文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2011.05.03
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カテゴリ: エッセイ


ながらでNHKの番組をちらちらと観る。
新日本紀行、昔と今がスライドする番組だ。

画面に岡山県にある 「嫁いらず観音」 というところに
お参りする大勢のひとびとが映る。
嫁いらず、という言葉にひっかかって
洗濯物を置いて見入る。

縁日の日、今も昔も、お年寄りがぞろぞろと集まってくる。
地元の人々がその接待をしている。

その観音さまの、嫁いらずというのは、
嫁がいらないというのではない。

嫁の手を煩わすことなく
長く患うことなく
安らかに逝きたいという願って
今も昔も、ひとびとはその観音に手を合わせる。

ぴんぴんころり、とか、ぽっくり寺だとかと
おなじような感じだ。


観光バスでやってくるひともたくさんいる。
バスの運転手やツアーの添乗員が
持っているのが映る。

その荷物は肌着やパジャマだ。
それをお坊さんにご祈祷してもらうと
おしもの世話にならなくてすむ、という。

嫁でなくとも
介護してくれるひとの手を煩わせる心苦しさ。

今元気だからこそ思い浮かぶことかもしれないが
自分の死に方を選ぶことができるなら
だれしもそんなふうに死に行きたいと思うだろう。


うちのばさまが介護を受け始めた頃
「死にもせんと」とよく言っていた。

誰の役にも立たないのに、
という思いがその底にあった。

うちの場合は遠距離介護で、
晩年のばさまは
ほとんどヘルパーさんのお世話になっていた。

申し訳ないことだが、わたしが嫁として、
お役に立ったことは多くはなかったと思う。

それでも、ヘルパーさんがお休みになる年末年始
ばさまのおしもの世話をした。

立って、肩に手を回してもらって
おむつを引き上げるとき、ばさまは
「あんたさんに、こんなことをしてもらう
情けない体になりました」と言った。

兵隊さんが報告するような口調だった。
「そんなこと」と口ごもるしかなった。

ばさまは建設的にものを考えるひとで
愚痴る暇があったら解決策を、というふうだったから
堪え難いものもあっただろう。

ばさまの前向きな方式でいうと
介護を受けている状況をなんとかするためには
自分が死ぬことが一番の解決策だ、
と、考えていたらしく

がんがみつかったとき
「ああ、うれし、なんぞ病気が無かったら死なれへん」
と言い、延命治療を拒んだ。

最期はホスピスで迎え
ほんとうにあっぱれな嫁いらずのひとだった。


そして、今の我が家では
息子たちによりそってくれるひとは未だ現れず
このさきの見通しもきかない。












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Last updated  2011.05.03 16:12:14 コメントを書く


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