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異教徒の宗教施設に酔っ払いが乱入して暴れた事件に心を痛めた少年が、その宗教施設に手作りのケーキを持って慰問に訪れたというイギリスのエピソードについて、文筆家の師岡カリーマ氏は、4月25日付東京新聞コラムに、次のように書いている; ヘイト(憎悪)でなくケイク(ケーキ)を。英国東部ピーターバラで、12歳の自閉症の少年ジョシュア・ハリスが父親と始めた運動だ。地元のモスクに酔った白人男性が乱入し、「白人がおまえたちを滅ぼす」と叫んで信者を襲った事件に心を痛めたジョシュアが、カップケーキを焼いてモスクで配ったのがきっかけ。「言葉でなく行動で連帯を」と父親のダンさん。 その後も父子は英国各地のモスクを訪問、投稿された画像の視聴数は100万を超える。言葉を話さないジョシュアは、通常どのモスクにもあるミンバル(階段状の説教壇)が大のお気に入り。初めて行くモスクでも、自ら扉を開けて、ミンバルめがけて一目散に走っていく。礼拝にも参加。排外思想や反イスラム主義が広がる中、心ないコメントも寄せられたが、父子は活動を続け、ジョシュアがモスクで歓迎されて楽しそうに過ごす動画を次々と発信、さらにユダヤ教やシーク教など他宗教の寺院も訪ねて、連帯の輪を広げていく。 ダンさんがテレビの取材で語ったように「私たちを繋ぐものは、隔てるものより多い」ことを、同じくムスリム男性が言ったように「分断を煽る人たちは実は少数派」だということを、そして何より、一市民の小さな行動の威力を、一言も語らずに示した少年の姿に、口先勝りの政治家の方がよほど、「ごっこ」に見えてくる。(文筆家)2026年4月25日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-C a k e No t Ha t e」から引用 日本のSNSは、自治体首長の疑惑を追及する百条委員会委員を務める議員を脅迫するような画像が投稿されて、なぜかそれが受けて、脅迫された議員は心身に異常をきたした挙句に自死するという事件にまでなったが、さすがに英国の場合は、日本よりは少し先進国であるせいか、異文化の外国人とも良好な関係を築いていこうという「前向き」な投稿が人々に支持と共感を得ているのは素晴らしいことと思います。遠からず、日本もそういう社会になってほしいものです。
2026年05月06日
わが国の売春防止法は「売春をしてはならない」と規定しておりながら、実際に「売春」が摘発されると売春をした女性側は処罰されるのに、売春の相手側の男性には何のお咎めもないのはおかしい、との声に押されて、法務省で売春防止法見直しの議論が始まったことについて、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、4月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 法務省は3月24日、売春防止法見直しの議論を開始した。従来は処罰がなかった買春者への処罰を検討するためだ。 売春防止法3条には「何人も、売春をし、又はその相手方となってはならない」とある。つまり買春も禁じている。しかし、5条では「公衆の目に触れるような方法で、人を売春の相手方となるように勧誘すること」「勧誘するため、道路その他公共の場所で、人の身辺に立ちふさがり、又はつきまとうこと」「公衆の目に触れるような方法で客待ちをし、又は広告その他これに類似する方法により人を売春の相手方となるように誘引すること」とある。これらの文言を読むと、売春する方が一方的に悪い、とはっきり言っている。そして「相手方」である買春者には、何の罰則もない。高市早苗首相が心変わりしなければ、ようやく罰則の検討に入るはずである。 2024年に施行された女性支援新法は、さまざまな事情により困難な問題を抱える女性の支援を目的にした。しかし状況は変わっていない。未成年との「せい行為」は犯罪であるにもかかわらず、依然として放置されている。12歳のタイ人女性の性的労働は加害者側が逮捕されたが、日本人女性は補導される。 上野千鶴子氏は3月31日の朝日新聞紙上のインタビユーで、「援助交際」という言葉で、売春が女性自身の選択や自己決定とされ、男性が免責されてきたことと、それが「資本主義市場では何もかもが商品になる」という考えに由来することを指摘した。臓器売買や人身売買は犯罪である。しかし、性売買は「誘惑」という名で責任転嫁がなされ、買う側の犯罪と認定されない。圧倒的に買う側が男性だからである。 ◇ ◆ ◇ この不均衡は至る所にある。強制的夫婦同姓制度のもとで約94%は女性が改姓する。不自然だ。「痴漢は犯罪です」は駅でよく見かけるようになったが、少し前までは犯罪だと思われていなかった。セクハラという言葉も存在せず、私の世代は多くの不快な思いをしながら、生きていくために口をつぐみ「自分に非がある」と思っていた。 性売買は、そういう女性の責任感や道徳観を利用して成り立ってきた。NHK大河ドラマ「べらぼう」に見えた公認遊郭の女性たちは、親兄弟、夫、子供の生活のために借金をし、返すために売春をした。ある戯作は「女は仁」、つまり人間性にあふれている、と書く。父母兄妹の貧を救うからである。おだてられ自らも信じ、しかし実際には多くの遊女が新たな借金を抱えて落ちてゆく。売春を仕事として認めるべきだという人々は、これを自ら望んだ選択だ、とでも言うのだろうか? ◇ ◆ ◇ 今年1月、「Colabo攻撃-暴走するネット社会とミソジニー」(地平社)という本が出た。私も執筆者の一人だ。編著者の仁藤夢乃さんは、一貫して「買春は性搾取だ」と声を上げてきた。「売る側と買う側を同じように罰すれば『平等』になるわけではない。買う側を罰すると同時に売る側は非処罰とし、性売買の権力構造を変える必要がある」と指摘する。仁藤さんのような主張は攻撃の対象になる。その攻撃と闘いの日々を、事実に沿って書いたのが前掲書だ。一般社団法人「Co1abo」の次の目標は、市民による女性人権センターの設立である。2026年4月19日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-性搾取は犯罪」から引用 この記事が紹介している市民団体「Colabo」は、生活苦のために風俗業に取り込まれる若い女性を救済する事業に取り組んでいる団体で、その活動の意義が認められて一時は東京都から助成金も支給されていたのであったが、それを快く思わない男たちが、「Colabo」の活動を妨害する事例が頻発したため、あろうことか東京都は助成を打ち切るという「本末転倒」の対応をして、現在は「Colabo」は自力で資金集めをして活動を継続している。「Colabo」に対するいやがらせ行為をする男たちの中には、埼玉県のとある自治体の市議会議員を務める者もいて、こんなことをする輩がなぜ市議会議員になれるのか、日本人社会の「レベル」が知れるというものであるが、多くの人々の善意と勇気を寄せ集めて、すべての人々の人権が尊重される社会を作り上げていきたいものでございます。
2026年05月05日
現職自衛官が自衛隊法を無視して自民党大会に出席し国歌斉唱した事件について、元文科官僚の前川喜平氏は4月19日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 12日の自民党大会で陸上自衛隊中央音楽隊の陸曹が、演奏服装を着用し「陸上自衛隊が誇るソプラノ歌手」と紹介されて登壇し、大会次第の「国歌斉唱」をリードした。 この行為は自衛隊法61条が禁じる政治的行為、具体的には同法施行令86条および87条に規定する「特定の政党を支持すること」のために「官職、職権その他公私の影響力を利用すること」および「国の資材を利用すること」に該当すると考えられる。政府は「私人としての行為」だと説明するが、もしそうならこの陸曹は自衛隊法46条1項により「職務上の義務に違反した」として懲戒処分にしなければならない。 しかし、演奏服装は陸上幕僚長の指示で着用するものだという。党大会には音楽隊の副隊長も同行していた。陸曹の出演については陸幕長も事前に了解していた。ならば陸上自衛隊は組織として自民党に奉仕したのではないか。処分すべきは陸幕長ではないのか。小泉進次郎防衛相も監督責任を免れない。 自民党の萩生田光一幹事長代行は、事前に防衛省に確認したら「問題ない」という回答だったと説明した。自民党も防衛省も問題意識が麻痺しているのだ。高市早苗総裁も「知らなかった」では済まない。ここには自民党と自衛隊の抜き差しならない癒着がある。自衛隊を自民党の私兵にしてはならない。(現代教育行政研究会代表)2026年4月19日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-自民党と自衛隊の癒着」から引用 この記事が述べるように、自民党の萩生田光一幹事長代行は現職自衛官の自民党大会出席について、自分も立法府の議員でありながら自衛官の政治的行為が違法かどうか、自分では判断しないで防衛省に確認したというのは、あまりにお粗末な話だ。おそらく内心では「違法性」を分かっていながら、責任を他者に転嫁する手段として「防衛省に確認したら、問題ないとのことだった」と一人芝居を打っているのかも知れないが、いずれにしても、「知らなかった」だの「あの人が問題ないと言った」だのと言ってごまかすのではなく、実際にあった「事実」を確認した上で、違法行為についてははっきりと当事者に責任を取らせるべきであり、幕僚長、防衛大臣、総理大臣の監督責任も、この際はっきりとさせておかなければ、この先の日本は戦前の過ちを再度繰り返す羽目になると思います。
2026年05月04日
アメリカでトランプが大統領になると、大統領権限ですべての輸入品に基本関税10%とそれにプラスして「相互関税」も課すということになり、日本などはその「相互関税」を少しでも下げてもらう代わりに「原発建設」や「メキシコ湾石油ターミナル建設」に巨額の投資をする約束をして、その一部が実行に移された本年2月に、アメリカ連邦最高裁は「トランプ大統領が議会の承認なしで勝手に始めた『相互関税』制度は憲法違反である」との裁定を下し、無効となったため、現在はトランプ大統領以前の、通常の関税にもどっている。ところが、それにも拘らず、日本政府は「相互関税」が消滅したにも関わらず、その「相互関税」を少し安くしてもらうための「条件」であった米国内に対する「巨額の投資」を断ることをせず、消滅した「約束」を守っていこうとしている。そのような日本政府の妙な「弱腰」を、明海大学准教授の宮崎礼二氏は、4月19日の「しんぶん赤旗」コラムで、次のように批判している; 米トランプ大統領が、全輸入品への一律10%の基本関税と「相互関税」を打ち出した2025年4月2日を「解放の日」と宣言してから1年。宣言は、一方的に貿易ルールを改変させ米国第一主義が支配する国際秩序の象徴となりました。 トランプ氏は相互関税で巨額の貿易赤字を解消し、製造業の雇用を国内に取り戻すといいました。関税を「交渉の武器」として振りかざし、不法移民対策や薬物密輸阻止といった要求をのませる強権的な「ディールの手段」としたのです。 ◆ ◇ ◆ しかし、現実は大統領の期待通りには進んでいません。25年の米国のモノの貿易赤字は1・24兆ドルと過去最高を更新し、輸入抑制の思惑は外れました。さらに、高関税は輸入コストを押し上げ、インフレ再燃で自国民の家計を直撃しています。25年の消費者物価指数(CPI)は一時3・0%まで上昇しました。部品や原材料を輸入に依存する製造業ではコスト増が収益を圧迫し、工場閉鎖やレイオフ(一時解雇)が相次いでいます。報復関税による農業などの輸出産業の市場喪失も深刻です。 こうした逆風の中、日本が関税引き下げの対価として約束した総額5500億ドル(約87兆円)の対米投資は、実行段階に入りました。2月には、オハイオ州の火力発電所やメキシコ湾の石油ターミナルなど、約360億ドルの「第1弾」案件が発表されました。3月には、高市・トランプ日米首脳会談に合わせて、テネシー州やアラバマ州での小型モジュール炉建設を含む、約730億ドルに及ぶ「第2弾」計画が具体化しています。投資先の地域は、中間選挙や大統領選挙での「激戦州」に加え、共和党の強固な支持基盤の「赤い州」にも集中しています。日本の富がトランプ氏の権力維持に動員されている形です。 しかし、2月に米最高裁が「相互関税は違憲」との判決を出し、日本が結んだ投資約束の前提は崩壊しました。日本は当初通告された「24%」の理不尽な高関税を免れるため、巨額投資を条件に15%への引き下げを「勝ち取った」はずでした。ところが、違憲判決で日米合意の枠組み自体が法的に消え去りました。現在は通商法122条に基づき、実効税率は11~13%程度で推移しています。日本が巨額投資の約束で「勝ち取った」15%の合意よりも低いという逆転現象が起きているのです。 ◇ ◆ ◇ 巨額の投資を継続する正当性は存在しません。投資の進ちょくに不満があれば課徴金を上限15%に引き上げるというトランプ氏の脅しは、関税を「人質」にした身代金要求に等しいといわざるをえません。 違憲判決で根拠を失ったディールに固執し、国民の血税や民間資金をトランプ氏の選挙対策へと献上し続ける日本の姿は、「対米従属」の極みです。国富を流出させるだけでなく、国際社会における日本の地位を「米国の属領」へと失墜させるものです。今こそ日本は、崩壊した合意の無効性を堂々と主張し、属国的な盲従から脱却する矜持(きょうじ)を示す時ではないでしょうか。(みやざき・れいじ 明海大学准教授)2026年4月19日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何?-トランプ関税1年」から引用 だいたい、トランプは誰に吹き込まれて、アメリカは貿易赤字だからこれを黒字にすれば国としても強くなれるなどと思ったのか、あまりにも考えが足りない。関税を上げれば輸入量が減るから、その結果、貿易赤字も緩和される、という理屈も「勉強のできない子ども」が考えそうな理屈で、現実には、輸入品にとって代わりうる製品が、国内で生産されているのなら問題ないが、実際にはアメリカの国内産の日用品はあまりにもコストが高く、富裕層を除いた一般庶民の経済力では、輸入品なしでは生活が立ち行かないのが実情なのであって、少々値上がりしても庶民は生活のために輸入品を買わざるを得ない、そういう「現実」が、トランプの目には見えていないわけです。経済の理論も実社会の現実も知らない者が、生半可な知識で関税率をいじったりするから、世の中はますます困窮する人たちが増えている。これじゃあトランプ・共和党の支持率は上昇どころか、低下する一方だと思います。11月の連邦議会中間選挙は、民主党にとって有利な戦いになりそうだから、民主党としては周到に準備して、トランプの後半2年をレイムダックしてやるべきだと思います。
2026年05月03日
憲法改正を党是に掲げた自民党でも、なかなか実行できずに80年も経ってしまった日本国憲法について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、4月18日付同紙コラムに、次のように書いている; 昨年まで駐日韓国大使だった朴喆熙(パクチョルヒ)氏が15日、日本記者クラブで印象的な話をした。韓国有数の日本政治専門の学者として安倍晋三元首相の側近に「安倍さんは憲法の何を変えたいのか」と尋ねたときの返答だ。 「憲法を変えられるということを見せたい」 中身は二の次で「改憲する感覚」を国民に味わってもらうのが本音だったという。得心がいく。 8年余の長期政権の間、安倍氏の改憲戦略は迷走した。憲法をいじるのが目的と誰にでも分かる。本人も自認していたのだ。 これは、日本国憲法を、占領期の連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」だから、自主憲法に改めるといった古い議論とは、似ているようで違う。 「強い日本を取り戻す」の標語通り、安倍氏は「失われた30年」で低下した日本の存在感を高め、国際的プレーヤーとして輝きたいという願望が強かった。 それには軍事活動の質と範囲を拡大する必要がある。憲法9条改定が正攻法だが、安倍氏は内閣法制局長官をすげ替え、集団的自衛権行使を一部容認する解釈改憲のからめ手で安全保障関連法を作り、正面突破を避けた。 同法成立後「米国が改憲する必要はなくなったと言うんだよ」と評論家に漏らしている。 だが同法施行の翌2017年、憲法記念日に改憲派集会へのビデオメッセージで、9条の戦争放棄・戦力不保持・交戦権否定の規定は変えず、自衛隊の存在を明記する「9条の2」を追加する独自案を突然発表した。 安保法成立に尽力した高村正彦自民党副総裁(当時)も寝耳に水で「安倍改憲はこれでいいのか」と驚いたという。またしても正面突破回避だったからだ。 これをもとに自民党案4項目が作られ、与党が条文化を主張する緊急事態条項はその一つ。名称は大仰でも、緊急性は疑わしい。 「安倍後継」を名乗る高市早苗首相が12日、党大会で述べた。 「どのような国をつくりたいか。その理想を物語るのが憲法だ。私たちの物語を歴史という書物の新たなページに刻もう。立党70年、時は来た。改正発議にメドを立てて来年の党大会を迎えたい」 権力者が自作の憲法で権力を乱用するのを防ぐため、国民が国家権力(政府)を縛るルールを作る。それが立憲主義である。 その近代憲法原則を無視し、安倍・高市改憲は憲法の画布に自分たちの夢みる「強い日本」の自画像を上書きしたいらしい。どうせ改憲するなら、もっとましな絵にしてもらいたい。(専門編集委員) ◇ 4月18日に配信した記事に「安倍晋三元首相に『憲法の何を変えたいのか』と尋ねたときの返答だ」との記述がありました。しかし、朴喆熙氏は安倍氏から直接ではなく、周辺の関係者から話を聞いていましたので、訂正しました。2026年4月18日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-かわいそうな日本国憲法」から引用 安倍信三が憲法改正に前向きだったのは、多分、自民党政権として自分が長く担当していくための方便と考えていたのではないかと、私は思います。アメリカはアフガニスタンやイラクを侵略するに際して、日本にも自衛隊を派遣するように「圧力」をかけてきており、その都度日本は「憲法の制約」を口実に断ってきており、そのような日本の対応にアメリカ政府は大きな不満を持っており、そのことは安倍信三もひしひしと感じていて、しかし改憲は困難だから、憲法はそのままで、とりあえず自衛隊を米軍と一緒に戦闘参加できるように、高村正彦自民党副総裁(当時)に頼んで、それまでは「不可能」とされていた「(自衛隊の)集団的自衛権行使の戦闘行為も合憲である」という「こじつけ」の憲法解釈をでっち上げて、安全保障関連法を成立させたので、それでアメリカからは「改憲の必要はなくなったよ」と言われたのでした。それにしても、高市早苗が呪文のように唱えている「どのような国をつくりたいか、その理想を物語るのが憲法だ」との言説は、立憲主義に照らして見るに、ほとんと寝言のようなレベルであり、一度精神科を訪れて精神鑑定を受けるべき「容体」ではないかと思われます。こういう政治家に国政を任せるのは、実に危険な事態であると言わざるを得ません。
2026年05月02日
現役自衛官が自民党大会に出席してステージで国歌を斉唱した問題で、記者会見に応じた荒井正芳陸幕長の発言からどのような問題が明らかになったか、4月16日付け「しんぶん赤秦」は次のように報道している;◆政治的行為を禁止 12日の自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の現役女性自衛官が国歌を歌った問題を巡り、自衛隊施行令に反した利益提供にあたる可能性が浮上しました。 陸自トップの荒井正芳陸幕長は14日の記者会見で、「あくまで『私的行為』」であり自衛隊法の「政治的行為の制限」規定違反にあたらず「不適切だったとは考えていない」と述べました。その上で、当該自衛官が、大会を企画したイベント会社から謝礼や車代など金銭を受け取ったのか問われたのに対し、「受け取っていない」と答えました。 記者から、本来支払われるはずの歌手などへの出演への依頼料が今回かからなかったとすれば、イベント会社の利益になっていると指摘されたのに対して、荒井氏は「あくまで私人としての行為なので、詳細は差し控える」として明白な説明を拒否しました。 自衛隊法第61条1項は、投票行動を除いて隊員の政治的行為を禁じています。同法施行令87条は、自衛隊法61条で定める「政治的行為」の一つに、自衛官が「政治目的を持つ行為で利益を提供」することを挙げています。 また荒井氏は、自衛官が歌唱時に演奏用の制服を着用していたことについて、本来は自衛官服装規則第13条で陸幕長が必要と指示した場合に着用することができるとしたうえで、今回は私人としての行為で「私の指示を受けたものでない」と説明。職務外での着用は禁止されておらず、私的な場面での演奏服着用が「規則違反ではない」などと述べました。この見解通りであれば、陸幕長の指示に基づいて着用できる制服を、「私人」であれば好き勝手に着用できることになり、服装規則自体の意味がなくなってしまいます。 さらに、小泉進次郎防衛相が14日の記者会見で、「(制服は)常時着用義務がある」と述べましたが、「指示」に基づいて着用するという陸幕長の見解と真っ向から矛盾します。2026年4月16日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「規定違反、利益提供の可能性」から引用 現役自衛官の自民党大会出席問題で記者会見に応じた陸幕長は、政府から「何が何でも、『私人だから違法性はない』で押し切れ」とでも言い含められていたのか、自民党大会に出席したのはこれはどこからどう見ても政治的行為に違いないので、これは「自衛隊員としてではなく、私人として出席した」というのは、選挙の際に「投票行為は私人としての行為」という文脈で、誰でもが認めるところですが、イベント会社が自民党から「大会運営」を請け負った際には当然の対価が請求されているわけで、その請求額には当該自衛官への国歌斉唱の謝礼も含まれていたはずで、それを自衛官が受け取らなかったのであれば、その分はイベント会社の「利益」となってしまっているわけで、君が代を歌って自民党大会を盛り上げて、その謝礼はイベント会社の利益になるという二重の自衛隊法違反が疑われます。また、演奏用の制服着用は陸幕長の「許可」が必要ということも自衛官服装規則第13条に規定されているのに、でも私人であれば勝手に着用しても別に問題はないなどと、まるで落語の台本のような話になってしまう。しかし、これは笑って済ませられる問題ではありません。非は非として、しっかりけじめをつけることが、自衛隊の組織としての健全性を確保する上で必要と思います。
2026年05月01日
