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ジョー・バフ『深海の雷鳴』ヴィレッジブックス ソニー・マガジンズセラミック船殻のステルス原潜が戦術核魚雷を使ってドンパチする、近未来海洋軍事アクション小説。かつて、潜水艦小説は、(1)Uボートや伊号潜水艦をメインに描く作品、(2)冷戦期の米ソ原潜同士の一触即発の追いかけっこや核戦争の危機を描いたもの、(3)敵から隠れたり沈没したりしている潜水艦内部の閉塞感を描いたもの、(4)海洋冒険ジュブナイル、の4パターンに分けることができた。(1)か(2)かのどちらかを時代背景として選択し、オプションとして、艦長と副長の対立、敵艦艦長との因縁、艦内に紛れ込んだ異分子、本国との連絡途絶、閉塞環境における乗組員の心理、核の恐怖、などを適当にチョイスすれば潜水艦小説が出来上がったといっても過言ではない。いわば水戸黄門的なお約束を踏まえていれば、時代背景と潜水艦という舞台の魅力だけで、物語が成立したのである。しかし、冷戦崩壊後、潜水艦は花形兵器の座から去っていった。国際情勢の変化に伴なって、任務は変化し、予算は削減され、魅力的な新型艦も登場しなくなり、軍事小説のネタとしての面白みは失われていった。そんな時代に颯爽と登場してきたのがこのシリーズ。現実世界が潜水艦小説の舞台として魅力を失った新時代の潜水艦小説であるこのシリーズは、ドイツと南アが手を組んで米英と戦争し始めたという架空の近未来を舞台に設定した。登場する潜水艦も、セラミック船殻で4500m潜航可能な架空の潜水艦。戦術核魚雷をふんだんに使用し、敵輸送艦隊を一瞬のうちに蒸発させたり、遠距離での核爆発で敵原潜を破壊したりと、これまでの潜水艦小説の戦闘シーンとは一線を画すSFチックな描写が目新しい。また、潜水艦で輸送した特殊部隊による地上での任務にもスポットが当てられ、閉塞感ある潜水艦小説の風通しを良くしている。舞台である深海の描き方も、海底火山の描写など、ビジュアル的にイマジネーションを刺激する工夫もなされている。潜水艦モノは映画化すると、ストーリーやキャラクターは魅力でも視覚的な面白みに欠けるという弱点を持っているが、これくらい視覚的にも訴えかけるような小説ならば、映画化しても面白いものになるのではないだろうか。上記のように新しく新鮮な要素のたっぷり詰まった新型の潜水艦小説であるが、もちろん前述の王道パターンもきちんと踏襲しており、その点でも安心して読むことができる。ただ、設定がちょっと破天荒なため、リアルさを追求する人にはお薦めできない作品ではある。
2007.04.24
エリザベス・ムーン『復讐への航路』ハヤカワSF「若き女船長カイの挑戦」シリーズ第二弾。宇宙のあちらこちらで活躍しているヴァッタ家の一族郎党が同時テロによって皆殺しにされる。復讐を心に誓ったカイは、テロの裏に隠された巨悪の陰謀を暴くために立ち上がる。ヴァッタ家はなぜ潰されようとしているのか?アンシブル破壊工作の目的は何か?独り立ちを余儀なくされたカイの前には、様々な謎と困難が待ち受けていた。今作で大きなストーリーの流れが見え始めたこのシリーズ、主人公の活躍の舞台広がり、大規模で派手な展開になりそうだ。単なる宙間貿易の話から、陰謀が渦巻き銃弾が飛び交うミリタリーSF色が濃くなってきた。今作で、シリーズとしての伏線がたくさん散りばめられたので、今後どのように話が収まるのか気になる。
2007.04.02
エリザベス・ムーン 『栄光への飛翔』ハヤカワSF船長としての初の任務は簡単に終わるはずだった…。「若き女船長カイの挑戦」シリーズ第一弾。宇宙でも有数の大手航宙会社の愛娘カイは、持ち前の親切心が仇となって士官学校を追放される。父に命じられて、退役目前のおんぼろ貨物船で貨物を辺境星域に運ぶという任務に赴くが、冒険心に富む一族の血を引くカイは、おんぼろ船をスクラップ行きの運命から救うために一か八かの賭けに出る。冒険心と優しさを併せ持つ主人公が窮地を乗り越えて成長し成功をつかむという、よくあるスペースオペラの定石を踏んだ、気軽に楽しめる娯楽SF小説。魅力たっぷりの主人公は財閥のお嬢様、脇を固めるのは有能な乗組員、士官学校、宇宙貿易、宙賊、傭兵、アンシブル、とキーワードを並べると無粋な説明がなくとも、雰囲気は掴めるだろう。日本ではシリーズ第三弾まで翻訳されている。一冊千円以上という文庫本としては高めの値段には閉口するが、続きが気になるシリーズである。
