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2014九州の旅(阿蘇・熊本城)の続きです。午後は14:41熊本駅発の観光列車「特急A列車で行こう」に乗車。三角港から松島までシークルーズして天草に行く計画。切符は前日博多駅で購入しました。熊本城見学後バス「しろめぐりん」で熊本駅に行き、らん蘭熊本駅店でラーメンとチャンポンを注文。白濁した豚骨スープは超濃厚でビールも一緒に飲みました。食事を終えホームに行きましたが予定時間になっても列車が来ない。おかしいと次に来た普通列車の車掌に聞くと「特急A列車で行こう」の乗車位置は同じホームのずっと前方で既に出発していたことが判明。そして他に2名の女性客も乗れずにいたことが分かりました。車掌にも言いましたが、放送でしっかり案内してくれればよいのに。大変残念でした。大角駅に到着すると円錐型の建物と桟橋がすぐ側にありました。15:47 シークルーズに乗船。港を出ると天草5橋の1号橋(天門橋)が見えました。(2011西九州の旅 天草ではバスで通過)やがて東大維橋の下を通り2号橋(大矢野橋)が見えました。一番下の写真はふり返って見た東大維橋(形式:鋼吊橋、橋長:380.0m、完成:1975年)。後方の山並みが九州宇土半島、左島が野牛島、右島は維和島です。維和島は1905年に全国で初めてクルマエビの養殖が行われた島。このクルマエビは今でも町特産となっています。4号橋(前島橋)の下を通過し上天草市松島温泉に到着。16:11前回のツアーでは食事をした天草パールセンターが見え天草四郎像と与謝野夫妻の歌碑前で写真を撮りました。別の場所には上天草市特産品の模型(タイ、黄金のはもわたりがに、くるまえび、真珠、梅肉ポーク、ポンカン天草大王:シャモや熊本コーチンなどを原種とする大型の地鶏)が並び観光客を出迎えてくれました。送迎バスに乗りホテル竜宮に到着。入浴を終えると窓から薄い雲間に日没前の太陽が輝いていました。17:54 部屋に夕食が運ばれてきました。写真上から 旬の地魚五点盛り(サザエ、タイ、白身魚、蛸、ウニ)渡り蟹、蛸の柔らか煮、冷製鯛素麺、車海老のおどり喰い鮑の陶板焼き、天草大王(鶏)の香草揚げ、地魚の荒炊き。この他に天草季節の前菜、雲丹真蒸の茶碗蒸し、海鮮炊き込みご飯魚アラのお味噌汁、バニラアイスが出ました。車海老は蓋の付いた陶製の器の中で蓋を飛ばす勢いでバタバタ暴れ鮑も生きたまま火にかけられました。島が多く海岸線が複雑なこの地区は魚・鮑・サザエ・海老・蛸… の宝庫だということを実感。夕食中に太陽は赤味を増し 18:34 完全に沈みました。9/6 ホテル内レストランでバイキングの朝食をとりホテル周辺を散策しました。9:00 ホテルをチェックアウト。9:34 天草パールラインの前島停車場から熊本交通センター行きバスに乗車しました。車内は座席が4列の観光バス仕様。車窓から天草富士とも呼ばれる高杢島(138.5m)が見えました。この島の頂上には金毘羅神社が祀られていて引き潮の時には樋合島と砂洲で繋がり歩いて渡れるそうです。九州に渡り宇土半島北岸に行くと「日本の渚百選」・「日本の夕日百選」に選定される御輿来海岸が望見されました。有明海は干満の差が日本一で、潮が引いた時海岸の砂地には風と波により美しい曲線美の砂紋(砂干潟)が現れます。11:09 熊本駅着。九州新幹線つばめに乗り博多に向かいました。座席は2列・3列で乗り心地は良かったですが外の景色は殆ど防音壁に囲まれていて見られませんでした。昼食後検討の結果大濠公園に行くことにし地下鉄に乗車。14:43 公園前に到着しました。大濠公園は福岡城の外濠で入り江でもあった草香江をもとにした大きな池が特徴的な公園です。池を貫くように柳島、松島、菖蒲島が橋でつながっています。水路沿いの径を歩くとボート置き場があり観月橋を渡ると柳島には赤い手摺りの浮見堂があり、サギをすぐ近くで見ました。池の南側を歩いていると童謡の歌詞が書かれた石板を見かけ長い石塀が連なっている所がありました。14:20 バリーフラナガンの「三日月と鐘を跳ぶ野うさぎ」の彫像が入口に置かれた福岡市美術館に到着しました。福岡城は 関ヶ原の合戦での論功行賞により筑前52万石の大名になった黒田長政が1601から7年がかりで築城した城です。