝から、看護師さんの顔を出す回数が多い気がしている。当然、昨日の夕飯以降は絶食でしたよね。13:35担当看護師さんが車いすを持って、私を迎えに来てくれたのね。予定通り、13:45手術室へ送られたのです。この部屋の看護師さんはやはり顔つきが違う。緊張というスッピンに笑顔という化粧をしているような感じ。どこからか、14:00の時報は辛うじて耳にしたが、それ以降は天国にいたとしかいいようがない。だれだ?地獄じゃなかったのか?って? だって恐怖も痛みも何も無かった安楽の世界だったから、多分Bluesmokerも天国に行けたんだと思う。zzzzzz気付いた、いやもうろうと辛うじて脳が働いたときに、先ず訊ねたのが「今は何日の何時ですか?」人の気配だけは感じていたのでそういったのです。見守ってくれていた看護師さんは「2日の夜7時35分ですよ」「手術、上手くいきましたよ。」それにつづいて「よかったですね、手術上手くいきましたよ。ぼくたちこれで帰りますからね。」複数の声で「おだいじにぃ!」最初の声はJr.1、それにMs.とMs.の妹の声だった。途中で1回は目覚めたのですが、その日は静かに暮れていったのでした。こんな風に天国の入口までいった私が、思い起こせる日付と曜日の組み合わせが術後5年生存率7%未満の肺がんを伸ばすことができた記念すべき日なのです。
2012年04月02日
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今日は日曜日ですが、辞令の発行日としては今日4月1日ですよね。どうしても、元教育公務員としては先生方の人事異動が気になります。既に2日程前に新聞発表はされているのですが、実はこれは内示を元にした記者発表によるもので、例年数%変更があるので、人事は子雀たちの囀りのネタになりますが、下駄を履くまでは分からないものです。かくいう私が初任の時、30日の記者発表では同じ市内のA二小学校と発表となっていたものが、31日に3本の電話(教育委員会、予定校、変更校)がかかり、1日には厚木市立M小学校に赴任地変更になったのです。民間でも掲示板に数日前に張り出された人事異動の貼り紙が、2時間で変更になって、朝見た社員が変更に気付かず…という近所の会社もありましたからね。人事というものは先に言ったように、下駄を履くまで分からないと同時に、いやな上司であっても、異動してくるものがそれよりよいという可能性は30%以下だそうです。人事なんてピラミッドの上から1/3位の所にいる人間が下を見て、頭のてっぺんしか見えないところで動かすのですから、どうやってもそんなに変化はないに決まっていますよね。ですから、トップが代わるときには無責任、無関心でいてはいけないのですよ。近くの小学校の校長には、私が教頭時代に活躍した先生3人が新任で着任されています。さあ、明日にはお祝いを持って、ごあいさつに行ってこなけりゃいけませんね。
2012年04月01日
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2011(平成23)年度の最終日の今日、有り過ぎる程いろんな事が…その1 敵機来襲 パパ、、が正午直後にやってきました。その理由が振るっているのです。Ms.Jr.1のリサイタルが近く、この二日間帰宅が夜11時近くになる。そこで、この3人がうちで養われれば、みんな満足というわけ。その2 大失敗!!!!! 昨日まではしっかり覚えていたのね。それはこの日、2012(平成24)年度の自治会総会が予定されていたのです。昨年度私がお隣のお宅に役員を送っての、いわば卒業式なのですよね。そんな事で、今年は出席のつもりで委任状を出さなかったのです。それが、Jr.1等の来宅を迎えているうちに、開会時刻はおろか、その時間帯すっかり総会を忘れていたのです。その3 ついに買っちゃった! 夕方になってJr.1がノートパソコンの中古でもあったら、買いたいな。等と言い出して、有名スキー場の名前をもじったような、COM-SHOPへ行ったのです。思うようなノートパソコンは見つからなかったのですが、【送料無料】在庫あり 翌営業日出荷【送料無料】Everio GZ-HM670 ピンクゴールドを買ってしまいました。今までは、Still Camera でいいかな?と思っていたのですが、ついに手に入れてしまいました。
