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雪の花という言葉は、二人だけの秘密 ──許されぬ恋でもかまわないこの愛は、ただ一つの光 ( 本書 帯紹介文より )【復刊】佐々木丸美コレクションの第3巻『花嫁人形』と第4巻『風花の里』が、本日、手元に届きました。今回も素敵な表紙絵に気持ちがぐらり。山積みの図書館本をしり目に待ちきれず「花嫁人形」を拾い読み。・・・のつもりが、気がつけばいつしかずっぷりと私は物語の中へ。<あらすじ>大企業の社長である本岡家で、両親の愛を受け、何不自由なく暮らす藍(あい)、郁(いく)、詩(うた)、織(おり)の4姉妹。だが、明菜(あきな)だけは家族に疎まれていた。家族として受け入れられないだけではなく、教育や自由を奪われ、理由のない虐げに、明菜は孤独と諦めのなかで暮らしていた。同居する母の実弟である壮嗣(つよし)は4姉妹の憧れの的。特に末っ子の織と、いとこである奈津子は壮嗣に強い思いを寄せる。今まで何もかもを思い通りにして育ってきた我侭いっぱいの織と奈津子が初めて思い通りにならない壮嗣の心を奪い合う中、明菜も密かに、壮嗣への思いを募らせていく。誰もいないときにふと見せる、壮嗣のほんの一瞬の優しさを、薄暗い未来への、たったひとつの灯火として。壮嗣も、まっさらな雪のような明菜を愛する。その愛は、幸せへの序章と同時にもつれてしまった運命の悲劇の始まりだった・・・嗚呼! やっぱりこう書くと何だか安っぽくなって たまらない。これじゃあ全然、物語の世界観が伝わらない。「佐々木さん、ごめんなさい!」と五体投地でひれ伏したくなる。やっぱり彼女の魅力を伝えるには詩的な文章をそのまま引用するだけのほうがよさそうだ。-*-*-*-*-*-*-吹きすさぶ縁(えにし)の野辺で禁断の恋に朽ちた父と母、その樹に咲いた娘の人生は遥かな運命(さだめ)の唐草模様(アラベスク)。甲斐なき命の灯火は縁の河を流れ流れて泣きまどう。哀しき愛の草枕、過ぐる千歳の家と家。愛の吹雪を旅する私にせめて美しく咲け氷花(こおりばな)。壮嗣さん。貴方のくれた鍵で二人の何の扉を開くのですか、もつれた運命の扉ですか、それともまだ見ぬ秘密の社の扉なのですか。貴方の鍵(キイ)は春のかげろうのよう、大海を心細く流れる浮子(ブイ)のよう。「愛という言葉をむやみに使いたくはない。 責任をとれなければ花を見染めてはいけないのだろうか、 大きな河の流れにさからえないことを心して二人で溺れてみよう」貴方の立場も手枷足枷(てかせあしかせ)、私に何が言えるでしょうか、ただ頷いて貴方に手を引かれて行くだけです。風は春をうたい心は愛をうたいます。貴方の春もさわやかでしょうか。-------「いつか街で見かけた友だちはどうした? その後は持っていた本のことで話をしたのか」「はい、でも私は仏教のこと何も分からないので聞くだけでした。 教えて欲しいと言うといやよってはっきり断られました。 宗教はもったいぶって人に説くと腐ってしまうというのです」「おもしろい子だ。そこまで言えるのはなかなかいないぞ。 で、どっちの子だ? 目の大きいおてんばの方か、それとも小麦色の勝ち気な方か」彼はいつまでたっても名前の区別がつかない。ついに楊子ちゃんを目々(めめ)ちゃんと呼び順子さんを麦ちゃんと呼んだ。若い娘が仏典を読みあさっているのはおもしろいと言った。「わからない字を調べるのが辞書なら、わからない人生を調べるのが仏典だ。 仏教は生きとし生けるもの全宇宙の解説書だよ。 その根幹を成すのが諸行無常という零(ゼロ)の哲学だ。 始まりも終わりも喜びも悲しみもこの世のすべてを包蔵している。 数字であらわすなら零、幾何学では円、色にたとえるなら無色。 彼女の言う通り無味無臭のものを教えようというのが間違いだ。 日々の暮らしに行きづまったら人はおのずと悟りへの道へ開眼するだろう」 零の心か。零から出発してきたすべての人々、生まれた瞬間に零から有数へと生きてきたのだ。さんざん数を重ねた今になって清浄な零へUターンせよといわれても並の精神ではできないだろう。砂時計がさらさらと落ちる。ひとつぶの砂は過去へ過去へと沈む。煙草の煙がゆるやかにそれを巻く、時よおまえは急ぎすぎるぞと笑うかのごとく。-------「私はこれからどうなるのですか」 かすかに眉をしかめるのを見てしまった。 