現職の自衛官が自民党の党大会に参加してステージで国歌を歌った事件を批判する記事が、18日付東京新聞に掲載された; 12日に行われた自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊の隊員であるソプラノ歌手が壇上に上がり、制服姿で国歌斉唱をリードしていました。 東京新聞は15日の社説「自民大会で国歌 自衛隊の政治利用慎め」で「特定政党の行事への参加は党勢拡大への協力を疑われ、政治的中立性に疑念を抱かせる。自民党はこれまでも党所属議員が自衛隊を政治利用する発言を繰り返してきた。党大会で自衛隊員に歌唱させたことを猛省し、再発防止に努めなければならない」と批判しました。 読者からは本社に「いいじゃないの。なぜ言い掛かりをつけるのか」との意見も届きますが、別の読者は「国歌を歌ったことが問題なのではなく、特定政党の党大会で歌ったことが問題だ」とします。当論説室の問題意識は、後者の読者と同じです。 自衛隊法は「隊員は選挙権の行使を除き、政治的行為をしてはならない」と定めています。 総裁の高市早苗首相は「自衛官は職務ではなく、私人として旧知の民間の方から依頼を受け、国歌を歌唱した。自衛隊法違反には当たらない」としますが、党大会は総裁が招集する党の最高機関。国会議員や都道府県連代表が一堂に会する場での国歌の歌唱に政治性が全くないと言い張るのは無理があります。 木原稔宣房長官も「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と国会答弁するなど、政治的に問題があることは認めざるを得ませんでした。自民党による自衛隊の政治利用は明白です。 より深刻なことは、一政党による自衛隊員の政治利用を政府や自民党内で誰も止める人がいなかったことです。 さらに、自衛隊の最高指揮官である高市首相や、指揮監督する小泉進次郎防衛相は党大会まで自衛隊員の参加を知らなかったと主張していますから、防衛省・自衛隊の統制の問題も指摘せざるを得ません。私人だから、という言い訳は通用しないのです。 自民党議員は以前から選挙応援の際、自衛隊に言及するなど政治利用を繰り返してきました。自衛隊に政治的中立を求め、政治利用を戒めているのは、軍が政治への関与を強め、国民を無謀な戦争に導いた反省からです。忘れてはなりません。(と)2026年4月18日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「ぎろんの森-自衛隊の政治利用を戒める」から引用 この度の事件に関するメディアの報道は「現職の陸上自衛隊音楽隊の隊員が礼装の制服を着用して自民党大会のステージで君が代を斉唱した」という文面であったため、ことさら「君が代を歌ったのがいけない」と言ってるようにも受け取られ、人によっては「また左翼が騒ぎ出したか」と理解したケースもあったかも知れないと思いました。しかし、事実としては自衛官が立場を利用して特定の政治勢力を有利になるようなことをしてはならないと規定した条文が、自衛隊法に明記されているのですから、その点をこそメディアは取り上げて追及し、それぞれの地位にある自衛官、幕僚長、防衛大臣、総理大臣に対し、相当な処分を下して責任の所在を明らかにすると共に、再発を防止する旨を政府与党内に徹底するのが、正しい対処法であったはずです。その辺をはっきりさせずに、通り一遍の「批判記事」で終わりにしたのでは、似たようなケースの再発は防止できず、何度も繰り返すうちにやがては大政翼賛会が出てくる危険性は避けられないと思います。
2026年04月30日
無実の人を58年間も牢獄に閉じ込めた「袴田氏冤罪事件」を反省して、再審請求が出た場合には迅速に対応できるようにする目的で、刑法改正の声が高まり、その声に対応するつもりで出してきた法務省の改正案が、まったく改正する意図が見られない愚案だったため、法務省の与党に対する説明会が紛糾した様子を、16日の東京新聞はトップ記事で報道し、現場の批判派、推進派の議員の様子について次のように書いている;◆自民反発、了承見送り◆自民部会怒号飛び交う 再審制度を見直す刑事訴訟法改正案を審査した15日の自民党部会は、法務省が示した修正案を巡って紛糾した。会議室の外まで響く怒号が飛び交い、予定した1時間を大幅に超える4時間15分にわたる議論でも結論は持ち越しになった。 「これでは第2、第3の袴田さん事件が起こってしまう」。鈴木宗男参院議員は、1966年の静岡県一家強盗殺人事件で逮捕されてから再審無罪確定まで58年を要した袴田巌さんの名前を挙げ、検察官抗告による審理長期化の弊害を訴えた。 今国会への提出期限が迫る中、最大の焦点は検察官による不服申し立て(抗告)を認める規定の扱いだった。冤罪(えんざい)被害者の迅速な人権救済を図るため、禁止を求める声が高まり、法務省は譲歩したが、踏み込み不足の内容に「全く修正されていない」(閣僚経験者)とむしろ反発は拡大。党内の意見を軽視するような法務省の姿勢に対して「不誠実だ」という声も上がった。 「制限と禁止では天と地の差がある」。抗告禁止を訴える井出庸生衆院議員はそう語った上で、「冤罪被害者が人生を棒に振ってきた歴史を直視した議論のはずなのに、検察による検察のための法改正と言わざるを得ない」と断じた。党内では影の薄い法務省擁護派の議員は「無制限には不服申し立てができないようになっているが、なかなか理解されない」と肩を落とした。(長崎高大)2026年4月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ 「検察抗告禁止、盛り込まず」から引用 検察官は犯罪捜査のプロとして決して間違いのない証拠をそろえて、裁判に臨むべきであって、十分な証拠がそろえられないのであれば、軽々に人を裁判にかけたりしてはならない。ところが、実際の検察官は「こいつが犯人だ」と見込んでしまえば、証拠をねつ造してまで「犯人」を仕立て上げる事件が、袴田事件以外にも埼玉県狭山の女子高生誘拐殺人事件などがあり、これまで何百人の無実の人が、検察のそのような横暴で犠牲になったかはかり知れません。法務省には、その辺の「反省」がまったく欠落しており、自民党議員が納得しないのは、人間として当然の対応だと思います。検察は犯罪捜査のプロとして裁判に臨み、判決の後に数年経ってその判決に疑義が出た場合は、潔く己の「欠点」を認めるのが「人の道」であり、再審請求に対して検察が不服を申し立てるなど言語道断です。法務省のこの度のいい加減な改正案を承認しなかった自民党議員は、珍しく良い仕事をすることもあるのだなあと思いました。
2026年04月29日
現職自衛官が上司の許可がないと着用できない自衛隊の礼服を着て、上司と共に自民党大会に出席しステージで国家を斉唱した事件について、国会でどのような与野党の議論があったのか、16日の東京新聞が次のように報道している; 木原稔官房長官は15日の衆院内閣委員会で、陸上自衛官による自民党大会での国歌歌唱に関し、自衛隊法に抵触しないとした上で「政治的に誤解を招くことがないかは別問題で、その点はしっかりと反省すべきだ」と述べた。野党は自衛隊の政治的中立性に疑義を生じさせたとして追及。与党の日本維新の会も「不適切」と苦言を呈しており、政府として事態収拾を図る狙いとみられる。 自衛隊法61条は、選挙権の行使を除き、隊員の政治的行為を制限している。最高裁は1995年に自衛官の表現の自由を巡り、国民全体の利益を守るため「必要で合理的な制限を加えることは、憲法が許容している」との判断を示している。 木原氏は、長期休暇中だった自衛官が私人として関係者から依頼を受けたと経緯を説明。党大会のイベント会社が防衛省に問い合わせたところ、自衛隊法に違反しないとの回答を得たため出演に至ったと述べた。 党大会への出演が事前に防衛省の政務三役や宣房長、事務次官まで上がっていれば「別の判断があったかと思う」と語り、省内の報告体制に「問題がある」と言及した。 維新の藤田文武共同代表は15日の記者会見で、法的に問題ないとしつつも「政治的には抑制的にすべきだった。不適切との評価を下さざるを得ない」と指摘。自民の意思决定が「うかつだった」とした。 中道改革連合の小川淳也代表は会見で「なお政府側に説明責任が残っている」と主張した。立憲民主党の斎藤嘉隆国対委員長は記者団に「自衛隊法に照らし、大きな問題があったのではないか。あり得ない」と自民の対応を非難した。国民民主党の古川元久国対委員長も会見で「非常に軽率だ」と強調した。2026年4月16日 東京新聞朝刊 3ページ 「自衛官が自民党大会で国歌」から引用 この記事が指摘するように、法律は自衛官の選挙権の行使を除いて、隊員の政治的行為を制限しているのであるから、木原官房長官の「自民党大会で国歌を歌っても自衛隊法に抵触しない」という発言は虚偽である。党大会の運営を請け負ったイベント会社が、念のため防衛省に問い合わせた時に「自衛隊法に抵触しない」との回答を得たと、官房長官は説明しているが、イベント会社が本当にそんな問い合わせをしたのかどうか、本当であるなら、「抵触しない」と回答した防衛省職員とは誰だったのか、彼を監督する責任者は誰なのか、警察は捜査して事実を明らかにし、立件するべきである。さらに上位の責任者である幕僚長も防衛大臣も、首相も、「事前に知らされていなかった」から「しかたがない」と言い訳して過ごそうとしているが、そんな言い逃れを許すことなく、しっかり責任を取らせて、「減給30%、6か月」くらいの処分をしないと、似たような事件が繰り返されることになると思います。
2026年04月28日
10年前に古舘伊知郎氏が出演するテレビのニュース番組で「ドイツ・ワイマール憲法の教訓」を特集したことについて、元文科官僚の前川喜平氏は、12日の東京新聞コラムに、次のように書いている: 10年前の2016年3月18日、テレビ朝日「報道ステーション」が「独ワイマール憲法の教訓」という特集を放送した。ヒトラーが国家緊急権を濫用して独裁者になったことを教訓に、緊急事態条項の危険性を訴える内容だった。松原文枝氏が制作し、キャスター降板直前の古舘伊知郎氏がドイツまで行って収録した。今こそこの特集を再放送してほしい。 緊急事態条項の条文化はいよいよ現実味を帯びてきた。9日の衆院憲法審査会では自民党、日本維新の会、国民民主党が同条項の条文化と条文起草委員会の設置に前向きの方針を表明した。 緊急事態条項は、衆院選が行えない緊急時に衆院議員の任期を延長して国会の機能を維持することが目的だとされるが、緊急時の国会の機能維持のためには、参院の緊急集会の規定がすでにある。緊急事態条項は衆院選を行えなくする条項なのだ。国民は衆院議員を選び直すことができなくなる。もし衆参両院で与党が絶対多数を握る時に緊急事態条項が発動されれば、権力は固定化され、与党はどんな立法もどんな憲法改正の発議も容易に行うことができる。国会の機能はむしろ死んでしまうのだ。 都合のいい時に選挙をし、勝ったら緊急事態条項で権力を固定化する。かくして民主制は独裁制に変貌する。まさにナチスの手口である。(現代教育行政研究会代表)2026年4月12日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-独ワイマール憲法の教訓」から引用 この記事が主張するように、緊急事態条項というのは独裁政権を目指す政治家の「隠れ蓑」のような「仕掛け」であり、議員任期が過ぎても衆議院選挙を実施することが困難になった場合、衆議院議員がいない状態になって、国会機能が停止して、それが原因で国家が機能しなくなることを防止するのだ、というのが表向きの理由ですが、実際には、現行憲法でもそのような事態を想定して、その場合は参議院が衆議院の代役を果たすということが定められているわけで、現行憲法で十分に「危機的状態」に対応ができるようになっているのですから、「衆議院議員の任期を延長する」などというロクでもない条件を付加するのはやめたほうがいいと思います。維新の会とか国民民主党という政党は、人権尊重の精神に乏しく、国会議員の立場を私腹を肥やすために利用することばかり考えている政治家の集団ですから、こういう政党に投票するのはやめるべきだと思います。
2026年04月27日
国会が開かれていても、なかなか審議に参加しようとせず、記者会見も極力避けてばかりいる高市早苗首相について、朝日新聞編集委員の高橋純子氏は11日付同紙朝刊コラムに、次のように不審の念を書いている; 高市早苗首相に聞きたいことがある。 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか? * これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。 * 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。2026年4月11日 朝日新聞朝刊 13版 11ページ 「多事奏論-主権者のパワー、畏れぬわけには」から引用 この記事の筆者は高市氏に対して「あなたは何のために、首相になったのですか?」と問いかけているが、高市氏が首相になった目的は、中東情勢に不安を抱える国民を安心させるためなどではなく、単に子ども時代に右翼思想に凝り固まった親から吹き込まれた皇国史観を実現することしか考えておらず、スパイ防止法を制定して反対意見を言う者を片っ端から逮捕投獄し、日の丸に最敬礼しない者も厳罰に処すというようなことにばかり関心があり、庶民の生活を慮る気持ちなどは微塵も持ち合わせていないのが実態なのだから、この先は朝日新聞も、コラムで批判的な記事を書く「時期」はそろそろ終わりにして、本腰を入れた倒閣キャンペーンを始める時期に差し掛かっていることを自覚してほしいと思います。
2026年04月26日
ネタニヤフの口車に乗せられて交渉中のイランをいきなり空爆して指導者を殺害するという犯罪に手を染めたトランプは、秋に予定されている米議会の中間選挙が不利になることを恐れて、これ以上紛争を拡大したくない様子であるが、一向に解決の目途が立たない状況について、文筆家の師岡カリーマ氏は11日付東京新聞コラムに、次のように書いている; イランの理工系大学生のうち、女性は約7割だそうだ。米国はその半分程度。女性医師もイランは約5割、米国は4割に満たない。個人的にイラン政府には毛ほどの好感もないが、1979年の革命以降、女性の高等教育が拡大されたことは否定できない。ベールの強制さえ近年は渋々だが緩和され、都会では着用しない女性が増えている。 「彼らにお似合いの石器時代に戻す」と脅したトランプ大統領はじめ、米政権はイランを中世的で不合理な「神権政体」と位置付けることで軽んじてきた。確かにイランは「イスラム共和国」を自称し、宗教学者を最高指導者とするが、少なくとも米国よりは合理的な戦略で体制存続に成功したように見える。世界経済の要衝であるホルムズ海峡の管理権を恒久化してしまう可能性も取り沙汰され、劣勢だったはずのイランがこの非対称な戦争を経て、ステータスを上げた感さえある。 米国こそ、ヘグセス国防長官が「米軍はキリストの代理で戦っている」と言ったり、イランで撃墜された米兵の救出劇をキリストの復活にたとえたり、トランプも執務室で彼を救世主のごとくたたえる牧師らに囲まれて祈禧したりと、勝るとも劣らない神権政治ぶりだ。その彼らが目指す「パラダイス(天国)」は、「塀に囲まれた庭園」を意味する古代イラン語が語源だというから、皮肉である。(文筆家)2026年4月11日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-『石器時代』の傲慢」から引用 イランの理工系大学の学生の7割が女性であるとは驚きである。多分、日本でもアメリカでも「理科系は男子」という認識が常識となっているのかも知れないが、その認識には科学的根拠がなく、それこそ石器時代からの伝統(?)で「力仕事と理屈は男子」という迷信がまかり通っているだけに過ぎず、「理科系は男子」説に科学的根拠はないのが実態である。しかし、資本主義経済で発展した社会に暮らすアメリカも日本も、いまだにその「迷信」ははびこっており、さらなる発展を阻害する要因になっているのではないかと思います。ところが、厳格な戒律に支配されたイスラム圏でも、イランほどの大国になると、根拠のない迷信にはこだわらず、性別に関わらず能力のある人材を登用する社会であれば、将来発展する可能性は大きいと思います。それにしても、大統領執務室に牧師を呼んで、お世辞を言わせて悦に入っているトランプ氏の態度では、「神の加護」は期待できないのではないかと思います。
2026年04月25日
高市政権がアメリカから高額の武器輸入のために法外な予算を準備し、財源確保のために「高額医療費補助」の予算を減らすという「人道に悖る方針」であることが明らかになり、国会前には3万人ほどの抗議の人々が集まったほか、全国各地でも抗議集会が開かれたのであったが、テレビも新聞もニュースとして報道することはなく、自民党広報班のような活動をしていたのであったが、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、11日付同紙コラムに、次のように書いている; 国会前に約3万人が集まった。8日夜。若者が歌い踊り、参加者はペンライトや思い思いの標語を掲げ、声を上げる。共通の主張は「戦争反対」「憲法守れ」。同時に全国137カ所で、大小の連帯するデモや集会が開かれたという(いずれも主催者発表)。 2月の衆院選で、与党は憲法改正発議に必要な3分の2を確保。危ぶむ20~40代の有志がデモを呼びかけた。2月以来この日は4回目。米・イスラエルのイラン攻撃もあって、回を追うごとに参加者や開催地が膨れ上がり、9日午前にはX(ツイッター)のトレンド1位にもなった。 地下鉄の出口が混んで進まない。子供連れの女性がいる。見たことある俳優や学者の顔。トランプ米大統領に怒る男性。声をかけた1人は自衛官の家族だった。 皆いい人ばかり。わざわざ駆けつける志も尊い。何より人出の多さに驚く。でも、新聞もテレビもほとんど報じなかった。ニュースと判断しなかったのだ。 「戦争は嫌いだ。平和を愛す」ならトランプ氏でも言う。驚くことに本音だろう。なのに、違法で非道な残虐行為を命じる。それが政治であり、権力である。 戦争は指導者の悪意や人格で起きるのか。そうも見えるが、軍事力の性能・数量、背後に絡む利害・打算、己と国家の名誉と地位、文化や歴史や人権を敬う価値観などの方が、判断に与える影響は大きい。経済や社会の仕組みと変化が、それをのみ込む。 「反戦平和」と一口につなげても、反戦から平和までの道筋は、とても入り組んでいて遠い。 戦後日本は、その道筋を米国に丸投げしてきた。「反戦」と「護憲」の直結は、第二次大戦後の国際秩序と価値を米国が担保してくれる冷戦構造に、自ら組み込まれたからこそ可能だった。 冷戦後、一極化を諦めた米国から日本は相応の負担を求められ、安倍晋三政権は解釈改憲の禁じ手を使う。反戦を「積極的平和主義」と言い換え、集団的自衛権や敵基地攻撃能力に踏み込んだ。 第二次大戦後秩序と価値を米国が自ら壊す今、日本で反戦と護憲は昔のようにつながるか。 平和の実現には反戦と護憲、それぞれの中身を鍛え直す勇気と知恵が必要なのではあるまいか。 もはや戦後ではない。1956年の経済白書が、復興の終わりと高度経済成長の始まりを告げた希望の流行語だが、今や別の文脈で同じ言葉を引き受けなければならないようだ。戦後はもう終わった。81年以後の戦後を数えても平和は近づかない。(専門編集委員)2026年4月11日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-もはや戦後ではない」から引用 高市早苗という政治家は、以前から「国家というものは、武装して外敵の侵入を防ぐのが当たり前で、そのためにどの国にも軍隊がある。そして国民の中でも特に男子は、いざという時は命を捨ててでも国を守るという重大な使命を持っているのです」という演説をすることを「仕事」と心得ている人物であったが、このような国家観はわが国憲法が規定する国家観とは著しく趣を異にしており、公務員の憲法順守義務の観点からも、国会議員の資格が疑われるというものである。毎日新聞なども、そのような問題意識で高市首相の言動を逐一点検するべきなのに、高市氏の性格からして下手に批判記事などを書けば、新聞印刷用のロール紙の出荷停止とか、どんな仕返しをされるか分かったものではない、というような恐怖心があるのか、高市政権の問題点などは「X」には毎日山のように書き込まれるのに、新聞テレビではめったにお目にかからないというのは、新聞・テレビ業界の「日和見主義」のせいであり、そのために、人々の政治意識は希薄になり、選挙になっても「押し活選挙」しかできなくて、問題のある人物が総理大臣になったりするという「間違い」がまかり通ってしまうのだと思います。この記事では「反戦と護憲は昔のようにつながるか」などと、自分は「高みの見物」でもする立場であるかのように書いていますが、私たちは「反戦」と「護憲」をつなげて仲間を増やし、「戦後」を終わらせないための努力を積み上げて行きたいと思います。
2026年04月24日
国会議員選挙の投票結果と選挙中のユーチューブに放映される「投稿」内容の関係について、5日付神奈川新聞は、次のように報道している; 2月の衆院選中、動画投稿サイト「ユーチューブ」で大量の選挙関連動画が投稿された。再生数は9億回以上。動画を生成人工知能(AI)で解析すると、多くが、高市早苗首相率いる自民党に肯定的な内容だったことが分かった。専門家は「投票行動に少なからず影響した可能性」を指摘する。誰が、どのような理由で投稿するのか。ユーチューバーヘの取材と動画の分析から、対象を次々と変えながら「バズる」動画が増産されていく構図が見えてきた。 ▽こつ 「衆院選の収益は計約7万円だった」。ユーチューブで「ちんあなご」というチャンネルを運営する東京都の男性(60)が明かす。自ら撮影したり提供を受けたりした自民の動画を多数投稿し、再生数は投開票日までに計約700万回。名古屋駅で高市氏が手を振る動画は30万回を超えた。「都知事選は石丸伸二さん、参院選は参政党。今回は自民を取り上げた。共産党や社民党では当たらない」 動画の広告収入は再生数に対応する。増やすこつを「視聴者がどの政党や政治家を見たいのか、見極めが重要」と語る。 「国政選挙は国民の半数が投票するため関心が高い。バズる動画が必然的に生まれる」。政治動画はもうかるとの認識が広がっている。「否定的に扱う内容も含めバズつた動画をまねて同じ対象を扱う投稿が次々に増えていく」と説明した。 ▽怖さ 収益化を目的としない人もいる。自民を支持する九州地方の50代男性は「純粋な応援」として広告収入がない方式で投稿。高市氏が街頭演説で救急車に配慮し「マイクは使いません」と声を張り上げた場面に、「神対応」とテロップを付けた動画は100万回近く再生された。今回は「高市氏が桁違いにバズった」。 一方で、昨年の参院選では自民に否定的な投稿が多く見られた。男性は選挙ごとに批判の対象が変わる現状には複雑な心境だ。「いつ、どの政党や政治家が矛先になるか分からない。怖さを感じる」とも話した。 インターネット選挙に詳しいJX通信社の米重克洋代表は「ネットで選挙情報を得る層が増えユーチューブの動向が投票行動に影響したことは否定できない」と語った。 ▽吟味 共同通信は昨年の参院選と今年の衆院選でユーチューブに投稿された選挙関連動画のうち、それぞれ再生数が上位の千件を分析。政党や立候補者、報道機関などの投稿を除き参院選で814件(再生総数9億813万回)、衆院選で882件(同9億40万回)を対象とした。 動画名や説明文、音声を書き起こした文章に使われている単語などを対話型生成AI「チャットGPT」で解析した。政党の扱いを「肯定的」、「中立」、「否定的」に分類。正確かどうか目視で全データを確認した。 参院選は814件のうち、自民に否定的な投稿が最も多く395件だった。肯定的は16件。当時の石破茂首相が険しい表情で話す姿を「態度が悪い」とするなど政策と無関係な内容も多かった。 衆院選では結果が逆転した。882件のうち自民に否定的な投稿は84件と激減。肯定的は324件と最多だった。高市氏の演説に集まった聴衆を写して人気をアピール、討論会を短く編集し他党党首を論破したように印象付ける投稿もあった。 法政大大学院の白鳥浩教授(現代政治分析)は「数十秒の動画で称賛や批判が大量に展開され、視聴者が政党や政治家に抱く印象に影響した」と指摘する。その上で「投票する際には複数のメディアから情報を集め冷静に政策を吟味する必要がある」と語った。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「対象変え『バズる』増産」から引用 ユーチューバーと言われる人たちは、政治について何か特定の信条を持っているわけではなく、特定の政党を応援する意図もなく、単に「自分が投稿した動画が人目を引いて、再生回数が多くなれば収入も増える」という考えで、「今は、選挙期間中だから、誰をどのような表現で取り上げれば、再生回数を稼げるか」という観点からのみ考えて、前回は「石破氏は、仏頂面で小難しい理屈を偉そうに言ってる」というネガティブな取り上げ方をしたので、自民党は得票数を減らしたが、今年の衆議院選挙は、なんといっても「日本初の女性首相」だから、受けるはずと狙いを定め、「通りかかった救急車に配慮して、街頭演説はマイクを使わないで、地声でやります」などと大衆受けするシーンを流したところ、これが狙い通りにバズった、ということのようで、政治家高市早苗の政治信条とか、スパイ防止法で自由な言論を抑圧するとか、憲法改悪で戦争をする国に変えようとしているというような「視点」は完璧に抜け落ちている点が、重大な問題だと思います。また、このような「重大な問題」が発生する「土壌」として、「野党はいつも与党の悪口を言うだけ」という低レベルの野党認識が、野党の真剣な「問題アピール」に耳をふさぐ結果をもたらしており、このままでは日本社会は自民党の悪政を止めることができず、没落していくだけだと思います。
2026年04月23日
日本で働く外国人でイスラム教徒の人たちの団体が横浜市に建設中だったモスクが完成し、地元の横浜市民も招待されて盛大なオープニング・セレモニーが開催されたことを、5日の神奈川新聞は次のように報道している; イスラム教徒の礼拝施設で地域の交流拠点になる「横浜アッソーリヒーン・マスジド(モスク)」が横浜市旭区上川井町に完成し、オープニングセレモニーが4日、近隣住民を招いて開かれた。コミュニティーの一員として共に歩みたいムスリムの願いに、地元の人々は対話と信頼、差別の否定で応じた。(石橋学) モスクを巡っては、卑劣なレイシストが妨害を繰り返しているが、差別にくみしないマジョリティーの態度があるべき共生を示す。 モスクを建設運営する一般社団法人「アッソーリヒーン・ヨコハマ・ファンデーション」の代表理事、アリエフ・ジュナイディさんはあいさつの冒頭から語った。「さまざまな意見や不安が地域に生じているのは承知している。率直なコミュニケーションで説明責任を果たし、調和の取れた関係を築いていきたい」 この間、周辺の団地や家々に「巨大モスク建設」「知らない間に」「治安悪化の恐れ」などと差別を煽るデマちらしがまかれた。レイシストが入れ代わり立ち代わり現れ、建物の動画を無断で撮影しては交流サイト(SNS)で拡散した。 あいさつで強調された「地域の秩序と快適さを最優先する」「日本の法令、規範を遵守(じゅんしゅ)する」「駐車、清掃、安全面で適切に対応する」という約束は、いつ排斥の矛先が向くかも知れないマイノリティーこそが抱く不安の裏返しだった。 地元の若葉台連合自治会、菅尾貞登会長の祝辞にはそうした恐れを打ち消す響きがあった。「インターネットではモスクを不安視する声が聞かれ、トラブルの前に対処すべきだという意見も一部にあった。だが、はなから問題があるかのように話すのは間違い。理解するところから始めないといけないと諭した」 対話を重ねてイスラムについて学び、断食明けの食事をともにし、確信を深めた。「ビラがまかれたりしたが、大ごとにはならなかった。若葉台はそもそも全国からいろんな人が集まっているまち。オープンな気持ちの人が多いと思う」 隣接の横浜若葉台団地に住む円谷弥生さんはそのあいさつに「私たちはデマなど相手にしないと、差別を煽る一部の者を歯牙にもかけない態度が頼もしかった」と話す。妨害者がやって来るのではないかと心配で足を運んでいた。招待されたわけではなかったが、式典に招き入れてもらえたこともうれしかった。 モスクを建てたのは経済連携協定(EPA)で来日したインドネシア出身の市民で、看護師・介護士として働く。アリエフさんは「私たちの願いはモスクが受け入れられるだけでなく、地域にとって価値のある存在になること」といい、高齢者の健康に関するイベントも計画する。円谷さんは「文化を知るイベントなども楽しみ。今日見聞きしたことを近隣に広めたい」とうなずいた。2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 18ページ 「時代の正体・差別禁止法を求めて-『地域と共に歩みたい』」から引用 横浜市のモスク建設が順調に進んで、めでたく落成式の日を迎えることが出来たのは、地元の自治会のバックアップと住民の理解の賜物と思います。宗教施設として礼拝のためにモスクを訪れる人たちも、閉ざされた宗教施設ではなく、地域の一員としての自覚を持って、「地域にとって価値のある存在になりたい」という気持ちをはっきりと表明できるのは素晴らしいことで、生活文化の違いを乗り越えて、相互理解を獲得していくのが私たちの社会の発展する方向性なのだと思います。
2026年04月22日
最近訃報が伝えられた児童文学作家の山中恒氏について、共同通信編集委員の福島聡氏は5日の神奈川新聞に、つぎのように追悼記事を書いている;◆平和への執念に敬意 人気テレビドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの原作者である児童文学作家の山中恒さんが死去した。軍国主義一色に染まった戦前に少年時代を過ごしたことから、その検証をライフワークとし、収集した膨大な資料を基に著書を次々に刊行した。 平和の尊さを訴え続けた執念に深い敬意を表するとともに、東アジアの安全保障環境悪化がしきりに叫ばれる今こそ、次世代として遺志を継承したい。 戦前の歴史、特に子どもの教育や人々の暮らし、言論統制、メディアの状況を調べていると、必ず山中さんの著作に行き当たる。関連の著書は30冊以上。徹底した資料集めと綿密な分析に舌を卷く。 満州事変が起きた1931年に生まれ、37年に始まった日中戦争、41年開戦の太平洋戦争を少年時代に経験した。「私の子ども期は、べったり、戦争におおわれていた」と著書で回顧する。 当時の子どもは「少国民」と呼ばれ、学校では徹底した軍国主義教育を受けた。海外侵略を正当化する標語だった「八紘一宇」の精神をたたきこまれた。「疑うことは許されなかった。疑うこと自体、非国民的言動とされた」と記す。 「(敗戦時)負けたら国民全員が切腹して天皇陛下におわびしないといけないと教えられていたから、どうやって死ぬかを考えた」と共同通信のインタビューで語っている。 しかし友人に「先生たちが死んでからでも良い」と止められた。それまで「天皇陛下万歳」と叫んでいた先生たちは「民主主義万歳」に、がらっと変わった。このとき大人に抱いた強い不信感が、その後の旺盛な著述活動の原動力になった。 手元に著書「新聞は戦争を美化せよ」がある。古書店で入手した本には「日の丸と神の国とをたたえたる あの日の我は今は悲しも」という歌とともに、本人のサインが記されている。千ページ近い同書で、山中さんは当時の徹底した情報統制を詳述し、新聞社の対応も掘り下げている。 軍に批判的なスタンスも見せていた大手紙は、満州事変を境にナショナリズムを鼓吹し、軍を後押しする論調に一変した。29年の世界恐慌以降、販売・広告収入が伸び悩んでいた新聞界はこれで息を吹き返した。報道・言論への政府の統制が本格化したのは38年の国家総動員法施行以降だが、その前から新聞は軍の「応援団」になっていた。 山中さんは「あまりにも権力に唯々諾々、ほとんど抵抗らしい抵抗も示すこともできなかった。そればかりか積極的に権力の意を迎えにいくかの如く、お先っぱしりに精を出したとしか思われない部分もあった」と記す。 この指摘をメディアに身を置く者として重く、切実に受け止めたい。世界で戦禍が絶えず、国際秩序も大きく揺らいでいる。メディアは何を伝えるのか。山中さんは冥界から目を光らせているように思う。(共同通信編集委員・福島聡)2026年4月5日 神奈川新聞朝刊 13ページ 「核心評論-平和への執念に敬意」から引用 山中氏が著書の中で子ども時代を振り返って話しているように、昔の学校教育の現場は教員が生徒を「体罰」と称する「暴力」で支配し、教員の言うことに対して疑問を呈するような発言は現に禁止されていたのが現実であった。なにしろ武士が人殺しの道具を携帯して往来を闊歩している時代から、さしたる社会教育の機会もなく近代国家になってしまったので、「人権思想」などというものが育つような余地もなく、「将軍」の代わりに「天皇」が支配する社会になっただけだったので、どの新聞社も始めのうちは、侵略戦争に批判的な姿勢だったのに、「日本軍が優勢」とか「勝った」と報道すると新聞が売れるというので、戦争批判は次第になくなるという状態であった。そんな調子でやっていくうちに、日中戦争は泥沼状態となり、太平洋戦争では米軍が優勢になり、ついに敗戦となったのであったが、このようにして「敗戦」を経験してもなお、日本人社会はまだ、「戦争は間違い」であることに気付かずに、戦争を放棄した「憲法」をもう一度改悪して再武装しようとする勢力に政権を任せているのは、あまりにも不勉強というものです。自民党の党大会に、現職の自衛官が制服着用で参加し、ステージで「君が代」を歌うというのは、自衛隊の中立性を規定した自衛隊法に違反する事例であるにも関わらず、幕僚長も防衛大臣も、さらには首相まで「自民党大会に現職自衛官が出席して君が代を歌うというのは、事前には聞いていなかったので、まったく知らなかった」などと言って、「知らない」と言えば責任逃れできると踏んでいる。そんなでたらめでいいのかという声がメディアから上がらないという現実は、戦前と何も変わっていないことを示しており、実に危険な状態に私たちの社会はあるということを自覚しなければならないと思います。
2026年04月21日
今から70年前と言えば、私が小学校1年生になった年であるが、その時はまだスエズ運河は英国とフランスが支配して運営していたもので、独立して間もないエジプトが国有化を宣言すると英国とフランスと、それに加勢するイスラエルが軍隊を差し向けて第2次中東戦争が始まったのであった。そしてこの紛争を解決するために尽力したのが当時のカナダ外相、レスター・ピアソンであったが、当時の経緯を中央大学教授の目加田説子氏が、5日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 70年前の1956年。英国とフランスが事実上配下に置いていたスエズ運河の国有化をエジプトが宣言した。反発した英仏にイスラエルも加わって軍事介入し、第2次中東戦争が勃発した。国連安保理では米国がイスラエルの撤退を求める決議案を提出したが、英仏が拒否権を発動して危機対応は行き詰まった。 結局、和平に向けた議論は国連総会の緊急特別会合へと移り、そこで活躍したのが当時カナダの外相だったレスター・ピアソン(後に首相)だ。総会がいくら停戦・撤兵を決議したとしても、「単なる決議では平和的解決に必要な措置を欠いたままだ」として、停戦監視と当事者を分離するために「国連緊急軍(UNEF)」の創設を提案した。 「戦闘当事者でも大国でもない中立国部隊を国連の下で派遣する」。ピアソンの案は、全面屈服ではない撤兵の体裁を英仏に与え、エジプトには大国支配の継続を防ぐ手だてとなり、米国にとっては英仏の行動を抑えつつ戦争拡大を防げるという「三方よし」の打開策になった。 ◇ ◆ ◇ UNEFは、のちの国連平和維持活動(PKO)の制度化と発展の礎となった。ピアソンは、「国際紛争に対して新しい多国間安全保障の実践モデルを示した」として翌年のノーベル平和賞を受賞した。スエズ危機を通じてカナダは、「帝国でも超大国でもないが、国際秩序の仲介者として貢献する国」という自己認識を強めることになったのである。 その後、時代は大きく変化した。地域紛争や対テロ戦争でPKOの任務が多面化し、カナダの参加率は低下した。それでもカナダでは「平和維持アイデンティティー」が重要な価値として残り続ける。 世論調査では、6割を超える人々が平和維持を「カナダの最も重要な国際貢献」と認識し、約7割が米国主導の単独主義より国連主導の多国間主義を支持していることが明らかになっている。 ◇ ◆ ◇ ピアソンは「外交の人」として語られることが多いが、首相としては「福祉国家を整備した人」としても知られる。給付水準が低かった年金制度を整備し、皆医療保険制度を実現させた。 晩年には、「平和は外交だけでは維持できない。相互理解を進める人間を育てる必要がある」として、「教育による平和」にも力を入れた。「異なる国・宗教・階層の若者を一緒に学ばせることで紛争を防ぐ」ことこそが「国際秩序の長期的安定装置」につながると、ピアソン・カレッジの設立を目指した。完成を見ずに亡くなるが、その教育精神はピアソンの「遺志」として現在も同校に受け継がれている。 半世紀近く国際人道支援に携わるカナダの友人は、「(同校の)地元に住んでいると話すと、自分もそこで学んだと言う人が多くて驚く。直近では、昨年の国連総会で会ったナミビアの外交官がそうだった」と語る。 マーク・カーニー首相は今年1月、ダボス会議で「米国主導の国際秩序は崩壊しつつあり、中堅国が連携して新しい秩序をつくるべきだ」と提唱して脚光を浴びた。人権・法の支配を遵守しつつ現実のパワー政治にも対応するという、ピアソンのレガシーを引き継ぐ新たなリアリズムとして歴史を刻んでいくのか。要注目だ。2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-ピアソンのレガシー」から引用 この記事を読むと国連PKOの基になる組織の創設を提案し実現したレスター・ピアソン氏の活動は、正にノーベル賞に値する重要なレガシィであったことが分かります。当時はアメリカはまだ若い国で、英国・フランスが国際社会で大きな顔をしていたことが分かり、新興国のイスラエルはどこか大国が自分の味方になってほしいので、英国・フランスがコトを起こすとすぐさま助太刀に参上するという「姿勢」は今も同じで、今では英国・フランスに代わってアメリカがその「地位」にいる、というのが実情かと思います。しかし、そのアメリカも、上の記事が末尾で触れているように、アメリカ主導の国際秩序は崩壊しつつあるので、これから先、中堅国が連携して新しい秩序を作った場合、イスラエルは現在のようなアメリカとの「悪事も共有する」ような関係を、アメリカ以外の国と構築するのは難しくなるのではないか、そして、その方が平和で平等な世界を築く上で環境が整うというものではないかと思います。
2026年04月20日
市民団体が設置した「憲法九条の碑」の除幕式に出席した元文科官僚の前川喜平氏は、5日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 4日午後、東京都町田市に完成した憲法九条の碑の除幕式が行われ、僕も参加した。設置されたのは野津田公園南口付近。社会福祉法人「共働学舎」が場所を提供した。 碑に描かれた絵は、町田市在住の絵本作家・長谷川知子さんの作品だ。背中に葉っぱの羽根を持ち、ほうきに乗って空を飛ぶ少女たち。「ほうき」は戦争の「放棄」を意味している。とても明るく可愛い絵なのだが、少女たちの表情には不退転の決意が宿っている。 絵の下には憲法第9条の条文が書いてあり、右側のもう一つの碑には、設置者「町田に憲法九条の碑をつくる会」のメッセージとともに、町田市在住の音楽家ひろこさんが詩と曲を書いた歌「ほうきの約束」の歌詞が刻まれている。「放棄の約束をわたしは守る。わたしたちは守る」。とても易しくて優しい歌なのだが、その歌詞にも不退転の決意が込められている。 記念講演をした国際ジャーナリストの伊藤千尋さんは全国の九条の碑を見てきたそうだ。1985年に沖縄県那覇市に建てられたのが最初で、町田の碑は79番目。近年急速に増え、おととしは15力所、去年は25カ所にできたという。世界で起きている戦争と9条改変に向かう政治の動きへの危機感の表れだろう。九条の碑は、戦争を憎み、改憲に反対し、人類の理想を追求する人たちの拠り所なのだ。(現代教育行政研究会代表)2026年4月5日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-町田憲法九条の碑」から引用 町田市に設置された「憲法九条の碑」が79番目とは驚きの数字であるが、最初の「碑」が沖縄県で設置されたときはメディアも取り上げて、それなりに世間の「話題」となったのであったが、なぜかそれ以降はニュースとしての「価値」がないと見なされたのか、そんなにあちこちに設置されているとは知らなかった。憲法順守が義務付けられているはずの高市政権は憲法改正の準備を着々と進めており、それを問題視して報道するメディアは「しんぶん赤旗」くらいのもので、他の商業新聞は論説でこそ一応は批判的な文章を掲載しているが、憲法改正は戦争への準備であり、阻止するべきだという「論調」を前面に堂々と表明する新聞がないというのは、結果的に「改憲派のやりたい放題」をいう状況を作り出してしまう。この先、「憲法九条の碑」が100個になり、120個になっても、果たして「改憲勢力をしのぐほどの多数派」を作り出せるのかどうか、甚だ疑問に思う次第です。
2026年04月19日
原子力発電で使用した核燃料は火力発電で使用した燃料と違って、使用後も数千万年にわたって熱や放射線を出し続けるので、使用済みと言ってもその辺に放置するわけにはいかず、すべて水槽に入れて加熱しないように対策を施して保管する必要があり、全国の原発の工場内には使用済み核燃料の一時保管プールが用意されているのであるが、その一時保管プールが数年以内に満杯になるという問題について、2日の朝日新聞は次のように報道している; 原発を動かした後に生じる使用済み核燃料が各地で増え、燃料プールなどでの保存可能量の上限に近づいている。国内最多の3カ所7基の原発を動かす関西電力は状況が厳しく、このままいくと2028年度にも一部の原発で満杯となる恐れもある。◆関電、28年度にも上限の恐れ 原子炉から取り出された使用済み核燃料は熱を持ち、放射線量が高い。そのため、近くにある燃料プールの水の中につけ、冷やしつつ放射線を遮るかたちで保管されている。 電力大手でつくる電気事業連合会が2月に出した、25年末時点の実績によると、廃炉が決まっている東京電力福島第一などを含む国内の17カ所の原発にある使用済み核燃料は、すべての燃料プールなどの保存可能量の78%に達した。 原発ごとにみると90%超が福島第一、関電大飯(福井)、80%超は関電の高浜(同)と美浜(同)、九州電力の川内(鹿児島)と玄海(佐賀)、東電柏崎刈羽(新潟)など8原発だった。約5年単純に運転したと仮定した場合、大飯、高浜、柏崎刈羽の3カ所が上限に達するとした。 このうち、柏崎刈羽の分については、冷めた使用済み核燃料を原発の敷地外で一時的に保管する「中間貯蔵施設」が青森県むつ市にあり、東電は搬出を始めている。 ただ青森県の宮下宗一郎知事は3月31日、中間貯蔵施設からの最終的な受け入れ先となる同県六ケ所村の再処理工場の完成が遅れているとして、現時点では26年度の使用済み核燃料の受け入れを容認しないとの考えを示した。 関電は、搬出ができずにいる。冷めた使用済み核燃料を、水を使わずに保管できる「乾式貯蔵施設」を3原発内で計画中だが、完成していない。このまま原発を運転しつづけると、高浜で28年度ごろ、美浜で29年度ごろ、大飯が30年度には施設が満杯になり、運転できなくなるとしている。 約10年前の電事連の15年9月末のデータと比べると、関電の3原発はいずれも、保存可能量に対する実際の貯蔵量が20ポイント以上上がっている。増加幅は17カ所の中で最も高かった。◆再処理計画進まず「目詰まり」 各地でこれほどたまっているのは、使用済み核燃料を再利用しようとする国の計画が順調に進んでいないためだ。 国や電事連は、使用済み核燃料を、六ケ所村の再処理工場に運び、再び原発で使えるようにしたいとする。だが、工場は93年の着工後、完成の延期を重ねている。行き先がなくなり「目詰まり」が起きている状態だ。 関電は28年度からその工場に、福井の原発の使用済み核燃料を運び入れる計画を立てているが、工場の完成や処理の開始が少しでも遅れれば、その分だけ影響が出る。 関電はまた、27年度から再処理を委託するフランスの原子力企業へ搬出するほか、30年ごろには福井県外に中間貯蔵施設をつくって操業させるとしている。 山口県上関町で中国電力が計画している施設が有力視されているが、周辺自治体などから反発が起きている。(野口陽)2026年4月2日 朝日新聞朝刊 13版S 7ページ 「核燃プール、近づく満杯」から引用 原子力発電は未来を拓くなどという宣伝文句があったが、これは根拠のないデマのようなもので、火力発電や水力発電に比べて素人目には高度な科学技術を応用したように見えて、実はまったく効率の悪い発電装置であり、その上、使用後の燃料物質が無害化するのに数千万年かかるという「大問題」を抱えた発電方法である。60年代70年代に原発事業をスタートさせた頃は、使用済み核燃料の問題はそんなに遠くない将来に新しい技術が開発されて、すべて解決されるはず、という安易な見込みでスタートしたのが間違いの始まりであった。その後、確かに使用済み核燃料を再加工して新しい核燃料にする工場を青森県六ケ所村に建設し、20年ほど前に一端完成したと言われたのであったが、試運転の度に不具合が出てきて、以来数年置きに「完成」の予定が先延ばしされて、今もまだ未完のままであり、その再加工燃料を燃やして発電するはずだった「もんじゅ」も、いろいろな不具合が続出していつの間にか廃炉になってしまっている。電力会社は、このようにして原発事業に多大な資本を投下しているが、その「資本」とは我々消費者が支払った電気料金である。無駄な原発などにつぎ込まずに、堅実な再生可能エネルギーに投資していれば、今頃は電気料金もかなり安価になっていたはずなのに、よくみんな、おとなしくしていられるなぁ、と思います。
2026年04月18日
もともとはテレビ・タレントだったラサール石井氏は、自民党政治を批判する発言が祟って、どのテレビ局も出演させてくれなくなったため、タレント業を辞めて参議院選挙に出て、今は参議院議員になっている。その石井議員が70年代に流行った反戦歌を歌ったことについて、元文科官僚の前川喜平氏は3月29日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「X」を見ていたら、ラサール石井さんがギターを抱えて「戦争は知らない」を歌う動画があった。僕も高校生のころよく歌った。石井さんの歌は決して上手とは言えないが、気持ちが伝わってきて不覚にも涙が出た。 明日結婚する20歳の女性が戦死した父を想う反戦歌。歌詞を書いたのは寺山修司だ。「戦で死んだ悲しい父さん」。そうなのだ。戦争で死ぬことは悲しいことなのだ。 石井さんや僕の高校生時代、アメリカはベトナム戦争という愚かな戦争を続けていた。「風に吹かれて」「花はどこへ行った」「悲惨な戦争」「イマジン」などの反戦歌が世界中で歌われていた。 25日に2万4千人が国会前に集まったという「平和憲法を守るための緊急アクション」。僕もペンライトを持って参加したが、石井さんもその中にいたそうだ。心強く思ったのは若い人たちがたくさん来ていたことだ。 各地の「九条の会」は今かつてない危機感を抱いて活動しているが、共通の悩みは若い世代と繋からないことだ。しかし国会前では世代を超えて「戦争反対。9条守れ。戦争反対。過去に学べ」と声を上げた。僕の世代も戦争は知らないが、学ぶことはできる。学べば反省と決意が生まれる。それは世代に関係ない。 歌には世代を繋ぐ力がある。一緒に「戦争は知らない」を歌ったらきっと楽しいだろう。(現代教育行政研究会代表)2026年3月29日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-戦争は知らない」から引用 「戦争は知らない」という歌が流行ったとき、私は秋田の高校を卒業して、東京都練馬区の下宿から神田神保町にある大学に通っていた。その下宿というのは、当時の国鉄を定年退職した人が、大学生の下宿用に自宅の二階に三畳間を三部屋作ってあって、私の隣の部屋の学生はギターを引きながら「戦争は知らない」をよく歌っていたのを、上の記事を読んで懐かしく思い出した。あの頃は、日本大学では経営陣の不正な経理問題とか、東京大学医学部の学生の政治運動に対する不当な弾圧問題などが火種となって、全国の大学に全共闘運動が広がったり、毎週日曜日の公園は「べ平連」の集会があり、集会の後は明治公園から日比谷公園までデモをするのが「お決まりのコース」だった。私は、あの頃の学生運動が憲法9条を今日まで守り通すことに貢献したと思うし、現代の若者もこれからの数十年間、憲法を守り通していくために力を発揮してほしいと思います。