2012年03月31日
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ギョロの「ひとよぼし」を公開いたします今朝といっても昼近く、甘えてきてブラッシングをすると こうなるのね一日こうしていたら、もう少しかさが減っちゃいそうね夏毛になるまで 明日もやろうね
2012年03月30日
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今日はなんの日? というカラムがありますが、去年のこの日も書きましたから故人を偲びながらも別の話題で…私の父の命日です。 1974年11月日赤中央病院(渋谷区宮前町3番地)へ例月のように父を自動車で送って厚木から定期検診で、東名高速道路(当時東京まで300円)を使って、約40分で着きました。その日の午後早々に、私の眼にワイパーが必要な程、涙をこぼしながら運転して帰ろうとは、微塵も予期していませんでした。父は私が5年前に患った肺がんよりもたちが悪い肺胞にがん細胞が変化増殖したがんでした。そうして1975年1月に、終の棲家となる入院をしたのでした。3月半ば過ぎ、父の病室のはす向かいに入院していた当時40歳代男性が、その息を引き取られたとき母なり、祖母なりに言い含められたのだろう。5歳くらいの亡くなった男性の息子が祖母に連れられて病室の外へ出て来たのです。その子がいったことばが、今でも耳に焼き付いているのです。パパは天国に行ったんだね。おじいちゃんも天国へ行ったよね。天国ってきっと善い所なんだろうね。だって一回も帰って来ないもんね。というのが彼の台詞だったのです。このエピソードはどこかで聴いたような気がしないでもありませんが、明らかなのはこの子が学齢前であること。自分の親の死を受け止められない人生経験の中で、受け止めなくてはならない事実。そんな中で、出てきたことばの深さがいまだに忘れられないのです。その彼もあれから37年経過した今、もう40歳を過ぎて、徐々に早くに亡くした父親の年齢に近づいているかと思うと父の命日に重ねて、感慨深いものがあるのです。
2012年03月29日
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今日は久方振りにねこ達に会うんですよね。そうしたら柔らかな日の下で、珍しいツーショットをおさめました。前以て申し上げておきますが、左がギョロ、右がポンポンポンです。二人の関係は人間でいえばいとこ同士の、元女の子みなさまご無沙汰しております。私たち姉妹ではないのですよ。リラックスして毛づくろいしておりますのよ。そんなはしたない格好なさって、私見ていられませんゎ!ちょっといいポーズでしょ? どこがですの?およしなさいな格好わるぅ!本当はこの辺毛が撚れてますのよ。そんな彼女たちのくつろぎのひとときをいたずらしてしまいました。
2012年03月28日
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昨日の帰りに孫たちを迎えてくる必要があったのです。なぜかというと35歳をこえたJr.1が人間ドックの対象年齢になったのです。そこで、同い年の夫婦そろって今日半日の人間ドックに入りたい。そういう申し出があったので、旅行帰着日ではあっても、どこかの居酒屋ではないが「ヨロコンデェッ!」という大甘の両親ではあったのです。孫たちには「ばぁばのお家でお泊まりね。」で納得はするものの、パパとママが病院へ行くというので、孫二人はちょっと心穏やかではないらしいのね。今日夕方には親子孫6人で外食をして、夜はパパの車で、4人は帰って行きました。そうそう、彼等のドックの結果ではJr.1はややAC(アルコール)と仲がよすぎて関係の血液要素はみんな高めなんですって。それと、夫婦そろってヘモグロビンが多すぎるというのを聴いて、「おまえ達、余り激しい喧嘩をするなよ! だって、血の気が多いのだから」と、いうてやりました。
2012年03月26日
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今回の小さな旅は、22日分にもふれましたが、Jr.1の義父の絵画の個展がメインでしたね。ところが、一つもまともにその絵画をお見せしていませんでしたね。私の好きなこの画伯の絵を数点ご披露申します。因みにこの人の中で私の最も好きな絵ですここの絵画は第一会場に展示されたもので、およそ30点。小さいもので100号程度のものばかりで、会場全体が独特の空気を発していました。第2会場は1号から8号程度の絵画40点ほどの展示でした。100号クラスではとてもわが家に飾れないので、小さなものを1点購入して今回の個展見学の旅を終えることにしました。これで、わが家にはこのJr.1の義父の絵が5点入手できたことになります。本当に心休まる旅を楽しむ事ができました。
2012年03月25日
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昨日の雨風が嘘のような、冷え冷えとした朝を迎えました。日が高くなると、どんどん暖かくなってきましてね。今日は午前中に昨日行くはずだった善光寺参りに行ってきました。ここでコーヒーを仕込んで…このバスで善光寺門前まで(牛の代わりか?)大門に入るより先に目をひいたよ。すり減ったマンホールのふた大門から奥へ延びる参道遙か向こうに仁王門が 参道の右側には講中の宿坊がいくつも並ぶ 左側には上人専用の坊もついたてといっても一休さんとは無関係よ寺院の山号額 この門から先が本来の善光寺境内だそうな本堂遠景と事務所や売店本堂内の通称「おびんずるさん」本堂側面も立派だねぇ親鸞聖人は鉄のツメだったのか?門前町の中程の路地にどんな縁かは分からないが「聖徳太子」が途中のラジオ局の開局60周年記念公開生中継に松村邦洋氏がそんな楽しい半日を「牛に引かれて善光寺参り」してきました。今日の分は少々重たくてごめんなさい。
2012年03月24日
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八十二銀行には公益財団法人としての文化財団があるんですよね。そこが、自主事業としてロビーコンサートという催しをしているのだそうです。毎月の第4金曜日がそれに当たるんですって。昨日、Jr.1夫妻がやったその場所で、タイトルのようなジャズリサイタルがこれと同じメンバーで行われましたの。ジャズバラード、ボサノバなどのスタンダードナンバーばかり。The Gift/ Love Me Tender/ It Might As Well Be Spring/ Tennessee Waltz/ My Favorite ThinksOne Note Samba/ Tea For Two/ Good Life/ On The Sunnyside Of The Street/ All Of Me/ Rout 66.の各曲でした。小島正雄や湯川れい子の放送局の出待ちをしていた位の私たちにとってはこうしたスタンダードナンバーは脳天に歌詞が染み込んでいるので、今日の選曲も1,2曲を除いて、ほぼ歌えるものばかりで一寸幸せな気持ちにならせてもらいました。
2012年03月23日
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今日どうしても出かけた理由は、教授の現役最後の個展の開催が第一。そうしてもう一つは今回の個展開催の実行委員会が、教授のお嬢さんはVn.奏者だったよね。の一言がきっかけで、お父上の勇退記念に演奏会を企画してくださったそうな。そのお嬢さんというのが、時折登場する Ms.Jr.1 なのです。そうなると、ソロ一人というわけにはいかないので伴奏のピアノかもう一挺Vn.が必要となりますね。そこでもう一挺Vn.が Jr.1ということでデュオアンサンブルができたのです。会場は個展の第一会場になった八十二銀行本店別館ロビー 八十二銀行本展本館(左) ギャラリー82のある八十二銀行別館今回は私がサプライズゲストなのです。