2007.03.28
ダン・ブラウン『デセプション・ポイント』角川文庫 『ダビンチ・コード』のダン・ブラウンによる、ポリティカルサスペンス。最近は、分厚い本は敬遠していたのだが、読み出したらとまらなくなり、一日で読んでしまった。まず、上巻始めのマイクル・クライトンばり科学知識を散りばめたSF風の描写に引き込まれる。読み進めると今度は、政界の暗闘。NASAに多額の資金を注ぎ込む現職大統領を批判し、大統領選を優位に進める対立候補、機密保持問題を巡るNASAと国家情報局の対立、それぞれがそれぞれの思惑によって謀略を仕掛ける。権力・金・女といった野心のほかに、陰謀の裏にある、娘との確執を抱える父、娘を亡くした父、自身が仕える政治家への信頼と疑念の間でゆれる才色兼備の女性秘書などの人間模様が描かれる。また、視点人物をころころ変える手法で書かれているため、誰の視点から見るかで見えてくる光景は違ったものとなり、登場人物の疑心暗鬼がよくわかる。読者も誰が黒幕なのか、判断に苦しめられる。最近、メディアから伝わってくるニュースはどれもこれも暗いものばかりである。多くの社会問題が山積し、解決の糸口も見えてこない。『ダビンチ・コード』などの陰謀モノが流行するのはおそらくそういった、人々の現状への不安や閉塞感があるからではないだろうか。多くの人は平凡な日常を望みながらも、大事件が起きるのを期待している。また、自分の知らない、より大きな存在に憧れる。それをかなえてくれるのが、この手の小説なのだ。つまり、陰謀モノの魅力の本質は、見えている現実の裏側に知らない世界が広がっていることを知るということにある。目に見える現実の裏にある真実を知りたいという気持ちは、「目の前にある現実は真実ではない、もっと別の真実があるはずだ」という現実への不満がと表裏一体である。もっとも先進国の人々は日常への不満も少ない上、宗教ウエイトもさほど大きくないため、『ダビンチ・コード』を読んだからといって、特段どうということはない。あくまで小説を小説として楽しむだけである。しかし、途上国においては、不満は大きく宗教の重要性も高いため『ダビンチ・コード』の与える衝撃は大きい。そのため『ダビンチコード』に対して、アジアや旧ソ連圏のキリスト教組織は激しく反発した。途上国のカトリック教会が動揺したのは、自分達が今日の問題にうまく対処できないとの自覚があったからではないだろうか。人々の現状への不満や苛立ちがあり、それを解決できないことに焦っているがゆえに、「事実を虚構と区別する必要がある」と声明を出したのだろう。ちなみにこの『デセプション・ポイント』がアメリカで出版された2001年は、ブッシュとゴアが大接戦を繰り広げた年の翌年だ。時局便乗モノとまでは言わないが、現実のアメリカの選挙戦に疲れたアメリカ国民の受けを狙って書かれたと思って差し支えないだろう。実際の2000年の大統領選挙の争点と、小説の中の大統領選挙の争点は全然違う。人々が、せめて小説の中で、現実のアメリカが抱える問題を忘れて、善悪のはっきりした(ついでに勝敗もはっきりした)選挙戦を楽しみたいと思うのは自然なことだろう。
2007.02.10
クライヴ・カッスラー /ダーク・カッスラー『極東細菌テロを爆砕せよ』(上・下)新潮文庫 ダーク・ピットシリーズ最新刊。ダーク・ピット、ついにNUMA長官に就任。今回の敵は北朝鮮。タイムリーな話題で面白い。この手の冒険小説は、内容は荒唐無稽なものでも、ある程度は時局に合致していないと楽しみにくい。また、日本を犯人と思わせるように仕向けているので、日本赤軍などのワードが頻出するため、日本人作家が書いたのかと一瞬思ってしまう。今回、メインで活躍するのはダーク・ピットの息子、ダーク。執筆もクライブ・カッスラーの息子、ダークとの共著とのことで、主人公も著者も二代目への引継ぎが着々と進んでいる。二世代にわたって活躍する冒険小説の主人公と冒険小説作家に今後も注目したい。
2006.12.20
