文の文

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sarisari2060

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2009.02.28
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カテゴリ: エッセイ
この2月、区の主宰する傾聴ボランティア講座を受講し
週2回で、つごう6回出席し、めでたく終了証書をもらった。

いや、そんなたいしたものではないのだが
その証書がボランティアをするのに必要になることもあるらしい。

友人のみどりさんにそのことを告げると
「いいひとに気をつけなさい」と言われた。

十数年前、精神対話師なるものの講座を
いっしょに受けたみどりさんは
精神対話師として何年か仕事をしたことがある。


腫瘍が見つかったのだった。
まあ、一応修了証書は持っているが)

そのとき、クライアントのひととは問題なかったのだが
同じ精神対話師にひどく違和感を感じたそうだ。

「そのひとたちの言ってることに間違いはないのよ。
みんな正しくて、みんないいひとなの。
でも立ち位置が違うの。

いいことをしている使命感みたいなものに支配されて
クライアントと向き合ってないの。
そのいいひとゆえの怖さに誰も気づいていないのよ」

「あなたの為だから」といいながら

まさにああいう感じなのだ。


わたし自身も横浜にいたとき
精神障害者のボランティアに参加していたが
メンバーのひとより、
同じボランティアのおばさんに違和感を覚えた。


かんじてしまう「してあげてる」感に鼻白らんでしまう自分がいた。

「えらいのよね、精神障害者なのに」
そんなせりふにも、つんのめってしまうのだった。

なんというか・・・
ボランティアは自分のためにやるもんだと思うのだ。

誰かのために何かが出来るってことが
自分の迷い道に明かりをともし、自分を救ってくれる。
だから、感謝されてもされなくても、自分がしたいから、させてもらう。
その感じ、大事だと思う。


いいひとは、いいことをしている自分が大好きで
向上心のあるいいひとは
いいことの累乗を目指すから怖い。

いいひとはいいことのために戦車にのり
わるいことを片っ端からキャタピラーでなぎ倒す。
これは正しいことなのだという信念があるから迷いがない。

しかしなあ、と思う。

いいこともわるいことも
ひっくるめてひとりのひとなんだと思う。

いいひと戦車に乗ってしまったら
わるいことのなかに
そのひとのかなしさがよこたわっていたりすることに
気づかない。

正しくなくても
どうしようもなくそうなってしまうそのひとに
寄り添うことがたいせつなことなんだって思ったりする。

傾聴の場合は、正しいことは
目の前のひとを肯定することなのだが・・・
それはそれでたいへんなことでもあって


わたしが今回傾聴の講座を受けたのは
自分のキャパを越えたものを聞いてしまったとき
寄り添うことで自分が疲弊してしまうときに
どうしたらいいのかを誰かに教えてもらいたかったからだ。

区には傾聴のグループがあり
そこのスーパービジョンの会で
傾聴ボランティアのひとたちが深い吐息をもらし
肩の荷物を軽くするのだという。

それが3月にある。
参加してみようと思っている。






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Last updated  2009.02.28 11:20:36
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