黙ってコーヒーカップに手を伸ばした。 見なければよかった、彼の冷たい一面を。 抱かれた胸から離れた。引き戻された。 乱暴だった。怒ったのだろうか。 彼がわからなくなると身をちぢめているしかない。「結婚したいと思うことと結婚すると断言したこととは違う。 人の意志も人を取り巻く事情も流動的だ、 愛だの誠意だの真心だのと言葉のあやをふりかざして善人ぶる奴には吐き気がする。 初めに断ったはずだが僕は明菜の純情には応えきれないと思う、 僕は僕の生活を持ち、その枠のなかで明菜と会っている。 世間知らずの娘を相手にいい思いをしてかんじんのところで逃げる男、 結果において僕はその類になるだろう。 明菜、恋をしても結婚しても人は結局独りで生きているものだ。 恋の将来、自分の幸福などを恋の相手に求めてはならない、 うっかり甘えかかると裏切りだの心変わりだのと醜い争いに変わってしまうのだ。 これからどうなるのか明菜自身で考えなさい、 明日のことなど誰にもわからないよ」 ( 佐々木丸美 『花嫁人形』より )-*-*-*-*-*-*-楽天ブックスから送料無料で購入できます。画像をクリックすると購入画面に飛べますのでどうぞ。【復刊】佐々木丸美コレクション第一巻『雪の断章』、第二巻『忘れな草』は、こちら↓ また、『復刊ドットコム』より佐々木丸美コレクション全18巻を予約すると、購入特典がつきます。マルミストのかた必見! こちらからどうぞ。
2007.02.21
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<あらすじ>ペンキ屋見習いのしんやはなかなかお客様の注文どおりのペンキの色がつくり出せず、自信を失っていた。そんなしんやは、生前「ふせいしゅつのペンキや」と呼ばれた父の墓のあるフランスに向かう。父がそうしたように、大きな船にのって。朝な夕なに、甲板の上で見た、複雑な色をたたえた海と空の風景はしんやの心に深く刻まれる。赤一色ではない、朝焼けや夕凪。黒一色ではない、漆黒の海。そんなある日、霧がかかった海の中からふしぎな女性が現れてこの船をユトリロの白に塗って欲しい、という。。。 「そう喜びや悲しみ 浮き浮きした気持ちや 寂しい気持ち 怒りやあきらめ みんな入った ユトリロの白 世の中の濁りも美しさもはかなさも」 それはいったい・・・「絵本」の素晴らしさを最大限に活かしたお話です。ペンキの色に含まれた意味はとても深く、完全に大人向けの童話。子供が読んでもほとんどおもしろくは感じないでしょう。フランスに行く前には、お客の注文通りの色を出せなかったしんや。それは「こんな色に塗って欲しい」と願うお客の心の奥にある「きもち」を汲み取れなかったからでした。「ブルーグレイに塗って欲しい」といわれたらただ、そんなふうに見える色だけを調合し、そのひとがどうして、その場所をその色に塗って欲しいのか、その気持ちを汲めないかった。。。そんなしんやが、様々な海の色や それぞれの時代の色や いろんな感情をぶつけた落書きの跡が まるで底の方から滲んでくるようにあちこちに残っているパリの街のへたくそなペンキをぬった壁を見て謎の女性が注文した「ユトリロの白」の意味がわかるようになってきます。人生の喜怒哀楽、様々な感情すべての色を含んだ白。ユトリロの白。 ユトリロは私の好きな画家でもあるので、絵本の中にこの名前を見つけた時には驚きとともに、この本に出会えたこと感激しました。(例によって、 図書館の一時置の棚に並べられていたところを偶然手に取ったのです)謎の女性は、最後にその「ユトリロの白」であるところに文字を書いて欲しいと言います。それは、ある一部の、ほんとうのものがみえる人にだけしか見えない文字。。。。終わり方も、とてもよいです。しみじみと、ふかいところまでおりていけるような反対にふわふわとどこまでも舞い上がっていけるようなそんな絵本でした。
2008.10.30
