文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2011.04.22
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カテゴリ: エッセイ


自分の名前を思い出せなかった。

何度も思い出そうとして
「なんだったかしら」
と辛そうな顔になった。

名前だけではない
身の上、来し方、家族のこと、友人のことも
たずねても答えはでてこない。

長く生きた人生のとっさきで振り返ったら、



なにかしらの会話の手がかりをもとめて
こちらはつい身上調査のようなことを
たずねてしまうのだが

答えられない、と思い知らされるのは
きっとつらくさびしいことなのだろうと
思いいたって、反省する。


ただ、生まれ年は大正3年だとはっきりいった。
1914年生まれで、97歳。
第一次世界大戦が始まった年だ。

車いすのなかにすっぽりおさまった
小さな顔のなかには

目の周りや頬にたくさん点在している。
このひとの顔にも長い時間が流れた。


しばしの沈黙の後
「おすまいはどちらでしたか?」
と聞いてみると思いがけず、


村松友視さんの
「時代屋の女房」の舞台になったところだ。


ーああ、あそこにはお地蔵さんがありますね。
ーそうそう、お地蔵さんがあるの。

-お参りしましたか?
ーええ、よく。


そんな話のとっかかりから
盆踊りの話になり
東京音頭をいっしょに歌うことになった。


♪おどりおーどるなーら
ちょいととうきょうおんどよいよい



唇が小さく動き始めて
だんだん声が響いてくる。


♪はなのみやーこの
はなのみやこのまんなかで~


「じょうず!」と拍手をすると
ふわっと表情がうごく。


ー浴衣着て、踊ったの?
ーあの頃はたのしかったわねえ

ーお酒は飲んだの?
ーわたしは飲まない


それでも続いて炭坑節も黒田節も
いっしょに歌った。

途中で歌詞がでてくなくなっても
わたしがちょっとリードすると、その続きを歌ってくれる。



「上を向いて歩こう」もちゃんと歌う。
これは1961年にリリースされたらしい。
このひとは47歳だったはずだ。

なにを聞いても
「いろんなことがあったわよ」
とこのひとはいうが
どんな状況でこの歌を聴いていたのだろう。


「ほんとにじょうずに歌えるのね」
といいながら
このひとの二の腕をさすった。

肉の落ちた細い腕。
骨をなでているようなかんじ。

何気なくみた手の甲も
時に浸食されたように肉が落ち
筋と血管だけが取り残された尾根のように残る。

手のひらの皮も薄くなって
手相見を悲観させるだろうなと思うくらい
中央部の皺が消え、なにもないように見える。
こんなふうに
来し方の軌跡がなくなっていくのか
と思ったりする。

それでも
たのしそうなこと、すきそうなことを
あれこれ思案して聞いてみるが
旅行も映画も芝居も
あんまり好きじゃないという。

ふっと部屋に飾られた造花の桜が目に入ったので

ーあ、さくらだわ
ーさくらはきれいよね

ーお花見は行った?
ーいったわよ

ーおにぎりのお弁当もってね
ーそうね、お弁当ね

ーおかずは…卵焼きすき?
ー卵焼き、すきよ
ー甘くておいしいよね
ーそうよね

ーおにぎりにとろろこんぶ巻いた
ーとろろこんぶ、巻いたわよ

食べ物のはなしになると
表情が豊かになる。

それから
「こんど一緒にお花見にいきましょうよ」
と誘ってもらった。

かなわない約束だけどなんだかうれしかった。

「ええ、いいですね。
卵焼きのはいったお弁当持っていきましょう。
そのときは、お酒ものみますか?」

「ええ、のむわ」


終わりの時間が近く 
「最後にもういっかい
上を向いてあるこう、を歌って
おしまいにしましょう」
といって、ふたりで歌った。


じゃ、と握手すると
「ああ、あったかい手ねえ」
といった。

なまえもしらないおばあさんとのひとときだった。


「ひとーりぼーっちのよーる」
帰り道、そのフレーズばかりが口をついて出た。




























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Last updated  2011.04.22 13:20:41 コメント(2) | コメントを書く


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