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多くの人と無用意の雑談を交えて帰った時の淋しい孤独感、何だか試験に落ちて羞耻(しゅうち)に泣いている自分の姿が見えるそして社会人は総て皆が皆、互いに試験されているのだ。
2025年11月19日
眼の色が何となくウルンでいる。心にワダカマリがあるからだ。笑の底に鈍重な気が満ちている。胸に秘めたコダワリの影だ。挙止(きょし)の整わぬのは頭の動乱を語っているのだ。人に面会した一刹那に直感されるのは最も正直な人格の影だ。
2025年11月18日
気まぐれと云っては済まぬが、たとい半日でも或事を忘れて暮したい希望から、時々いろいろの方を訪問して見る。心中一点何等求むる所もなく、隨(したが)って気兼苦労を重ねることは自ら禁物とする。求むる心なきものにして初めて何人とも会談され得るのだ。求むる心は親疎に牆(かき)を造り自ら黨同伐異(とうどうばつい)に愛憎する。
2025年11月17日
三人には三人の事情があり、五人には五人の事情がある。その事情に入って見れば一人として無理がない。三人ながら五人ながら何れも尤も千万な言い分がある。けれども人と人との接触は一人の事情を捨てざれば融合されない。自己を忘れて他の立場に同情する。そこに真の人間愛が湧き出るのだ。事情は葛藤を生み、争闘は遂に殺生を生む。恐ろしいことだ。
2025年11月16日
三人の客に対して何れにも円満に話し得るものは相当の外交家だと云った人がある。普通、特に気の小さい主客相対して語合う時と、そこへ一人を加えた時とで言語態度に微妙の差を描くものだ。それは無意識的に自己の大を第三者の前に表示せんとする苦衷(くちゅう)の反影と見てよかろう。
2025年11月15日
親友は必ず一人と一人が相対座して語るべきだ。そこに一個半個の介在を許さない処に最も親しい情味が湧き出る。三人寄れば一人は障碍(しょうがい)であり、五人集まれば三人は軽い敵である。
2025年11月14日
交って二三語、直ちに其人の内容は判明する。ことほど左様に人間は或る意味に於て正直だ。
2025年11月13日
他人を尊敬することが直ちに自己を尊重する所以である事を知らないものに知己を得られよう筈がない。
2025年11月12日
相談するものも無くなり、叱られる一人者も無くなれば「自由」というものは寂しいものだろう。
2025年11月11日
明かに拒絶する意欲なくて男一匹の値はない。微温(なまぬる)い諸(もろもろ)は誰でも云い得るが、峻烈な拒否はいつも幾分ぼかされて出る。総ての根本誤謬(ごびゅう)は「ぼかされた拒否から起る。
2025年11月10日
「強い男」とは拒絶の力に附けられる名だ。「イヤです」と判然名答される意味の人だ。
2025年11月09日
何人に対しても慈愛の心を以て向うべきは人の本務であると同時に、少し強く云い過ぎるが、「冷酷に生きる意志」がなくてはならない。時に或は秋霜の如き冷酷さが却って春風のような温情以上に自他を活かすことがある。
2025年11月08日
旧友なるものは「人格を慕って」と云いつつ油を絞りに来るものだ。油の尽きる処に何ぞ人格あらんやだ。懐かしいとは甘味のまだぬけ切らぬ証拠だ。
2025年11月07日
今年も朝寒くて貼るカイロを初めて使用した。
2025年11月06日
今は慥(たし)かに親友なり。若(も)し彼をして仇讐(きゅうしゅう)たらしめんとせば吾自ら勢力を失墜するに在り。勢力のなき処には親友なし。
2025年11月06日
親友とは自分に多少共何か利益のある間にのみ呼びかけられる声だ。自分に何の利益もなくなった時には則(すなわ)ち路傍の人だ。但(ただ)し親友当時利益の最も多大だったものは或るは怨敵(おんてき)と化して行く。
2025年11月05日
利害関係の無き間は何人とも親友として交り得るものだ。
2025年11月04日
人が決して悪いんじゃない。唯(た)だ利害関係が禍するのだ。利害のない以前の人は十人が十人ながら親しい善人ばかりであった。一夕、利害の関係が生れて来ると、忽(たちま)ちにして十人が十人ながら恨めしい悪人に化する。親しむことだに無かったならば、此疎(このうと)ましい関係が見られなかっただろうに、呪うべきは利害に結ばれた人事関係だ。地上の煩雑(はんざつ)は一に此災危から生れる。
2025年11月03日
人と人との関係は「周囲の事情」が異なって来ると忽(たちま)ち親疎(しんそ)逆転するものだ。今の今まで全力を捧げて支持し来ったものでも一たび利害を異にすれば極力排撃(はいげき)する。
