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気まぐれと云っては済まぬが、たとい半日でも或事を忘れて暮したい希望から、時々いろいろの方を訪問して見る。心中一点何等求むる所もなく、隨(したが)って気兼苦労を重ねることは自ら禁物とする。求むる心なきものにして初めて何人とも会談され得るのだ。求むる心は親疎に牆(かき)を造り自ら黨同伐異(とうどうばつい)に愛憎する。
2025年11月17日
三人には三人の事情があり、五人には五人の事情がある。その事情に入って見れば一人として無理がない。三人ながら五人ながら何れも尤も千万な言い分がある。けれども人と人との接触は一人の事情を捨てざれば融合されない。自己を忘れて他の立場に同情する。そこに真の人間愛が湧き出るのだ。事情は葛藤を生み、争闘は遂に殺生を生む。恐ろしいことだ。
2025年11月16日
三人の客に対して何れにも円満に話し得るものは相当の外交家だと云った人がある。普通、特に気の小さい主客相対して語合う時と、そこへ一人を加えた時とで言語態度に微妙の差を描くものだ。それは無意識的に自己の大を第三者の前に表示せんとする苦衷(くちゅう)の反影と見てよかろう。
2025年11月15日
親友は必ず一人と一人が相対座して語るべきだ。そこに一個半個の介在を許さない処に最も親しい情味が湧き出る。三人寄れば一人は障碍(しょうがい)であり、五人集まれば三人は軽い敵である。
2025年11月14日
交って二三語、直ちに其人の内容は判明する。ことほど左様に人間は或る意味に於て正直だ。
2025年11月13日
他人を尊敬することが直ちに自己を尊重する所以である事を知らないものに知己を得られよう筈がない。
2025年11月12日
相談するものも無くなり、叱られる一人者も無くなれば「自由」というものは寂しいものだろう。
2025年11月11日
明かに拒絶する意欲なくて男一匹の値はない。微温(なまぬる)い諸(もろもろ)は誰でも云い得るが、峻烈な拒否はいつも幾分ぼかされて出る。総ての根本誤謬(ごびゅう)は「ぼかされた拒否から起る。
2025年11月10日
「強い男」とは拒絶の力に附けられる名だ。「イヤです」と判然名答される意味の人だ。
2025年11月09日
何人に対しても慈愛の心を以て向うべきは人の本務であると同時に、少し強く云い過ぎるが、「冷酷に生きる意志」がなくてはならない。時に或は秋霜の如き冷酷さが却って春風のような温情以上に自他を活かすことがある。
2025年11月08日
旧友なるものは「人格を慕って」と云いつつ油を絞りに来るものだ。油の尽きる処に何ぞ人格あらんやだ。懐かしいとは甘味のまだぬけ切らぬ証拠だ。
2025年11月07日
今年も朝寒くて貼るカイロを初めて使用した。
2025年11月06日
今は慥(たし)かに親友なり。若(も)し彼をして仇讐(きゅうしゅう)たらしめんとせば吾自ら勢力を失墜するに在り。勢力のなき処には親友なし。
2025年11月06日
親友とは自分に多少共何か利益のある間にのみ呼びかけられる声だ。自分に何の利益もなくなった時には則(すなわ)ち路傍の人だ。但(ただ)し親友当時利益の最も多大だったものは或るは怨敵(おんてき)と化して行く。
2025年11月05日
利害関係の無き間は何人とも親友として交り得るものだ。
2025年11月04日
人が決して悪いんじゃない。唯(た)だ利害関係が禍するのだ。利害のない以前の人は十人が十人ながら親しい善人ばかりであった。一夕、利害の関係が生れて来ると、忽(たちま)ちにして十人が十人ながら恨めしい悪人に化する。親しむことだに無かったならば、此疎(このうと)ましい関係が見られなかっただろうに、呪うべきは利害に結ばれた人事関係だ。地上の煩雑(はんざつ)は一に此災危から生れる。
2025年11月03日
人と人との関係は「周囲の事情」が異なって来ると忽(たちま)ち親疎(しんそ)逆転するものだ。今の今まで全力を捧げて支持し来ったものでも一たび利害を異にすれば極力排撃(はいげき)する。
2025年11月02日
駅頭の見送りは或る意味に於ける彼我交際の融和策だ。呉越互いに久濶(きゅうかつ)を叙し、犬猿互いに笑話を交わすあたり、時に好個(こうこ)の小芝居を観るも面白い。
2025年11月01日
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