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「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と記者会見で語ったのだ。
哀悼の気持ちは、深いのだろう。「死は無意味なんですか」「犬死にですか」。繰り返した言葉から、せめて犠牲を高く位置づけたいという思いが感じられる。
実際、戦争のさなか、「祖国」や「高度な道徳」のために犠牲に耐えようとした人もいただろう。しかし、それをいま、為政者の側が持ち出すことには疑問がある。美しい言葉のもとに大勢の人が、死を強いられた歴史から目を背けるわけにはいかない。
あの戦争の犠牲者は日本だけで310万人、アジア諸国などを入れると、2千万人以上とされる。
国家が起こした戦争だが、自治体も若者を戦場に送り出し、市民に戦争協力を呼びかけた。河村氏はその自治体の長だ。政治が二度と人々を戦争に駆り立てないと反省し、不戦を誓うのが役割だろう。
河村氏はウクライナやパレスチナで続く戦闘などを例に国連の無力をいい、国を守ることの意義を説く。それが現実政治と言いたいらしい。
しかし、ロシアやイスラエルでもいま、政府に抗議し、反戦や非戦を唱える人たちがいる。彼らに対し、道徳的に低い、とは誰も言わないだろう。人が守るべきものは何か。我々はどこに価値を置くべきか。考え抜くことは貴重な営みである。
あの時代、日本の政治指導者も大義を唱えた。だが、誤算のすえに、取り返しのつかない膨大な犠牲と破壊がもたらされた。二度とこの惨禍を繰り返さない。その決意から、戦後の日本は出発した。
むろん、敗戦はあまりに惨めな現実だった。直視したくないという願望は、ずっと残っている。惨禍の記憶が薄れ、経済成長が陰るいま、過去を美化する欲求が、より強まっている。その風潮こそが、河村氏に問題のある発言をさせるのだろう。我々は歴史を顧みる勇気をもたなければいけない。
国を守る意義について、河村氏は、「(学校現場でも)考えないといけない」とも話した。だが、教育への政治介入は決して許されない。これもあの戦争の教訓だ。
戦争を振り返り、何をどう考えればいいのか。戦後79年にして始まる、なごや平和の日が投げかける問いである。
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