ここに至るまで、一言もJr.1夫妻はもちろんのこと、ご両親にも内緒にしていたのです。 24,25日の両日、Bluesmokerが夫婦で伺うとはいっているのですが、その二日も前の演奏会の日に、しかも平日ですし、Ms.Bluesmokerは修了式あたりですから年次休暇などもってのほか。ご隠居さんの私も来ないに違いないと彼等は思っていたのです。だからこそ、こっそりと現れることにしようと決めたのです。上の右の写真を撮っている頃にあのガラス張りの右端の部屋で彼等は最後のリハーサルをやっていました。リハ中に、「アレェ~?!」「いるはずのない、変なおじさんがいる!」と気付いたのはJr.1だったようです。ヨーロッパの辻音楽師のように、Vn.を弾きながら、道路へ出てきたのです。ナンとも痛快な出会いでした。「さすがご夫婦ね。」と皆さんが称賛をしてくださる演奏をご提供できたようです。恐らく件の教授(Jr.1の義父様)のリクエストもあったのだと思いますが、こういう演奏会にしては少々重たい曲をやっていました。当然、今回は教授のお嬢さん、Ms.Jr.1が主役にならなくてはいけないのです。ですから、Jr.1は演奏曲の大半はお仲間の楽団員から拝借してきたヴィオラの演奏に終始していました。参考までに演奏曲目だけ書いておきますね。・プレイエル:六つのヴァイオリン二重奏曲・マザス:二台のヴァイオリンのため二重奏曲・バルトーク:44の二重奏曲集より 6曲・ヘンデル:9つの二重奏曲より 4曲孫たちも、「長野のじぃじとばぁば」のお膝で静かに聞けましたよ。終了後、企画関係者で集合写真も撮りました。
2012年03月22日
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今日は朝から忙しいのに、早朝、午前3時から3時半にかけて携帯電話に知らされる地震速報が5回も鳴って、真夜中に叩き起こされる羽目になったのね。だから、朝はとても眠かったんですよ。でもでも、今日は10時発で山奥のド厚木から山の中の長野市への移動。バスで山奥を出離れて大都会(ウッソダァ~イ!)本厚木駅へ。オバQ電車も急行に乗ったのに時刻がよかったからかいきなり座れてね。いい気分で新宿まで、ここまでで当初予定していたより1時間早め。埼京線でもあっさり座れて、大宮へ。「平日だから、予約しなくても座席指定は取れるだろう。」予想どおり。駅の機械の券売機に案内の女性がアシスタントでいてくれたので、ここもスムーズに。しかも、乗車券を手に入れたときは目的の新幹線の到着3分前!「ゲッ、急がねばねば!」取れたのは3列シートの真ん中。余計な話だけれど、あそこは肩身が狭いですね。あとは終点まで、「ガー、ゴー、スー」(いや実際はそんなに煩くはなかった はず?)軽井沢を過ぎるあたりから、車窓から外を見るときれいだわぁ!景色に見とれ、今日の温かさにやや暑さを感じているうちに終着駅。ここ数年、毎年来ていることになろうかしら?ですから、とても見慣れた光景ばかりが展開してきて、ホッとしています。駅前の線路沿いに延びた繁華街の一角にあるビジネスホテルに身を置いたのです。
2012年03月22日
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今日は一日何もすることがない。と思っていたら、郵便がとどいたのね。中を見たら、年金受給者現況届 だって。最初の時は契約郵便局へ出頭を求められたけれど簡保の年金をもらうのに、悪い事する輩が増えたせいか、毎年、住所氏名を書いて、健康保険証などの身分証明を見せに行くか証明書類を点けて郵送する事が必要になっているみたい。「みたい」というのは、余りはっきりシステムを覚えていないのね。そこで、顔も洗い、髪の毛も整えて真っ白にして、保険証、写真入り名刺、各種カードをもって、最寄りの郵便局へ。「まだ、いきてまぁ~す!」(わるかったね、Oさん←多分分かるのは一人だけ?)そう窓口で行ったら、少し前のおねぇさまが、「ぐすっ!」とふきだして、「じゅうぶん、お元気です!」と返してくれました。
2012年03月21日