2025年11月02日
駅頭の見送りは或る意味に於ける彼我交際の融和策だ。呉越互いに久濶(きゅうかつ)を叙し、犬猿互いに笑話を交わすあたり、時に好個(こうこ)の小芝居を観るも面白い。
2025年11月01日
精神的に生活力の弱い人は常に他の勢力に依頼して自己を飾ろうとする。或る一人、それを独占しないと承知が出来ない。中間に他の一人を介在せしむることは何となく自己の箔(はく)を失う恐怖に襲われる。だから甲を割き、乙を割きて唯(た)だ一人だけ情夫格で納(おさま)ろうとする。つまり自分の知らない時に甲と乙とが会談したりすることがイヤなのだ。こんな特権的な性格は宗派人の常習として多くの人に共通する。つまり泉水中の錦魚(きんぎょ)は小石の間に潜みて他の魚族から細小繊弱(せんじゃく)を笑われるのを恐れているのだ。憐れむべき独立力を持たない精神的空疎(くうそ)の生活者だ。
2025年10月31日
友人と知人は全く別だ。知人は星の数ほどあっても心と心とを許合った友人は、そう沢山にあり得る筈がない。而(しか)して、最も危険なるは友人の面を被(かぶ)った知人だ。友と友とは時として感情の外れることがあっても陰に廻れば死を以て相助く。況(いわん)や第三者の前に友情を傷(きずつ)けるような卑しい言動は取らない。過(あやま)って傷けるられた如く響くことがあっても、それは友を売ったのではなくて、寧(むし)ろ逆に皮肉に友を救うたのだ。
2025年10月30日
敵は求めずして出でる。切に求むれども真の味方は得られない。汝は一人の味方を望むか、九人の敵を求むるか。若(も)し一人の味方を得んとして其処に九人の敵を造らざるべかざれば甘んじて九敵に対したい。今、少しく突き詰むれば一人の味方は九人の敵に彩られて初めて味方であり、直ちに九敵を挙げて味方たるに同じだ。
2025年10月29日
人気を売る商売の人は訪問に同伴者を選ばねば思わぬ損失を招くことがある。その主人に対して好感を持つものでも同伴者が如何わしい定評のある好かぬ人物であったら全体の空気を壊すものだ。若(も)し何か要求があるとせば少くも半分以上の損を招かねばならぬだろう。
2025年10月28日
評判が好いと云い、悪いと云う。何も客観的に決定された評判などあるもんではない。畢竟(ひっきょう)じて皆「世間」の名を藉(か)り来って主観的に私製しているのだ。自己が斯(こ)う迷信する。或は錯覚する。而(しか)して先ず自己に近い者を求めて訴える。すると迎合的に、或は同情的に幾多の言を寄せられる。早や次の瞬間には「世間の評判となって囃(はや)されるのだ。
2025年10月27日
自分から遠い人には決して欺かれない。否、欺く必要もないからだ。朝に夕に近く親しく交際しているものに却って人生の最も深刻なる秘密が藏されている。欺かれることは愚かであっても欺いたものよりも心は平安だ。
2025年10月26日
理性一遍に生きる人には語るも領解されず、感情一遍に動く人には談ずるも所詮なし。冷頭温心の人、氷のように冴えた脳と春のように柔かい脈との持主にして初めて血と涙とに彩られた人事が領解されるのだ。
2025年10月25日
あの人と会うと相互の談話が壤け過ぎて生地のままの人間が現れるから、とても組織立った真面目な議論なんか出来ないと滾(こぼ)した人がいた。そこが初めて人間の尊い味がある処じゃないか。「真面目な議論」、それは果してドンナものか。人間離れしなきゃ真面目でないとは何処から割出して来た真理か。人生の純な實は寧(むし)ろ諧謔(かいぎゃく)の花から結ばれるものだろうに・・・・・。
2025年10月24日
富士山が今シーズン初めて冠雪した。平年より21日遅く、去年より15日早い観測です。10月23日の初冠雪は、過去4番目に遅い記録です。これまでで最も遅かったのは、去年の2024年11月7日で、次いで2016年と1955年10月26日。4番目が、今年と2017年、1969年、1961年の10月23日です。
2025年10月23日
與て考うれば十人の言分には十人の理由がある。奪って考うれば十人の言分は十人ながら曲歪である。與うるは謙譲であり、奪うは驕傲(きょうごう)である。與えず奪われざる境地に人を置いて観察したい。
2025年10月23日
深い意味を含めて吐いた第一者の言葉を、唯(た)だ単に言葉の儘に第二者の口に依って伝えられた時、又は別に何の意味もなく語った言葉に第二者が功利的に色彩を加えて伝えられた時に、第三者の耳には異様の響を與えることがある。言語を有する人間界が呪わしくなる。
2025年10月22日