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加門七海さんの『うわさの神仏 2』を読了。 (←単行本 / 文庫本→)【内容情報】(「BOOK」データベースより)「仏には惚れる。神には擦り寄る。妖怪とはちょっと親しくなりたい」自他ともに認めるミーハー・オカルトオタクの著者が、北は東北、南は沖縄・台北まで、謎と不思議を求めて、数々の「聖地」に出発。パート1よりもさらにパワーアップした突撃精神、無謀ともいえる行動力!果たして道中はドジとトホホの連続、よくぞ無事に戻って来た…。神仏やお化けにたっぷり接近遭遇できる、類まれな紀行エッセイ。加門さんの本は、内容というか企画的にはかなり面白いのだけれどどうもにもこうにも一人よがりな文体が鼻につくのであまりおすすめではないのだが(爆)本書の中に出て来る、『神ダーリ』という現象がとても興味深かった。ご存知の方も多いと思うが沖縄には、ユタやノロと呼ばれる巫女のような立場の女性たちがいる。本書中の説明を引用すると、 - * - * - * -沖縄の宗教上の二大組織(?)といえば、何といってもユタとノロである。ユタは…おっと、ムヌシリさんは(注:ユタという呼称は昔、弾圧されていた歴史があるため、ユタの人にそう呼びかけるのは失礼に当たり、代わりに「ムヌシリ(=物知り)」さんと呼ぶのが適当なのだが、本書では一般的な通称であるユタを用いている)ひとことで言うなら巫女さんだ。だけど私達が知っている神社にいる巫女さんとは、ちょっとどころか、かなり違う。むしろ立場は東北のイタコなんかに近いかな?占いをしたり、霊を降ろしたり。一般社会の中にいて、そういった神霊関係に携わっている方々だ。一方、ノロは公的な立場を持つ女神官を指す。島によっては、ヌルとかツカサという名称でも呼ばれるらしい。彼女たちは地域ごとのカミゴト(神事のことね)を担う存在で、いわば霊的村長さんと呼んでもいい人たちだ。ムヌシリさんは個人だが、ノロは琉球王国の組織の中の一員だ。(中略)琉球王国廃絶後の今、聞得大君はいなくなったが、ノロは村落を中心に今でも世襲で続いている。 - * - * - * -加門さんは沖縄に出向き、このムヌシリさんやノロさんにお会いして、お話をきいたりしているのだけれどその前に、沖縄の信仰の研究をされている高橋恵子さんというかたにお会いしてノロやユタについて話を訊いている。 - * - * - * -「沖縄の人にとって、実際のところ、ユタとはどういう存在なんでしょ?」私は質問を切り出した。「医者半分、ユタ半分と言われるように、ユタは社会に浸透しているんですよ。彼女達はノロのような組織は持っていませんけれど、生身(イチミ)の相談を受ける人とか、カミゴトにのみ携わる人とか。御願は分担されてます」「ユタは『神ダーリ』によって、なるって聞いたんですけれど?」「ターリは自分に関わる神が認識できなかったり、みつけられなかったりするときになるの。 病気になったり、神経衰弱になったりね。 神に仕えるべき人が、それを拒否した場合にも、神ダーリという病気のような状態になってしまうんです。 ユタが知るべきことを知れば、それはちゃんと治りますよ」「神ダーリって端から見れば、一種、気が変になるみたいな状態だと聞いたんですが…。 精神科のお医者さんのお世話になることはないんですか?」「病院には行かないですね。 周りがちゃんと、ああ、あの人は神ダーリだなとわかってあげられるので、温かく保護してあげるんです」「それでちゃんとユタになる?すごいですねえ」神ダーリの症状は人によってそれぞれらしいが、寝たきりになったり、食事がとれなくなったりするほか、幻視、幻聴、幻覚、あるいはいきなり踊り出したりと、いろんなことがあるらしい。(中略)(内地でも不定愁訴の人とか、抗鬱剤飲んでる人とか…。 実は神ダーリになっている人が案外いるんじゃないの?)心理学者に言わせると、そんな彼女らの「症状」を認めてあげる事もまた、治療の一手段という話である。が、それと、回復の後に霊力がついてしまうことは、私には一括りには理解できない。「やっぱり霊魂の問題ですかね」腕組みをして、私は唸った。「女性は生まれながらに、男よりチジが高い(霊格が高い)んですよ。 その中でもチジが高い人が、ユタになっていくんですね」(中略)「びっくりしたり、あるいは気が抜けたりすると、魂…マブイが、肉体から落っこちてしまうんですよ。 すぐに気づいた時には、本人が落ちた魂を拾って、戻す動作をするんだけど、 気づかないうちにマブイがなくなってしまったりすると、病気になってしまうのよ」「げ…。そういうときはどうするんですか?」「ユタに頼んで、マブヤー乞いをしてもらい、魂を戻してもらうんです」まさにド肝を抜かれる事実だ。 - * - * - * -学者である高橋さんは、こうおっしゃっているけれどこの後、実際に加門さんが話をうかがったムヌシリさんは「(周囲の人は)ターリになったのと、ゲレン(病気)になったのと、区別はつかないよ。 なったことのあるひとは、ターリだなとおもうけど…病院に行ってしまう人もいる。 でも、一度薬を使われたら、もう神サマは来ない」とおっしゃっていて、当事者と研究者との見解は、やはり全く違うのだなと複雑な気持ちになる。・・・なんだか今の日本の社会にも重なる事柄のような気がしてならない。加門さんは「内地でもターリになっているひとがいるんじゃないか」と書いているけれど別に、神懸かりとか、そういった宗教的・心霊現象的なことだけではなくて「自分に関わる神が認識できなかったり、みつけられなかったりすると」「病気になる」というのは自分の生き方や目標を見つけられなかったり見誤ったりすると、生き難くなるという、至極一般的なことに繋がっているような気がする。私の語彙が貧弱で、上手く言えないけれど、何と言うか、結局、神さまや霊魂といわれる、目に見えない域も結局はすべてが日常生活に直結していて、ひどく乱暴な言い方をすれば、『あちら側』である霊界も、『こちら側」である人間界も、みんな、おんなじなんじゃなかろうか。と思ってしまったりもする。沖縄の神事については大好きな池澤夏樹さんの小説にも度々登場して興味深く読んだのだけれど(『マシアス・ギリの失脚』など)もう少し詳しく知りたくなった。『マシアス・ギリの失脚』 池澤夏樹【内容情報】(「BOOK」データベースより)南洋の島国ナビダード民主共和国。日本とのパイプを背景に大統領に上りつめ、政敵もないマシアス・ギリはすべてを掌中に収めたかにみえた。日本からの慰霊団47人を乗せたバスが忽然と消えるまでは…。善良な島民たちの間でとびかう噂、おしゃべりな亡霊、妖しい高級娼館、巫女の霊力。それらを超える大きな何かが大統領を呑み込む。豊かな物語空間を紡ぎだす傑作長編。谷崎潤一郎賞受賞作。
2008.08.09
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今月は明日 10/18 (日) 14:33 ※に新月を迎えます。 新月になった時刻から8時間以内に(8時間以内に間に合わなかった場合、効力は薄れますが48時間以内でもOKです)2個以上10個以内 願い事を「手書き」で書いて 日付をつけて大事にしまっておくと願いが現実に向かいます。 !!! 必ず自分自身に関するお願いを書いて下さい !!!このお願いは「なんでも叶う魔法のおまじない」ではなく何度も繰り返して願い事を書くことにより、 新月の力を借りて、自分の深層心理(無意識)に作用させるものです。(無意識は、表層意識よりもずっと大きな影響力があります) したがって 地球環境や他人の言動についてのお願い事、「宝くじ当選」など、100%運頼みの願い事はこの『新月のお願い』では叶いません◆今回の新月直後~2日後までの間のヴォイド・タイム◆ (星の並びがよくなく、トラブルが起きやすい時間帯) 10/18(日)14:33 ~ 23:23 までの間※今回は、新月後8時間すべてがこの時間帯に入ります。ご注意下さい!今回の新月は天秤座でおこります。 叶いやすいお願いキーワードは・・・ 結婚、パートナー、交渉術、 相互依存、 調和、チームワーク、社交性・外交手腕 洗練、ヒーリング●関連のある身体の部分・症状: 副腎、尻、糖尿病(糖分バランス不足)、腎臓 等に関する願い事が 特に有効です。(これらの事柄に関することが比較的叶いやすいというだけで これ以外のことをお願いしてはいけない、というわけではありません。 叶いやすい分野のお願いを無理に探すよりも 自分が本当に叶えたいお願い事をしてください。 何度も繰り返し願うことにより夢は実現に向かいます) ** 注意 **お願いごとを書くときには 「○○しますように」という書き方よりも「○○しました」「○○になった」というように 過去形で書いたほうが有効です。 * * * * *藤紫的 星読み 今回 天秤座24度で起こる新月のサビアンシンボルは 『左側に三番目の羽を持つ蝶』言葉や知性では対応できない未知の変化に出逢う度数です。今まで思いもつかなかったような啓示がとつぜん閃いたりするかもしれません。が、しかし、まずはひと呼吸おいて、翌日改めてその思いつきを検討してみることをお薦めします。個人的には今回の新月にお願いをすることは、あまりお薦めいたしません。が、個人の心の持ちようも大きく左右しますのでヴォイドタイムなんか関係ない! 今月もお願いするぞ!というかたはいつもどおりなさっても構わないかと思われます。ことあるごとに申し上げている通り理屈で考えるより、自分で感じる、その感覚が大切です。皆さんの願いが、ひとつでもおおく叶いますように。。。
