文の文

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sarisari2060

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2004.08.01
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カテゴリ: 読書感想文
あーあ、とうとう読み終わってしまった。

「左は学士綿貫征四郎が著述せしもの」という一行で始まり、「もう一度目を閉じた」で終わる155ページ。なんと不可思議でなつかしくこころなごむものがたりであったろう。

湖で行方不明になった親友高堂の家の守りをすることになった征四郎。その身の回りに起こる出来事は、実は少々面妖で頬をつねったり、眉につばをつけたりするようなおはなしなのだけれど、読み進んでいけば、そうであることに何の違和感もわかず、かえってわくわく胸が躍ったり、そうであってくれてよかったと思えることなのだ。

高堂は床の間の掛け軸から現れて、「サルスベリのやつが、お前に懸想している」と言う。征四郎は「どうしたらいいのだ」と戸惑う。高堂はちょっと面白がっている。その後も続くふたりの関係は、京極堂の小説に出てくる榎木津と関口のそれにちょっと似ている。

河童や白竜や小鬼や人魚という異界の生き物も現れる。そして、この家にまつわる動物も植物も実に人間っぽく意思を持ってうごめく。犬のゴローやサルスベリの存在感の大きいこと。

現れる人物もひとあじ違う。長虫屋や和尚もさることながら、隣のおばさんが只者ではない。それはアニメの「おじゃる丸」の月光町の住人に似ているかもしれない。

川上弘美さんの作品にも、いま自分に見えている世界の向こう側を心地よく感じさせてくれるものがたりがあった。今市子さんの「百物語抄」では向こう側の人間の切ない思いがにじんでいた。

ページを開けば、静謐で穏やかな時間の流れに浸ることができる。そんなものがたりに出会うしあわせ。

それでも、最終章「葡萄」にこんなシーンがある。



カイゼル髭はこの場所の素晴らしさを告げ、「なにも俗世に戻って、卑しい性根の俗物たちと関わりあって自分の気分まで下司に染まってゆくような思いをすることはありません」とまで言う。

これでも征四郎は動かなかった。暫くたってこう言った。

「日がな一日、憂いなくいられる。それは理想の生活ではないかと。だが、結局、その優雅が私の性分に合わんのです。私は与えられる理想より、刻苦して自力で摑む理想を求めているのだ。こういう生活は・・・私の精神を養わない」

ものがたりはものがたりなのだ。たしかにそこにひたるしあわせがある。そして、また別の場所にも違う形のしあわせがある。

梨木香歩さんがそう言っているような気がして、ちょっと弾みをつけてページを閉じた。





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Last updated  2004.08.01 23:15:09
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