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マイ・グランマ・パスド・アウェイ の続きです。長文要注意!でゴザイマス・・次の日は案の定、朝の4時45分に起こされました。これでもロッ太が一番最後に起きたんだと、どやされました。す・・すいませんねぇ。つ・・辛い・・・田舎の冷たい水で顔を洗うも目が冷めるはずもなく、一緒に来た宵っ張りの従姉妹と「4時に寝ることはあっても4時に起きるなんて・・・」と2人でぼやいている間にご近所からいわゆる「隣組」といわれるおばちゃんたちが駆けつけてくれます。冠婚葬祭ともなると、当の本人たちは忙しいから、かわりに近所の人が全部やってくれる。こんな制度がまだあるのも田舎ならでは。朝もはよから来てくれるんだから。ありがたいことです。朝も5時からガンガン掃除機を掛ける長女のおばさん。割烹着が気合の入りどころを示しています。ロッ太もオカンにお手伝いしなさい!と言われたんですがね、あまりにも人が多くて何をやっていいかもわからないんですよ。行くとこと行くところ人があふれててねぇ。だもんで、ひたすら写真を撮っていました。で、5時半過ぎにはもう朝食。みんなでかっこみます。これはロッ太の大好きな「納豆汁」東北の一部の地域で食されます。納豆汁~?って思うかもしれないけど、すりつぶした納豆と、ミソと、たっぷりの山菜のハーモニーがたまらなくウマイんですよ!お水が美味しいから。っていうのもあるんだよね。本当に美味しい!ここに来たら絶対食べたい一品。朝からおかわり3杯食べました(爆)そのあと、一息ついてもまだ6時半にもならない・・・あぁ。なんてステキな朝なの。で、言われたとおり、近所の人が7時には焼香に来てくれました。みなさん早起きなのね・・・でもね、こっちみたいに形式ばってないから、お焼香してくれる人に一同で挨拶だとか、そういうこともしないからさ、孫の立場のロッ太としては正直暇で暇で・・・眠いし。というわけで、棺におばあちゃんの顔を見に行ったり、お線香が切れないように追加したり、外に写真を撮りに行ったりしてました。のどか~。家の前です。恨めしいほどのいい天気。朝顔・・・・こんなところに住みたいと思うけど、実際やっていけるのか・・・慣れないあんたにゃームリムリ。とみんなに言われたのだけども。写真をバシバシ撮っている間にようやくお坊さんがやってきて、出棺。あ、もちろんこの時は喪服に着替えましたよ。このときね、霊柩車におばあちゃんが乗って、遺族はマイクロバスに乗るでしょう?近所の人がみーんな出てきて家の前に集まってくれるのです。そいで、喪主の長男が挨拶をして、合掌に見送られて火葬場へ。途中通った道でも合掌してくれる人がいました。小さな村だから、どこの家の霊柩車かわかるみたいです。ちなみに、こっちの風習は火葬が先。そのあとにお葬式なのだそう。(内心え~。っと思った。関東は逆。)そいで、20数年前におじいちゃんが死んだ時までは土葬の風習でした。火葬になったのはまだ最近のこと。なので、オカンが子供のころは土葬されて、腐敗した体からガスが出て人魂になる。つうことで、人魂を沢山みたそうな。(こええええ。。。)土葬の風習のおばあちゃんがいきなり火葬に納得しているんだろうか。「熱い!」っと怒られたらどうするんだろうか。っと考えながら焼き場へ。ああ、これでおばあちゃんは骨になっちゃうんだなぁと思うとまた涙が止まらなくて焼かれている間も「おばあちゃんはお年よりで骨粗そうしょうがひどかったから弱火でじっくりやいてね。と迷惑なくらい焼き場の人に訴え(爆)←すごい迷惑な客。終わってから一度家に戻ってきたら、祭壇が出来上がっていた。普通に考えたらさ、家人が留守中に他人があがりこんで・・というのは考えられないのだけど、そこは田舎。「隣組」の人たちが采配してくれているわけです。