2026年04月17日
事実上の同性婚で暮らす人たちはパートナーが病気で入院したときに家族としての見舞いを病院が認めようとしないとか、パートナーと死別した際の遺産相続が認められないという「不当な差別」があるため、近年では日本中のあちこちの自治体で、「パートナー制度の導入」というような「工夫」が試みられているが、それと同時に現行の民法が「同性婚を正式な婚姻関係ではない」としている部分は憲法違反だという観点からの訴訟も、全国各地で起こされて、次々と勝訴している。ところが、唯一、東京高裁だけは「同性婚を認めない現行の民法は合憲である」との判決を出したため、全国の法学者60名がこの東京高裁判決に対し抗議声明を出したことを、3月29日の東京新聞は、次のように報道している; 同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反だとして、2019年以降に全国の同性カップルらが国を訴えた「同性婚訴訟」。計6件の控訴審判決で唯一「合憲」とした昨年11月の東京高裁判決に、60人の法学者有志が連名で抗議声明を出した。最高裁は、26年度中にも初の憲法判断を示す見込みで、声明の呼びかけ人の一人で愛知大の大野友也教授(憲法学)は「当事者の思いをくんだ判断を」と話す。(奥野斐) 声明は大野教授に加えて、いずれも憲法学が専門の室蘭工業大大学院の清末愛砂(あいさ)教授と東海大の永山茂樹教授の3人が呼びかけ人となってまとめ、法社会学や刑事法など幅広い分野の50人以上の法学者が賛同。3月に公表した。大野教授は、本来人権を保障するための憲法の前文を、逆に人権を制限する方向で用いた判決だとし「憲法に対する侮辱だ」と憤る。 札幌や名古屋など先行する5高裁判決で違憲の判断が続く中、東京高裁は昨年11月、同性婚を認めない現行制度について高裁初の合憲判断を示した。「ちゃぶ台返しみたいな判決で驚いた。違憲判決を前提に、どの論点で違憲を導くのかが焦点だと考えていたので、合憲判決は想定外だった」 声明では、合憲とした理由付けに問題があると指摘。特に、憲法前文の使い方に疑問を投げかける。 判決は、同性婚を認めなくても、法の下の平等を定めた憲法14条1項に違反しないという文脈で、憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)この憲法を確定する」とする箇所を引用。国家は世代を超えて維持されることを前提とするため、男女の夫婦とその子どもの家族を想定して婚姻制度を設計することが合理的だ、との結論を導いた。 同様に前文を用いて、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」などと定めた憲法24条の「婚姻の権利」の射程を狭めていることも、看過できないという。憲法24条は同性同士の結婚を、男女の結婚と同じ制度で保障することを予定していないのだから、差別的な取り扱いにならない、との主張だ。 大野教授は「都合のよい解釈で、怒りや失望がわいた。憲法は人権を保障するためのもので、憲法で権利を制限するというのは本末転倒だ」と語る。 また、判決には「論点ずらし」もあると指摘する。「同性婚を認めないこと」の合理性を問う裁判なのに、異性婚制度の合理性を逆に強調している点だ。男女の結婚を前提とした規定について、「一の夫婦とその間の子」の結合体を、社会の基礎的な構成単位となる基本的な家族として想定するものだとしている。 大野教授は「あたかも原告らが異性婚制度自体を違憲と主張しているかのように述べ、当事者の主張と向き合っていない」と批判。実際の社会にはすでに多様な家族が存在しており、「判決はこうした人たちを突き放しているように見える」と話す。 最高裁は今月25日、審理を15人の裁判官による大法廷に回付し、早ければ26年度にも統一判断が出る見通しだ。大きな節目を前に、大野教授は「最高裁が合憲判決を書くハードルはかなり低くなったと思う。だが、他の5件の高裁判決が違憲としている事実を見てほしい」とくぎをさす。 提訴以降、自治体の「パートナーシップ」制度は広がり、複数の世論調査でも同性婚への賛成割合は高まっている。「東京高裁の合憲判決でさえ、今の憲法で同性婚を認めたら憲法違反だとは言っていない。憲法学者の大半は憲法改正せずに、同性婚の法制化は可能との主張だ」と説明。「同性婚を認めても誰かが損することはなく、幸せな人が増えるだけだ」と強調した。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「同性婚認めぬ判決『憲法侮辱』」から引用 同性婚の問題が裁判沙汰にまでなった原因(?)は憲法24条の条文が「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」となっているため、同性婚を認めないという従来の「考え方」の根拠は、「憲法に『両性の合意』と書いてあるから、これは『男と女』という意味なのだ」というものであったが、ほどなく「正しい憲法解釈は昔の、親が承諾しない婚姻は無効という古い制度を否定することが目的の条文であって、同性婚を除外したり差別するのは現行憲法の意図するところではない」という真面な憲法解釈が、広く世間に行き渡った結果、各地の自治体窓口で「パートナーシップ制度」の導入が行われたというのが現状であり、同性婚を認めていない現行の民法は速やかに改正するのが国会の仕事であることを、私たちは理解し国会議員に民法改正を働きかけていく必要があると思います。
2026年04月16日
元外交官で駐イラン大使の職歴を持つ斉藤貢氏は、イラン vs アメリカ・イスラエルの紛争の解決に向けて日本がどのように行動するべきか、3月9日付け東京新聞で、次のように述べている;■米・イラン双方のメンツ立う仲介、準備を 米国とイスラエルがイランに先制攻撃してから、28日で1ヵ月となった。今後の戦況の見通しや、期待される日本の役割について、斉藤貢・元駐イラン大使に聞いた。(聞き手・近藤統義) 米国は、最高指導者を殺害すればイランのイスラム革命体制はすぐ崩壊するとみて、拙速に攻撃を始めたと言わざるを得ない。軍事衝突でかなわないイランは、ホルムズ海峡の事実上の封鎖など「石油カード」を切った。米国内のガソリン価格は高騰し、11月に中間選挙を控えるトランプ政権への圧力になっている。 現状では米国とイスラエルは手詰まり状態で、イランは自らが優勢とみているはずだ。双方が戦闘終結に向けた条件を提示したが、互いにのめる内容ではなく、継戦宣言にも読める。中東政治ではメンツが重視される。イランは、つぶされたメンツを回復させない限り抵抗を続けるだろう。 トランプ米大統領は5月14、15日に延期した訪中までに戦争を終わらせたいだろうが、停戦交渉が難航すれば米軍の地上作戦もあり得る。イランの原油積み出し拠点であるカーブ島の占領などが考えられるものの、イラン側の徹底的な反撃でかえって戦況が泥沼化するリスクもある。 日本は厳しい東アジア情勢を踏まえ日米同盟強化を重視しているため、近年はイランとの関係は薄まっている。それでも、イランにとって西側先進国で頼れるのは日本くらいだ。年明けに会ったあるイラン政府関係者は、米国との緊張緩和に日本への期待を語っていた。日本が動けば、イランは余計なお世話だとは言わないはずだ。 米・イランの緊張が高まった2019年、トランプ氏の依頼で安倍晋三首相(当時)がイランを訪問し、ハメネイ師と会談した。私も大使として携わった。結果としてうまくいかなかったが、日本独自の外交努力だった。現在は戦争のさなかで当時より難しい状況だが、米・イラン双方のメンツが立つような頭の体操はしておくべきだ。<さいとう・みつぐ> 1957年生まれ。80年、外務省入省、2015年に駐オマーン大使、18~20年に駐イラン大使を務めるなど、駐在した中東の国は7力国に上る。24年から関西学院大客員教授。著書に「イランは脅威か」がある。2026年3月29日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「西側でイランの頼りは日本」から引用 斉藤氏はさすがにイランを含む中東諸国の大使を務めた人らしく、中東の人々の気風やもの考え方をよく理解できている様子で、イランが多少とも日本を頼りに思っているのであれば、日本からも何か気の利いた言葉でもかけてあげれば良さそうなものだが、訪米から戻った高市早苗氏は、イラン政府に電話をかけて、何を言うのかと思ったら「ホルムズ海峡を通過する船舶から通行料を取るのはおかしい。公海なのだから、どこの船舶も無料で通れるはずだ」などと、アメリカと戦争状態にある国の政府に、わざわざ電話して、中学生の屁理屈のような話をするというのも、いかにも高市早苗氏らしい知的レベルのお粗末さを露呈していた。この調子では、この先もろくなことにはならないのだから、適材適所の観点からも早めの政権交代が、国のためだと思います。
2026年04月15日
アメリカとイスラエルが3月にイランを攻撃する陰謀は、1月に既に出来上がっており、イランに隣接する湾岸諸国に「安全保障」の名目で駐留していた米軍は、イスラエルと組んでイラン攻撃した場合、これら湾岸諸国に駐留している米軍が仕返しの標的になることを計算に入れて、早々と1月半ばにはこれら湾岸諸国の基地からアメリカ本国に撤退していたのであったが、そのような米軍の行動について、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月28日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 「何の権利があって、我々を戦争に引きずり込んだのか」。UAEの億万長者ハラフ・ハブトウールはSNSの投稿で、トランプを名指しして強い言巣で非難した。米国とイスラエルがイランを攻撃した結果、米軍基地があるクウェートやカタールなどの湾岸諸国がイランの「報復攻撃」にさらされ、エネルギー産業をはじめとするインフラが重大な被害を受ける中、人々の怒りはイランだけでなく「米国の裏切り」にも向けられている。 すでに1月には、米軍が一部人員を湾岸の基地から撤退させていると報じられていた。いざという時には抑止力にも盾にもならない米軍に、湾岸諸国は巨額の富を浪費してきたのかという声が広がるのは当然だ。ある識者は、「米国の裏表外交を熟知するはずの湾岸諸国が、愚かにも米国の冷たい胸で暖を取っていた」と指摘。さて私たちは「日本は別格」と自信を持って言えるだろうか。トランプにとっては湾岸諸国の方がずっと儲かる同盟国だ。彼らを二重に裏切ったトランプの胸に飛び込んで(ハグとは呼べない)ご機嫌を取っても日本の安全保障にはならないというのが今回の教訓ではないか。米軍の盾を自らの力と錯覚し、財力と人口と軍事力で敵わない隣国を刺激するのが「したたかな外交」か。誰も攻める理由がない日本の確立こそ「したたかな外交」ではないのか。(文筆家)2026年3月28日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-米軍は守ってくれない」から引用 日本のあちこちに点在する米軍基地は、本来「東西冷戦」の頃にスターリン主義のソ連が共産圏と称する地域を拡張する政策をとっていたことに対抗して、韓国と日本を「防波堤」とするために軍事基地を置いたのであったが、その東西冷戦が終わった今となってはせいぜい活動範囲を広げたがっている中国の海軍に睨みを利かせる程度の意味合いしかなく、日本を防衛するために米軍基地を置いているなどというのは、勝手な独りよがりであり、何か東アジアの雲行きが怪しくなれば、米軍は中東と同じように、さっさと撤退するであろうことは容易に想像できます。高市首相は就任早々に「台湾有事は日本の有事」などと失言したが、その言い訳に「台湾有事の場合は、台湾在住の邦人を救出する必要があり、その業務を米軍に任せきりにして自衛隊は派遣しないなどというわけにはいかない」とも発言していましたが、その発言に対して新聞は、数か月前の米国防総省の高官の発言として「台湾有事の際に米海軍の艦船が民間人の安全確保に協力することは、米軍人の安全が損なわれる危険があるので、そのような協力はあり得ない」と言明したことを報道していた。したがって、高市首相は台湾有事の際に自衛隊を出動させるつもりかも知れないが、米軍の協力は一切当てにならないのが「現実」であることを私たちは認識するべきです。高市氏のような軽率な認識では、この先の日本の舵取りはかなりの「危険」がともなうことも、国民は深刻に考えるべきです。
2026年04月14日
80年代に人気を博したテレビドラマ「北の国から」の再放送を機会に、シリーズ全話を鑑賞した毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、3月28日付同紙コラムに、次のように書いている; テレビドラマを見る習慣がない。昨年、フジテレビが不祥事の埋め合わせか「北の国から」を再放送し、途中の一話を偶然見た。 それで思い立ち、子供たちの成長につれ数年おきに放映されたスペシャル編を含むシリーズ全話を、数カ月越しで鑑賞した。 初見なのに懐かしい。まさに国民的ドラマ。登場人物たちの育ち老いる歳月を、視聴者が共に過ごした希少な実験的放送である。 連続ドラマの開始は1981年。シリーズ打ち切りが2002年。バブル経済前夜から「失われた30年」の前半に当たる。 バブル自体は描かれず、都会に背を向けた家族の原野暮らしが、この国で起きたあらがいがたい変化を映し出す。時代の構造と心。その陰画を見るようだ。 登場人物一人一人も「国民」だ。数えると、純と蛍は団塊ジュニア、就職氷河期世代。就いた職業はゴミ収集と看護師。汚れた町と病んだ人の世話をする。 ドラマは今やタブーの男らしさや女らしさが当たり前。今の若者は変に思うだろう。でも心なしか人間関係に潤いがある。社会は進歩すると干からびるのか。 全編を通じ正直さが、物語の重要な推進力になっている。黒板五郎も純も蛍も、正直であることを大切にし、でもウソをつく。気に病み、言動がもつれ、誤解と争いと和解が劇を織り成す。 共感されたのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ。政治指導者への評価やSNSの交信で、今の私たちはそんな正直さをとうに手放している。 進歩により得るものと失うものは釣り合っているだろうか。 脚本家の倉本聰氏は、ライフワークで書き継ぐつもりだったから、放映打ち切り後も方々で、その後の構想を明かしている。 蛍は消防士の夫と福島県に住み、東日本大震災に襲われ、夫は行方不明になる。純は福島第1原発事故のがれき処理に従事し、国家の後始末に組み込まれる。 五郎はますます社会から離れ、自然と一体化して姿を消す。もはや国民でもない存在か。 幻の「北の国から」も、個人と国家の関係を、原野の家族の小さな人生が問いかけてくる。 倉本氏はドラマの舞台の地で、俳優・脚本家養成の「富良野塾」を四半世紀運営した。塾生にアンケートで生きるのに必要な物を尋ねたら、上位は水・ナイフ・食料。数人が「人」と答えた。 テレビ局が東京・渋谷で都会の若者に質問したら、カネ・携帯電話・テレビだった。今は三つ、スマホ1台で済む。(専門編集委員)2026年3月28日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-45年目の『北の国から』」から引用 ドラマ「北の国から」が人気を博した時代は、まだジェンダー平等などと問題提起がなされておらず、一つ家の中では「夫唱婦随」が常識としてまかり通っていたのであったが、ドラマを鑑賞してそういう時代を思い出した筆者は「社会は進歩すると干からびるのか。」などと書いている。しかし、それはとんだ勘違いというもので、男が威張って女を自分より下に見る社会の「潤い」などというものは幻想に過ぎないと思います。そして、ドラマを見て共感したのは、正直さがそれだけ規範力を持っていたわけだ、と過去形の表現にしているが、「正直さが規範力を持っている」のは今も昔も変わっていないはずであり、現代の社会で「ウソ」がまかり通っているのは、メディアが政治家の「ウソ」を追及しないでお追従してきた結果、そうなっているだけであり、私たちはいつまでもそのような「不正」を放置しないで、いつかは人々が不正な政治家を追放する闘い立ち上がるときが来ると、私は期待しております。
2026年04月13日
高市首相がトランプ大統領に「自衛隊をホルムズ海峡に派遣すること」を約束させられることもなく訪米を終えたことを、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 日米首脳会談を終え、高市首相はホルムズ海峡への自衛隊派遣をひとまずトランプ大統領に(表向きは)約束させられることなく帰国した。 現地での首相の言動は褒められたものではなかったが、この会談の注目ポイントは平和憲法の価値が爆上がりしたことだろう。首相は「日本には憲法9条の制約がある」と説明したそうで、要は憲法が日本を守ったという話。9条久々のクリーンヒットである。 それで思い出すのは、1990年の湾岸危機の際、憲法9条の制約を掲げて中東への自衛隊派遣を拒否した海部首相だ。日本は多国籍軍に巨額の資金援助をしたが、後に人的貢献をしなかったことが批判され、停戦後、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣。結果的には自衛隊の海外派遣への道が開かれた。しかしともあれ海部氏は真正面から9条を盾にした。 高市首相の場合はどうか。「今は憲法9条の制約があるが、近いうちに憲法は必ず改正するから期待してくれ」。これが彼女の発言意図ではなかったか。トランプ氏が上機嫌だったのも、米国連大使が「日本の首相が自衛隊による支援を約束した」と述べたのも、ならば一応辻褄は合う。 実際、日米会談後、自民党は改憲への動きを加速させている。焦るのは勝手だが、誰のおかげで最悪の事態を回避できたのか、よーく考えてもらいたい。(文芸評論家)2026年3月25日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-9条の制約」から引用 この記事が言うように、高市訪米が「自衛隊出動」の約束をさせられることもなく済んだのは事実であるが、その裏側では、高市氏自身は訪米に当たって「自衛隊をホルムズ海峡に派遣するべきだ」と本気で考えおり、その旨トランプ大統領に約束するつもりで、首相官邸で取り巻きの官僚にその旨相談したところ、今井補佐官から「そんなことは、あってはならないことだ。何を考えているんだっ!」と一喝されたのだったという「内幕」を月刊誌「選択」が報道しており、高市早苗という女は自分の保身のために自衛隊の隊員の命など歯牙にもかけない非常識な人物なのだという「実体」が明らかになったのであった。このような人物を首相の座に置くことは、この先日本にどのような「災い」がもたらされるか分からない、実に危険な状態になっていることを、私たちは真面目に考えなければなりません。一日も早く彼女を首相の座から引き下ろすべきだと思います。
2026年04月12日
新年度の予算編成期という貴重な時間をつぶして、さしたる争点もないのに衆議院を解散した高市政権は「たなぼた」式に獲得した戦後最多の議席数にものを言わせて、記録的短時間で政府案の衆議院通過を実現し、あわよくば年度内成立を目指す姿勢を見せていることについて、神奈川大学教授の大川千尋氏は、3月22日付神奈川新聞に、次のように書いている; 戦後最短の短期決戦で自民党が圧勝した衆院選後の特別国会が、前半のヤマ場を迎えている。高市早苗首相は来年度当初予算案の年度内成立にこだわり、与党は衆院の審議時間を大幅に短縮、論戦の場は参院に移った。「数の力」を推進力とする政治に、どう向き合うか。神奈川大の大川千寿教授(政治過程論)に解散総選挙や国会運営、有権者の持つべき視点について聞いた。(構成・竹内瑠梨)■ぼやけた争点 高市首相は高い支持率を背景に、衆院議員任期の3分の2を残して解散総選挙に踏み切り、野党側は慌てて中道改革連合を結成した。争点がぼやけた中、有権者にはプロセスが見えず、政策評価よりも「高市首相に任せてみよう」という形になったのではないか。 首相に関する投稿や動画が数多く発信され、イメージや印象が選挙戦で大きく左右した面もあっただろう。政治不信が強まり、国や世界の先行きが見通せない中、「期待感を持てること」を有権者がポジティブに評価した面がある。 有権者が十分な判断材料を持ち、熟慮の上で貴重な一票を投じることは健全な民主主義に不可欠だ。しかし、今回の衆院選では、その機会が十分に与えられなかった。与党も野党も反省すべき点だろう。 自民は神奈川や東京など31都県の小選挙区で全候補が勝利し、新人議員も多く誕生した。与党が圧倒的多数の議席を獲得した事実は重いが、数の多さだけで計れない多様な利害を調整し、社会全体の利益・結論を見いだすのが政治だ。民意をどう受け止め、政策や法案につなげていくか、より重い責任を負っている。■審議時間短縮 高市政権は来年度予算案の年度内成立を目指し、審議時間を短縮した。国会日程は与野党合意を基本としてきたが、衆院予算委員長は12日間の日程のうち7日間を野党の合意を得ずに職権で決め、質疑時間も昨年の92時間から59時間に減らした。首相に代わり閣僚が答弁する場面も多かった。 これまでの与党は少数派に配慮しながら国会を運営してきた面があった。そもそも予算案の審議入りが遅れたのは、首相が衆院を解散した影響だ。一般会計が総額122兆円と過去最大となった予算案は熟議がより必要で、首相が丁寧に語ることが重要だ。圧倒的多数を得て、政治的責任がより増している中、議論を短縮させる振る舞いが、健全な民主主義という観点から妥当なのか。有権者はバランス感覚を持って注視していることを忘れてはならない。■政治と推し活 高支持率の高市内閣は、世論が今まで以上に政治を左右するとの見方もできる。有権者が果たすチェック機能は重要性を増している。選挙だけが政治参加の機会ではなく、日常的に政治のプロセスをチェックし、身近な人と政治を語り、考えを持つことが重要だ。 考えたいのは「政治と推し活」だ。選挙を「推し活」と重ねる言説があるが、アイドルなどの推し活とは異なる。「推した人」の政策や政治の結果が、有権者の暮らしに直結して返ってくるからだ。 特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか。その中で野党の批判が揚げ足取りのように捉えられている風潮も感じる。だが、批判なき自由な社会はない。相手を尊重し、臆せず議論することで良い道が見えることもあり、健全な批判のあり方を有権者も政治家も改めて考えたい。 多くの有権者の情報源となるSNS動画の収益化規制も課題だ。フェイクを含めた内容が収益目的で発信されることを防ぐ選挙期間の規制には賛成だが、大切なのは有権者が十分な判断材料を得られる環境づくりだ。選挙期間中のマスメディアの情報発信のあり方も含め、総合的に考えていく必要がある。<おおかわ・ちひろ> 1981年生まれ。神奈川大学教授。専門は政治過程論。熊本大学特任教授などを経て現職。著書に「つながるつなげる日本政治」など。2026年3月22日 神奈川新聞朝刊 2ページ 「衆院選後の政権運営-有権者の役割、より重く」から引用 衆議院選挙が自民党をダントツの最大与党にする結果になった後、高市政権についてメディアは「予算の年度内成立にこだわっている」と盛んに報道していたが、あの報道は知らない者には「高市首相は国民のためを思って、予算案の年度内成立を実現したいと熱心なのだ」ととんでもない誤解を招く報道だったと思います。高市氏が年度内成立にこだわるフリをしていたのは、「高市のせいで、予算成立が年度をまたいでしまい、暫定予算のせいで中小企業はこんなに困っている」という風評が広まることを警戒して、先手を打つつもりで「予算の年度内成立」などと心にもないことを言い立てているに過ぎない、という「ポイント」をこそ、メディアは批判するべきだったと思います。それにしても、上の記事では「特に若年層は目の前の生活や将来の不安が根本的な問題としてあり、政治に現実的解決策を求める価値観が強まっているのではないか」と、大学生相手に政治過程論を講義している先生らしい見解が述べられているが、私は、目の前の生活や将来の不安を抱えて政治に現実的解決策を求める若者が、選挙に当たって「押し活」投票をするとは考えられず、むしろ、「押し活」投票をするような人たちに対して、「自分たちが抱えている問題を解決してくれるのはどの候補者か、を考えて、この人だと思った人に投票するのが『選挙』なんだよ」という「教育」をしてあげるのが、先に大人になった我々の役目なのではないかと思います。
