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ぼっけもん です東北で営業中に地震に遭遇したコメディアンの「サイドイッチマン」が、自分のブログで被災状況を伝えており、それを見たイギリスの新聞編集者がその内容を一面に掲載しました。彼のブログの一部を引用し、写真には日の丸を背景に「がんばれ日本!がんばれ東北!」の日本語を使っていました。「戦後、俺たちのじいちゃんやばぁちゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します!日本をナメるな!東北をナメるな!」「Our grandparents rebuilt Japana after the war and the growth was considered a miracle around the world. We will work to rebuild Japan in the same way again. Don't give up Japan! Don't give up Tohoku」「ナメるな」の翻訳は難しいですね。この場合「don't give up」で伝わると思います。記事を見たい人は以下のホームページを。http://www.independent.co.uk/news/world/asia/towns-vanish-thousands-die--ndash-but-a-nation-begins-its-fightback-2240508.htmlぼっけもん でした
2011年03月21日
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ぼっけもん です被災地での救援活動は続いていますが、避難所に充分な物資が届いていないとの報道は残念でなりません。道路が寸断されていたり運搬に使うトラックなどの燃料が不足したりすることに加えて、原発事故の非難区域も影響しているのでしょう。水路、空路を使っての輸送も実施されているとは思いますが、雪が降るような寒さの中での避難所生活の大変さは想像以上のものだと思われます。ヘリコプターで避難所近くの校庭などまで物資を運び、そこからはクロネコヤマトのように自転車-リヤカー作戦で現場の避難所まで持っていくというのはどうでしょうか。まだ救援活動が続けられている状況ですので、ボランティアが出かけていく状況ではないと思われますが、何かできないかと考え、わずかでもと救援物資提供に協力することにいたしました。東京都は都庁で救援物資を受け付けているというので、杉並の自宅から子供たちと一緒にサランラップやホッカイロを持って行くことにしました。都庁まで出かけました。宅急便で送ってはその運送に燃料を使ってしまいますので、風も無く暖かかったこともあり、新宿の都庁第二庁舎まで、私と息子は走って、娘は自転車で向かいました。都庁では職員やボランティアが物資の受付を行っていましたが、支援者は列を作るほどに並んでいました。現在、食品や衣料品は受け付けていないとのことで、対象となっているオムツや水など我が家のようなラップやカイロを持った人が多くいることに力づけられるものがありました。少しでも早く必要なものが必要な人たちに届いて欲しいと願います。がんばれ!日本がんばれ!東北ぼっけもん でした
2011年03月20日
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ぼっけもん です娘が高校の卒業式を迎えました。地震の影響で少し遅れ、一部出席しなかった同級生もいたようですが、開催にこぎつけました。娘もその友人も、常磐ハワイアンセンターで地震に遭遇し足止めされましたが、センターの方々がサポートしてくださったため、2日目には無事帰ってくることができました。協力してくださった方々、バスの運転手さん、本当にありがとうございました。単身赴任先の三島では、早咲きの河津桜は葉桜になりかかっていますが、一部気の早いさくらが満開になっていました。被災地にも早く春が来て欲しいと願います。がんばれ!日本がんばれ!東北ぼっけもん でした
2011年03月19日
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ぼっけもん です3月14日はホワイトデーでしたが、ちょうど出張が入っており、女性陣にお返しができないと思われたため、早めに何かしようと考えていました。9日、10日も夜は宴会が入っていたため、少し早かったのですが、8日の夜にイチゴ大福を作りました。静岡名産のイチゴ「紅ほっぺ」のヘタをとり、お尻の一部を出した状態でコシアンで包んだものを求肥でくるんでできあがり。イチゴとコシアンは買ってきたもので済ませましたが、求肥は白玉粉を水と砂糖ではなくカロリーを考えてパルスウィートを使って作りました。分量がわからず適当ではありましたが、なんとかそれらしいものができ、お世辞も入っているでしょうが、一応好評でした。ぼっけもん でした
2011年03月18日
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ぼっけもん です東北の地震は想定外の惨状を呈しています。早期救助、救援、復興が達成できるよう願いますし、節電などできる協力をやっていきたいと思います。犠牲者に方々に黙とう。被災者の方々にがんばれとはいえませんが、応援していますとだけ伝えたいと思います。それにつけても東京電力のお粗末さは目に余ります。要領を得ない記者会見、情報を隠しているのではと思われるような「確認中」の繰り返し。逆にNew York Timesの電子版の一面には、「チェルノブイリ以来の最悪の事故」と東電や日本政府さえ発表していない福島原発が煙を上げている写真を掲載していました。http://www.nytimes.com/海外のメディアからのほうが情報を得やすいというのはいかがなものでしょうか。原発反対の運動が加速する引き金を自ら提供してるように思われます。情報公開のリスクとメリットのバランスを東電は残念ながら見誤っているようにしか思えません。ぼっけもん でした
2011年03月15日
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ぼっけもん です 大学の出身教室の現教授(当時の助手)の最終講義が開催されるとのことで久しぶりに東大の弥生キャンパスを訪れました。農学部の正門前に高崎屋というお酒屋さんがありますが、学生当時、夕方に「いくらでビールとおつまみをお願い」と電話すると研究室まで持ってきてくれました。 この日もキリンビール2ケースを運んでもらうようお願いしてから教室に向かいました。 当時は小さなお店でしたが、今ではビルになっており、農学部が育ててあげたのだと思われています。またその裏に「チェルティ」というコーヒー店があり、私は暇があると入り浸っていましたが、覗いてみたら店名が変わっていました。夫婦でやっていたのですが、もう引退したのでしょうね。 最終講義に集まった当時の学生仲間と旧交を温めましたが、みんないいおじさん、おばさんになっていました。大学の先生になっている人もいましたが、お宅の会社で学生採ってくれない?と聞かれます。就職難は地方大学の学生の方が深刻なようです。一方で学生の質が落ちているとも悩んでいました。 学生時代に技官だった人は浅草出身で三社祭を生きがいにしていました。一度お神輿を担がせてほしいと頼んで町内会の法被を貸してもらって参加しましたが、血が騒ぐ感じで博士過程終了まで続きました。さすがにその技官さんは自分では担がなくなったそうですが、息子さんが引き継いでいるとのこと。 そして、私が博士時代に引き込んだ東大の薬学部の学生の後輩やその知り合いがいまだに通っているとのことで、技官さんはうれしい悲鳴と打ち明けてくれました。町内会では若手が減って応援を頼んでいるそうですが、技官さんの町内では学生たちが自主的に参加してくれて助かっているとか。今年は私もビール持参で息子と参加せねば。 教授の講演の話はしませんでしたが、昔に帰ったひと時を過ごせた夜でした。 ぼっけもん でした
2011年03月06日
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ぼっけもん です教授の最終講義に出かけましたが、上野駅で降り、パンダが久しぶりにやってきた上野動物園を少し眺めたあと不忍池にでました。ここにはカモや鵜もいますが、ジョギングを楽しむ人も多いようです。ボートハウスには昔はなかった白鳥ボートも並んでいます。手漕ぎボートは人気が無いようでつながれたまま春の陽気に静かに漂っていました。懐かしいと思いつつも、ここでボートを漕いだことがないことに気づきました。ぼっけもん でした
2011年03月05日
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