書評日記  パペッティア通信

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Sep 30, 2005
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カテゴリ: 経済



なぜアメリカは、イラクに軍隊を派遣できて、復興がすすまないのか。

明治以降、どうやって日本人は、被災から都市を復興させてきたか。
今日、ご紹介するのは、その取組と挫折をあつかった本です。

内容を簡単にまとめておきましょう。

● 復興の障害にもなった、計画実施のための独自財源の乏しさ。
● 都市計画税と街路構造令の廃止、「道路整備特別会計」の成立で、
   道路行政は肥大化、都市計画は衰退


都市計画の法制・システムは、条文こそ区画整理・超過収用・私権制限…と先進国と遜色がないものの、独自財源がないため、復興事業とナショナルイベント以外では実施できなかった。戦前は、都市計画税と受益者負担金のみだった。1919年の都市計画法では、国庫補助規定が削除されてしまう。平時の都市計画に関して国庫補助が実現したのは、1933年。災害復興で国庫補助が出始めるのは、室戸台風、函館大火の1934年から。2004年度、「まちづくり交付金」で、やっと確立をみたらしい。また、施設周辺まで買収して区画整理して売却・財源にあてる 「超過収用」は、中小地権者の抵抗でなかなかできなかった 。そのため、道路・河川・下水道など個々の土木施設はできても、都市トータルでは構想できない状態が続いたという。また戦後、「街路構造令」の廃止で、「街路の思想」は消え、道路行政の肥大化がおきたらしい。

● 世界史上、比類ない規模でおこなわれた、関東大震災時の区画整理事業
● 帝都復興計画の遺産を食いつぶすだけの東京


「開拓都市」や大火復興以外は、横浜・長崎・神戸・大阪・東京の「外国人居留地」に限られていた、計画的な都市建設・都市復興。関東大震災は、それを一変させる。後藤新平の「帝都復興計画」は、政治介入と政争によって縮小され、「復興院」構想も潰されたものの、後藤の腹心が東京市長だったことも手伝い、東京市・内務省共同で、3119ヘクタールもの区画整理事業を実施したらしい。 現在、山の手沿線に広がる木造密集市街地は、戦災復興・帝都復興計画、2度の縮小で誕生したものという 。歩道と車道の分離と街路樹。江戸川・隅田川にかかる美しい橋梁。小学校と小公園の隣接。いずれも、帝都復興事業の遺産だという。

● 戦後につながる、1930年代後半の「防空都市建設」

東京と広島・名古屋との差は、この「疎開空地帯」を活用したか、否か、によるらしい 。1930年代、相模原などの新興工業都市では、区画整理と集団住宅がセットになった、ニュータウン建設の最初の試みでもあるという。

● ドッジ・ラインで消えた戦災復興
● 「戦災復興院」で生まれた、内務省技術者の悲願、技術官庁(建設省)の独立


GHQは、戦災復興に極めて冷淡 であった。また、戦災復興院の長官、小林一三も予算獲得に冷たかった。そんな中でも、広島・名古屋(若宮)・宇部・鹿児島(ナポリ)・豊橋・前橋・宇部・仙台(定禅寺)など 全国各地に、40~100mの広幅員道路が存在するのは、国の基本方針の存在と、ドッジ・ラインの予算大削減までにどこまでやれたかが左右した らしい。立ち上がりが早く、熱意ある外地引揚者が市政を牛耳っていた、そんな都市に残る見事な都市景観。とくに広島では、スラムを整理してつくった、リバーサイド緑地の景観目当てに、ホテルが林立しているという。また国有地(軍用地など)を国有財産法22条で「無償貸付」をする方法も編みだされ、戦災復興院所管の土地を使って「緑地公園」化がすすめられた。その遺産は、全国各地に残るものの、やはり東京だけ「緑地公園化計画」に失敗。都営住宅、オフィス街に化けてしまったらしい。

● 「まちづくり」と都市インフラを混同するな(阪神大震災の教訓)

まったく知られていない復興事業。函館の夜景は、防火緑樹帯にあって、復興計画の恩恵であることさえ忘れ去られた。そのため、道路・港湾の国インフラ、道路・河川・公園などの県市インフラ、地域コミュニティの住民参加による「まちづくり」「住宅建設」の混同をまねき、復興事業の混乱を招いた。戦災・大水害時に 区画整理事業がおこなわれた区域は、大震災でもほとんど被災していない 。必要なのは、一ヶ月以内に都市計画と住宅に絞った、荒削りなビジョンを素案でいいから決定して、建築制限をおこなうこと。それを議会と世論の反応をみつつ、成案をつくっていくこと、「まちづくり」は住民参加を喚起することが、肝要らしい。


実際、読んでいてなかなか読み応えのある本です。「うだつがあがらない」の卯建(うだつ)とは、土蔵作りの防火壁のこと。銀座レンガ街は、1872年の東京大火で誕生し、秋葉原は1869年の大火で誕生したという。日本人最初の復興計画は「函館大火」、広島平和都市建設法、旧軍都市転換法…戦前から戦後までの都市建設のあゆみを一覧できる、かなり壮大な復興計画史になっているといえるでしょう。

とはいえ、残念な部分もなくはない。
まず、阪神大震災の記述が薄いこと。いくら、多くの書物があるので省いたと言明されているとはいえ、戦災復興、関東大震災復興と「同じ観点」で、「同じくらいの言及」がほしい。現在進行形で、大震災への復興事業への評価が固まっていないから、筆者も関わっているから、というのもあるかもしれないが、ずいぶん歯切れが悪い。前二者とくらべても、かなりアンバランスです。

さらに、全体的に「予算寄こせ!!!」にしかなっていない部分も、とても問題だと感じました。筆者もみとめる川越・高岡の土蔵街の美しさは、予算をつけなくても、美しい町並みをつくることができることの格好の証ではないでしょうか。また、予算はあったらあったで、問題でしょう。そうなってくると、 大阪民国 みたいな事例も生まれやすい。

「まちづくり」と「ハコモノ行政」の間に引かれる線引きは、いったいどこに引けばいいのか。それがさっぱり伝わってきません。隅田川にかかる橋の美しさを賛美する筆者。ならば隅田川にかかる橋と「ハコモノ行政」の悲惨さの差異は、明確にしなければなるまい。その違いをあいまいにして、「国庫補助うんぬん」「街路の思想うんぬん」は、いささか説得力にかけるというものでしょう。


ぜひ、ご一読ください。

評価 ★★★☆
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Last updated  Oct 24, 2005 05:39:57 PM
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