2026年04月11日
核兵器開発を止めるための話し合いを継続すると見せかけながら、突然イランを空爆したアメリカとイスラエルの仕業を一向に批判しようとしない高市政権を、日本のメディアはどのように論評したか、弁護士の白神優理子氏は3月22日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルによるイランへの先制攻撃について、高市政権は評価を避け、批判していません。各紙社説は-。 「日経」(6日付)は「高市早苗首相はベネズエラのときと同じく、今回も法的評価を避けている・・・ルールに基づく秩序の維持を訴えてきた日本が、国際法違反の疑いがある今回の攻撃を支持するわけにはいかない」と批判します。 「読売」(3日付)も「世界各地で力による衝突が繰り広げられかねない。・・・米国の振る舞いが『法の支配』を傷つけ、国際社会を不安定化させることへの日本の憂慮を伝えるべきだ」とします。 一方「朝日」(2日付)は米国を批判はしますが、高市政権は批判せず「邦人保護に全力をあげるとともに、戦争を終わらせるための外交努力も怠ってはならない」というだけです。「毎日」(10日付)も「早期収拾を働きかけるべきだ」とするのみです。 「産経」(3日付)は「米国を指弾するより、イラン攻撃が世界情勢や日本の安全保障に与える影響を分析し対応したい」と米国擁護の姿勢です。 地方紙は多くが明確に高市政権を批判。「トランプ氏の暴走を戒め、平和的解決に力を尽くすことこそ、首相の掲げる『責任ある日本外交』ではないか」(北海道新聞3日付)、「このままトランプ政権の身勝手な武力行使を許し続ければ、二重基準のそしりを免れない。・・・それは日本の国益に反するのではないか」(山形新聞4日付)、「米国の一方的な攻撃に沈黙を守れば、世界で頻発する『力による現状変更』を非難する根拠を失い、いずれ日本に被害が及ぶ危険性もある」(「東京」5日付)。「武力に訴えた米国を批判もいさめもしないのは理解に苦しむ」(京都新聞2日付) 世界大戦への痛恨の反省から定められた国連憲章、国際法と憲法9条に立脚した報道こそ求められています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2026年3月15日・22日 合併号 35ページ 「メディアをよむ-先制攻撃批判こそ必要」から引用 日本が以前から国際社会においてはルールに基づいた秩序の維持を訴えてきたとは、私はあまり聞いたことがない気がします。そう言われれば、時々は聞いていたのかも知れないが、聞いても「外交辞令であり、いつもの決まり文句に過ぎない」といった認識だったせいかと思います。しかし、外交辞令であっても、いつもそのように発言していたのであれば、筋を通すことは必要だと思います。それにしても、新聞各紙が上のような論調の記事を掲載して2週間ほど経ってから訪米した高市氏は、「法の支配」の「ほ」の字も言わず、それどころか「世界に平和をもたらすことが出来るのはドナルドだけ」などと、事実とまったく反対のことを口走る高市氏の異常な言動は、メディアは問題視する必要があると思います。高市氏があのようにトランプに媚びるのは、そうしないとかつての田中角栄氏のように、一度睨まれると首相の座から引きずり降ろされるという「恐怖」を抱えているからなのではないか、という「観点」から論評する記事もあっていいのではないかと、私は常々考えてしまいます。
2026年04月10日
消費税は社会保障費の財源だから引き下げは出来ないという説はデマであることを、立正大学法制研究所の浦野広明氏は、3月22日の「しんぶん赤旗」で、次のように説明しています;◆「社会保障のため」は机上の空論 消費税は「社会保障に使われる」から引き下げはできないとよく言われます。 2022年6月のNHK「日曜討論」で、自民党の高市早苗政調会長(当時)は「消費税が法人税の引き下げに流用されているかのような発言があったが、全くの事実無根。消費税は法律で社会保障に使途が限定されている」と述べました。 政府は消費税が社会保障に使われていると国民に宣伝するため「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」と規定しました。(12年改定消費税法1条2項の概要) ◇ ◆ ◇ しかし、こんな規定は何の足しにもなりません。税は普通税と目的税とに区分されます。目的税は特定の経費に使う税ですが、普通税は特定の経費に使うのではなく、経費一般に使う税です。消費税は普通税ですから、「年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するため」という規定を付け加えたところで、机上の空論にすぎません。 日本共産党の小池晃書記局長は「これまでの消費税収が539兆円となる一方で、法人3税(法人税、法人事業税、法人住民税)は318兆円、所得税、住民税は295兆円の減収」だと指摘し、化けの皮を剥いだのでした。(参院財政金融委員会、25年3月) 消費税・地方消費税は、租税分類上「一般消費税」といいます。一般消費税は、広範囲な商品販売・サービスに課税します。この税の最大の欠陥は、高所得者には軽く、低所得者に重く負担させること(=逆進性)にあります。 月5万円の収入の年金者、月50万円の給与者、月200万円の役員報酬者がそれぞれ1万円の買い物をしても払う消費税10%は同じ1000円です。月収に占める支払い消費税額の割合を計算すれば、年金者は2%、給与者は0・2%、役員は0・05%です。高所得者よりも中・低所得者が重い負担です。これが逆進性であり、消費税の避けがたい欠陥です。 石破茂首相(当時)は「お金持ちほどたくさん消費するので減税額が大きい」といいましたが、消費税の逆進性を打ち消すことにはなりません。 ◇ ◆ ◇ 消費税については、表舞台のかけ引きだけをとりあげるマスコミやネットからの知識ではわかりません。そんなことにまどわされず、あるべき税制をつくるのは私たち一人ひとりの行動であるという原点に立ち返り考えることが重要です。 日本国憲法を根拠とする課税の指針は応能負担原則(応能原則)です。応能原則は、財産運用・不労所得に重く、勤労所得に軽く、大所得に重く、小所得に軽く、最低生活費は無税などを内容とします。その中心に位置するのは所得を対象とする法人税、所得税、住民税です。 消費税減税の財源はあります。総合累進所得課税により、65兆6580億円の財源が生まれます。(不公平な税制をただす会編『福祉と税金』25年10月1日)(うらの・ひろあき 立正大学法制研究所特別研究員)2026年3月15・22日合併号 28ページ 「経済これって何?-消費税導入から37年」から引用 政府は2012年に消費税法を改正して「消費税収は年金、医療及び介護の社会保障給付、少子化に対処するための経費に充てる」という条文を追加したにも関わらず、「消費税は普通税である」という規定は変更しておらず、従って事務処理の現場では税収として入金した「消費税」は自動的に「普通税」として処理され、法人税の減税や高額所得層の減税に対する「財源」になっているというのは、デマどころか現実にそのように扱われているのが事実です。したがって、2022年のNHKテレビ討論における高市早苗政調会長(当時)の発言は虚構であったわけで、そういうことを、メディアは無視しないで「あの発言は虚構であった」ということを、もっと世間に知らしめるべきだと思います。
2026年04月09日
先月の日米首脳会談に於ける高市首相の言動について、元文科官僚の前川喜平氏は3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 僕は、日本という国と僕という個人を一体視していないので、日本人が金メダルやノーベル賞を取っても、受賞者は称賛するが「日本人として誇らしい」とは思わない。逆に日本人が悪事をしでかしても「日本人として恥ずかしい」と思うことはほとんどない。しかし日米首脳会談での高市早苗首相の言動には、久しぶりに「日本人として恥ずかしい」と思った。いきなりトランプ氏に抱きついたこと。相手が自分を名前で呼ばないのに勝手に「ドナルド」と呼んだこと。聞き取りづらい英語を話そうとして失敗したこと。トランプ氏の子息を「イケメン」と言ったこと。ご主人様を見る犬のようにトランプ氏の顔色を窺うこと。バイデン前大統領の肖像の代わりにトランプ氏が置いたオートペンの写真を見て楽しげに笑ったこと。トランプ氏が真珠湾攻撃に言及した時、何も言えずに固まったこと。 何より恥ずかしいのはイランでの戦争を始めた張本人に「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と言ったことだ。お追従にもほどがある。中国と対話しようとすると「媚中」と叫ぶ連中は、なぜこれを「媚米」と言わないのか。 僕が「日本人として恥ずかしい」と思うのは、ここまで愚鈍で下品で卑屈な首相を持つ国の主権者だからだ。なんとか早くこの首相を辞めさせなければいけない。(現代教育行政研究会代表)2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-日本人として恥ずかしい」から引用 この記事が言うように、日米首脳会談に於ける高市首相の言動は「恥ずかしい」の一語に尽きる。相手が相手だけに、彼女としては「日本を代表して」、決して大統領の機嫌を損ねるような失敗は許されないという「覚悟」をもって臨んだであろうことは疑う余地もないが、それでも精一杯努力した結果があれでは、やはり日本人としては、あのような外交の舞台に日本を代表して出ていただく人材としては、もう少しレベルの高い人材がいるはずだと思うのは私一人ではないと思います。努力する姿勢に好感を持つ人たちの「推し」もあるとは言え、政治判断は一つ間違えばそれによって生じる国民の被害は、場合によっては想像を絶する事態にもなり兼ねないのであり、日本があまり深刻な事態にならないうちに、適材適所の観点から首相を選びなおす必要があると思います。
2026年04月08日
ベネズエラに対して宣戦布告もせず議会の承認を得ることもなく勝手に軍隊に命令して攻撃してベネズエラの大統領を拉致すると、予想通りの人物が次の大統領職についたケースとは違って、イランの場合は最高指導者を殺害してもイランの体制はびくともしない「現実」と、同盟国であるはずのNATO諸国からの積極的な支援がまったくない状況について、東京大学教授の宇野重規氏は、3月22日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 米国とイスラエルによる対イラン戦争は、泥沼化の様相を呈している。2月28日、突如トランプ大統領が攻撃に踏み切った際には、最高指導者ハメネイ師を殺害すればイランの体制を覆すことは容易で、事態は短期間に収束するという見通しがあったはずである。しかしながらイランの反撃は続き、ホルムズ海峡が封鎖されることで世界的なエネルギー危機が起きるなど、状況は混沌としている。 欧州諸国との足並みもそろわない。スペインのサンチェス首相は米軍の基地使用を拒否した上で「一方的な国際法違反」と公然と米国を批判する。トランプ氏と親しいはずのイタリアのメローニ首相までが「イタリアはこの介入に参加しておらず、参加する意思もない」と発言。3月19日に日英独仏伊蘭加でイラン非難の共同声明を発表し、その後、参加国は増えているが、具体的な協調行動が実現するかは不明である。 ◇ ◆ ◇ いら立つトランプ氏は、「われわれはもう助けを必要としていない」と、北大西洋条約機構(NATO)と日本、豪州、韓国を名指しで不満を示すが、対イラン戦争はいよいよ「トランプ大統領の戦争」であることがあらわになっている。イラン高官に対する暗殺作戦を強化するイスラエルのネタニヤフ首相と合わせ、世界はますます大義なき戦争に厳しい目を向けている。はたしてトランプ氏はどのようにこの戦争を終わらせるつもりなのだろうか。 米政権内も一枚岩ではない。1月のベネズエラのマドゥロ大統領拘束の際には直ちに作戦の合法性をXに投稿したバンス副大統領も、今回のイラン攻撃に対しては公の場での支持表明が遅れた。さらに国家テロ対策センター所長のショー・ケント氏が、トランプ氏の対イラン戦争に抗議して辞任している。右派政治家からの批判は、トランプ氏を熱狂的に支持するはずのMAGA派にある不満を示すものであろう。トランプ氏の狙いは、イランにおけるイスラム革命体制の転換と、核開発による安全保障上の脅威の除去にあったとされる。体制の転換と脅威の除去のいずれも失敗しつつあるトランプ氏に、もはや戦争を継続する大義も意味も残されていない。この間にトランプ氏は、ロシア産石油への制裁を一部解除しているが、無謀で戦略を欠いた戦争は、世界の秩序をさらに不安定化させている。 ◇ ◆ ◇ 3月19日に日米首脳会談を行った高市早苗首相は、ホルムズ海峡への貢献を要請された。安全保障において米国に、石油エネルギー資源において中東に依存する日本は、一つハンドルさばきを誤ればトランプ氏とともに奈落に落ちかねない。一日も早く戦争を終わらせることは、日本にとって至上命令である。 トランプ氏は、ベネズエラでの「成功」につまずいたと言える。外国の首脳を力ずくで拘束し、かつ意のままに後継体制を築いたことで、トランプ氏とその周辺に「傲慢」が生まれたのかもしれない。イランという人口約9300万人、面積において世界17位、軍事力において16位の大国に対して、あまりに安易かつ無戦略なまま攻撃を開始した米国は、その代償を払わされるであろう。大国の指導者が「傲慢」によって滅びるのは歴史の教えるところである。トランプ氏に振り回される2026年の世界は、漂流し続けている。2026年3月22日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-米国が払わされる代償」から引用 そもそもトランプ氏が大統領になれたのは、ラストベルトと呼ばれる地帯で生活苦に追われる労働者たちの「期待」があったからだったのに、その「期待」に応えるような政策は行われているのかどうか定かではなく、ネタニヤフの口車に乗せられてイラン攻撃に乗り出したのはトランプ氏自身の意思だったのだから、それが原因で世界の経済がガタガタになれば、そのしわ寄せは世界中に及ぶのですから、「代償を支払う」ことになるのは当然であり、こういう人物を大統領にしたのは大きな間違いであったことを、アメリカの人たちはよく考えてほしいと思います。今年の11月に予定されている連邦議会の選挙では、トランプ氏の路線では自分たちの暮らしは良くならない、という意思表示をしっかり行い、よりましな政治が行われるきっかけを作り出してほしいものです。
2026年04月07日
アメリカとイスラエルの戦争犯罪によって政府指導者層を殺害されたイランは、今どのような状況か、文筆家の師岡カリーマ氏は、3月21日付東京新聞コラムに、次のように書いている; アメリカとイスラエルの無法で無謀な軍事攻撃を受けたイランによるホルムズ海峡の事実上封鎖が、世界の市民の生活に重くのしかかろうとしている中、テヘラン大学のイザディ准教授がアルジヤジーラ放送に語った言葉になるほどと思った。 アメリカ研究が専門で修士・博士課程で教鞭(きょうべん)を執る同氏によれば「学生たちは1979年の革命時には生まれておらず、それ以前の状況、すなわち(アメリカの傀儡(かいらい)だった)パーレビ王朝時代を知らないため、親の世代がなぜこれほどアメリカを嫌うのか、理解できない。トランプは、私が言葉を尽くしても教えられなかったことを一発で学生たちに理解させた」。 そして「制裁下で苦しむイランを尻目に周辺の湾岸諸国が豊かになっていく中、ホルムズ海峡を利用して世界経済に打撃を与えるという戦略的選択は常にあったが、それをしない自制心がイランにはあった。でもその抑制力を持っていた指導陣はもういない。イスラエルが攻撃初日に殺してしまったのだ」。確かに、過去の抗戦の仕方はしたたかに計算されていたが、そのタガは外れた。 イランという大国を崩壊・孤立させ、地域に混乱をもたらすことで自らの覇権を広げようと目論(もくろ)むイスラエルのネタニヤフ首相と、その口車に乗せられたトランプ。彼らに好き勝手を許してきた世界が、その代償を払わされている。(文筆家)2026年3月21日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-ホルムズ海峡」から引用 ネタニヤフは今までパレスチナへの軍事侵攻を継続する必要性を口実に首相の座に居座ってきたのだが、パレスチナに対する軍事行動はもうこれ以上は無理というところまできたので、もしここで「一段落」ということになれば、自分の任期も満了だからということで首相の座を降りた途端に、在職中の数えきれない「疑惑」の追及が始まることになるので、それを先延ばしする格好の口実が「イラン侵攻」だったと推察される。ことがここまで来たのであるから、もう「ナチスのホロコーストの被害者」だからといってユダヤ人のやること為すことを全部許すという態度は、改めるべきだと思います。80年前のホロコーストは反省するにしても、現代の「犯罪」は「犯罪」として厳しく規制していくのが、これからの人類の進むべき方向性であることを、私たちは自覚する必要があるのだと思います。
2026年04月06日
外国の国旗を損壊した者を処罰する規定があるのに、日の丸を損壊した者を処罰する法律がないのはおかしいという子ども並みの理屈を主張する高市首相について、3月19日付の日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」は、次のように批判的論評を掲載している; 高市早苗首相は国旗損壊罪の制定を繰り返し強調し、自民党・日本維新の会は17日、党首会談であらためて今国会での成立を確認しました。 国旗損壊罪は「侮辱を加える目的で国旗を損壊し、除去し、汚損した者」を拘禁刑、罰金に処すものです。 高市氏の執念には強いものがあります。みずから国旗損壊罪法案を起草、2012年に議員立法で提出(廃案)、21年にも法案提出の動きの中心になりました。 高市氏の主張は、国旗の損壊は「国家の存立基盤を損なうもの」「国民が抱く尊重の念を害するもの」であり、外国旗の損壊は刑法で罰せられるのに、「日本国旗を損壊しても全くお沙汰なし」でいいのか、というものです。■成り立たない主張 しかしこの問題は決着済みです。国旗国歌法の制定(1999年)にあたって、小渕恵三首相(当時)は「国旗に対する尊重規定や侮辱罪を創設することは考えていない」と答弁しています。 その理由として「(外国旗損壊罪は)刑法第4章の『国交に関する罪』の中に置かれているとおり、我が国の外交作用の円滑、安全等を考慮して」設けられたものと説明。一方、国旗損壊罪の規定がないのは「国家の威信の保護の在り方として刑罰をもって強制することが適当かという根本的な問題がある」ほか、国旗損壊には器物損壊罪が適用されることをあげています。(政府答弁書) つまり外国旗の損壊罪は外交上の国益を守ることを目的としており、「尊重の念を害する」などの見地から設けられたものではない、それを日本国旗にも適用するのは筋違い、ということです。 そもそも国旗損壊罪については、必要性がありません。岩屋毅前外相も「(あちこちで日の丸が壊されるなど)社会問題化しているわけでない。つまり立法の根拠となる『立法事実』がなく、その必要性が高まっているとは思えません」(「毎日」1月1日付)とのべています。 にもかかわらず国旗損壊罪を持ち出すのはなぜか。 公的施設に掲示された国旗を損壊すれば器物損壊罪で処罰されます。ところが国旗損壊罪では自分が所有する国旗を抗議の意思表現や芸術表現などで使うと処罰されうることになります。国旗の扱いを警察が取り締まる―それは思想・良心の自由、表現の自由を奪う違憲立法であり、社会を萎縮させるものです。 国民の思想を監視する「戦争する国」づくりの一環といわなければなりません。■広がる懸念と批判 こうした動きに懸念と批判が広がっています。 「窮屈な社会が待っていないか」(「朝日」)、 「表現の自由や思想の自由が脅かされる可能性がある」(「毎日」)との社説が出されました。日本弁護士連合会はすでに2012年の法案に対し国家の威信や尊厳を刑罰で強制することは国家主義を助長し、表現の自由を侵害しかねないと反対を表明。今回も札幌や広島弁護士会から「憲法違反」との会長声明が出されています。 国旗損壊罪を許さない世論と運動を強めましょう。2026年3月19日 「しんぶん赤旗」 2ページ 「主張-国旗損壊罪の危険」から引用 この記事は論理が明快で、読んでスムーズに理解できる構成になっているように思います。「外国の国旗を損壊したら処罰されるのに、日の丸にはそのような規定がないのはおかしい」という屁理屈は、「言い訳」のようなもので、国旗損壊罪の必要を感じている政治家というのは、江戸時代のように大名や将軍のような「権力者」が通行するときは、一般庶民は地面に正座して「絶対服従」の意思表示を強制させて「国家権力」の偉大さを庶民に確認させる、というような社会を目指しているのだと思います。しかし、そのような社会は、市民の自由を著しく束縛するものであったから、市民社会の発展とともに廃れてしまったものと考えて間違いないでしょう。そして、上の記事で、もし国旗損壊罪などというものが刑法に追加されれば、芸術上の表現の一つとして「日の丸を燃やすシーン」なども処罰の対象となり「表現の自由」が侵害されるという大きなデメリットが生じます。高市氏や維新の会の政治家の本音は、自分たちが権力者として国民の「表現の自由」を束縛したいというのが「本音」なのだろうと推察されますが、私たち国民はそのような愚劣な政治家の野望を許してはならないと思います。
2026年04月05日