で、家でお葬式・・・なんだけど、小1時間正座・・・つらすぎる!!!正座をするという習慣がロッ太にはなかったため非常に拷問チック。で、そのあとお寺に移動。ほっとしたのもつかの間。また正座!しかもお経の本をくばられ、お経の意味を全部お坊さんに説明してもらい、親戚一同読み上げる。というもの。さらにここで小1時間。ええ。あの・・故人を弔う気持ち。というのは他の誰よりも十二分にあるつもり。なんですがこの正座というのは激しく集中力が欠落してしまうのでやめていただきたい。おばあちゃんの子供たちやその配偶者たちだっていい年だから「膝が痛い」って人も多いわけですよ。足をくずしていいよといわれたけどやっぱりしんどいのぉ。ああ、ほんとにしんどかった。このお寺には「地獄絵図」ってか、地獄のさまを描いた人形が置いてあってロッ太は子供のころ、針山だとか、えんまさまだとかを見て怖くて泣いていたのですが、大人になった今、長時間正座の方が地獄。です。ホントに。で、そのあとは親族一同で供養のためという食事会に。このおじさんたちは知らない人グループ(笑)とにかく親戚が多くて誰か家系図を!!!っていう状態。しかもすんごい複雑なので把握しきれないっす。ロッ太と従姉妹は次の日から仕事だったので、この日の夕方の新幹線で帰らないと間に合いません。ていうか、新幹線の駅まで出る電車の接続がなかなかないので、そっちに苦労するほど田舎、なのです。なので、うちらだけは家で着替えて食事会に。先に上がらないといけないのでペースを上げてかっこみます。美味しかった。。。。ここは本当になんでもおいしい。水も米もミソも醤油もお魚も山菜も野菜もなんでも。今回お葬式と言う悲しい集まりだったにもかかわらず、従姉妹たちと会話になったのが、「楽しかったね。」ということ。もちろんおばあちゃんが死んでしまったことは本当に悲しくて、ロッ太は親戚のなかで一番グズグズと泣いていたし、泣きすぎて頭痛を起こしたくらいだ(爆)でも、おばあちゃんがひさしぶりにみんなを会わせてくれたということ、みんながおばあちゃんを好きで(こんだけいたら一人くらいはみ出し者がいそうな感じだけど、それがない。)親戚のみんなでおばあちゃんの話をして、親戚や、近所の人、みんなに見送られてとてもいいお葬式だったのではないかと思う。病院勤めの経験上いろんな死をみてきて、円満ではない家庭のなかで、故人の目の前で財産分与の話をしていたり、喧嘩をしていたりまた、家族がいるにも関わらず誰もかけつけなかったという人もいた。こういうことを人と比べるのは気が引けるけども、やっぱりおばあちゃんは子供たち、孫たち、ひ孫たちみんなに愛されていてきっと幸せだったんではないかということと、看取った人曰く、本当に寝るようにして逝ったというから、そこはやっぱり周りから見ると救われた気持ちになる。看取った人。と書いたが、じつは看取った人は血縁家族ではない。おばあちゃんが急変して病院に運ばれたとき、長男と長男のお嫁さんが(おばあちゃんを面倒みてくれてた人たち)が最初に付き添っていたけど、長男のおじさんは、ロッ太オカンや、その他兄弟の電話連絡の中継地点になるという立場もあるため、一度家に帰り、入れ替わりに、ロッ太おばあちゃんが子供の頃、育ったという家のおばあちゃんが来てくれた。昔の田舎の家ではよくある「正式な養子ではないけど、お乳をもらいに預けられていた」という立場のロッ太おばあちゃん。貧しかった時代にはそれが常だったらしい。(まぁ、明治時代だしさ)だから、おばあちゃんにとってその家は実家同然。そんな家と血縁関係はないけど、今でもロッ太たちは親戚同然に付き合っている。おばあちゃんが、いよいよ。という時にお嫁さんが電話をかけに外に走ったその瞬間におばあちゃんは息を引き取ってしまった。その瞬間立ち会ってくれたのが親戚同然のおばあちゃん。そして、おばあちゃんが亡くなったその日の朝、その実家同然の家で、孫夫婦に女の子が生まれた。