文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2011.04.01
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カテゴリ: エッセイ




例年通り、いや、昨年とは比較にならないくらい
大量に飛ぶ杉花粉に悩まされ

息子2が一人暮らしをするべく部屋探しに
不動産屋に会いにいく、のを
一抹の寂しさとともに見送った日

品川駅のエキュートで用を済ませて
近くのヨーカドーの地下食品売り場にいたとき
地震が来た。

景色がない地下で
なんだか自分の体がおぼつかない。
目眩なのか、とも思うが
陳列棚のものが大きく揺れ始め
ああ、地震なんだと気づく。

それにしても執拗な揺れだった。
次第に、こんな閉じ込められたような場所にいて
大丈夫なのか、と不安にもなった。

カートを押す老夫婦がそばにいて
お互いに声を掛け合う。
奥さんのほうは不安そうな顔でケータイを開くが
旦那さんは足を大きく開き
笑顔で「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。

その声に励まされたが
揺れは続いた。

「大きな柱の傍にいれば大丈夫」
と旦那さんが言うので移動した。

と、「この建物は決して倒れませんのでご安心ください。
あわてて外に出るとあぶないです」
とアナウンスがあった。
「ほらね」と旦那さんがまた笑った。

ふとレジを見ると、そんななかでも
係のひとはピッピッと品物をスキャンしていた。

揺れがおさまって、レジに並ぶと前のおばあさんが
「わたしは自分の発作が起こったかと思いましたよ。
こんなところに救急車呼んでもらうんじゃ
申し訳ないしねえ」
としゃべりだした。

うしろのひともしゃべりだす。
「外はひどい揺れよ。
銀行の看板なんか落っこちそうでこわかった。
まずは食べ物だと思ってここに飛び込んだの。
まだ仕事あるけど、もう会社には帰らないわ」

レジのひとは
「どうぞお気をつけてお帰りください」
とおつりに手を添えて、そう言って頭を下げた。
プロだな、と思ったりした。



その時のことが妙に鮮明に残っている。
瞬間シンとなって、
ざわざわし始める感じ。
きょろきょろと視点が定まらない感じ。

こんなときには、いったい、なにをすればいいのか、
たいへんだあ、と焦りながらも
なにもできず、立ちすくむ。
傍に誰かがいて、自分ひとりではない、
とわかるとほっとする。


東京に住まう自分の想像力には限界があって
地下で遭遇した揺れのほんとうの威力をテレビでみて
その爆発的なエネルギーに打ちのめされた。

壊滅状態という言葉を日本で聞くこととなる。

ひとの暮らしに保証なんてないんだな、と思う。
昨日と今日はつづいているけれど
同じ一日ではありえなくて
昨日から今日へと積み上げて来たものが
あんなふうに
一瞬にして無になってしまうんだな、と。

そこにあったものがそこになく
そこにあるはずのないものが
無秩序に取り残されていた。

誰とも分からぬ人の暮らしのかけらが
流れ着いて、積み上がり
がれきと呼ばれるものとなり
そのしたに消えたいのちを隠す。

いのちは儚い。
まことに儚い。
どんなに大切で愛おしくても
ずっとともに生きたいと願っても
帰り来ぬたくさんのいのち。

その儚さにうなだれる。
うなだれ続ける。


あり得ない光景と
無情な数字がこころをえぐる。
繰り返される情報が
こころに刻印を押し続ける。

ちかしいひとの厳しい事情などわかれば
いよいよこころが騒ぐ。


どんなに過酷で無情で
厳しい現実がそこにあっても
それは自分が遭遇したことではない。

その苦しさを
自分は分かち合っていない。
その申し訳なさ、心苦しさ。


一方で原発に関して
ツイッター等でたくさんの情報を得て
得てしまったが故に
整理ができなくて
不安定な気持ちになったりもした。
いや、それは今も変わらない。

大きな不安と不信を抱えつつ
それでも
家族でいることの意味をかんがえながら
何度も何度も腹を括りなおし
そうしてここで、いったい
自分がなにを出来るかと思案した。

そんな20日間だった。
わたしの2011年の3月はそんなふうだった。









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Last updated  2011.04.02 01:16:48
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