先月の日米首相会談の顛末について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は3月21日付同紙朝刊コラムに、次のように書いている; あれもハグ(抱擁)ではある。訪米した高市早苗首相は、ホワイトハウスに到着し車を降りると、両手を挙げて出迎えたトランプ大統領に足早に近づき、高い肩に腕を伸ばして抱きついた。 握手しようとしていたトランプ氏は、2、3度背中をたたいて体を引き、身ぶり交じりで話し始める。と、高市氏は2、3歩にじり寄り間合いを詰める。あのトランプ氏が思わず後ずさりするのを見て、つい笑ってしまった。 さすが高市氏。今度は抱きつき戦法か。毎回、誰もまねできない見せ場を作ってくれる。 国際法違反の先制攻撃で破壊と殺りくを尽くし、世界経済を混乱に陥れているトランプ氏を「世界中に平和と繁栄をもたらすことができるのはドナルドだけだ」と持ち上げ、「私は諸外国に働きかけてしっかりと応援したい」と約束した口上にもうなった。 お追従に、現実主義に立脚した同盟国の苦い同調と、ちょっぴりの皮肉と、大国の責任を遠回しに促す工夫が練りこまれている。 ただし、明言を避けてきたイラン攻撃への法的評価は、これで事実上の容認へ傾いた。日本は高市氏のエエカッコしいに引きずられ、後戻りできない一歩を踏み出しつつあるのかもしれない。 トランプ氏の見せ場は後味が良くない。会談前、記者が、なぜイラン攻撃を同盟国に事前通告しなかったか質問。「奇襲したかったからだ。奇襲について日本ほど詳しい国があるか」と答え、高市氏に向き直り「なぜ日本は真珠湾攻撃を知らせなかったのか」と当てこすった。奇襲解散で大勝したばかりの高市氏は黙っていた。 残念だ。すかさず、静かに、毅然(きぜん)と諭すべきであった。 「だから、あなたの大好きな安倍晋三元首相は10年前、オバマ元大統領と並んで真珠湾で献花しました。戦争の惨禍は二度と繰り返してはならないと誓って」 これは無いものねだりか。 トランプ氏と高市氏には共通点が多い。大衆人気、ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉。気が合うわけだ。 とりわけ似ているのは、歴史への無関心である。二人とも、過去との不断の対話を通じ、未来と向き合う姿勢がほとんどない。 高市氏の台湾有事失言は、日中戦争から戦後の国交回復、四つの重要文書の蓄積を軽んじる人だから起きた。靖国神社の歴史や日本とイランの特別な外交関係にも関心がなさすぎる。 そんな二人でめざす「質を高めた同盟の更なる高み」。そこで何が待っている。(専門編集委員)2026年3月21日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-サナエ・ドナルド同盟」から引用 この記事にも書いてあるように、先月の日米首脳会談における高市氏の言動はあまり褒められたものではなかったが、高市氏自身は一応、彼女なりのベストを尽くしたようだから、国民としても「彼女なりの努力の結果」というものを、認めてあげるべきなのだろうと思います。あれが高市流の「トランプ対応法」で、少しどうかと思われるような点もあったが、曲がりなりにもトランプ氏の口から日本に対する法外な要求を言わせなかったという「結果」は、「是」とするべきです。しかし、高市氏の本質は「ハッタリ屋、自分勝手、議会嫌い、経済最優先、軍事力信奉」であり、自分の発言が相手にどのような「負の印象」を与えるかという神経がまったく働かないという致命的欠陥があり、そのために不用意な「台湾有事は日本の有事」発言が飛び出すようなことが、いつまた繰り返されるかも知れないというリスクを、国民はひしひしと感じているわけで、あまり大きな失敗をしでかさないうちに退陣してほしいものでございます。
2026年04月04日
アメリカはイスラエルと共謀して、イランに対して話し合いをするような素振りを見せながら、実際に話し合いを始めておきながら、その話し合いの最中にイスラエル軍と共にイランの政府施設を奇襲攻撃して最高指導者を殺害するという暴挙を演じ、イランがホルムズ海峡を封鎖すると、NATOや日本に対して「ホルムズ海峡に艦船を出して、イランによる海峡封鎖を阻止しろ」と呼びかけたのであった。しかし、トランプ大統領の「法の支配」を無視したやり方を批判するNATO諸国は呼びかけを批判しているにも関わらず、態度をはっきりさせない日本政府に対して「まさか、トランプの要求に応じるつもりじゃないだろうな」という不安を抱きながらも、国内各紙は「トランプ氏の要望に応じるべきではない」との論陣を張ったのであったが、その様子について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は3月18日付東京新聞コラムに、次のように書いている; トランプ米大統領が日本を含む複数国を指名しホルムズ海峡への護衛用の艦船派遣を求めた。 17日の各紙社説はさすがに怒り心頭で、「この状況で日本が米国に協力することに国民の理解が得られるのか」(読売新聞)、「法の支配を重視してきた日本は従来の立場を覆すべきではない」(日本経済新聞)、「自衛隊を派遣できるような法的な根拠は見当たらない」(朝日新聞)、「自衛隊派遣には応じられないという日本の立場を明確に伝えるべきだ」(毎日新聞)、「艦船派遣を要求されても応じてはならない」(東京新聞)など、いっせいに自衛隊の派遣に反対した。例外は「海上自衛隊の派遣を決断すべきだ」と煽る産経新聞だが、産経はもう別の星の新聞だからな。 微妙に歯切れが悪かった各紙が派遣に強く反対したのは19日に高市トランプ会談が予定されているためだ。各国の論調も米国批判を強めており、指名された国々も当面応じる気配はない。 すると問題は高市首相である。政府は当初派遣に慎重だったが、トランプ氏による指名後の首相答弁は「まだ一切決めていない」「法的に何ができるか検討中」とブレブレだ。彼女にはしかも突然独善的な発言をかます癖がある。各紙の社説は首相に信用がない証拠。未熟な娘を旅に出す親の説教のようだ。説教を聞くんだよ。産経は無視しろよ。(文芸評論家)2026年3月18日 東京新聞朝刊 11版 23ページ 「本音のコラム-信用の問題」から引用 東京新聞に斎藤美奈子氏のこの記事が出た時点では、多くの日本国民は、まじかに迫った日米首脳会談でトランプ氏は当然、自衛隊のホルムズ海峡派遣を要請するだろうし、高市氏は断る術もなく要請を受け入れるしかないのではないかという「不安」を感じていたのではないかと思われます。しかし、実際は高市氏の訪米前に、日米両国政府の打ち合わせで「日本は憲法の制約があって、自衛隊を戦場に派遣するわけにはいかない。戦争終結の後に、機雷掃海のために掃海艇を派遣する」旨を伝えてコト無きを得ている。最近になってSNSに投稿される記事によれば、高市氏はトランプ大統領の「自衛隊、ホルムズ海峡派遣要請」をチャンスととらえ、勝手に「閣議決定」を出して自衛隊を派遣したかったらしいが、相談を持ちかけた今井補佐官から「何を考えているんだっ!」と一喝されて、計画は頓挫し、彼女としては「おとなしい訪米」となったものらしい。今朝のSNS投稿によれば、高市氏は次年度予算が3月中に成立しなかったことなども気に病んでおり、十分な睡眠が取れないなど、いろいろ悩みを抱えているらしいから、もともとこの人物は首相の器ではなかったことを、誰か教え諭してやって、早めに首相の座を交代してあげるのが本人のためであり、また日本のためにもなると思います。
2026年04月03日
高市首相の日米首脳会談のための訪米を間近に控えた頃に書かれたと見られるジャーナリスト・佐藤甲一氏の論考が、「週刊金曜日」3月20日号に掲載されて、次のように主張している; 自民316議席を生み出した「民意」をたてに「一強」を謳歌する高市早苗首相だが、意外と早く、正念場を迎えそうだ。3月の訪米、そしてトランプ米大統領との首脳会談である。 ベネズエラに続き、イランへの軍事行動、そして最高指導者の殺害と国際ルールを逸脱し、力による「現状変更」を続けるトランプ大統領の「独善」は、どうみても非難に値する。 トランプ大統領に衆院選勝利の祝意をもらい、訪日時には米空母で歓声を上げた高市首相だけに、イラン攻撃に対する批判的な見解は一切口にしていない。国会審議ではさすがに「肯定的評価」は避けたが、日米首脳会談でトランプ氏自らに問われれば、「賛同」するほかあるまい。そして「ディール」を外交の手段とするトランプ氏から「応分の負担」を求められるのは、もはや自明といえよう。ではその負担とは何か。事実上のホルムズ海峡封鎖がなされる今、卜ランプ氏の考える「船団護衛」の直接参加か、米海軍などからなる護衛部隊への補給か、機雷敷設が想定される同海峡における掃海作戦への従事などが想定される。すでに防衛省は、参加を求められた場合の法的根拠の検討に入っていると伝えられる。「できない理由」など言えるわけもない。 アメリカとイランは、事実上の交戦状態である。そこに自衛隊が派遣されれば、物的・人的犠牲も想定されよう。その時、一強を生み出した「民意」はもろ手を挙げて高市首相を支持することができるのか。2年前の東京都知事選で「石丸(伸二)現象」を生み出した若年有権者は「保守」的ではあっても「国家社会主義」的保守ではない。身の回りの近しい人との生活を大事にし、周囲から突出した行動を嫌う。特別であるよりも「みな同じ」がいいと考える。他人の意見に異を唱え、「争い=議論」が起きるのは避ける。そして何より、周りを見まわし、力のありそうな人物の「顔色」をうかがってしまう。試しに私の周りにいる20歳代の女性に、この分析をぶつけてみたら、「そうそう」とうれしげにうなずいた。こうした様態がいまや「当たり前」なのだ。そしてそれは、40歳代の有権者においても共有されていることは、本誌2月27日号の古谷経衡氏の論考に記されている。(引用者注;古谷氏の論考は、当ブログの3月24,25日の欄に引用) 考えてみればこの「保守」の姿、江戸期から今に続く、日本の地域社会の「共同体」思考そのままではないか。戦後、個人の可能性を求めて都市へと向かい、日本の成長を築いた世代は現役を退きつつある。代わって次の世代が今、都市部においても「マイクロ共同体」といわれる「保守」層を形成し、それが、この2年で政治選択の表舞台に立ちあがってきた。 「高市一強」を生み出した新しいようで古い「保守」思考の有権者は、自衛隊をも巻き込み、日本人の犠牲者がでるような事態になったとき、どこまで「一票の責任」に耐えられるのだろうか。最も嫌っているはずの「争いごと」に引きずり込まれる「高市一強」政治の選択を、どこまで想定しているだろうか。 ただ、彼らの身中にも、戦後日本が育んできた、いや、そもそも明治以前から日本人が培ってきた平和や情を尊ぶ遺伝子が組み込まれているはずだ。その発芽を促すのは政治か、それとも「高市一強」にも怯むことのない、オールドであるが故に微動だにしない言論か。(さとう こういち・ジャーナリスト)2026年3月20日 「週刊金曜日」 第1561号 11ページ 「佐藤甲一の政治時評-『一強』生み出した民意は犠牲を許すか」から引用 この記事で、佐藤氏はトランプ大統領が日本に対して自衛隊を対イラン戦に参加させることを要求してくるのではないか、高市首相のあの様子からして、トランプ大統領の要求を断ることはできないのではないか、その結果、自衛隊に犠牲者が出る危険が現実のものとなるのではないか、というような「心配事」を並べているが、結果としては、高市氏はトランプ大統領に「日本には憲法の制約があり、自衛隊を実践に参加させることはできない旨を説明し、戦闘が終結した後に海上の機雷掃海作業に派遣する「約束」をしたというような報道だったから、佐藤氏の心配事は杞憂だったようである。しかし、この記事の末尾には「明治以前から日本人が培ってきた平和や情を尊ぶ遺伝子」などの記述が見えるが、これは「日中戦争・太平洋戦争」の史実に照らして考えれば、あまり当てになる論拠とは言い難いように思われます。
2026年04月02日
日本初の女性総理となった高市氏が女性天皇誕生には消極的であることについて、雑誌編集者の篠田博之氏は、3月15日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 昨年秋以降、天皇後継問題をめぐって「愛子天皇待望論」が高まり、署名運動が行われるなどしたことは本欄で紹介した。週刊誌がそれを積極的に報じ、一緒になって盛り上げていた。高市首相が「日本初の女性総理」になったことや、彼女が以前『文藝春秋』で、自分は女性天皇を否定するものではないと述べたことが強調され、皇室典範改正で愛子天皇への道が開けるのではないかという期待も高まっていた。 しかし、現実には、高市首相は2月の衆院予算委員会で「男系男子に限ることが適切とされている」と答弁し、愛子天皇待望論に水を差す結果となった。週刊誌ではそれに対する批判的報道が広がっている。最新号でも例えば『週刊現代』3月16日号は「"愛子天皇"の夢を自民党が潰(つぶ)す」、『週刊女性』3月24・31日合併号は「愛子天皇が歴史的にも正当な3つの理由」という記事を掲げている。また1週前の『女性自身』3月17日号は「高市首相皇室典範改正案は愛子さまに非情」という記事を載せていた。 皇室典範改正問題はこの国会で大きな論点のひとつになりそうだが、週刊誌報道を含め、今後どうなるのか、気になるところだ。 そのほか週刊誌報道で大きな話題になったのは『週刊文春』3月19日号「松本洋平文科相 議員会館W不倫と『高市大っ嫌い』音声」だ。不倫相手の女性が取材に応じているから認めざるをえないだろうが、その女性が、松本大臣が高市首相を以前「最低だった、人として」などと語っていたという話が面白かった。高市首相もその部分に苦虫をかみつぶしていたのではないだろうか。(以下、省略)(月刊『創』編集長・篠田博之)2026年3月15日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「週刊誌を読む-皇室典範改正、広がる首相批判」から引用 私は、民主主義とは相容れない「天皇制」はなるべく早く廃止することにして、一日も早く共和制の国家になるべきだと思っているのですが、実際の日本人社会は自ら戦い取った民主主義ではないせいで、一人一人の国民の「民主主義」に対する「理解」が極めて不十分で、「憲法を守る」ことよりも隣同士の仲間意識のほうが優先する生活態度を見るにつけても、日本人の平均的な意識レベルは「江戸時代」からあまり変わっていないというのが実情だと思います。しかし、世の中には「ジェンダー平等」を掲げて努力する人々のグループの活躍もあり、少しずつその成果も現れつつあるのですから、一概に悲観することもないのであり、皇室に男子がいないのであれば、女性が天皇に即位しても不足はないのであり、過去にも女性天皇は実在した記録もあるのですから、今どき皇室典範などを持ち出さなくても今上天皇の長女を「皇太子」に任命して、次代の「天皇候補」とするのが良いと思います。
2026年04月01日
文化庁が警察庁や国税庁と協力して不活動宗教法人の実態調査を行う準備を進めていることについて、元文科官僚の前川喜平氏は、15日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 13日の朝日新聞によれば、文化庁は4月から不活動宗教法人についてアンケートによる実態把握調査を行い、警察庁や国税庁も加わる検討会で2026年度中にガイドラインをまとめるという。 文化庁はこれまでも法定の書類提出のない法人の調査はしてきた。しかし書類提出を履行していても宗教活動をしていなければ不活動宗教法人だ。22年に経営破綻した札幌市の宗教法人「白鳳寺」は、納骨堂経営はしていたが宗教活動の実態はなかった。今回の調査は書類提出のある法人が対象だ。悪質性が高い恐れがある法人にはヒアリングも行うという。 一方、週刊文春は昨年12月、「神奈我良(かむながら)」という宗教法人が24年に高市早苗首相が代表者である自民党奈良県第2選挙区支部に3千万円を寄付していたと報じた。 この宗教法人の代表役員は、不動産業や観光業を経営する川井徳子(のりこ)氏という人物だ。奈良市内に神殿があるが、その見守り役だと自称する女性は文春の記者に「ここには教祖も信者もおらんのです」と話したという。 今回の調査対象には7374の単立宗教法人(宗派や教団に包括されない宗教法人)が全て含まれるというから、この「神奈我良」も調査対象になるはずだ。調査の結果、不活動宗教法人だと判明したなら、高市首相に忖度することなく解散させなければならない。(現代教育行政研究会代表)2026年3月15日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-宗教法人『神奈我良』」から引用 不動産業や観光業で稼いだお金をそのまま事業利益として保有しておけば、それなりに税金が掛かってくるので、その前に宗教団体に寄付したことにして、その宗教団体からさらに知り合いの政治家の事務所に寄付をすれば課税を免れると考える人は多いらしく、宗教活動をしているようには見えない団体が7千件以上も存在するとなれば、これは文化庁も放置するわけにはいかないと考えるのは当然です。しっかり調査して、不明朗なカネの流れの実体を明らかにして、健全で明朗な社会の建設に邁進してほしいと思います。
2026年03月31日
ロシアはウクライナを侵略し、アメリカとイスラエルはイランを攻撃する世界に対し、日本政府はどう対応していくのか、法政大学名誉教授で元総長の田中優子氏は、15日付東京新聞コラムに、次のように書いている; 未成年を含む千人を超える女性を、権力者たちが性的に侵害したとされるエプスタイン事件と、ベネズエラ、イランへの軍事侵攻。この二つは表裏一体の同じ意味を持っている。権力者による、子供、女性、他国への暴力による生命と人権の侵害である。 イランへの軍事侵略は明らかに先制攻撃で、国際法にも国連憲章にも違反している。日本政府はロシアや中国の行動には「法の支配」と言い、米国が同じように侵略戦争をすると、侵略相手先の国のせいにする。これを「法」というのだろうか。 「同盟は大事だが、追従とは異なる。同盟は沈黙ではない」 「相手によって態度を変えることを法の支配とは言わない」 「原則を語れない国の外交は信頼されない」と、3月9日の衆院予算委員会で中道改革連合の小川淳也代表は述べた。もっともな言葉である。国民もそれぞれの生き方の中での人間としてのありようと、今の政府の姿勢とを、比べてみた方がいいだろう。自分自身に、この姿勢は許せるだろうか、と。許せないとしたら、なぜ政府を許すのだろうか。 小川代表は、米軍の軍事行動に対し自衛隊が行動を共にする場合の法的根拠や、在日米軍基地からの出撃に関する事前協議の有無についても言及した。これも今のうちに言っておかないと、いつの間にか閣議決定で決まってしまう危険性がある。 ◇ ◆ ◇ 一方、3月6日は日本各地で「女性の休日」の集会が開催された。映画「女性の休日」は1975年のアイスランドで、90%の女性が家事と仕事を休み、国家機能がまひすることを実証した運動のドキュメンタリーである。それを契機に社会が大きく変わった。女性議員が増え、女性の大統領や最高裁長官が出現し、16年間にわたって世界で最も男女平等が進んだ国になっている。日本は周知のように、男女平等の指数は世界で118位である。 6日は2ヵ所でこの集まりに参加した。「国際女性デー」の8日には、韓国の専門家と当事者を招いて、一般社団法人「Colabo(コラボ)」が主催したシンポジウム「なぜ性売買防止法が必要か」に参加した。この中で「性売買に対する態度が、私たちの時代や人生の風景を決める」という言葉が印象的だった。性売買は自分の意思で選んでいるように思わされているが、実は自分や家族を救うにはそれしか方法がないという状況に追い込まれた結果である。男性たちは女性を性的に自由にすることで、男性としての優越感を持つ。エプスタイン事件はその典型で、仲間に入ることが権力を見せつけ、権力に擦り寄ることだったのだ。共犯者の女性は、モデルや女優になりたい女性たちの願望を利用して女衒(ぜげん)を務めた。トランプ大統領を必死でかばう女性司法長官は、被害者たちの集会で「そんなことより株価を見なさい」と言って、笑いものになった。 ◇ ◆ ◇ そう。もはや男か女か、ではない。あなたはどういう人間として生きるのかが問われている。「そんなことより」と金権政治への注目をそらした高市早苗首相はいよいよ、改憲原案作成の「条文起草委員会」を設けるという。あなたは「人として」この憲法を壊して良いのか?それが問われることになる。2026年3月15日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-人間としての判断」から引用 首相の高市早苗や検事総長の畝本直美は、別に若いころからジェンダー平等の運動に取り組んで「女性の権利向上」に尽力した結果が評価されて今日の「地位」を獲得したのではなく、むしろ逆にジェンダー平等とは真逆の立ち位置で「世の中、男性主導は当たり前」をモットーに、うまく世の中を渡ってきた結果として現在の地位にありついたわけで、だから「アメリカ大統領」と言えば、これは日本の首相の座を誰にするか簡単にコントロールする権力を手中にしていることを、高市氏は十分に理解しているから、トランプのやることが「法の支配」を逸脱しているという「理屈」は十分に理解してはいるが、口に出して言うことは絶対にしないし、言うことと言えば「世界に平和をもたらすのは、ドナルドだけが出来ること」などと、はたで聞いてる者が恥ずかしくなるようなことを、平気で口走るのである。しかし、こういう輩をいつまでも首相にしておけば、憲法が改悪されて、現在の中高生が成人するころには武器を持たされて戦地へ赴くことが義務付けられないとも限らないのであるが、戦争をしない国としての「日本」を守るには、なるべく早く高市を首相の座から引きずり落とす必要があります。現代の若者は、「反権力は損だ」という認識だそうだが、高市をこのまま首相にしておいて、その結果、徴兵制が復活したら、もっと損する時代になることくらいは、少し考えればわかりそうなものだ。平和憲法を守って戦争をしない国にするのが、最善の道であるくらいのことは、理解してほしいものです。
2026年03月30日
15年も前に起きた東日本大震災という単語をテレビのニュースで取り上げたり新聞記事の見出しに入れると視聴者や読者から避けられることが、データー上はっきりしているので、現場の記者が「震災」の語を使っても上司がそれを削除するのが、報道の世界では「常識」となっている様子を、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、14日の同紙コラムに、次のように書いている; 「これからは心の復興です」 2月の衆院選開票速報を見ていて、「んんっ」と聞きとがめた。宮城県で当選したタレント議員が、東日本大震災15年への抱負を聞かれ、さらっと口にした。 5年更新の国の復興事業は一区切りつき、道路・住宅などハード面の建設はほぼ完了。被災地自治体の多くで、部署名から「復興」の文字が消えるらしい。 前を向くのは大事だが、傷心を癒やすのは共に忘れずにいることだけだろう。こころに「復興」という名の押し付けは禁物だ。 大手ネットニュース記者がこぼした。「震災はタブーなんです」。関連ニュースは明らかに掲載されにくい。見出しに「震災」があると直されるという。「全国的には読まれない。震災の文字を見ただけで避けられるのが、データ上はっきりしているから」 歳月のなせる余儀なき仕業だけが風化とは限らない。一人一人の思慮なき悪意が吹きだまって、猛威を振るう風化もある。 日本記者クラブ取材団で福島県双葉町と大熊町を再訪した。福島第1原発の敷地がまたがる両町に、同県内で除染された土や草木、がれきなど膨大な廃棄物(東京ドーム11杯分)の中間貯蔵施設が設置されて11年が過ぎた。 用地は東京都渋谷区に匹敵する約1600ヘクタール(取得率約8割)。原発の爆発で強制的に立ち退かされた多くの住民が、次は帰宅どころか父祖伝来の土地・家屋を「核汚染のゴミ置き場」として手放す苦渋の決断を強いられた。 法律で30年以内(2044年度末まで)に全て県外で最終処分すると決まっている。同県の重すぎる負担を日本中で分かち合う趣旨だが、多くの国民は自分の町にも除染土が来るとは知らない。現状は首相官邸や中央省庁の花壇に少量を移した程度にとどまる。 「原発の電力は首都圏で使われていた。なぜ除染土まで我々が引き受けねばならないのか。人ごと感が強すぎる」。伊沢史朗双葉町長は憤まんやるかたない。 帰還が始まったのは一番遅く、震災の11年後。7140人いた住民は、今も43都道府県300余市町に離散中。希望者に毎月、町の現状を伝える便りを送る。住民票を残している人は多いが、宛先は2750世帯に減った。 現町民201人。6割は新たに移住した壮年・若者世代だ。 提案したい。スマホの購入時、日本中の人に両町の実情を知っているか確認を義務づけたらどうだろう。原発の罪と罰を知らずに利便だけを享受する暮らし。それが風化を進める。(専門編集委員)2025年3月14日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-風化させようとする力」から引用 日本は昔から地震が多発する国土なのだから、報道機関が必要に応じて「地震に対する注意喚起」をするのは当然のことで、購読部数や視聴率を気にするあまり「震災」の文字を伏せることにするという「姿勢」は、誠意に欠ける態度であり、報道機関にあるまじき「態度」として批判されるべきだと思います。報道機関が利益優先で「震災」の語を避けるなどという不誠実な姿勢をとった結果、世間を知らないタレント上がりの愚かな新人議員が「これからは心の復興です」などと、馬鹿な発言をするのですから、報道機関は責任を持って「真実の報道」に徹し、東日本大震災の復興はまだ終わっていないという事実の報道を止めてはならないし、原発事故の後処理なども、まだ始まってもいないという「現実」を、国民は片時も忘れるべきではないということを、メディアは報道し続けることを怠ってはならないと思います。