なんとなく不思議な縁をみんなは感じている。普通にこっちの考えで言ったら、なかなかこんな風な関係を持つというのは難しいと思うのよね。それに、「隣組」結婚式の時もそうだったけど、みんながエプロン持参で来てくれる。ロッ太たちが供養の食事に出かけている間、家はからっぽ。でも、一足先に帰るロッ太たちが家に寄ったら看取ってくれたおばあちゃんと、その娘さんが片づけをしながらお留守番をしていてくれた。どう?多分こういうことって、ロッ太も含めだけど、「他人にキッチンを勝手に触られるなんて!」とかいろいろ考えちゃうと思うんだけど。でも、こっちだと全然押し付けがましくなくて、助け合うのが当然という考えが残っているからとても自然。これがさらに外国だったらお財布などなど貴重品なんてとてもじゃないけど、置いておけないと思うのよね。(現にロッ太も知人宅でホームパーティ中にサイフを盗られたことあり。)これだけ、沢山の人が出入りしているのにそういう心配も皆無。てか、そんな事を考えるロッ太が汚れているんじゃないかって話。それに、ロッ太たちを車で駅まで送ってくれたのも、おばあちゃんが死んだ日に子供が生まれた夫婦のダンナさん。(ロッ太より2つ上で子供の時はよく遊んでたんだ~。)おばあちゃんの近い身内は抜けられないから。つうことで。みんながみんな、快く助けてくれる。いいと思うんだよね。こういうの。義理人情とか、助け合うって今は減ってきているもんね~。余談ですが、(余談多し)うちらがおばあちゃんの家に行っている間、ロッ太家がからっぽ。どうしても仕事が抜けられない弟はいるものの、朝から晩までからっぽなので、オババ猫のマルコが心配、といって、ホテルや病院に預ければなおさら狂ったように鳴くので、無理。なので、御隣さんに鍵を預け、朝晩エサと水はとりかえていくので、日中ちょっと様子をみてくださいな。と頼む。逆に御隣さんが実家に帰る時はロッ太家が御隣さんの鍵を預かる。ここもプチ隣組?いい御隣さんに恵まれてよかったなぁと今回のお葬式で改めて思ったのでゴザイマス。やっぱね、人とのつながりって大事だよ。うん。
July 29, 2007
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ごぶさたしてます。お元気ですか?ロッ太はボチボチです。今回は長いので2回に分けて書きました。ほとんど覚書に近い感じですが、おゆるしくださいませ。前回の日記に書いた「おばあちゃん」残念ながら、あの日記を書いた1週間後に天国に行ってしまいました。私がおばあちゃんに会いに行った丁度一週間後でした。最初は急変の知らせを土曜の夜に受け、眠れないまま日にちが変わったところでおばあちゃんの訃報。一足先にオカンが向かいましたが、ロッ太はどうしてもはずせない仕事があったために月曜日を待って会社に顔を出してから、同じ理由で会社に顔を出した従姉妹と一緒に東京駅から新幹線でかけつけました。その間ずっとおばあちゃんの死を受け入れるのが怖くて、実際おばあちゃんの顔を見たら自分がどうなるか不安でした。おばあちゃんは、田舎の風習の通り、お通夜までは布団にちゃんと寝ていて、死んでしまった人とは思えないほど血色もよく(かなり時間が経っているにもかかわらず)死後硬直もお年よりのせいか、ガチガチではなかったので、ほっぺたや、二の腕(そんなところ触るなって?)がお年より独特のやわらかさを残していました。(白状すると、ロッ太はおばあちゃんの二の腕の内側のタプタプした肉が大好きでいつもさわっていたのでゴザイマス。でもあれってきもちいいよね?!)その時は涙はでなかったけど、ただ切なくてお線香の臭いと、みんなが叩く木魚と、もうひとつ、鐘?お茶碗みたいな・・・名前を知らないのだけど、あの「チーン・・・」という音が「ああ、仏様に向かっているのね」と言う気持ちになりました。