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日本が集団的自衛権を行使できる存立危機事態の具体例について衆院予算委員会で岡田克也元外相から説明を求められた高市首相は、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだ」と答弁した。
中国政府の反応は激しかった。台湾政策を担当する台湾事務弁公室は悪質な発言だと非難し、大阪総領事は首を斬るほかはないとまでXに投稿した(現在は削除)。14日に中国外務省は日本渡航の自粛を求め、尖閣諸島近海では中国の艦船が確認されている。
想起するのは1996年3月の台湾海峡危機である。台湾総統選挙の直前に中国が台湾海峡でミサイル発射実験を行い、米国は相次いで二つの空母機動部隊を台湾海峡に送った。
当時ワシントンにいた私は、米中武力衝突が起こったときに日本はどうするのかと米国人の専門家に聞かれ、日本政府は判断に苦慮するだろうと答えたところ、日本は米国とともに中国と戦うほかにないと切り返された。憲法の定めにかかわらず米中の危機が起これば対米協力のほかに日本の選択はないという議論だ。
ここでは米国が決定の主体であり、日本は米国に従うことが当然とされている。当初ソ連の侵攻を想定して策定された日米防衛協力のガイドラインは、その後に北朝鮮の軍事行動を想定する内容に改定され、2015年にはより包括的な同盟調整メカニズムによって対外抑止力を強化する内容に変わったが、米国政府の求めに対して日本が防衛協力の範囲を検討するというあり方には変わりがなかった。
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今回の高市首相の発言はそこが違う。 台湾有事を存立危機事態として示した点で、高市発言は台湾有事の明示を避けてきた従来の「戦略的あいまい性」の変更であると報道された。だが、米国政府の方針が変わったようには見えない。 むしろ、高市発言は米中関係が緊張の緩和に向かうなかで行われた。
同盟国の結集による対中抑止力強化を進めたバイデン政権と異なり、トランプ政権は軍事より経済に重点を置いて対中政策を進めてきた。トランプ第2期政権発足とともに関税戦争とも呼ばれる緊張が生まれたが、現在では米中経済対立は弱まりつつある。既に米中経済関係についてレアアース規制1年延期などが合意され、釜山で行われた米中首脳会談でも台湾問題は争点にならなかった。
米国政府は高市首相の発言に対する評価を避けている。高市発言について意見を求められたトランプ大統領は同盟国の多くも友人ではないなどと述べ、中国への批判を避けた。日本政府と一体となって中国政府を非難する姿勢を見ることはできない。
日本が同盟を結んでいる相手は米国であり、台湾ではない。安全保障関連法(2015年)における存立危機事態とは日本と密接な関係にある他国が攻撃され、日本の存立が脅かされる事態を指しているが、これは日米同盟と結びついた、米国の求めに対してどのような場合に日本が防衛協力を行うことができるのかを想定して設けられた概念である。米国の要請、あるいは圧力がない状態において、日本政府が独自に存立危機事態を再定義することは考えられていない。
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中国はもちろん台湾も米国も現状変更を求めていないときに存立危機事態の解釈を拡大する。私はそこに、高市政権の危うさを見る。高市発言には国際関係における交渉に基づいた実務者の判断と異なる、敢(あ)えて言えば軍事力の効用で押し切った現実の単純化が認められるからだ。
高市首相には台湾有事が存立危機事態に当たるのは当然に見えるのかも知れない。だが、それを公言することは、日本外交の選択肢を狭めるだけでなく、中国と合意された現状を日本が変えることによって、日本が現状を変更する勢力と見なされる機会をつくってしまう。
96年の台湾海峡危機において、日本は危機をつくり出す主体ではなかった。今回の高市首相の発言は、日本が危機をつくり出す主体となり得ることを示している。
東アジアにおける日本外交の目的が国際関係の安定と現状維持であり、力による現状変更の防止であるとすれば、軍事力による抑止と外交による危機管理と信頼醸成が同時に必要になる。私は高市首相にそのバランス感覚を見ることができない。中国でも米国でも台湾でもなく、日本が先頭を切って緊張を拡大し、東アジア国際関係に不安定を招くのではないか。私はそれを恐れる。
(順天堂大学特任教授・国際政治)
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