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絶えて久しき知人でも十二月になると平素の御疎音を謝しに来るものだ。そして正月が済んだら又必ず盆までは「平素の御疎音」を続けるものだ。
2025年10月14日
建造物を國寳(こくほう)とする。而(しか)して國寳以上の自然風景を破壊する。若者が他の新家庭を訪問すると何か知ら「理由の解らぬ怒」に触れることが往々ある。実は解る以上に解る「性慾」だ。
2025年10月13日
他人を笑わせるものは決して自ら笑わない。真面目に演ずる滑稽ほど面白いのだ。実は世の中の総ては真面目と滑稽の結合だ。笑の素は真面目の母から生れている。真面目腐って人と相対座する時、制し切れぬ笑がコミ上げて来ることがある。
2025年10月12日
実意、親切、同情は五分と五分との間に行われて初めて意義あり。若(も)し授受の人に一分の差あらば即(すなわ)ち一の売買品のみ。
2025年10月11日
この人、ホントの事を語らぬと鑑定が付けば、一切何事をも問うことを止めよ。問うことは却って其人に、より以上の嘘を語らしむ動機を與うるだけだ。
2025年10月10日
個性から見ると鹽(しお)のような人もある。飴のような人もある。朝に一友来って我が生活に一握の鹽を投げて去る。と夕には又。一友来って一滴の飴を我が胸の中に塗って帰る。鹽もよく飴もよし。辛い人、甘い人、白雲悠々去来に任すだ。
2025年10月09日
久しく打絶えて疎隔(そかく)したものや、多少感情の外れて自ら遠ざかっているものやが、死の家を弔う遺族を慰める。そこには人情の美しい温味が漂うて雲煙忽(うんえんたちま)ち一掃の感が湧く。疎遠緩和の一策として適当の時に誰かが一人づつ死んで往くに限る。
2025年10月08日
淡きこと水の如き君子人たらずとも甘きことサイダーの如き交際に止めたい。それが濃きこと油の如くならばまだしも、ねばることゴム糊(のり)の如しと来ちゃ人と人との関係も末の末だ。
2025年10月07日
人に実意というものが無かったら、そりや「タダの人だ」。言葉の綾や表情の技に現われるものでなくて、不可称不可説の香気ある「底力」だ。タダの人は門前を来往する通行人と同じだ。吾等に於て有っても無くてもいいものなのだ。
2025年10月05日
言葉の羅列で自ら正義化する人も気の毒だが、苟(いやしく)も人の思想に喰い入るような言葉一ツも発し得ないものは更に気の毒だ。
2025年10月04日
悲哀のドン底に喘ぐものにして初めて人の平常の心の真実が味われる。どんなに美辞佳句を列(つら)ねて迫られても何等感銘もないのが多い。黙っていてもケジメケジメに急所を捉えて人の憂鬱を慰める。隠せば隠す程人の親切は光るものだ。人生は触るれば悲しい。触れざれば淋しい。
2025年10月03日
裏切られることは当分の苦痛は免れないが、多くの場合、結極其れで救われる。裏切られることは一面その人に救われることだ。裏切られないで何時までも「友に似た仇」を抱いて行くことは自他の破滅だ。
2025年10月02日
相当の地位に登りたる人の失敗は多く「親友中毒」に原因する。親友は交際界の最も恐るべき姦通者なり。
2025年10月01日
信じ切っている人がチョイチョイと軽い政策的の小噓をつく。行動に浅はかな表裏が見られてくる。人と人との間、情の離れ行く動機ほど恐ろしいものはない。
2025年09月30日
云いたい事も云わないで恰(あたか)も卑怯者の如くヂーッと辛抱している。その陰忍に対して寧(むし)ろ増長の態度を示された時に癇癪玉(かんしゃくだま)は破裂する。そして其人と其人とは終に現世の永い哀別となる。何という悲しい人間交渉だ。
2025年09月29日
物質の大いに驕(おご)る舊友(きゅうゆう)に対して時に借欵(しゃっかん)を申入れる。すると柄(がら)にもなくダラダラと噓八百の泣言を並べて體よく断って来る。でも、血を吐くような真実の叫びに対して「友情」忍びざるものがあると註釋(ちゅうしゃく)されてある。完全に試験済の人間だ。而(しか)して「友情」の二文字は永く「成功の人格者」を墓標する。
2025年09月28日
絶対の信を払って全部を托したものが一夕女の匂に酔うて忽(たちま)ち二十年来哺育(ほいく)の恩に泥足かける。人生は何と云う寂しい世界だろう。
2025年09月27日
多くの場合に友と友とは常に相軋(あいきし)るものなり。友は友の前に友の賞讃を聴いて衷心喜ばず、友は友と相曾すれば密かに誹謗(ひぼう)して自ら快がるものなり。友多きものは常に禍多し。
2025年09月26日
道を歩む二人が森林深く入って賊に襲われた。一人は忽(たちま)ち賊と格闘を始めた。その間に友は友を捨てて何処かえ姿を消した。賊と一人は漸(ようや)く自覚した。懐中は友が持って逃げていたのだ。自覚した賊と一人は新たに親交を結び、軽薄なる友を探し出して復讐せんと固く盟(ちか)った。賊と一人、そして友の名に隠れた賊、この三人の内、誰が一番正しきや。人生は常に此三人に代表されて行路難を我等に教えているのではないか。
2025年09月25日
「冷熱の人」は最も正直なる人なり。心底既に冷め切ったる交際を尚高い熱度を装うて舊知(きゅうち)を欺(あざむ)かんとするは一の昨術(さじゅつ)なり。但(ただ)し今の社会は多く此昨術に依って維持されつつあり。故に正直なる冷熱の人を却って浮薄(ふはく)と嘲(あざけ)って排斥す。
2025年09月24日
9月23日 13時予約で散髪をした。4400円だった。
2025年09月23日
蔭で舊知(きゅうち)の人を悪口するものは金の無心を云って拒絶されたものが多い。乞食が頭を下げ損なって通行人を罵(ののし)るのと同じ格だ。
2025年09月23日
人は落ち目になると平素その人を支持していたものが却って之を陥(おとしい)れようとする。その人を陥れなければ自ら高うするに由なきものとの錯覚に襲われる。
2025年09月22日
口には「仮面」を排しつつも人は知らず識らず仮面を被(かぶ)っている。ただに当人がそれを得意とするばかりでなく交際する人は皆それを歓迎する。今、同臭相集っての茶談に糞味噌に罵(ののし)った人の前に来れば仮面巧みに迎合する。極めて接触味の豊かなものだ。人を傷(きずつ)ける一のテクニックさえ功名転化されて其人の前に開展される。人間は畢竟(ひっきょう)、仮面なくしては一日も交際場裡に立つことが出来ない。個人ばかりでなく社会も仮面、国家も仮面、時代も仮面、世界も仮面だ。十人には十人の面を要し、百人には百人の面を要する。
2025年09月21日
何かの機会を捉えて自己利益を掴まんとして宣伝する人の心の汚さ、どんな場合にも自己を空しくして暗に他人の上に捧ぐる人の心の美しさ、書いたものや喋られたもので誤魔化されてはいけない。常に一貫して、その人その人の行状如何と注視せねばなるまい。
2025年09月20日
善かれ悪かれ「実意」は人を動かす靈妙(れいみょう)な電力だ。口いかに巧なるも、技巧いかに優れたるも実意なき人はセルロイド人形だ。「ありゃ実意がない人だ」、こう極印を捺(お)されて皆の頭に浸徹(しんてつ)し来れば其人は既に葬られたものだ。美辞に答うるに徒(いたず)らに美辞を以てし、詭弁に酬(むく)ゆるに徒に詭弁を以てする。そこには外観浮薄(ふはく)の交際あるだけで毫(すこし)も心と心との接触がない。「不實無實」何と云う人間の下等製品だろうか。
2025年09月19日
終生一人の争臣(そうしん)もなく、時として横ッ面の一ツもブンなぐられる底の親友をも持たぬことは人生に於て何たる不幸だろう。
2025年09月18日
皮肉は聊(いささ)か肯綮(こうけい)を逸するを安全とする。人をして苦しみに堪(た)えずしてムカッ腹を立てしむるは寧(むし)ろ罪業だ。
2025年09月17日
衝突は楽しきものなり。仲の好(よ)き反映なり。何処かに共鳴あって互に相接触するがためなり。真の平和は絶えず衝突ある処に存するなり。思想全く隔絶して甲は第一線を歩み乙は第三戦を走らば、衝突すること能(あた)わず。冷たき交際、ひからびたる家庭、皆是より生ずるなり。
2025年09月16日
軽々しく絶交を宣するものあり。多くの場合、絶交さるる方が正しい。絶交という言葉のみを聞いて進退を決すべきではない。
2025年09月15日
同じ感情の行違いでも、正面からガチンと衝突したものは相互打寄って語合えば直ぐ融和は成るものだ。衝突するだけの力さえなくて「外れ」た感情は終に生涯融合されないのが多い。
2025年09月14日
友の裏面を最もよく知るものを「同僚」と称する。故に同僚なるものは友の秘密を掩(おお)うものでもあり、同時に又、友の私事(しじ)を暴(あば)くものでもある。同僚を多く持つことは内に仇敵(きゅうてき)を多く有(たも)つと同意議にも解せられる。
2025年09月13日
人と人との争闘は常に水論の如くあって欲しい。双方、生命を的に争っている中に、サアッと一雨襲来すれば忽(たちま)ち相互退却、唯(た)だ笑と笑に納まる。ネチネチと女郎の腐った口説(こうせつ)のように何時までも何時までも末梢神経を尖らして私争是れ事とする人々を見ると胸悪くてヘドが出そうだ。
2025年09月12日
僕は社交界の為替関係に似て目下自ら平価切下げ中、或は大二次第三次の切下げを断行しないと死ねないかも知れない。精神的の破産は夙(つと)に覚悟の前だが。
2025年09月11日
成るべく新たに人を知りたくない希望は裏切られて、日一日と交際の開け行く悲しさ、恐ろしさ。老来知人の多く殖(ふ)えるのは棺前の花を飾るようなものだと或人は云う。 死者に花は全く無用だ。況(いわ)んや生前に於てすら花を栄誉とも心得ぬものをやだ。已むに已まれぬことながら賑やかな 寂寥(せきりょう)だ。
2025年09月10日
何としても現代は「断交主義」に限る。一人を知るは一憂を増すのだ。孤独に徹して初めて複雑混沌の人生が解るのだ。唯(た)だ孤独に甘んじて自ら細々その天分を捧げて行くのが、平安の一路だろう。
2025年09月09日
「一友を得るは一憂を増すなり」と云ったら、或る一人は「自分を空気のように思っていてくれ」と云ったのは妙に嬉しかった。而(しか)も、その人は不思議に忘れなくなって行くのも亦一種の懊悩(おうのう)を増した結果となりはしないか。
2025年09月08日
一家を挙げて表裏なく専(もっぱ)ら誠意をこめて歓迎される。甘いものが好きだからとて煮られた小豆の一皿、百味の飯食以上の芳味溢れる。幾度か掃き清められたる狭い部屋の窓、涼風清らかに吹きて美しい「人の誠」を漂わすと聞くだに嬉しい。斯(かく)る隠れたる親友を持つ身を顧みて寧(むし)ろ「恵まれ過ぎた冥加(みょうが)」に恥じる。
2025年09月07日
人 生 日 録 人 情
2025年09月07日
人は冷たい理性や号令で動かされて行くものではない。「平素の親しみ」。それが総ての活躍の基調だ。「人生唯(た)だ意気に生きる」とは其事だ。吾等にはこの奪うべからざる鬱蒼乎(うっそうこ)たる無形の不動産がある。「斃れても死なぬ」魂の結合がある。
2025年09月06日
結核以前の患者は頻(しき)りに神経を尖らせて自ら、結核だろう、隠さないで云って呉れよと医師に迫る。既に結核になった人は、自分は決して結核ではない、医師は誤診していると逆襲する。病毒伝染の憂なき間は自ら謙(へりくだ)って傍人に警戒を勧め、伝染力猖獗(しょうけつ)の時は寧(むし)ろ他の消毒を見て「侮辱(ぶじょく)だ」と怒る。女の神経質を怒って人知れず湯呑茶碗に血啖を塗る病人もあり。妻の警戒を憤(いきどお)って強いて接吻を求める病夫もある。病むものの心理、自ら不治(ふち)を覚(さと)った以後の情緒、大いに研究に値する。
2025年09月05日
全部を知るものは敢(あ)えて語らない。ただ若干を知るもののみ全部以上に語る。
2025年09月04日
赤切符を握り平気に二等室に乗れる田翁(でんおう)ある時、全車中の靑客一斉に気を揉(も)む。自分だに踏むべき道を踏めば可なるべきを、故(ことさ)らに他人の非を苦に病むは人情か。
2025年09月03日
人の秘事を聞いた時は強いて全部以上に之を肯定せんとし、人の美事を聞いた時には無理にも五割以上を割引せんとする人間心理のさもしさ醜(みにく)さを思う。
2025年09月02日
意思の弱い奴に限り、「云い出したら後へは引かぬ」と云うものだ。此予告を掲げて来るものに後へ引下がらぬものは殆んど一人もない。
2025年09月01日
金さえ有るものなら即時に直接行動が許される。而(しか)して甲から乙へ丙へと轉輾(てんてん)する。テンポの早いこと電光石火だ。貞操の虐待、恋愛の無責任。正に性の自堕落作用だ。
2025年08月31日
三河の××××君、書を寄せたる一節に、年若くして名に狂う田舎の一青年と自白す。率直詐(いつわ)らざる天真流露(てんしんりゅうろ)の言なり。この数文字を見て頗(すこぶ)る君の人格を慕わしく感ず。
2025年08月30日
馬鹿に骨惜しみする奴にはウーンと一ツ重荷を負わせて見たい。人目につかぬ地点で隠れた奉仕( いやな言葉だが )をするものにはウーンと感謝を捧げたい。敢(あえ)て横紙を裂くのでもなく、人情は妙に機微に触れたがるものだ。
2025年08月29日
強いものが弱い人間を要求するのではなくて、実は弱きが故に弱い人間を求めるのだ。強いものは決して他人の力を借りようとは考えない。独自の力でグングンと伸びて行く。弱いものは努めて強がろう見せるがために、強いものの前に出ないで常に弱いものばかり求めて其処に自ら慰めているのだ。
2025年08月28日
亡き父に対する追憶の最も懐しい一齣(ひとこま)は、抱き上げて頬ずりされた時よりも殴られて呵責(かしゃく)されて痛みに泣いた事だとある。涙の愛に浸るのは短かい時間であり、鞭の愛を味うのは長い一生を貫くものだ。
2025年08月27日
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