ここのおばあちゃんち以外でこの音を聞くということはほとんどないロッ太なので(家に仏壇がないから。)この音を聞いて、お線香の臭いをかぐと、「ああ、おばあちゃんちだなぁ」という気持ちになるのです。しばらくほうけたようにおばあちゃんと同じ部屋にいて、ボケッとしてたら急にもうおばあちゃんはいないんだという実感がわいてきて親戚中の前で声を上げて泣いたらさらに止まらなくなってみんなに「よかったな~先週会えて・・」とか「おばあちゃん、ロッ太に会えて安心したんだねぇ」とか「本当に苦しまないで、眠るように逝ったんだよ」とまぁいろいろ口々に慰めてはくれるのですが、死ぬ前に会えたとか、死にざまが苦しんだの苦しまないのってそういうことはどうでもいいとは言わないけど、ロッ太にしてみれば「そうじゃなくって!」って気持ちであり、とにかく、おばあちゃんがもういない、ついこの間までしゃべってた人がもういない。もう会えないんだ。ということが悲しくて辛かった。単純にいつもかわいがってくれたロッ太のおばあちゃんがもういない。ただそれで泣いていたんだけどな。人が亡くなって泣く。ということのほとんどはこういう感情によるものでしょう?死にざまがひどかったから。とか、突然だったから。というよりはむしろ、もうその人がいない、もう話ができない。という喪失感から涙が出るんだと思うんですわ。もちろん直前に会えたことは自分にとって救いになったことは間違いないけど「むしろ、わたしのせいで体力を消耗しちゃった?」っと罪悪感もあるのです。おばあちゃん、ごめんね・・・東北地方のこの地域では関東で言うお通夜というものはなく、「納棺」という儀式が夕方からありました。浴衣を纏っているおばあちゃんに上から白い着物を着せていわゆる「お遍路さん」みたいな格好になるのだけど、手の甲にも白い布をつけて、足には白くて長い足袋をはかせ、わらじをはかせ・・・ということを一番近い家族、つまりは子供たち(ロッ太オカンの兄弟)と、葬儀会社の人たちでやるんだけど・・・・まぁ、ロッ太も後ろに立って見てたんですわ。孫だしね。が・・・着物を着せる時、まず、片方の腕に袖を通して、背中の半分まで着物を入れて、体の向きを変えて・・・という手順が一般的。でも、その時に注意しないといけないのが、(これは病気の人を着替えさせる時も同じ)袖をちゃんと奥まで通すこと、できるだけ、反対側の腕を入れる時に余裕ができるように、着物を少しひっぱること。じゃないとね、肩の部分から、反対側の腕が入りません。そこは、慣れているであろう葬儀会社の人がやろうとしてくれてたんだけど・・・すげーへたくそっ!!!!!そんなん反対側の腕をグリグリ袖通ししたらおばあちゃん痛いじゃん!死んでるからいいってわけじゃないぞ!ああ、もう、あたしがやるからどきなさい!!!!っとマジで叫びそうになりました。で、あまりにもモタモタ・ヘタクソっぷりに我慢ができなくなり、「そこ、肩を一度抜かないと腕ははいらないですよ!」っと思わず後ろから言ってしまった・・・だって、おばあちゃんの体をあんまり乱暴に扱われるのがいやなんですもの。で、そのあと、足袋をはかせて、わらじをはかせて、編み上げるんですよ。それも、なんかもー足をぐっともちあげられて、グリグリはかせられて、わらじの編み方もイマイチダメで何度もやり直しで・・・・死んでからもこんなもみくちゃにされる風習っていかがなものか と、ちょっと思ってしまいましたでゴザイマス。で、まぁ、近所の人や遠い親戚関係の人なんかも納棺に来てくれるんですが・・・服装が・・・限りなく、自由。礼服なんてダレも着てないっす。ピンクのポロシャツを着ているおっさんまでいる。というロッ太も会社から直行だったので、白ベースにストライプが入ったブラウスだったんですけど。大事なのは気持ち。っちうことなんですかね。その日は、着替えたおばあちゃんを棺にいれて、終わり。