2026年03月29日
私が大学を卒業して就職した70年代は、どの大企業も伝統的な終身雇用の制度(風習?)が残っていて、その上戦後に出来た新しい憲法と労働三法が手厚く労働者の権利を保証してくれたので、一端雇用した労働者を解雇するには、よほど重大な(または深刻な)理由がないことには、めったにできることではなかったのであったが、最近の企業は業績が黒字でも平気で労働者をリストラするケースが多発していることについて、桜美林大学名誉教授の藤田実氏が3月8日付「しんぶん赤旗」のコラムに、次のように書いている; 東京商工リサーチの調べでは、昨年は好業績の企業での希望退職の募集、いわゆる黒字リストラが広がりました。業種別では電機企業が4割を占めます。 黒字リストラが広がる背景には、会社全体では黒字でも赤字の事業部門を切り離したり、縮小したりして会社の収益を増大させ、企業価値を高めるよう、ファンド(基金)などの大株主が強く圧力をかけていることがあります。とくにアクティビスト(物言う株主)と呼ばれるファンドは、株価引き上げや配当の増大など自らの経済的利益を図る目的で積極的に経営陣にリストラ要求を突きつけるようになりました。アクティビストを納得させる成長戦略を提案できない経営陣は保身もあり、黒字リストラに乗り出しています。黒字リストラは、企業は株主の利益を最大化するのが目的であるという株主資本主義の帰結だと言えます。 ◇ ◆ ◇ 電機企業で黒字リストラが横行しているのは、事業構造の転換を急速に進めているからです。家電やPC、スマホなどの情報通信機器を中心に、経営の失敗もあり産業競争力が急速に失われました。そこで、モノづくりを縮小し、デジタルサービスなどへ事業構造を転換するようになっています。日立製作所や富士通などに見られるように、いわゆるDX(デジタルトランスフォーメーション)事業への転換です。 事業構造の転換では、その事業部門の労働者の処遇が問題になります。以前は正規社員に対しては、基本的には配置転換や職種転換で処遇してきましたが、近年ではいきなり希望退職の募集に踏み切ることが増えています。これは、配置転換や職種転換では時間とコストがかかるので、割増退職金など退職費用を計上しても、希望退職を募集した方が、時間とコストを節約できるからです。 これまで日本企業は、正規社員に対しては長期勤続雇用を維持するとして人間尊重経営を標ぼうしてきました。黒字リストラの横行は企業が日本的雇用システムを大きく転換したことを意味します。すなわち経営戦略と人事戦略に基づき、雇用はその時々の事業戦略に基づいて決定されるとの宣言です。労働者が事業構造の転換に必要なスキルや能力を身につけなければ、企業は労働者を退職させることをためらわなくなったということでもあります。 ◇ ◆ ◇ 同時に黒字リストラの横行は、労働組合の変質を意味します。大企業労働組合は、基本的に企業と協調的な関係ですが、それでも業績悪化が何期も続く場合などを除けば、正規社員の雇用維持に注意を払ってきました。ところが現在、黒字リストラにも明確な抵抗を示さず、希望退職を受け入れています。希望退職といっても、何回も面談し退職強要に近いことをしても、労働組合は対応しないことが多いといいます。希望退職を免れても、低業績を理由に賃金や賞与が低く抑えられ、退職せざるを得なくなる場合も出てきます。 黒字リストラは、雇用や賃金面で日本的雇用システムを転換させようとする企業の意思を示すものです。 (ふじた・みのる 桜美林大学名誉教授)2026年3月8日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何?-黒字リストラ」から引用 そもそも世の中で、起業家が資本金を出して会社や工場を経営するとき、その資本金が個人の所有だからというので、その企業の運営方針は経営者の意見で進められるのが普通であるため、企業活動の結果得られた利益についての「分配」も、経営者の意向で勝手に決められては労働者はまるで「奴隷」のような立場になりかねないとの「心配」から、わざわざ憲法にまで書き込んで、「労働者の権利」を尊重するべきであるという「認識」を、国は国民に知らしめたのであった。ところが、日本の労働者の場合、その「権利」は自ら戦い取ったものではなく「上」から与えられただけのものだったため、労働者自身、その「ありがたみ」「大切さ」に対する自覚が足りなかったために、せっかく経営者と同等の権利が保証されたというのに、後の世代の労働者たちは、あっさりとその「権利」を放棄している。私が強く印象に残っている「労働者の権利はく奪」は、大阪に橋下某という人物が市長に当選したとき、それまで大阪市庁舎の一室を組合事務所として使用していたものを、「市庁舎は市民の財産であり、労組が私物化することは許されない」などと見当違いの屁理屈で組合事務所としての使用を禁止した事件であった。あの時、労組は「労働者の権利」を武器に戦うべきであった。市庁舎は、市民に選ばれた市長と、その下で働く労働者とが、ともに市民のために働く「場」なのであるから、市長に専用の部屋が割り当てられるのと同様に、労働組合にも必要なスペースが割り当てられるのは、「労働者の権利」の観点から「当然の権利」なのであった。しかし、日本の労働組合は、不幸にして「スト権確率」という当然の権利を有効に使うことが出来ずに、雇用主に付けこまれて「奴隷の一歩手前」のような事態に追い込まれている。企業の利益だけがうなぎ上りに上昇しても、世の中の「消費活動」を担う労働者群に十分な「配分」がなされなければ、経済活動は発展せず、やがては企業活動も破たんしてしまうのは当然のなりゆきである。いつか、有能な労働運動指導者が出現しなければ、この国の経済はやがて破たんするほかはないと思います。
2026年03月28日
高市氏が初の女性首相になったことをどう見るか、雑誌編集者の篠田博之氏は、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 『AERA』3月9日号が面白い。国際女性デーに向けた特集だが、巻頭は「『女性初』を超えて」。リードはこうだ。「多くの女性がそれぞれの場所で『女性初』に直面し、勇気を持って壁を突破してきた。その先に、女性初の首相誕生かあった。それは『女性初の時代』の終わりでもあった」 記事中でジェンダー論が専門の岩手大の海妻径子教授がこう語る。「高市首相は男社会に合わせて働いてきた、いわゆる『名誉男性』と呼べる女性で、男性が持っているものを奪おうとする人ではありません。一方で男性側は『有能な女性を取り立てている』と言えて都合がいい。そういう人が登用されたに過ぎません」 一方、対談「ノリと明るさの高市一強の『先』」で御厨(みくりや)貴・東大名誉教授がこう語っている。「高市さんについてのリベラル系のおかしな反応についても指摘しておきたい。アメリカだってまだ女性大統領が出ていないなかで、日本初の女性首相になったわけで、評価されていいはず。『女性首相を求めてきたけど、それは、思想が”右”の高市さんではない』みたいな言い方は、普通に明るくてノリがいい人が良いと思っている人々にとってはすごく不愉快です」 「自分の中の”早苗”を知る」という女性編集長座談会でも「『保守』からガラスの天井を破る女性が出てきた事実をもっと丁寧に考える必要があるという話をよくします」という発言がある。高市氏が初の女性首相になったことをどう見るかは、議論百出のようだ。(以下省略)<月刊『創』編集長・篠田博之>2026年3月8日 東京新聞朝刊 11版 17ぺージ 「週刊誌を読む-保守から出た『女性初』」から一部を引用 世の中が「初の女性首相誕生」を祝うとすれば、それは「ジェンダー平等」の運動が奏功した結果として誕生した「女性首相」の場合であって、高市氏のように「男性中心社会は当たり前」という大前提に経って、男性中心システムを少しも脅かす心配の無い女性として「たまには、女性にも首相をやらせてもいいだろう」という範囲内で、たまたま首相になっただけ、という「高市氏のケース」では、「ガラスの天井」はびくともしておらず、世の中は少しも進歩していないのですから、人々の賞賛を得ることのできる「女性首相の誕生」ではないのは明らかです。政治学が専門の東京大学名誉教授ともあろう人物が、高市氏を「普通に明るくてノリのいい人」と思っているらしい発言をしているのでは、日本の政治学のレベルも大したことはないんだなぁ、といささかがっかりしました。
2026年03月27日
企業と癒着して「企業優先」の腐敗政治しか出来ない自民党が、国会で3分の2以上の議席を獲得して、この先日本はどうなってしまうのだろうかと心配する人は多いらしく、文筆家の内田樹氏は、8日付け東京新聞コラムに、次のように書いている; いろいろな人から「日本はこれからどうなるのでしょう」と聞かれる。私に未来予知の能力はないが、「最悪のシナリオ」を想像することは得意である。日本の言論人にはあまりいないが、欧米のアナリストには「最悪のシナリオ」を想像して、詳細を描く人が多い。おそらくかの地では「最悪のシナリオ」を想定して、被害を最小化する道筋を考える実務的な知性が高く評価されるのであろう。 今から200年前に建国半世紀後の米国を訪れて、そのデモクラシーの功罪を詳細に吟味したアレクシス・ド・トクヴィルは、米国の統治機構の最大の美点は統治能力を欠いた人物を指導者に選んでも統治機構が機能するようになっていることだと指摘した。トクヴィルは7代大統領アンドリュー・ジャクソンと面会した後に、彼について「その性格は粗暴で、能力は中程度である。彼の全経歴に、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない」と酷評している。 ◇ ◆ ◇ でも、トクヴィルは米国の統治機構には復元力があるとも書いている。それは「デモクラシーにおいて、公務員が他より権力を悪用するとしても、権力をもつ期間は一般に長くはない」からである。「デモクラシーにおいて、ある公務員の事務の遂行が不良であるとしても、それだけのことで、その短い在職期間にしか影響しない。腐敗や無能も、共通の利害となって恒久化されることはない」 なんだか、今の米国のことを書かれているようだが、建国の父たちは国民が誤った選択をして「最悪の事態」が出来する可能性をかなり高めに予測して、このような統治機構を設計したのである。炯眼(けいがん)の人たちである。 「最悪の事態」に遭遇しても復元できるように制度設計をするのは米国の伝統なのである。「リスクヘッジ」と言ってもいいし、「フェイルセーフ」と言ってもいい。「フェイルセーフ」というのは工学概念の一つで、機械が故障する時に被害が最小になるようにしておく配慮を指す。だから、遮断機が故障する時には必ず下りて止まる。 でも、日本には「リスクヘッジ」という語も「フェイルセーフ」という語も定着しなかった。「定着しなかった」と私が言い切れるのは、日本文化に土着した場合、外来の概念はカタカナ4字に略語化されるからである。 パソコンもデジカメもセクハラもポリコレも、日本人が「まあ、採り入れるしかないか」と思ったものは概念でも制度でもカタカナ4字になる。「日本社会には合わない」という暗黙の集団的合意があった場合は略語化されない。「リスヘジ」とか「フェルセ」という語を私は一度も聞いたことがないから、これらは採り入れを拒絶された概念だとみなしてよいだろう。 私は「最悪の事態」を想定して、それがもたらす被害を最小化する道筋について考える(日本では)例外的な人間である。「最悪の事態」を想像するのはその到来を阻止するためなのだが、なぜか現実は私の想像通りに推移しているような気がする。 米国はこれから没落の坂道を転げ落ちてゆくだろう。日本が米国と「共倒れ」になるリスクは高まるばかりだろう。現実が私のこの想像を裏切ることを心から願っている。2026年3月8日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-最悪の事態を考える」から引用 この記事が言うように、トランプのようなならず者が大統領になって議会の承認なしに軍隊に命令を出して他国を攻撃させるなどという違法行為をしでかす者が出てきても、「大統領職は2期まで」と明記したアメリカの建国期に活躍した人々の英知は賞賛に値すると思います。それに比べるとわが国の憲法は、家制度や父権主義を否定するつもりでかいた「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立する」という文言が、同性婚を否定する根拠に使われるというような「お粗末」なレベルであることは、残念なことで、遠くない将来に是正されるべきと思います。また、二大政党制を促進して強固な民主主義を打ち立てるつもりだった「小選挙区制」が、結局、企業と癒着した自民党のみが巨大化し、野党は軒並み弱小化してしまったという「結果」も、河野洋平・村山富市時代にさかのぼって、どこに「ボタンのかけ違い」があったのか、検討する必要があると思います。
2026年03月26日
昨日の欄に引用した「週刊金曜日」古谷経衡氏の記事の続きは、日本の一定数の有権者が選挙に際して投票先を選ぶのに、政策の可否を判断せずに候補者の「見た目」やその場の雰囲気などで判断するようになった原因は、学校教育に問題があるからだ、という解説を展開している; 教育社会学者の舞田敏彦が2020年9月に『ニューズウィーク』誌に寄稿した記事が興味深い。それによると、国際調査で教員が「生徒の批判的思考を促す」教育を実施している割合は、46の調査国・地域の中にあって日本が最も群を抜いて低い、という結果(24・4%)が出た(韓国76・5%、台湾70・4%、米国82・3%)。 日本の次に低いのはノルウェーであったが、その割合は65・6%であり、唯一、世界中で日本だけが異様なまでに「批判的思考を促す」教育を行なっていないことが明らかになった。 批判的思考とは、政治体制、行政機関、マスメディア、大資本などあらゆる「権力」への批判的精神を指す。要するに「お上」やそれに類する権力集団は前提的に嘘(うそ)つきであり、彼らの言うことにはまず疑ってかかるべきで、それを批判したり対抗したりするだけの最低限度の知識や経験を身に付けておけ、というのが骨子である。 先の尾崎の例に戻ると、まさしく筆者の世代こそがこの、「批判的思考を促す」教育がほぼゼロになった教育環境で、人格形成の最も重要な季節である10代を過ごした初期の世代である。この年代における賢い生き方とは何か。「お上」、つまり学校教育にあっては内申書を製作する直接の担当者である教員に対して、如何に機嫌を取るか、である。 実際、私の中学校時代にはこのことに心血を注いでいる級友たちが星の数ほどいた。教師が臨席する前だけで、率先して催事への参加や清掃当番に夢中になる生徒。あるいは逆に、「○○君がこんな粗相をした」と頼まれてもいないのに告げ口をする生徒。多少なりとも内申書の心証を改善させようと生徒たちは必死に、教師という権力者に迎合して忖度(そんたく)する魂魄(こんぱく)が心底で沁(し)みついていく。◆溶けている民主主義の前提 このような筆者の原体験を踏まえたとき、この世代の権力に対する態度というのは、刑務所に似ている。筆者は所謂「刑務所モノ」と呼ばれる読み物が好きだ。ちなみに刑務所に於ける受刑者の日常を扱ったエッセイや漫画などは、市井の人間には知る由がないがゆえに根強い人気を誇っており、最近では獄中生活にグルメ要素を足したものとして花輪和一の『刑務所の中』などが著名だ。 とりわけ花輪の作品に於ける受刑者の態度は興味深い。刑務官を「先生」と呼ぶ受刑者は、どんな些細(ささい)なことでも逐一先生に報告する。如何に自分が刑務作業を頑張ったのかを声高に発声し、懲罰とは関係のない回房受刑者の生活様態までをも報告する。 圧倒的力関係のある「お上(刑務官)」と「受刑者」という関係性の中で、少しでも仮釈放を貰(もら)いたい受刑者による涙ぐましい「努力」は、巨視的に見れば合理的ではある。しかし、それは獄中生活という特異な環境での話であり、市井の市民には関係のないことであるはずだが、幼少期から「お上」におべっかを使って、少しでも利を得ようとする行為こそが賢明で合理的な生き方である、という処世術しか知らない筆者の世代にとっては、それがどんなに滑稽(こっけい)な姿であっても、結論としては良い生き方になる。当時、そんな環境にどっぷり浸(つ)かった生徒が今や40代の有権者になっている。 おおむね49歳以下の有権者における政治家や政党への評価も、これが根本になっている。それがどんなに真っ当なものであっても、批判すること自体が悪という認識だ。民主主義社会において、野党の役割の第一は当然批判であるが、そういった観念は通用しない。批判すること自体が悪だ。悪である以上、政策の良し悪しは関係がない。「批判ではなく対案」という陳腐なフレーズも、この世論の機微を汲んだものだが、本質的には民主主義の本義を完全に無視している。「批判と議論」という概念自体が有権者の側に存在していない。よって左翼やリベラルが禁忌されたか否か、という分析自体に意味がない。兎(と)に角(かく)、権力にモノ申す政治家や政党は悪で馬鹿であり、その悪口の矢面に立っている政権与党は「可哀そう」となる世界観である。民主主義の前提が溶けている。 権力者を批判することは悪いことであり、空気を読んでおらず、合理的ではないし損だ……。そんな環境で育ってきた現下の49歳以下の有権者にとって、中道は害悪でしかない。 他方高市自民が被害者として同情を誘うのは頷ける。政策や正論とは関係のない世界で彼ら有権者は投票所に行く。如何に正論を言ってもそれは徒労であり、権力への微温的な肯定こそが「賢い生き方」だ、と刷り込まれた筆者以下の世代にとって、この感覚は最早覆しがたい「事実」になっている。 はてさてこの前提を踏まえたうえで、政権与党を批判する野党に復活の道があるのかは相当疑わしい。常識が溶けた世界で、それでも正気を保っている人間や政党が、このさき生き残るか否かは未知数だが、それでも巨視的に見れば正論と正義が勝つのが歴史の教訓であるのならば、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉が最も相応(ふさわ)しいであろう。私たちは思慮深く、原則を曲げず、時流に迎合せず、同じ方針を愚直に継続するしかない。<ふるや・つねひら>作家、評論家。2026年2月27日 「週刊金曜日」 第1558号 18ページ 「シリーズ・どうする日本政治-政策ではなくイメージと空気で投票先を選ぶ有権者」から後半を引用 この記事は、なかなか説得力があります。日大や東大で全共闘運動が闘われた頃、全国の中学校や高校で生徒が暴れて、校舎の窓ガラスが割られたり、校舎の脇の道路を歩く通行人に教室の窓からトイレットペーパーのロールが投げつけられたりした時代があったと、後になってから、90年代に子どもの中学校のPTA役員をした頃に、少し年上の役員が昔話をしてくれたことがありました。その後まもなくして、大学受験の「受験地獄」改善と称して、高校の担任教師が記入する「内申書」が大学入学に絶大な「力」を発揮する時代となり、日本中の大学進学希望者は、担任教師に「ゴマすり」をやることが「進学に有利」という時代になったというのは、これは教育政策の「失敗」と判断せざるを得ないものと思います。人類が長い年月をかけて獲得した「民主主義」を、正しく継承するのをやめて、「ゴマすり」で人生を渡ろうとするのは、邪道であり間違いです。現にその「間違った道」を30年間も歩き続けてきて、企業の業績が上昇しても労働者の賃金は低いままという状態が続いてきたのだから、そろそろこの辺で労働者は「目を覚まして」、選挙の投票権も労働の対価である賃金も、上から与えられるものではなく、戦い取るものであるという「現実」を学習しなおす時期に来ているのだと思います。
2026年03月25日
国会議員の選挙と言えば、この国の政治はどうあるべきかを競う選挙のはずが、そのような判断とは無縁の「高市さんて、どういう人?」という観点からの「人気投票」になってしまった今年の衆議院選挙について、評論家の古谷経衡氏は、2月27日の「週刊金曜日」に、次のように書いている;「批判ばかりの野党には魅力を感じない」「高市さんは決して他党の悪口を言わない」 これが高市自民に票を投じた多くの有権者の心底にあった、決定的な投票動機である。政策の妥当性や整合性は最早関係がなく、考慮されない。投票所に行く有権者の多くは、政策ではなくイメージと空気で投票先を選んでいる。 選挙結果を受けて、やおら「左翼リベラルの壊滅」とか、「教条的な左派が如何に有権者に嫌われたか」などと、したり顔で語る向きが喧しい。 しかし結論から言えば、総選挙の結果は左翼やリベラルが蛇蝎の如く嫌われたからそうなったのとは程遠いのであった。政策や争点が無視され、SNSを基底にして作り出された「高市さん良い人じゃん」「高市さんが頑張っているのに虐められて可哀そう」という、児戯にも似た感覚で高市自民を選んだ結果が、自民圧勝の顛末であった。◆尾崎豊がギャグになる世代 興味深いのが世代別の投票先だ。『朝日新聞』の出口調査によると、とりわけ49歳以下の有権者で中道改革連合(中道)への比例投票率は軒並み1割を大きく割り込んでおり(反対に国民民主への投票率はきわめて高い)、この事実こそが中道壊滅≒高市自民圧勝の原因となっていそうである。 というのも、49歳以下の平均投票率を4割と仮定しても、この世代の人口は約6000万人存在し、投票権を持だない18歳未満を除いた有権者人口は、実に約4000万人に達するからである。簡単な算数で、これに0・4を掛ければ約1600万票になる。自民は今回、比例合計で約2103万票を獲得。対して中道は約1044万票を取ったことを考えれば、国政政党の浮沈を左右するには十分すぎる母集団だ。 かくいう筆者も、この世代のちょうど真ん中に位置する43歳である。この年代における中道への「異様な」までの禁忌感とはいったい何なのか。 私の世代は、ちょうど「不良」「ヤンキー」が絶滅危惧種になっていた時代に、義務教育と高校教育を受けた。1970年代後半から90年代劈頭(へきとう)に於いて、全国の小・中学校や高校で、「校内暴力」の嵐が吹き荒れた。それは生徒対生徒の暴力沙汰に留まらず、生徒対教員(学校)に発展した。その背景には管理教育があった。管理教育とは集団規律の徹底・体育会的指導の横溢・教育者(学校側)の精神主義的教育方針の専横などを指す。 この過度な管理教育への反発として、青少年は荒れた。無論、都道府県や自治体の教育委員会の方針によって濃淡はあったが、90年代に入ると管理教育への反省から所謂「ゆとり教育」が優先となり、学校の治安は一服して現在に至る。 管理教育への生徒側からのカウンターの象徴は、ミュージシャンの尾崎豊(65~92年)であった。尾崎の代表作のひとつである『15の夜』は、<盜んだバイクで走り出す>というサビの歌詞が有名であり、続いて『卒業』では、<この支配からの卒業>というフレーズが知られる。前者は83年、後者は85年にリリースされた。まさに校内暴力の真っ最中で、体制への反逆こそが若者のあるべき精神とされ、尾崎の熱狂的なファンが全国に生まれた。だが不幸なことに彼は『卒業』ベスト版リリース直後の92年4月にわずか26歳で早世した。 そんな短い尾崎の人生と入れ替わるように、90年代中盤以降に青春時代を迎えたのが筆者の世代である。98年に札幌市内の公立高校に進学した筆者にとって、尾崎的な反体制・権力批判のアーティストは、かいつまんで言えば「馬鹿」と見なされた。このとき、尾崎の死後10年も経っていないにもかかわらず、権力者や体制に反逆するのは損であり、権力に迎合しておこぼれ(内申書の差配など=大学への推薦入学)を貰う生き方こそが、最も合理的な選択で賢明だ、という共通認識が出来上がっていたからだ。 よってカラオケで尾崎を歌うとき、級友たちは爆笑した。筆者の世代では、尾崎が人生を以て示した反権力や反体制の精神は、最早ギャグでしかなかったのである。(つづく)2026年2月27日 第1558号 「シリーズ・どうする日本政治-政策ではなくイメージと空気で投票先を選ぶ有権者」から前半を引用 国会議員の選挙に当たって、自分は「反体制派」なのか「反権力派」なのかという極端な思考まで行かなくても、自民党が与党としてやってきた政治の結果、自分たちの暮らしは満足できる常態になっているか、もしなっていなければこの先どのような選択肢があるのか、という具体的な見地から、目の前の複数の政党の候補者の話をよく聞いて、どの政党の政策が最も好ましいのかという「判断」をして投票するのが「選挙」だと、私たちは学校教育を通して学んだはずなのに、現代の若者は、自民党政治にすっかり手なずけられてしまい、飼い犬のように、飼い主(?)の気に入ってもらうのが一番得する「道」である、と考えているのでは、「失われた30年」が「40年」となり「50年」となり、日本人は永遠に資本家に搾取される「道」を行くことになります。そんな「道」を歩いているうちに、この国は自然消滅するのか、大国に吸収されるのか、ろくなことにはならないと思います。
