文豪のつぶやき

2005.08.13
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カテゴリ: 新撰組
井上源三郎という男がいる。
多摩の百姓の倅で、これといってとりえのない、時代の変革がなければ、おそらく多摩で篤実な農夫として生涯を終えた男である。
若い頃に、この地方の農家の若者なら当たり前のようにする田舎剣術の天然理心流を習った。剣はさして伸びず、また才もないが、ただ黙々と修行に励んだ。
乱世になった。この田舎剣術の天然理心流も世に出る機会があり、道場主近藤勇は道場をたたみ、丸ごと京へ行くことになった。
井上も誘われた。近藤にすれば、剣才のない井上は足手まといであったが、宗家の近藤より天然理心流の剣歴が古い井上に、声をかけずに京に行くことは出来ることではない。ただ井上は断ると思っていたらしい。が、井上は受けた。
井上は長男ではない。多摩にいても自分の田は一枚もない。
農家の婿の口を待つだけである。
井上本人は、自分が足手まといだということは考えず、ただ、この年下の盟主を支えるという純粋な気持ちから受けた。そこには政治性も、名を挙げる気もない。
同行の土方歳三も沖田総司も姻戚関係にある。

京では天然理心流は新撰組として名を変え、一大警察集団として重きを成し、天然理心流の当主近藤勇はじめ土方歳三らが幹部に連なった。
その関係で井上も郷党の先輩として幹部になった。
といっても警察集団として必要な武技の才はない。
ただ篤実な、それでいて忠実な気持ちだけがある。
井上は稲を刈るように、近藤や土方のいわれるままただ黙々と尊攘志士の首を刈るだけである。
やがて鳥羽伏見の戦いが始まり、井上はうまくもない剣を抜いて銃弾の雨の中、突入し、斃れる。
怜悧といわれた縁戚の土方が、井上を抱き起こし、井上は土方の腕の中で死ぬ。
かれもまた幸せであったと言わねばならない。





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最終更新日  2005.08.13 06:28:11
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