みんなで夕食をとって、おばあちゃんの思い出話をして、和やかな雰囲気に。悲しいけど、思い出話をすることで、みんながおばあちゃんを思っているということがつくづく感じるんですわ。次の日はいわゆる「お葬式」しかも、田舎の家だから、セレモニーホールでやらずに家でお葬式を執り行うということで、近所の人が朝もはよから焼香に来てくれる。ということで、5時前に起きるように。と親戚一同輪になって作戦会議と称して指令が下される。無理でしょ。絶対。5時前って人が起きる時間じゃないっす。というわけで、夕食も早い田舎の夜は就寝も早い。10時前にはこの状態。合宿所状態。みんなで布団を引いてみんなで雑魚寝。こんだけの人数を収容できる田舎の家はいいなぁ。が、結局ロッ太は「こんな早くには寝られない」という男衆(次男・三男・長男の息子2人)に混じって地酒を飲みつつロッ太の知らないおばあちゃんの話や、昔の生活っぷりを別室で語ってもらいました。散々飲んでもまだジャスト12時(爆)お風呂はもう入っていたので歯磨きだけしてお布団にもぐります。ちなみにロッ太は雑魚寝ではなく、一人、おばあちゃんの部屋。が・・・寒いっ!東北をなめちゃいけませんでした。この間は半そでで大丈夫だったのに・・・と我慢しつつ、毛布をかぶっていたけど、どうにも我慢できなくなって雑魚寝部屋に毛布を奪いに行くも、余っている毛布なし。仕方がないので、おばあちゃんの使っていた引き出しをあけて、あやまりつつ、おばあちゃんのパジャマを拝借。なんとか眠りにつけましたとさ。ちなみに、このパジャマは形見にもらって帰りました。つづく。
July 29, 2007
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わたしのお母さんの実家は東北地方にあります。そこに90さいをすぎたおばあちゃんが、お母さんのお兄さん夫婦とまご夫婦とその子供たちといっしょに暮らしています。おばあちゃんは6年くらい前に太もものつけねの骨折をして歩くことがうまくできなくなってしまったけど、90さいをすぎても他に大きな病気をしたり、痴呆症があることもなく、元気にくらしていました。でも、最近おじさん夫婦から連絡があって、いつもしっかりご飯を食べるおばあちゃんの食欲が落ちてきたから心配だと聞かされました。そうしているうちにお尻の骨のところの「とこずれ」が少しできてしまったからお医者さんに言われてとこずれを悪化させないように空気がはいったベッドに替えたそうです。そうしたら、今までの少しかたいベッドより起き上がりづらくなってしまったみたいでおばあちゃんは自分で起きて、ベッドの横のトイレにおりることができなくなってしまったということです。そしてオムツを使うようになったと聞きました。わたしは心配になってこの3れん休で急いでおばあちゃんのところに行ってきました。骨折したときにおみまいに行ってからずっと行ってなかったのでおばあちゃんに会うのは6年ぶりでした。6年ぶりにあったおばあちゃんは顔も体も小さくなって、一目見たらとてもせつなくなりました。耳も遠くなっていて耳の近くで話をすれば聞こえました。ひさしぶりにわたしを見ておばあちゃんはわかるかな?と思って「ひさしぶりだけど、だれだかわかる?」と聞いたらおばあちゃんは、いっしゅん首をかしげました。わたしはまたちょっとかなしくなりました。そして、もう一回よーくみてから「○○子?」とわたしのお母さんの名前を呼びました。わたしはそんなにお母さんにそっくりじゃないのになーと思いました。だから「○○子のむすめのロッ太だよ~」と言ったら「ロッ太か~~」と言ってしわしわの顔をしておばあちゃんが笑いました。お母さんとわたしは顔のパーツひとつひとつは似ているけど、全体的なふんいきは似ていないのに、おばあちゃんにはおなじに見えたのかな?