2026年03月24日
日本の歴史の中で起きた最大の事件は、盧溝橋事件をきっかけに始まった日中戦争からアジア太平洋戦争にまでになった「あの戦争」である。日本人の犠牲者だけで300万人、日本軍によって殺害されたアジア人は2000万人を超えるといわれた大事件であったが、その「大事件」について、毎日新聞専門記者の栗原俊雄氏は、7日付け同紙コラムに、次のように書いている; 「戦後80年」だった昨年、メディアは盛んに大日本帝国の戦争について報道した。「戦後81年」以降は、戦争体験者への取材が困難になっていることもあり、報道は激減してゆくだろう。しかし体験者や遺族の喪失感、亡くなった人を悼む気持ちはメディアにとっての「節目」が終わっても続く。2月28日。東京都慰霊堂(墨田区横網)で「東京大空襲81年 第20回朝鮮人犠牲者追悼会」が営まれた。 1945年3月10日、米軍による無差別爆撃で、およそ10万人が虐殺された。歴史教科書に記され、広く知られているだろう。一方、犠牲者の中に多くの朝鮮人が含まれていたことは、さほど知られていないのではないか。 私は4年前にこの追悼会を知り、参加した。その後、空襲体験者や遺族の証言、先行研究などからさまざまなことを学んだ。犠牲者は、追悼会を主催する「東京大空襲朝鮮人犠牲者を追悼する会」が氏名を把握しているだけで188人。1万人以上との研究もある。実数の特定は困難だが、東京には41年末時点で朝鮮人10万4156人が暮らし、後に空襲で壊滅的な被害を受ける本所・深川地区に2万人、荒川・城東地区に3万人がいた(朝鮮銀行の調査)ことから考えると、死者は相当な人数に及ぶだろう。 追悼する会は「犠牲者の尊厳を回復するために」と、氏名を特定するための史料調査やフィールドワークを進めている。「日本の植民地支配がなければ、亡くならなかった人たちです」。今年の追悼会の後、調査に参加している若い学生が私にそう話した。◆村山談話の舞台裏 第二次世界大戦では、日本人だけでも300万人以上が亡くなった。あの戦争は今日に至るまで、「対等」とは到底言えない日米関係など、国際社会における日本の地位にも大きく関わってきた。「日本史上最大の事件」であり、負の遺産を広く長く深く残している。二度とそんなことがないように、世代が変わっても省みて、体験と記憶を継承していかなければならない。しかし、そうした「反省」は容易ではない。 94年6月、社会党と自民党、新党さきがけの連立政権が誕生した。3党は「過去の戦争を反省し、未来の平和への決意を表明する」国会決議の採択を目指すことで合意した。しかし内容を確定する作業は難航した。社会党とさきがけが近隣諸国への「侵略」や「植民地支配」を盛り込もうとしたのに対し、自民党の案はこれらの文言を入れず、犠牲者への「追悼」を前面に出すものだった。 それでも95年6月9日、衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採択された。「不戦決議」とも呼ばれる。「戦後50年の節目に、決着していない問題にけじめをつけようと決意していました。社会党が政権に入ったからには、これはぜひやらなければならない、と」。党委員長として首相に就任した村山富市氏(1924~2025年)は13年、私のインタビューに、そう語った。 妥協の結果、「決議」は「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」などとなった。「世界の近代史……」のくだりは「日本だけが植民地支配、侵略をしたわけではない」といった「釈明」のような響きもある。 村山氏はこの決議の文言に「本質をゆがめられた。これでは逆効果になってしまう」と思った。その危機感が、日本による過去の植民地支配と侵略を謝罪した95年8月15日の「村山談話」につながった。◆高市氏と「反省」 村山氏が納得できないほど妥協した「不戦決議」であっても、議員の抵抗は強かった。賛成したのは衆議院の定数511のうち、半数に満たない230人。野党の新進党のみならず、与党からも欠席者が出た。参議院では決議すらできなかった。 高市早苗首相は当時、新進党の若手衆院議員で、強硬な反対派の一人だった。決議に先立つ同年3月16日、外務委員会で「不戦決議」を取り上げた。「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と述べた。 私も当事者世代ではない。アジア諸国・地域を侵略していないし、現地の人たちに危害を加えてもいない。「直接的な加害者」としての反省を求められたら戸惑う。また「他人がしたことの反省を求められるいわれはない」という感情は自然であり、説得力もあると思う。 だが、別の意味で戦争を「反省」し、「戦争責任」を感じることはできるはずだ。 過去につながらない未来はない。自分には直接関わらない過去を知り、誇るべきは誇り、反省すべきは反省する。近現代でいえば、日本はなぜ植民地支配や戦争をしたのかを考え、それによって苦しんだ国・地域の人々の気持ちを想像する。そこから教訓を得て、未来につなげる。それが日本の歴史に連なる者としての責任だと、私は思う。(専門記者)2026年3月7日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「現代をみる-戦後世代の戦争責任と反省」から引用 この記事で栗原記者が訴えているように、アジア太平洋戦争はわが国の史上最大の事件だったのであり、二度と繰り返してはならない事件であったのですから、「二度と繰り返してはならない」という「祖先の教え」を正しく受けついで後世に伝えるのは、現代に生きる我々の責任だと思います。その「責任」の一端として、村山富市氏が首相だったときに発表した「村山談話」は、後世の日本人が「歴史」をどのように理解するべきか、適切なアドバイスを提供していると思います。しかし、それに比べると高市氏の「私自身が戦争をしたわけではないので、反省を求められるいわれはない」などと、反抗期の高校生みたいな口答えをする態度は、少なくとも一国の政府を代表する立場の人間に相応しい発言とは言えません。野党議員のときの発言であったのであれば、一国の首相として海外のメディアの取材にはどう対応するのか、官僚の模範解答などを参考にして準備するべきだと思います。間違っても調子に乗ってアドリブ発言をするようなことは慎むべきでしょう。
2026年03月23日
東日本大震災で東京電力福島第一原発は1~3号機が外部電源を失って炉心を冷却する機能をなくしたために炉心溶融を起こし、高濃度の放射能汚染を引き起こして人間が近寄れない常態になっているが、4~6号機は震災当時は稼働してはいなかったので、1~3号機のようなダメージにはならなかったのであるが、1~3号機の被害があまりにも甚大であったため、東京電力としては福島第一原発だけではなく第二原発も、まとめて廃炉にすることになったのであった。しかし、事故を起こした第一原発の1~3号機の廃炉作業は遅々として進まず、無駄に時間が過ぎていくだけのような印象であるが、東京電力としては企業イメージの悪化を防ぎ、廃炉作業に真剣に取り組んでいることを広く社会に周知する目的で、先月、報道関係者を対象に、廃炉作業の準備が進む福島第一原発の4~6号機を公開したのであった。毎日新聞社から参加した専門編集委員の伊藤智永氏は、原子炉格納容器の中に入ったときの感想を、7日付同紙コラムに、次のように書いている; 廃炉が進められている東京電力福島第1原発で、5号機の原子炉格納容器の中に入った。 なぜそんな恐ろしげなことを。2月の日本記者クラブ取材団に参加したら、東電の視察コースに入っていた。見られるものは何でも見てやろう。理屈は後だ。 東日本大震災で炉心溶融(メルトダウン)した1~3号機。各格納容器の底に、溶け落ちた核燃料(デブリ)が推定880トンある。東電は全て取り出すと言うが、震災から15年の実績は、2号機で試験採取したわずか計0・9グラム。 それも釣りざおで微量を引っかけるアナログ式。途中で押し込みパイプの配列を間違えたり、先端の監視カメラが壊れたり、絶望的に遅々たる歩みである。 5号機は震災時、定期点検中で損傷は軽かったが廃炉の予定。放射線量が高く中に入れない2号機と同型で、デブリの取り出し現場を疑似体感できるという。 全身防護服に手袋2枚、靴下3枚重ねの完全装備で、いざ中へ。ジャングルジムをくぐるようにして原子炉の真下に潜った。 狭い。直径5メートルほどの円形で、頭上に核燃料制御棒が137本突き出し、中腰でないと頭を打つ。格子床の3メートルほど下に容器の底がある。1~3号機ではそこにデブリが落ちているわけだ。 原子炉は思ったより小さかった。これ1機で、首都圏で暮らす約26万軒相当の電力を生み出していたのだ。核エネルギーの底知れなさに想像力が追いつかない。 原理は違うが、広島の原爆も全長約3メートル、直径71センチ。「リトルボーイ」と呼ばれていた。 今年、ようやくロボットアームによるデブリ採取が始まる。いずれ原子炉の上から特殊装置でデブリを破砕し、底に落として横穴から大量にかき出すという。 だが、デブリとは何物か、原子炉の中はどうなっているのか、開口部から放射性物質は拡散しないのか。依然なぞは多い。 東電の廃炉完了目標は2051年である。素人考えでも無理だ。取り出せても、どう処理し、どこに保管するというのか。 廃炉とは何か。そこから考え直すしかない。跡地を古里に戻すかのような幻想を抱かせる方便は、汚染より罪深い。 建屋の外に出て、寂れた発電所内を歩く。ここで作られた電力をむさぼった都会の虚栄と逸楽を呪う感情が湧き、自分もその一人だと思い直して黙然とする。 AI時代に原発再稼働・新増設は当然とする世相である。福島のデブリは、ゴジラのように放射能を帯び続ける。(専門編集委員)2026年3月7日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-原子炉の真下に潜って」から引用 東日本大震災で原発が事故を起こしてから15年も経つというのに、メルトダウンした原子炉はそのままコンクリート詰めにして永遠に封印することにし、未来永劫に誰も近寄らない地帯にするのが手っ取り早いのであるが、それでは企業イメージが良くないとでも思っているのか、東京電力は会社の方針として、数十年かかっても、あくまでも「廃炉にする」という方針のようである。しかし、いくら固い意志をもっているからと言っても、具体的に実行できる現実的なプランがないことには、「絵に書いた餅」に過ぎないわけで、数十トンもある高濃度放射性物質を、わずか1gに満たない少量を取り出すのに15年掛かった、という「現実」を手掛かりにして、「本当の解決策」はどのようなものであるか、考え直す必要があるのではないかと思います。
2026年03月22日
カナダのカーニー首相は本年1月のダボス会議で演説し、現代は大国が武力に任せてやりたい放題だが、我々中堅国はそのような法の支配を逸脱した大国に迎合するのではなく、中堅国同士が団結して法の支配を守り通すべきだという主旨の演説をして、国際情勢に疎い私などは「カーニー氏は立派な政治家だ」という印象を持ったのであったが、しかし、今月にはいってアメリカとイスラエルが話し合いの相手であるイランを突然攻撃して最高指導者を殺害するという「犯罪」を行った後の、カーニー氏の言動について、文筆家の師岡カリーマ氏は7日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 米国とイスラエルが一方的に攻撃を始めたのは、核交渉を仲介するオマ-ンの外相が、イランは「これまでにない」譲歩の姿勢を見せたと明かした直後だった。核問題は言い訳で、初めから戦争ありきだった。 米・イスラエルの攻撃よりも、やられたイランの反撃をまず非難する主要国もさることながら、矛盾が際立ったのがカナダのカーニー首相だ。 今年のダボス会議で氏は、好き勝手に振る舞う大国に中堅国は迎合するのではなく、団結し対抗するべきだと説いて話題を呼んだが、本音を言えば「白々しい」という印象は拭えなかった。ガザ住民を虐殺するイスラエルに対して武器供与や外交支援を続け、他国に倣ってようやくパレスチナ国家承認に傾いたときも独善的な条件をつけたカーニー氏が、トランプにむげにされて初めて「大国に迎合するな」と言っても、説得力はない。 そして今回の対イラン開戦。スペインは国内の基地を米軍が使用することを拒否してトランプから貿易停止を警告されたが(ブラボー!)、カーニー氏はその中堅国スペインとの連帯ではなく、国際法無視の米国とイスラエルに支持を表明(後に英仏が言葉を濁し出すとこれに追随したが)。これが大国迎合でなくて何なのだ。カーニー氏の経歴を飾る美談としてのあの演説は、なかったことにするのが彼の名誉のためだろう。(文筆家)2026年3月7日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-なかったことに」から引用 師岡氏の批判はまったくその通りであるが、カーニー氏もカナダ中央銀行総裁を引退した後は穏やかな老後を過ごすはずだったのに、若手の首相が突然退陣してお鉢が廻って来たという状況で、ご苦労をしているのだろうと思います。カナダは長年にわたって安全保障関係はアメリカに依存していたらしく、トランプ氏の二期目になって「51番目の州になれ」などと言われて、これからはアメリカに依存しない独自の安全保障政策を実現することになったというニュースを聞いて、カナダもこれからは前途多難だなと思いました。それにしても、アメリカとイスラエルは、このままイランとの話し合いを続ければ「核開発は断念」の「合意」が出来上がってしまうというので、そんな「合意」など出来る前にやってしまえとばかりにイランを攻撃したというのは、鬼畜の仕業というほかありません。ネタニヤフとトランプは、早めに地獄に落として閻魔大王に舌を引き抜いてもらうべきです。
2026年03月21日
アメリカとイスラエルは、イランを相手に核開発問題について話し合いをしている最中に、いきなり相手国のイランを武力攻撃して最高指導者を殺害するという暴挙を行ったが、このならず者国家アメリカとイスラエルを日本のメディアはどのように報道したのか、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、4日の東京新聞に、つぎのように書いている; 米国とイスラエルのイランへの攻撃に対し、ニューヨーク・タイムズ2月28日の社説が強い批判を表明したことが話題になっている。日本の新聞はどうだろうか。 東京新聞の社説は「国際法を無視した暴挙にほかならない」と書いた。全国紙の社説を(あくまで斎藤の判定で)批判が強い順に並べると・・・ (1)「国際法に違反する可能性がある攻撃を支持することはできない」と強く批判(読売新聞) (2)「国連憲章などの国際法に違反する」と普通に批判(毎日新聞) (3)「国際法違反の疑いが拭えない」と弱めだが一応批判(日経新聞) (4)「国連憲章が規定する2要件の「どちらも満たしていない」と事実中心に指摘(朝日新聞) (5)イランだけを非難し高市首相と小泉防衛相に、「いつでも掃海部隊を派遣できるよう準備しておくべきだ」と自衛隊派遣を促す(産経新聞) 産経は論外としても、全体に歯切れが悪い。だが、この件に関しては国際社会の反応も及び腰なのだ。米国を強く批判したのはロシアと中国。米国を支持したのはカナダとオーストラリア。EUや中東諸国はイランのみを批判し、事態を憂慮しつつも米国寄りだ。 ガッカリするが、トランプ大統領を刺激して事態を悪化させたくないのかもしれない。だからこそよけいニューヨーク・タイムズの社説が際立つのだ。 (文芸評論家)2026年3月4日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-各紙の論調」から引用 考えてみれば、今回の「イランへの不意打ち攻撃」はニューヨーク・タイムズこそ正面からまっとうな批判をしているが、昔からアメリカは表向き「民主主義」を言いながら、南米やアフリカに気に入らない政権が誕生すると影に日に策略をめぐらせてFBIだのCIAだのという組織を使って武力で崩壊させるということをやって来た国であり、近いところではイラク戦争が有名(?)である。したがって、本来であれば世界中のメディアがニューヨーク・タイムスのように、あくまでも事実を元に「アメリカとイスラエルの行動は違法である」と批判するのが、人間として正しい行動の仕方なのであるが、世界の人間の「正義感」は、まだそのレベルには達していないのが「現実」である、ということのようだ。ただ、昔だったら誰も知らないうちに、こっそりCIAが気に入らない外国政府を転覆したものが、現代では「隠し事」として処理できなくなってきているのであるから、これからは世界中のメディアが「ならず者国家アメリカ」の報復を恐れずに、真実を報道する勇気を、少しずつ発揮していくべきだと思います。そのような努力の末に、きっと理想的な世界が出現するのだと思います。
2026年03月20日
自分の都合最優先で違法な「解散権の乱用」を行い衆議院を解散し選挙をしたら、予想外の「与党大勝」を手に入れた高市政権は、年初の多忙な時期を無駄に時間をつぶした挙句、2月20日になってようやく施政方針演説を行ったのであったが、メディアはそれをどのように報道したか、ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は、1日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 高市早苗首相が2月20日に施政方針演説を行い、各紙(21日付)は1面から「信任を基礎に政策実行」(「毎日」)、「責任ある積極財政」「強い外交・安保」(「朝日」)などと持ち上げています。 一方で各紙社説(同)は「政策」の中身に言及。「毎日」は「国論を二分しかねない政策の説明もなおざりだ」とし、安保3文書の前倒し改定を明言したものの、「防衛費増額の目標や財源、焦点となる非核三原則の扱いなどには触れなかった」としています。東京新聞は「国民が望む物価安定と経済成長、平和の維持につながるのか。『責任』の中身を問いたい」などと指摘しました。 総じて「憲法改正の国会発議が単独で可能な状況となったが決して白紙委任ではない」「数におごらず熟議を尽くすべき」(愛媛新聞)という論調です。 過去最大の1342兆円にものぼる「国の借金」を前提にした首相の「積極財政」には懸念も出ます。「株、債券、為替の『トリプル安』を招き、国民生活を圧迫する恐れもある」(熊本日日新聞)、「成長重視の政策は安定財源が見えないこともあり、危うさをはらむ」(南日本新聞) 「安全保障関連3文書の改定前倒し、防衛装備品の輸出を非戦闘目的に限る5類型の撤廃、国家情報局創設を目指すとし、憲法改正の国会発議実現にも改めて意欲を見せた。だが、これらの政策に関する説明は具体性を欠く。『国論を二分する政策』を数の力で押し切ることは許されない」(神戸新聞)という批判も。「求められるのは強さなどよりも暮らしの向上」(静岡新聞)ともいいます。 他方、「産経」は「皇室典範と憲法の改正を-『強く豊かな日本』を実現せよ」と極右的主張を展開しました。現職首相が改憲の国会発議が「早期に実現することを期待する」と踏み込んだことを批判する全国紙社説はありませんでした。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2026年3月1日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-施政方針に疑念と批判も」から引用 高市氏は自分が初の女性首相であるという、これまでの政治家にはなかった千載一遇のチャンスをモノにしたいという「あせり」があるせいか、発言する言葉のはしはしに「実は中身空っぽ」という実体が見え隠れする印象を受けます。しかも、それで何か新しいことをやるのかと言えば、口では「国論を二分する大きな問題にチャレンジする」と大言壮語はするが、具体的な「提言」はいまのところ明らかにされてはいない。しかし、実際には巨大な与党議席を手にした今は、変に功を焦る必要はないのであって、じっくりと腰を据えて、今本当にこの国に必要なのは何か、という本質的な戦略を考える時期なのであって、同盟国に媚びを売って不要な武器を購入する約束をしたり、違法な「イラン攻撃」の片棒を担いでホルムズ海峡に自衛艦を派遣することを約束するなどという馬鹿げた真似は慎むべきだと思います。
2026年03月19日
先進国やアジアでも今は「同性婚」が認められる時代になったというのに、G7の一員でありながら頑なに「同性婚」を認めようとしない「日本」について、文筆家の師岡カリーマ氏は、2月28日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 今年中に示されるとみられる「同性婚訴訟」の最高裁判断に注目している。同性カップルが結婚できない現行法は違憲だと訴えたこれらの裁判では、すでに5件の高裁判決が、現状は憲法に「違反する」と判断。東京高裁だけが「違反しない」との判断だった。 個人的にこれは、法解釈より読解力の問題に思えてならない。憲法は、「法の下の平等」と「幸福追求権」を保障している。第24条には婚姻が「両性の合意のみ」で成立するとあるが、それは「どちらかの当事者がその性ゆえに望まぬ結婚を強制されてはならない」という趣旨なのは明らかだ。父権主義の終焉である。「結婚は男女間でしか認められない」という意味は読み取れない。仮に両方の解釈が成り立つとしても、憲法が保障する法の下の平等と幸福追求権と矛盾しない解釈を選ぶのが筋であろう。 多くの先進国に加え、アジアでも台湾とタイは同性婚を認めている。日本は常に、欧米諸国と自由や人権などの価値観を共有すると主張する。そういう時は中国やロシアが対抗勢力として念頭にあるが、頑として同性婚を認めない日本は、中国とロシアの側にいる。 日本の伝統と同性婚は相容(あいい)れないとの主張もあるが、それはどこの伝統も同じだ。伝統は時代とともに進化するから生き続ける。自由と平等と人権の国の最高裁の英断が待たれる。(文筆家)2026年2月28日 東京新聞朝刊 11版 19ページ 「本音のコラム-法解釈というより読解力」から引用 戦前の日本では、一家の中で娘や息子が結婚するときには親の承諾が必要で、親は商売や政治的な利害関係で本人の気が進まない縁談を無理に進めるということが、頻繁にあったらしく、戦後の日本はそのような封建的な社会状況を少しでも改善しようという考えで、結婚は「親の意向」などは無関係で、当人同士の合意があれば成立するものとしたのであったが、そのような民主的な改革を「肌になじまない」と考える人たちが、この国にはまだかなりの人数にのぼるらしく、憲法を素直に読めば、同性婚を認めないとする態度は明らかに憲法違反であるのに、そういうまっとうな「判決」を出せずに来たのが、わが国司法の実態です。新しい憲法になって80年も経ったのですから、そろそろ「父権主義の終焉」を現実のものとしていく頃合いに差し掛かったと考えるべきではないかと思います。
2026年03月18日
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