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海賊の国であったり、侵略する国であったり、紳士の国であったり、いろいろな呼称で呼ばれる、世界で最も好きな国、そして私の中で最も好感を抱く国。そんなイギリス。私の評価では、国民の教養程度(教育レベルではない)からすれば、いまだにフランスに肩を並べるコモンセンス(これもわが国の「常識」ではない)を持ち合わせている国だと思っています。そんな国での伝説での「ジャンヌダーク」ともいうべき、マーガレット・サッチャーを映画化したもの。わが国で、内閣総理大臣がその人だけをおった映画化に記憶がない。伊藤博文をはじめ、吉田茂、田中角栄、エピソードに事欠かない菅直人にしても無い気がするのね。フォークランド紛争、欧州経済統合の2点を集中的エピソードとしているんですがね。一面では、ビズマルクのような鉄拳宰相であり、男社会に翻弄された女性の先駆者。観ていて、最後には彼女の翻弄された人生に涙を禁じ得ない作品をみてきました。先日、ニュース報道では英国北部の閉鎖炭坑の市民達からはこの映画に対する大きな反抗抗議運動があったともされるのですがね…
2012年03月20日
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今朝の話は、ねこのこといつも朝からこんな格好をしているギョロですが今朝は本当に良く晴れた(でも北風でちょっと寒い)日になりました。するとどうでしょう。現金なもので、私の膝には乗りに来ないで、窓の外のポーチでまるまって「ぬくぬく」しています。ごめんなさい。名称の盗用になりますかね。ノラネコさんが、今日はヒナタボッコネコさんをやっております。
2012年03月19日
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昨日はイノシシ今日は文振、会わせる顔はほぼ同じ。で、今日はタイトルの通り「ミニ盆栽教室」という講座。正直なところ、「盆栽」と「ミニ盆栽」との違いが分かっていない私なのです。でも、まっいいか! そんな程度で皆さんのお世話をしてきました。今日は、本来は2階の露台(ピロティ)でやる予定でしたが、朝から小雨模様。急遽屋内の集会室で実施です。したがって、こんな会場づくりからです。講師が持ち込んでくださった10点ほどの盆栽の一部はこんな感じ。これを見れば、講師の腕前が分かるというのですが… でも、今日の会は"長寿回総会"ではありませんよ。やはりこういうものに興味がでるのはこんな年齢なのかしら?しかし、今日やったのは「ヤマモミジ」の苗木の盆栽つくりのための植え換え実習のみ。「なんだかなぁ?」なのではありますが、これが基礎の基礎ですからやはり大切なのでしょうね。もうそろそろ、元の苗土を払って新たな盆栽の鉢に植え換えができてきたようです。こうして伸びてきた枝を手当てしながら、3年待って次の段階だそうです。そうすると、この講座は3年先まで予約なのでしょうかしら?
2012年03月18日
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かなり前から文化振興会の会長から誘われていた「亥の会」というのをやりたいBluesmokerさんもどうですか? と。それが今日夕刻にあって、いってきました。今の世の中、多ければ多いだけいじめられ、少なければ少ないといじめられる。そんな心の弱さの表れなのでしょうかしら?団塊の世代の「いのしし」はどうも群れたがるようです。私もこうした種類の集いに属するのはこれで三つめ。エリアと所属を事にする集いからはさらに二つも誘われたが、丁重に遠慮申し上げているところなのです。さてさて、今日の呑み会は有名な七沢温泉のこのような佇まいの旅館でした。純粋に和食でした。寄り集まったのは当面10人、そのうち8人が団塊あとの二人は、一回り下の働き盛りさんでした。ACと仲良くできたら、もっと楽しいのかも知れませんね。
2012年03月17日