前はわたしが遊びにいくとおばあちゃんはいつも「よぉ肥えてまぁ~」とわたしのうでやほっぺたをさわったりしていたのに今のおばあちゃんはもう、そういうこともしなかったのがまた悲しかったです。おじさんの言うとおりおばあちゃんはご飯があまり食べられなかったです。やわらかいおかゆとおみそ汁を本当に少しだけなのに、スプーンにほんの少しのせて3口くらいしか食べられなくて、飲み込むのにも時間がかかっていました。だから、お医者さんにだしてもらった、栄養が高い飲み物をストローで飲んでいました。トイレにも降りられなくなってしまったのでオムツをおじさんのお嫁さんのおばさんと一緒にとりかえました。おばあちゃんの体の向きを変えるのもとても大変で、おじさんとおばさんが毎日どんなに大変かとてもよくわかりました。それでも、おばあちゃんの部屋は全然薬のにおいも、おむつのにおいもしません。ふつうならもっとにおいがでるはずなのに、おじさんとおばさんは、毎日とてもきれいにしてくれているのです。おばあちゃんはしわしわだけど、毎日おばさんがきれいに顔をふいてくれるから、とってもきれいなおとしよりです。朝起きればうがいをして、入れ歯を入れて、顔を拭いて、ご飯も食べられなくてもちゃんと少しずつおばあちゃん用にやわらかいのを用意して10時と3時にはおやつも、お茶もあって、お年よりに大事な水分ほきゅうもしっかりしてもらっていました。わたしは病院の仕事を知っています。内科の慢性期という、かぎりなく介護型に近い病棟で働いていたこともあります。だから、おとしよりを看ることがどんなに大変かをよく知っています。ヘルパーさんを頼むのは週に1回のお風呂だけで、あとは全部おじさんとおばさんが2人でやっています。それなのに、こんなに綺麗で、においも全然ないお部屋でおばあちゃんを看てもらっているということはとてもすごいことです。日常のことばかりだけど、それを毎日保つのは思いのほか大変なことです。病院ならプロだし、いろいろなものもそろっているし、人手があるからまだわかるけど、病院には入りたくないというおばあちゃんをそん重して、家で看てくれているじじつには頭が下がります。自分の親でも大変なのに、お嫁さんのおばさんがこんなに頑張ってくれるのははなれて暮らしているわたしのお母さんや、お母さんの他のきょうだいにとってもありがたいことです。そして、この3連休で、わたしのほかにも、東京に住んでいるおじさんとわたしの従姉妹もおばあちゃんのようすを見にきてました。すこしはなれた町でくらしている他のいとこもひ孫をつれて、おばあちゃんに会いにきてました。みんなが心配してすぐに会いにきてくれる子供や孫がいるおばあちゃん。みんなが大好きなおばあちゃん。わたしのお母さんも先月行ったけど、お姉さんといっしょにまたさ来週におばあちゃんのところに行くそうです。もう一人の東京に住んでいるおじさんも「ご飯の食べる量がへった」の電話をもらった、その日の夜に車で来ようとしていたそうです。でも、長男のおじさんが、そこまで急ぎじゃないよ、と言ったので、じゃぁ夏休みに行くね。ということにしたそうです。こうやってすぐ飛んできてくれる人がたくさんいるということが、おばあちゃんがどれだけみんなから大事に思われているかわかってうれしかったです。でも、わたしは6年ぶりにおばあちゃんにあって、少しこうかいしました。「もっと早くに会いにくればよかったなあ」って。もっとはやく会いにきて、もっとたくさん話をしたりしたかったなあ。自分の旅行のことばかりだったけど、今度はしばらく時間のゆるすかぎりおばあちゃんの所に行こうとおもいました。なによりも、わたしがおばあちゃんのそばにいたいと思うからです。3れん休の終わりの今日、帰るときにおじさんとおばさんに「大変だと思うけどおばあちゃんをよろしくおねがいします」とおねがいしてきました。そんな、おじさんとおばさんは、いつも一生けん命仕事をする人だから今まであまり旅行に行ったりしてませんでした。