クライブ・カッスラー/ポール・ケンプレコス『オケアノスの野望を砕け』(上・下)新潮文庫 夏といえば海洋冒険小説。クライブ・カッスラーの最新作。NUMAシリーズ第四弾。 環境保護団体と遺伝子組み換えバイオフィッシュと、私利追求のために殺人や海洋資源破壊さえ辞さないイヌイットの一派とバスク独立運動の指導者の話。NUMAシリーズを読み始めたときは、ダーク・ピットとアル・ジョルディーノの登場しないシリーズなんて、ジャームズ・ボンドの登場しない「007」やインディー・ジョーンズの登場しない「インディー・ジョーンズ」みたいなもんだと物足りなく感じていた。ところがシリーズ第四作にもなると、カート・オースチンとホセ・ザバーラ、ポールとガメーも魅力的に感じるようになってきた。むしろ年をとったピットとアルより若くていいかもしれない。
2006.08.14
ロバート・A・ハインライン『銀河市民』ハヤカワ文庫ライトノベル風の表紙に抵抗感を覚えたが、まあハインラインの名作なので読んでみる。ジュブナイルSFとしてかかれた古典SFの名著。ソービー少年の成長劇は、さくさく読める。がそれだけの薄っぺらいわけではない。銀河を舞台にして、自由の意味や「市民」の本質を模索するというのが本作を重厚さを加えている。古代ギリシアやアメリカの市民や自由や民主主義と重ね合わせつつ読むのが本書の正しい読み方だろう。表面的なストーリーの優秀さだけでは名作SFにはなれない。
2006.05.10
ジェイムズ・H・コッブ 『隠密部隊ファントム・フォース』文春文庫 アマンダ・ギャレットシリーズ最新刊。今回アマンダが指揮する艦は、一見商船、実はコマンドー母艦という「ギャラクシー・シェナンドー」。武装商船改造巡洋艦Qシップの流れを汲むちゃんとしたものらしいが、荒唐無稽な超兵器っぽさも漂う。その微妙なニュアンスがこのシリーズの魅力。シリアスな軍事スリラーでもあるのだが、登場人物が艦内で色恋沙汰を繰り広げたりもする。もしも艦長が中年もしくは初老の男性で、恋愛要素がなければこんなに売れていないだろう。ライトノベルのようにさくさく読めると、日本で絶大な人気を勝ち取っているのはこのためだ。筆者は日本の漫画やアニメのオタクらしい。日本の新しいカルチャーが世界に広がっていることを改めて実感する。ちなみに、今回ついにマッキンタイア提督がアマンダと。元恋人のアーカディとは完全にただのお友達になったよう。そして、アーカディはレンディーノと急接近?最近は、軍事的要素よりもむしろ人間模様のほうが盛り上がり気味で目が離せない。次作が楽しみだ。
2006.05.05
ポール・アンダースン『地球帝国秘密諜報員』ハヤカワ文庫1950年代にアメリカで一世を風靡した傑作スペースオペラついに邦訳。まず、あまりにも直球のタイトルに気圧される。主人公の諜報部員ドミニック・フランドリーの型にはまりすぎで大変素晴らしい。脇を固めるキャラクターも安心して読める。水戸黄門的読みやすさといえる。アメリカのSF界では宇宙の007といわれていたようだ。いまこの作品を書いたのならば、月並みの塊と相手にされないだろうが、1951年にシリーズ第一作が出たのだからやはりすごい。あとがきによると007が書かれるよりも3年も前にこのシリーズが始まったのだそうだ。この作品が型どおりに書かれているのではなく、この作品が方を作り出した傑作のひとつなのだ。
2006.03.17
ジョーゼフ・ファインダー『侵入社員』新潮文庫 不正操作で大金を掠め取ったのがバレ、ライバル企業へスパイとして潜入することを余儀なくされたダメ社員。手を抜いてきたこれまでとは一転し、潜入先ではエリート社員として振舞わなければならない。厳しい反面、華やかな生活も、やがては…これまではスパイ小説といえば、CAIやKGB、MI6が暗躍するものが大半だった。しかしこれは企業スパイの話。主人公は凄腕エージェントではなく、最近スパイに仕立て上げられたただの会社員で、自分の境遇に戸惑い、右往左往する。銃弾が飛び交ったりすることはないが、非常にスリリングでスパイ小説の醍醐味であるどんでん返しもちゃんと用意されている。潜入したての頃のアダムの「成り済ましている」という感じが、なんとも面白かった。ディカプリオ主演で話題となった「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を思い出した。どうでもよいが、この映画のモデルとなったフランク・アバネイルの『世界をだました男』も本書と同じく新潮文庫からでている。以下ネタバレになる。ワイアット・テレコム社のワイアットとトライオン社のゴダードが対比的に描かれてきたからこそ、最後のオチが際立った。本書の最初にアダムの独白で「驕れるものは久しからず」「リンゴは木のそばに落ちる」等々の格言が語られるが、私はゴダードの生き様に「能ある鷹は」爪を隠す」という言葉を連想した。本当の狡賢さは、狡賢く見えない必要がある。