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今日は勉強ではないのですが、人生初の「アハ体験」をしてみました。といっても、茂木健一郎氏とは全く無関係の内容です。体験したのはこれです。 え 何だか分からない角質とりのジェルです。商品の名称が「AHA」で「アハ」今まで顔の角質などというものは、考えても見なかったので初めての体験をしたということなのです。自分でも、この歳で何のためにとも思っちゃいましたがね。使った結果はどうかってこういうのって、客観性ではなく、自己満足だと思いまぁ~す
2012年03月14日
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先日来私の日記に投稿してくれたNola's Comments が今回で一応終了します。貴重な知識や経験を寄せてくれたNolaNeccoさんに感謝します。またこのページも合わせてお読みくださる皆さんの生活改善に少しでもお役に立てば幸いです。ブラッシングに適しない時最初の方で、「食後は口の中が酸性に傾く」 と書いたのを覚えてますか? そう…よく言われる「食後三分以内に歯みがき」は 実は「酸をわざわざ歯に満遍なく擦り付けている様なもの」… 即ち、自らむし歯の危険を高めている様なものです。 特に子供の場合。 何で子供が? それはね… むし歯って基本的には子供の病気だから。 どういう事? 皆さん筍は食べるけど、筍が成長して竹になっちゃったら食べないでしょう? むし歯菌だってすっかり成長しちゃった大人の歯より 柔らかい乳歯や、萌(は)えたての柔らかい永久歯の方がお気に入り。 「だって私大人だけどむし歯で歯医者に通ってるよ!」と言う方、 それは、子供の頃に治療した部分じゃないですか? 新しく出来たむし歯なら、「若い頃と比べて歯茎が下がったな…」 と思える様な場所の歯の根っこの部分じゃ無いですか?まず、「子供の頃に治療した部分」の話から。 最初の方で「削らずに済ませられれば、二次的な虫歯が云々」 という話をしたのは覚えてます? これのことなんです。 人間の身体で一番固いのが「歯」なんですね。 骨が土に還った後も歯が残っている… それだけ固い組織、それが歯なんです。 で、それを削って詰め物をする際、 その固い組織に匹敵する固さの人工物が無い。 それに、固い歯の中でも最も固いのは一番外側のエナメル質。 内側に行くほど柔らかいんですよ。 さて、天然の歯と人工の詰め物の間にむし歯菌が残ったままだと何がおこるか? 人工物はお好みでないむし歯菌は、好みの天然の歯、 しかもより柔らかい所を求めて中へ中へと陣地を拡げて行く… しかも今回は人工物で蓋をしてあるから、外から見ただけじゃ解らない。 これ幸いと虫歯菌は奥へ進み、人工の詰め物の下で歯の根っこの内側はやられ、神経も…あぁ…ついでに膿まで溜まっちゃって… 痛くて仕方がないから歯医者に駆け込む…そんなパターン、身に覚えありません? ねぇ?先生…^^;(編集者:これ無視刃!) もうひとつの「歯茎が下がって出てきた根っこに出来るむし歯」 これは「大人のむし歯」です。 「さっきむし歯は子供の病気だって言ったじゃないか!」? はい、言いましたよ。「基本的には」もくっつけて。 あと、歯周炎の話の時に 歯の根っこの部分は固いエナメル質や象牙質に守られず、 柔らかいセメント質が剥き出しって話もしたんですが、 覚えてます? 歯肉炎や歯周炎で歯茎が腫れて、その腫れが引いた後、 歯が長くなった様に見える… これは歯茎が痩せて(退縮して)、 それまで見えなかった根っこが見える様になっちゃったから。 で、その根っこの表面は柔らかいセメント質。 むし歯菌は柔らかい組織がお好み……って事でそこがむし歯になるわけです。 だから大人のむし歯。 さて、歯みがきの話に戻りましょうか! 「食後に歯を磨いちゃいけないんじゃ、 学校や職場では歯を磨けないじゃ無いか!」?ごもっとも! じゃ、最初の方の話を思い出して下さい。 「食後酸性に傾いた口の中をアルカリ性に戻すのは唾液の力」 っていう話をしましたよね? じゃあ、ガムでも噛んで唾液を沢山出しましょう! …とは言え、噛むガムにむし虫歯菌の餌になる糖分が含まれてちゃ 「食事」と変わらないし、 噛み方がマズけりゃ、唾液なんて出てこない。 