2009.10.17
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)豊かで美しい村の守り神である、帝国陸軍の九六式カノン砲「キャノン様」。だが、そこにはある秘密があった。村を統べるマカトオバァら三人の老人とその三人の孫たちは、村の開発を企む謎の美女や、怪しげなアメリカ人と対決する。戦争の記憶を、奔放なストーリーに乗せて希望に満ちた未来へと託す、マジックリアリズムの傑作。 よかったっ!『バガージマヌパナス』『テンペスト』に続き、池上作品は三作目だけれどやっぱりいいです! すごくよかった! おもしろかった!おもわず、うるっと来てしまう箇所がいくつもありました。<あらすじ>沖縄のとある小さな村では先の戦争の置き土産であるキャノン砲をご神体にまつり、ノロのマカトオバアが実権を一手に握り、繁栄をきわめていた。マカトの幼なじみのチヨや片腕の漁師・樹王が脇を固め、村の治安部隊である「男衆」と、美女軍団「寿隊」がスーパー自治集団としてこの村を守っている。マカト、チヨ、樹王の3人だけが知る村の秘密。その秘密こそこの小さな村集落の繁栄の鍵だった。ある日、金属探知機を持った謎のアメリカ人が現れ、続いて15年前に追い払ったリゾート開発会社の女社長が舞い戻って来たことから村は不穏な空気に包まれ始める。マカト、チヨ、樹王のそれぞれの孫である雄太、美奈、博史たち仲良し3人組はある時偶然、村の秘密を垣間見てしまう。不穏な空気を察知したキャノンは再び目覚める…描写や歴史的背景などからみても間違いなく沖縄をモデルにした作品でとてもリアル感があるのに、とてつもなくファンタジーなストーリー。そういうジャンルを「マジックリアリズム」というらしい。読んでいるとどんどん池上ワールドに引き込まれて現実にありそうでなさそうなこの島の空気に自分がなったかのような不思議な浮遊感を味わえます。実際にはこの村のような秘密はないのだろうけれど、でも「沖縄ならひょっとしてそういうこともありえるかも」と思えてしまうのがミソ。不可思議なことがあるにつけ「キャノン様の祟りじゃ!」と叫ぶマカトやどんなものでもくすねてきてしまうチヨおばあ、必殺仕事人のような樹王などのキャラも「沖縄ならいるかも?」とうっかり思ったりしてしまいそうして読者は見事にずぶずぶと物語の海に引き込まれて行きます。後半では太平洋戦争や9・11テロ事件などリアルで悲惨な出来事を盛り込まれますが、それらは読者を物語に引き込むための単なる導線。終盤の核心であるマカトオバアの「沖縄」の語りは戦争を知らない世代と知る世代との意識を平行させ繁栄 → 消失 → 再生 → 繁栄 というサイクルをどれだけ前向きにとらえられるか、私たちに問いかけます。「歴史を忘れないことと怒り続けることは同じじゃない。 オバァたちのように怒るなんて僕にはできない。 戦争体験がないことを恥ずかしく思わせるのはやめてくれ。 平和がやってきたからいいじゃないか。もう忘れよう」10歳の孫たちにこう言われたときのマカトオバアたちの気持ち。そして、その後、沖縄の歴史を、村の秘密を聞いたときの「ごめんなさい」という孫たちの気持ち。それはそのまま、現実の私たちの姿と重なります。ただの大砲だったキャノンはなぜ「キャノン様」と言われるようになったのか。チヨや樹王はなぜその手を染めなければならなかったのか。村のデイゴの花を何故折ってはいけないのか。次々と解き明かされる伏線の謎に何度も何度も、うるっとさせられました平成生まれの世代の読者には「沖縄」への入り口となるような物語かもしれません。
2009.05.20
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