2005.12.20
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ『ドン・キホーテ』岩波文庫 今年は、ドン・キホーテ生誕400周年。ミゲル・デ・セルバンテスが『ドン・キホーテ』を書いてから400年経ったのを記念して、私も再読してみた。流行っている本を追いかけないと日頃いっているものの、ミーハーになってみるのも悪くない。新潮社からは、この夏新訳版の『ドン・キホーテ』が出たそうだが、今回読んだのは岩波文庫の旧訳版。何年前に読んだものを引っ張り出してきての再読なので、上の写真とは装丁が少し違う。中身も昭和初期の翻訳だけに、言い回しが古めかしく味があってよい。文語や旧仮名遣いが、ドン・キホーテの世界観にマッチしており素晴らしい。とはいうものの、新訳版も読んでみたい。ただ、ハードカバーは高いので悩むところである。もちろん本筋も面白いのだが、今回の再読では、話の中にちりばめられる脇道を特に注目した。長い話を読むと中盤でだれてしまうこともあるのだが、程よく劇中劇のように「関係ない話」が挿入されるのも『ドン・キホーテ』の面白さのポイントである。また詩やソネットも忘れてはならない存在である。本題とは離れるが、私が読書の次に関心を持っている筆記具の世界でも、今年はドン・キホーテが大流行中だ。デルタとモンブランがそれぞれドン・キホーテにちなんだ筆記具を限定で売り出している。実は私が再読を始めたきっかけは、モンブランの作家シリーズ「ミゲル・デ・セルバンテス」の万年筆を買ったことだったりする。
2005.12.08
マイクル・クライトン『恐怖の存在(上・下)』 早川書房 あなたは、温暖化の存在を信じますか?そんな問いに、多くの人は「温暖化は進行しているに決まっている。ばかばかしい」と答えるだろう。ではなぜそう信じているのですかと突っ込まれると結構詰まる人もいると思う。そもそも普通の人は温暖化は揺るぎのない明白な事実で、これからの環境問題を考える大前提と認識している。本書は、その常識に再検討を加え、自然と人間の関係について再考を促す。常識と信じるものが時代によって変わるのは科学の世界でも同じだという主張は、クライトンのテーマの一つである。むかし読んだクライトンの作品で、天動説から地動説へのパラダイムシフト、燃素(フロギストン)の否定などの例を挙げ、いま信じている科学が正しいとは限らないとの論が登場したのを今でも覚えている。信じるものが崩れる感覚は、書斎で本として読む分には刺激的で楽しい。実は、温暖化という常識を砕くのは、本書の最大の主題ではない。今回の『恐怖の存在』で描かれるもう一つのテーマは、政治やマスコミ、社会運動によって議論が封じられ方向性を決められるという恐怖である。PLM〈政治(ポリティカル)・法曹(リーガル)・メディア〉複合体が、意図的に恐怖や悪感情を煽り、恐怖を食いものにしているという話しは、ある意味で温暖化はおきていないという話よりも興味深く面白い。確かに、意図しているか否かはわからないが、結果としてそうなっているかもしれない。温暖化にせよ、付録で語られる優生学の話にせよ、反論出来ないような状況というものは恐ろしいものである。その主張の裏づけが、疑似科学や科学を無視した感情論の場合は特に。
2005.11.27