第一輪の回転、忽(たちま)ち東西に別るる千万里(せんばんり)。彼我(ひが)を引離す力は唯(た)だ分岐点に立つポイントメンの雙手に在り。人と人との感情も亦常に斯(か)くの如し。
2025年10月21日
多数を知って一人も知らないのがホントの交際家なんだろう。
2025年10月20日
薄紙一重の隔たりもなく融合し得ればモウ彼と我とではなく全く自他一體だ。彼の傷(いた)みは即(すなわ)ち我が傷みであり、我が悩みは即ち彼の悩みであるべきだ。それは構えて成る境地でもなく、求めて来る楽土でもない。唯(た)だ自然に描かれた人生の神秘だ。
2025年10月19日
人と人との関係に於て薄紙一枚の隔たり、それは直ちに千里の差だ。
2025年10月18日
自分が今、斯(こ)う思っている、それが周囲人の胸底に徹しない、ツイ焦燥が起るのだ。愛に若(も)し量目ありとせば一斗の愛は一合の桝(ます)では測られないものだ。泉水中錦魚(きんぎょ)の眼はどうして大海の魚友のあることが観られよう。愛の滴は時として無諒解の人の心を逆に悲惨ならしむることがある。
2025年10月17日
平素「厚意を寄せている」とは寧(むし)ろ「侮辱を加えている」という反語だ。厚意を言葉で寄せ、侮辱を実行で加えているのだ。
2025年10月16日
人と人と相交って行く間に知らず識らず「敬語」が取れてゆく。但(ただ)し親密よりするものと軽悔(けいぶ)よりするものとの差別がある。受ける側よりすれば軽悔も亦た一の親愛だろう。敬語鑑別法を考える。
2025年10月15日
次女からミカン段ボールで送られた。大粒のミカンで甘みは少ないがみずみずしく果汁はたっぷりだ。夏の暑さでわけありのみかんだとか・・・
2025年10月14日
絶えて久しき知人でも十二月になると平素の御疎音を謝しに来るものだ。そして正月が済んだら又必ず盆までは「平素の御疎音」を続けるものだ。
2025年10月14日
建造物を國寳(こくほう)とする。而(しか)して國寳以上の自然風景を破壊する。若者が他の新家庭を訪問すると何か知ら「理由の解らぬ怒」に触れることが往々ある。実は解る以上に解る「性慾」だ。
2025年10月13日
他人を笑わせるものは決して自ら笑わない。真面目に演ずる滑稽ほど面白いのだ。実は世の中の総ては真面目と滑稽の結合だ。笑の素は真面目の母から生れている。真面目腐って人と相対座する時、制し切れぬ笑がコミ上げて来ることがある。
2025年10月12日
実意、親切、同情は五分と五分との間に行われて初めて意義あり。若(も)し授受の人に一分の差あらば即(すなわ)ち一の売買品のみ。
2025年10月11日
この人、ホントの事を語らぬと鑑定が付けば、一切何事をも問うことを止めよ。問うことは却って其人に、より以上の嘘を語らしむ動機を與うるだけだ。
2025年10月10日
個性から見ると鹽(しお)のような人もある。飴のような人もある。朝に一友来って我が生活に一握の鹽を投げて去る。と夕には又。一友来って一滴の飴を我が胸の中に塗って帰る。鹽もよく飴もよし。辛い人、甘い人、白雲悠々去来に任すだ。
2025年10月09日
久しく打絶えて疎隔(そかく)したものや、多少感情の外れて自ら遠ざかっているものやが、死の家を弔う遺族を慰める。そこには人情の美しい温味が漂うて雲煙忽(うんえんたちま)ち一掃の感が湧く。疎遠緩和の一策として適当の時に誰かが一人づつ死んで往くに限る。
2025年10月08日
淡きこと水の如き君子人たらずとも甘きことサイダーの如き交際に止めたい。それが濃きこと油の如くならばまだしも、ねばることゴム糊(のり)の如しと来ちゃ人と人との関係も末の末だ。
2025年10月07日
人に実意というものが無かったら、そりや「タダの人だ」。言葉の綾や表情の技に現われるものでなくて、不可称不可説の香気ある「底力」だ。タダの人は門前を来往する通行人と同じだ。吾等に於て有っても無くてもいいものなのだ。
2025年10月05日
言葉の羅列で自ら正義化する人も気の毒だが、苟(いやしく)も人の思想に喰い入るような言葉一ツも発し得ないものは更に気の毒だ。
2025年10月04日
悲哀のドン底に喘ぐものにして初めて人の平常の心の真実が味われる。どんなに美辞佳句を列(つら)ねて迫られても何等感銘もないのが多い。黙っていてもケジメケジメに急所を捉えて人の憂鬱を慰める。隠せば隠す程人の親切は光るものだ。人生は触るれば悲しい。触れざれば淋しい。
2025年10月03日
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