そして、定年退職した今、行こうと思ってもおばあちゃんのお世話があるから行けません。わたしたちが交代で見るから温泉にでもいっておいで。と言っても気になってしまうから行けないそうです。そんなおじさんとおばさんが、わたしに「外国ってどんなところだ?」って聞くのでいろいろ話をしてきました。そのうち連れてってあげるよ。とわたしが言ったら「いやあ~~。外国といわなくても、京都と奈良や九州に行ってみたいな~」と言いました。東北地方に住んでいるので、日本でもあまり南の方には行ったことがなかったそうです。だから、わたしは家に帰ってきてお母さんにこの話をしました。いつか、おばあちゃんのお世話がひとだんらくするときがきたら、しんせきのみんなでお金を出し合って、おじさんとおばさんに旅行をプレゼントしましょう。と。そしたらお母さんは「わたしも、おねえさんも、兄さんもみんなさそって、きょうだいでみんなで行きたいな」といいました。だから、わたしは「お母さんの分はじぶんで出してね。わたしはおじさんたちの分だけ出すよ」といってわらいました。人間はだれでも年をとって、いつか死ぬときがくるけれど、なるべく苦しくないように、いい思いを少しでもして、安らかに眠ってもらいないとわたしは思います。だから、おばあちゃんもいつか、そういう時がくるけれども少しでもおばあちゃんとの思い出をつくって、家がいいと言うおばあちゃんだから、家でかいてきな余生をすごせるようにわたしもがんばって手伝おうとおもいました。******************************三十路にもなってこんな小学生の作文みたいなのを書いたのは今のわたしの心境がまさに、このままだから。であります。えーと、ごぶさたしておりまして、すみません。↑の通り、しばらくおばあちゃんの心配をしたり、3連休で行ってきたりしました。おばあちゃんはわたしにとっていつまでもおばあちゃんで(当たり前だけど)三十路になった今でも、心の中では甘えられる存在、子供のころにかわいがってもらった当時のまま。なのです。だから、今自分が大人になって、おばあちゃんが、年をとって小さくなってもやっぱり、私の中でおばあちゃんというのはいつまでも甘えさせてくれる。はずだったのに今回孫のわたしの存在もちょっぴり忘れかけていたり、小さくなってしまったことに少なからずショックを受けたキモチ。というのが、なんとなく小学生みたいな文章を書くことで整理されたような気がします。おばあちゃんの家は、東北地方の、と、ある山間の小さな村にあります。のどか~なのどか~な田舎。日本昔話に出てくるみたい。ここにくるとホントに癒される。余計なものがなくても暮らしていけるんだなっていう気持ちになれる。家の前の畑にとうもろこしが。これを見ると子供の頃、夏休みにここで遊んだ事を思い出します。都会育ちの従姉妹の子供がここに遊びにきて、とんぼやセミにさわれないのを見て「都会のもやしっこね」と笑ったけど、私も子供のとき、セミやトンボは最初はさわれなかった。とオカンに言われました。うちのほうはあんまりトンボがいないのです。全然都会じゃないのにな。家のちかくの山から湧き出る清水。夏でも冷たくておいしい。地元の人はみんなおおきなボトルを持って汲みにきます。ときどき、スイカやトマトを冷やして、おきっぱなしにしているのを見かけるけど、だれも盗みません。今日初めてみた「すぐり」よく聞く「カシス」は黒すぐり。これの赤いすぐり。だそう。へぇ~。おいしいのかな? 紫陽花の色が違うのは土壌が酸性かアルカリ性かで変わるというけど、すぐそばに生えていた紫陽花同士なのに色が違う。。。不思議。おばあちゃん。もっと長生きしてね。
July 16, 2007
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