ポール・J・マコーリイ『4000億の星の群れ』ハヤカワ文庫面白くないような、面白いような。スリリングで退屈な…表紙こそ軽そうなイラストだが、内容はフィリップ・K・ディック記念賞受賞のややこしい内容。謎の異星人と交戦状態にあるなか、敵が遺棄した植民衛星でテレパシー能力を持つ天文学学者が植民惑星に生息する謎の知的生命体の正体を暴く話。冒険活劇的なSFを期待して読むならなめたほうがいい。ドンパチもなければヒーローも出てこない。知的生命体を観察して謎を解明しようとするのだが、知的生命体は愚鈍そうだ。異星での調査といっても、相手を刺激せぬよう無線封鎖の中で、ハイテク機器もほとんど使わない地味な探査。しかも主人公のテレパシー能力者は陰鬱だ。また主人公のテレパシー能力もあまり冴えていない。周りの人物はテレパシーを信用していなかったり、過剰な期待をしていたりする。実際はこの能力、リアルに描いているため難点も多く、ましてや異星人の心は人間とかけ離れているので十分に発揮できたとはいいがたい。謎を解くとき方もミステリ的な推理ではない。テレパシーだ。そこが私としては残念だった。世界観が陰鬱で重厚なのは、独特の雰囲気が伝わってきてそれはそれで楽しめる。しかし、謎の解明の仕方があまりにもSF的過ぎて謎解きの快感はなかった。陽気なSFを求める人には厳しいが、重厚な作品やリアルな作品を求める人はかなり楽しめると思われる。まあフィリップ・K・ディックが好きな人なら大丈夫だろう。謎解きは楽しめなかったが、独特の世界観はしっかり楽しめた。
2005.09.14
フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』ハヤカワ文庫ヒューゴー賞、ネビュラ両賞受賞の傑作SF。主人公ブロードヘッドの精神分析と回想シーンが交互に進められる構成に最初は戸惑いを覚えたが、読み進めるうちに納得。最後はミステリを読みを得た後のような快感に浸れる。一番印象に残ったのは、有望な飛行を見つけるための待機の期間。周りで成功した調査員が豪勢な暮らしをしている中、あまりにもリスクの高い飛行に恐怖を抱き、成功への欲望を失いかけている主人公。真綿で首を絞めるようにじわりじわりと主人公を苦しめる高額のゲイトウエイ滞在の頭割税。希望と絶望、期待と諦め、憧れと恐怖が入り混じったゲイトウエイの空気が伝わってきた。途中に挿入されるゲイトウエイの広告や抗議や報告書がとても効果的だ。夢に出そうである。臆病者の私にとっては悪夢だ。しかし、一度味わってみたい気もする。一方、飛行のシーンは淡白だ。もちろんスリリングではある。しかし、ヒーチー船は、乗り込んだら後は運任せなので、この先どうなるのかというハラハラ感はあるが…ハラハラするだけだ。主人公に努力の余地はない。運任せだ。主人公が飛行を決心するにいたるまでの期間、精神的に大いに苦しむところ感情移入するのがよいだろう。ゲイトウエイの雰囲気を楽しめる。覚悟を決めて飛行しても手柄はなし。飛行を避けぶらぶら暮らすが蓄えが。仕方がないからまた飛行。今度こそ。と、主人公の心の揺れを追体験するのが、冒険小説的にこの作品を楽しむポイントだ。また、ミステリマニアは、コンピュータの精神医との対話に着目し、主人公の心の悩みを探るのがよいだろう。
2005.08.31
ジョージ・R.R.マーティン『タフの方舟(1) 禍つ星』『タフの方舟(2) 天の果実』ハヤカワ文庫 読み始めた頃、タフのくそ丁寧な口調にイライラした。翻訳者がへぼなのか、作者が悪趣味なのか、はたまた主人公がいやみなのか。読み進めてわかったが、タフの生真面目で誠実、潔癖な性格にはあの慇懃無礼な口調しか考えられない。読者がまどろっこしく思いイライラするのは翻訳者の絶妙な訳のなせる業だ。本書を翻訳した酒井昭伸といえば私の大好きなマイクル・クライトンの役も手がける大ベテラン。彼の訳ならどんな情景も手に取るようにわかる。英語センスを上手く日本語に翻訳する能力に欠けた翻訳者の訳は読みづらい。読者に欧米的素養を要求するからだ。それに比べてやはり酒井昭伸はすごい。この作品に海の化け物が出てくる。それを鯤(こん)と訳すが、これは作者の意図を損ねることなく日本人のために東洋的感覚に変換しようという努力のほんの一例に過ぎない。並みの作家なら絶対にカタカナで書いてしまう。そんなところを上手く訳してくれているのを見ると感激すら覚える。「タフの方舟」の魅力はその奇抜で多彩な世界の描写と、タフの性格。その両方を上手く訳した酒井昭伸はすごい。ちなみに鯤とは荘子に出てくる大魚。「北冥に魚あり、その名を鯤と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず」
2005.08.14
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