学校じゃガムなんて噛めない? 確かに…。 ここはぜひ学校歯科医や学校の先生方、或いは教育委員会の諸氏に頑張って頂きたいところなんですが、 給食(や弁当)の後にキシリトール100%のガムを 皆で数分かけて噛む…と言う時間を作れないでしょうかね? キシリトールについては効果の是非が云々されたりはしてますが、 フィンランドの学校では実際に効果をあげているわけですし、 キシリトール100%のガムなら「お菓子ではない」と言う スタンスも保ちやすくありません?(編者注:教育改革(悪)の中心が「社会通念」という化け物。これはどんなに高名な識者も勝てないところがあります。従って、こうした認識を世の保護者、特に母親が持つようにならなくては成り立ちません。) ま…歯科専用だからお菓子と比べると高いですけどね…^^;ま… 給食費を支払わないバカ親が居る中、 学校や教育委員会でそんな責任を負う義務は無いですから、 そこん所は親の責任で用意したキシリトールガム (100%では無くても)を給食後に学校で噛む事を 学校の先生方は理解していただく…と言うのが現実的ですかね。 …で、ガムの噛み方ですが… 口を開けてクッチャクッチャ噛む… これじゃ全く意味が無いので噛まないのと同じ。 唇をつむいで左右の奥歯で交互に均等に噛み、 出てきた唾液を口の中に行き渡らせることが重要。 唇をつむるのは出てくる唾液を蒸発させない為。 奥歯で噛むのはそれが本来物を噛む位置なのでそれを覚え 歯並びを悪くさせない為。 左右均等に…と言うのは、片噛みの癖があると、 これまた歯並び(だけでなく骨格にも)に悪影響があるから。 出てきた唾液をまんべんなく口の中に行き渡らせるのは 食後にガムを噛むそもそもの目的を考えれば言わずもがな。で、食後にガムを噛んで唾液を出し、 1日1回さっき書いた様な方法でブラッシングできれば 朝の忙しい時間帯や、お昼休みの短い時間の歯みがきは 食べかすを落とし、歯の質強化の為のフッ素を塗る程度でOK。 大丈夫。 一旦ツルツルにした歯の表面に いきなり歯垢や歯石がごっそり着くわけじゃないから、 毎日一回、全部の歯がツルツルになるまでブラッシングするのは そんなに大変じゃ無いから。 でもまぁ… どうしても自分では磨ききれない部分てのはあるのよね…。 歯が重なって生えてる場所とか…。 そういう所を定期的にプロの技術で綺麗にして貰う… これが長い目で見れば一番お金と時間の節約になる。 何しろ胃潰瘍で有名なヘリコバクター・ピロリちゃん、 この子は元々は口腔内細菌…つまり、歯周病菌とはご親戚。 後、歯周炎の酷い人は心臓疾患にかかりやすいってデータも あるらしい(ごめんなさい、自分でその学術論文読んだわけでは無いです)し。…て事は、 口腔内細菌(口の中のバイ菌)を減らし、 また増やさない様に管理をしっかりしてれば、 心疾患や胃潰瘍、ひいてはそれが元で出来る胃がんのリスクを 少しでも減らせるかもしれないってことでしょう? 口ってのは全ての内臓の、文字通り入り口なんだから ここの管理を疎かにするのはナンセンスだと考えます。 以上、資格も何にも無いNolaの戯言に 長々とお付き合い下さった皆様、有り難うございます。 それにしてもしまった… 余計な事を書いちゃったから 「歯並びを悪くする口の回りの筋肉の癖」 についても言及しなきゃいけない気になってきた…。(--;) いや、実はね… 全くの素人が、玄人対象の講習会に連れていかれて 「今後これを担当して貰うからしっかり勉強する様に」 と言われ、必死で勉強した分野なんですわ…^^; けど…ま、いっか。^^; ご要望があればどこかで書きます。ということで今回の「誌上おもしろ講演会」を終了いたします。なお、一連の文の大半はNolaNecco氏の筆によるものですので、ここでは《引用》ということになります。従って、引用部分 はこの色でまた注意を要する部分は目立ついろで印字されております。Bluesmokerの記載部分は お添えの文 でこの色で印字してあります。
2012年03月13日
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