文豪のつぶやき

2005.08.14
XML
カテゴリ: 新撰組
慶応四年(1868年)1月15日、富士山丸が品川に着いた時、沖田総司はよほどいけなかったらしい。
療養先の神田和泉橋の医学所に運ばれた時には、歩くこともままならなくなっていたが、土方ら新撰組隊士が見舞うと、やつれてはいたが、いつもどおりふわっとした様子で明るく笑みを洩らした。
「総司の声を聞くと、おらぁ物哀しくなるんだよ」
といったのは土方の長兄為次郎である。為次郎は盲目で生まれてきたため、家督を次兄喜六に譲り石翠と号した。幼いころから沖田とそばで接してきて、そう言った。
目が見えないだけに、総司に何か感じていたのだろう。
総司は、最後までそういう雰囲気を残して死ぬ。
病名は労咳、いまでいう結核である。
結核は、今はさほど重病とはなっていないが、つい最近までは死病といわれた。無論、私は話でしか聞いたことはない。
余談ではあるが、私が若き頃、軽井沢の別荘に作家の故堀辰雄夫人の多恵子さんを訪れた時、風立ちぬの著者、堀辰雄氏が労咳で苦しむさまを見て、奥さんの堀多恵子さんはともに死のうと頼んだと言っていた。

その多恵子夫人が、共に死のうとまで言ったのだから、病気の凄まじさがわかる。
沖田は神田和泉橋の医学所から千駄ヶ谷池橋尻の植木屋平五郎の離れに居を移した。
最初、庄内藩の武家に嫁いでいた姉のお光が看護していたが、夫の庄内藩移動に伴い、老婆を雇った。
沖田には、お手伝いとして、老婆が一人ついているだけである。
沖田は日がなふとんの中から狭い庭を見ている。
この頃になると沖田は一日中臥せっていた。
わずかに首を動かし庭をじっと見ている。
あるとき、沖田は老婆を呼んだ。
「ばあさんばあさん、刀を持ってきてくれないか」
老婆は仰天し、
「体をお動かしになってはいけませんよ」

ばあさんはやく刀を持ってきてくれ。」
庭には確かに黒猫がいる。その黒猫がじっと沖田を見ている。
老婆はやむなく沖田に刀を渡した。沖田は刀を支えに起き上がると裸足で庭に出た。
そして剣を抜くと黒猫を見据えた。
黒猫は微動だにしない。

黒猫は微動だにせず沖田をじっと見ている。
しばらく対峙が続いたが、やがて沖田は剣を放り出すと倒れこんだ。
老婆はあわてて人を呼び、沖田をふとんに担ぎこんだ。
黒猫はいつの間にかいない。
沖田は布団に運ばれる最中にも、
「ばあさん斬れない、ばあさん斬れないよとうめいていた」
老婆は子供にかんでふくめるように優しくなだめた。
この日を境に沖田は障子を閉め、庭をさえぎった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005.08.14 07:16:35
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: