文の文

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sarisari2060

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2004.05.18
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カテゴリ: エッセイ
東北新幹線は目慣れぬ面立ちであった。

大学の3回生のとき、友人のさっちゃんと東北を回った時はどんな列車に乗ったのだろう。対面式の座席に座って、女子大生の旅は2週間ほど続いたのだったろうか。それはもはや30年をさかのぼる記憶であるから、なにもかもがすり硝子の向こう側の風景のようだ。抜群の記憶力を誇るさっちゃんに聞けばどんな細かいことも思い出してくれることだろう。

新幹線に乗れば風景は飛ぶ。

のんびりと地を行く列車の座席で向かい合ったさっちゃんとわたしは何を話していたのだろう。大学の4年間のほぼ毎日をいっしょに過ごしたというのに、わたしはさっちゃんが少々苦手だった。なぜ苦手だったのか、深く考えることもなく、うやむやのまま30年以上がたっている。

小柄で色白でくりくりとした目でぽちゃぽちゃとした彼女は童謡に歌われるさっちゃんのイメージからか、保護の対象のように見られ、大柄の男性にモテた。

実際可愛かったし、しかもなかなかに頭のよいひとで、音感もいいし、努力家でもあったが、彼女が口を開くと、世の中のひとはみな、彼女に意地悪をしているように聞こえるのだった。その憤りの口吻はいまでも思い出す。

それは優秀な彼女に対するねたみだとか感情的な跳ね返りゆえのことだったかもれないし、146センチの身長の彼女にとっての日々の暮らしづらさゆえのことだったのかもしれない。

が、あまりに頻繁にそのことばかり不機嫌そうに告げられると、なにもかもが悪意で回っているわけでもないだろうに、と思ってしまう。

たまりかねて、それは受け取り方の問題じゃないのかと言えば、「わかっていない」という強い言葉が返ってくる。



車窓から水田が見える。田植えされて間もない田んぼがみどりにそまっている。ああ、5月だと思う。そして、あれは夏休みの旅行だったなと思い出す。

強い口調で話すひとが苦手だった。今でも決して得意ではないが。誰かを悪く言う言葉を聞くと心臓のあたりがちくん痛んだものだった。悪いことをしていなくても、自分が叱られているような気がしていた。

気弱な子だった。特に裕子ねえさんといるといつも自分が悪い子のように思えた。

小学校に入る前、9歳年上の姉の部屋に呼ばれ、生まれてはじめてチーズを食べた。硬くなった雪印プロセスチーズだった。姉が切って渡してくれた一切れは、まるで石鹸のようで、不味くて気持ち悪かった。

それでも食べろと言われて仕方なく角を何度か齧った。舌に膜が張ったような妙な感触だった。「おいしいやろ」と姉が聞く。答えられずに黙っていると、「せっかくええもん、あげたのに。恩知らず」と言われた。

そうして、わたしはどうしたのだろう。そんなころから、わたしは「ここにいてここにいない」自分をつくっていたような気がする。

うんうんと答えながら、ちっともそうは思っていなくて、相手の風向きの代わるまでこころはどこかに逃げ出していた。なにも感じないことで救われることは多い。

旅にしろ生活にしろ、わたしの記憶に不鮮明な部分が多いのは、そんなふうに自分自身の時間から逃げだしてしまっていたからかもしれない。

東北のことを思い出せないことをひとのせいにしてはいけないが、さっちゃんと過ごした時間の記憶の欠落を思うとそうであってもおかしくないなと納得する。

八戸から奥入瀬に向かうバスの窓から低い山が近く見えた。とんがった杉の濃いみどりのかたわらで若いやわらかなみどりが重なりあっていた。みどりのグラデーションではなく、一本一本違うみどりが微妙な配分で交じり合っていた。

そのむこうに雪を残した八甲田山が聳えていた。稜線が凛々しい山だと感心する。高倉健の顔がふっと浮かぶ。



たいそう上出来だったようで、大事そうに戸棚にしまってあったが、気がつくと、その大事なマーマレードがずいぶん減っていたのだという。自分は食べていないのに、こんなに減るなんて、きっとお前が食べたんだろう、と問い詰められた。

わたしはそれまでマーマレードなるものに出会ったこともなかったし、あの夏みかんを使ったと知っているのだから、それを欲しいと思うわけがない。

だいたい姉の好むものはセロリだったり、スープのようでやたらと辛いカレーだったり、およそわたしの好むものではなかったのが、姉はそんなことを気付いてもいなかった。

それでも怒声に近い大きな声で言われると、どきどきして涙が出た。すると姉は「やっぱりあんたがたべたんやろ」と決め付けた。

いつもそんなふうに決めつける。そうではないかもしれない、となぜ思えないのだろう。自分が間違うことだってあるじゃないか。泣きながらそんなことを思っていた。決して口にすることのない言葉でもあった。



人生の振り子は幾度も振れる。30年を経て再訪した地のみどりのなかにそんな記憶が潜んでいた。





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Last updated  2004.05.18 17:00:32
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