文の文

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sarisari2060

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2004.08.04
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朝、着替える時、Tシャツではなくアロハを着てみる。中年の女がアロハかあと苦笑しながら袖を通す。いや、これがけっこう地味な色使いなのだと言い訳したりする。

このアロハの柄は、大きな南国の葉っぱがグレイとモスグリーンと黒に染め分けられたうえに、極楽鳥のとさかのようにとんがった赤が散っている。まあ派手といえば派手かな。

洗いざらして着心地はいいのだが、濃い色目の部分が色褪せ始めている。ああ、時が流れたのだなと、また思う。

これは平成10年の9月に死んだ兄の形見のアロハだ。兄はちょっと男前で、かなり無鉄砲で、どうにも自己中で、いきがったええかっこしいで、こまったかんしゃく持ちだった。

HNKの素人のどじまんの予選に出たというのが自慢で、歌の好きな人だった。幼稚園児の私に美空ひばりの歌を教えたのはこのひとだ。演歌をうたう幼稚園児だったのだ、わたしは。

年が離れているので、兄が幼い頃の話はすべて周りのひとから聞いたもので真偽のほどはわからない。しかし、おおむね、えー!と驚く語り草だった。

そのむかし、母が小学校から緊急だと呼び出されたのは、兄が桂川に飛び込んだからだった。できるかできないか、賭けたらしい。成り行きで後に引けなくなったのだろう。「もう生きた心地がせなんだわ」と母は振り返った。

どんと焼きの日に別の町内のどんとに先回りにして火をつけてしまったこととか、まだ中学生だった妹、わたしには次姉だが、にオートバイの運転を教えて、遠くまでツーリンクして帰ってこなかったこととか、そんな話を冬の日の縁側で母が語った。縫い物の手を休めて「やんちゃな子でなあ」と笑った。

自分は手を下さず、子分のような男の子たちにあれこれかっぱらって来いと命令していたのが発覚したおりも、肩身の狭いことだったそうだが、子分であるよりはいい、と母は思っていたようだった。わたしの兄弟たちが何の根拠もなく自分が一番だと思いこんでいるフシがあるのは、この母ありてのことなのかもしれないとふっと思う。




長男が死に、次男である兄が家を継いだ。それまであれこれと描いていた人生の設計が変わって、兄は百姓になった。兄の運転するトラクターに乗せてもらって、あぜ道を行くとき、なんと誇らしかったことだろう。溶接の火花のなかの兄はなんとかっこよかただろう。

若いときはサッカーをしていたという兄は180センチで一時は90キロあった。百姓の肉体労働に鍛えられた筋肉は、後年、仕事を変えて、自分が動かずひとを動かすようになって、贅肉へ変わって行った。

不動産会社の社長に納まった兄は、不摂生やストレスがたたって、生活習慣病を患い、最後はガンで逝った。多額の借金が残った。

病院で車椅子移動する兄の足は相変わらず長かったが、信じられないほど細かった。筋肉も贅肉もそぎ落ちていた。

兄の49日が済んでしばらくして、兄嫁に遺品の整理をするから手伝ってといわれたことがあった。兄の洋服ダンスや整理ダンスを開けると、おびただしい数の服がしまわれてあった。おしゃれなひとでもあった。

「いるもん持っていってや」と兄嫁が言った。いずれ借金のかたに家を取られるから、早いうちに処分しておかないといけないから、と兄嫁はあせって散らばる洋服を手当たりしだいゴミ袋にほおりこんでいた。

しかたのないことだと思いながら、胸が痛んでいた。形見なのに、と思っていた。うまく頭がまわらなかった。気がついたら、このアロハをもらっていた。

このアロハは、わたしには少々大きすぎて、肩は落ちているし、丈も長くだぶだぶしている。それでもそれが生きていた兄の大きさなのだと思う。今はその大きさが懐かしい。

毎夏このアロハにくるまれると、盆に精霊が帰ってくるように、兄の姿が戻ってくる。おさないわたしのずりさがったズボンを文句言い言い引っ張り上げてくれたな、なんてことを久しぶりに思い出したりする。





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Last updated  2004.08.04 13:45:36
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