雑な人生の雑な日記
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しばらくご無沙汰していました。実は学生時代の恩師が亡くなられ、ショックを受けていたのです。もう90歳になられるので、寿命だと言ってしまえばそれまでですが、まだまだお元気でいて頂きたかった・・・。恩師は学徒出陣(知らない人はウィキペデァでも調べてください)で、帝国海軍に入り、航空兵として戦争に向かいあいました。鹿児島県鹿屋にいました。鹿屋といえば、ちょっと詳しい方はおわかりでしょう。知覧が有名ですが、あちらは陸軍特攻隊の基地で、鹿屋は海軍の特攻隊の基地でした。もちろん恩師も特攻隊に志願されたそうです。本気だったそうです。選抜から漏れたため、上官の部屋に行って自分を選んでもらうように懇願したそうです。しかし、上官から「次を待て」と言われたそうです。恩師は宗教史が専門で、哲学、歴史、文学の造詣が深い方でした。それでも、当時は「本気」で志願したそうです。私達には「当時は何を考えていたのか・・・」と仰っていました。傷に触れる事になるので、こちらからその事についてきく事はできませんでした。当時から戦争について色々と本を読んでいた私ですが、当のご本人からはさすがに・・・。でも、卒業してからも時々電話や手紙、お会いして話をする機会がありました。特攻隊の選から漏れたあとの任務が「特攻出撃する戦友の世話係」だったと仰っていました。軍隊の中で何よりも、それが一番辛かったともらされたことがあります。私は一言も言えませんでした。敗戦後、自宅に戻り、様々なことを考えていたところで、やはり「学問」をやりたい、と決心され、その道に進まれました。そんな体験をされた方ですので、退官後は「憲法九条を守る会」の活動もされていました。その点で私とは考え方が違いましたが、親友、同期生、戦友が特攻で死んでいったという体験をしていたら、私もそうなるだろうとは感じました。恩師は大変な人格者でしたので、私の考えについても、同意できるところはきちんと納得していただきました。考えが浅いところは指摘も頂きました。あの戦争で亡くなった友人たちに対して、言葉には出さないながら、罪悪感を持たれているのが分かっていました。今は、ただただご冥福を祈るばかりです。この十年で日本人の意識がずいぶんと変わりました。それが良い事なのか悪い事なのかは私にはわかりません。ただ、歴史を学んだものとして言えるのは、「勇壮」で「威勢の良い」ことを言う連中に限って、安全なところにいる、ということです。神風特攻隊、戦艦大和の海上特攻等々、死んでいった人々は己がなんの為に死地に赴くのか、悩み苦しみながら敵に向かっていきました。そして、それを命令した者、関わった者達は何もなかったように黙ったままです。今、福島の原発で同じような構図で、60数年前の事態が起きています。日本人とは一体どういうモノなのか、この数カ月考えています。筑摩書房・V.セミョーノフ/A.スメドレー/R.シャーロッド/吉田満/L.ヴァンダー=ポスト 大久保康雄他訳世界ノンフィクション全集31 バルチック艦隊の最期/第八路軍従軍記/恐怖の島タラワ/戦艦大和の最期/マラヤの虜囚 【中古】afb406A1224【中古】afb送料無料☆きけわだつみのこえ新版/岩波文庫☆【送料無料】図説特攻数年前、恩師のご自宅を訪ねた時、恩師が「その時は悩みに悩んで、ここで私が死ぬのは『歴史的必然』だと結論しました。」と仰っていました。『歴史的必然』・・・そこまで悩まなければいけなかった当時の若者たち・・・。理性で考えれば、力は必要だというのが私の数十年来の意見です。しかし、その立場に自分がなることについては・・・安易に「威勢の良い言葉」には寒気がします。
2011.06.11
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