城の特徴は梯郭式平城で徳川幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされます。天守台、本丸、二の丸、三の丸と櫓47棟を構え規模(総面積約80ha、内堀の周囲約4.7km)は熊本城を凌ぎモデルは朝鮮の普州城であるといわれています。1873 廃城令発布により存城処分となり、陸軍の連隊が駐屯。城郭建物のほとんどが失われ、城跡に現存するのは潮見櫓、多門櫓、石垣、内濠などとなりました。現在の城跡の大半は舞鶴公園となっており平和台陸上競技場などのスポーツ施設があります。福岡市美術館では9/2~28で2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送記念として特別展を開催していました。黒田官兵衛(1546~1604)は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下取りの行方に大きな影響を与えました。1589 長政に家督を譲り、1590 には小田原攻めで北条氏を降伏に導きますが1593 文禄の役(朝鮮出兵)で秀吉の怒りを受け死を覚悟した官兵衛は、出家して如水と名乗ります。1600 関ヶ原の戦いの年には九州の地で戦乱を鎮め太平の世の実現に貢献。1604 伏見で死去しました。江戸時代に筑前藩主であった黒田家から福岡市美術館に寄贈された大名道具は保存状態が極めてよく、きらめいていました。特別展を見た後喫茶室で栗ぜんざい・塩昆布をいただきサクラさんは膝痛のため待っていてもらって私は日本庭園(65才以上は無料)を見てきました。館を出ると建物の周りに箱根彫刻の森美術館を連想する彫像が並んでいましたが草間彌生の「南瓜(かぼちゃ)」は迫力がありました。美術館を出た後は舞鶴公園を散策。平和台陸上競技場はありましたが、かって福岡市民を熱狂させた西鉄ライオンズの本拠地平和台球場は鴻臚館跡展示館になっていました。16:52 塩見櫓を見た後地下鉄で福岡空港に戻りました。夕食に豚骨スープの博多ラーメンを食べ、20:00発のJAL332便で帰路につきました。
2015.07.11
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明けましておめでとうございます。また新年を迎えました。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。父母が存命中最後の4・5年間私は週の6日間は父・母が住んでいた横浜の家に同居しヘルパーさんと共に父・母を支え、毎朝NHKの連続テレビ小説を一緒に見ました。それまで見たことがなかった番組をそれ以後見るのが習慣になりました。現在放送されているマッサンは特に気に入っています。ニッカウイスキーの創業者でありサントリーウイスキーの直接的始祖の竹鶴 政孝・リタ夫妻をモデルにしたというこのドラマ亀山夫妻として登場しますが妻の亀山エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんの演技が素晴らしい。NHKでこの番組の裏話が放映されましたが朝ドラのため超過密なスケジュールの中、日本語支援のスタッフに支えられながらも一生懸命演技しようとする彼女の姿に感銘を受けました。恒例の紅白歌合戦では主題歌を作詞作曲した中島みゆきさんが登場。普段1番しか聞かなかった曲でしたがこの日は2・3番も聞け、力強い歌声と作詞のストーリーが気に入りました。そして歌い終わった後亀山夫妻役の玉山鉄二・シャーロットさんの前に来て握手するシーンは感動的でした。BLACK NIKKA も気に入り、このところよく飲みます。昨年6月大学同期卒業の同窓会の案内が来ました。卒業後49年になりますが、以前関西で実施された時は出席しませんでした。今回は九州在住の友が幹事となり、阿蘇で9月初旬に実施。台風の心配がありましたが、出席の返事を出しました。サクラさんも会の日は別ホテルに泊まることにし一緒に熊本・天草・福岡の旅をすることになり航空券の手配や旅行計画を立ててくれました。9/4 4:55自宅を出発。JRで横浜に出てリムジンバスで羽田空港に向かいました。6:09 運転席のすぐ後ろに座ったためフロントガラス越しに横浜ベイブリッジが見えました。6:25 羽田空港着。7:25発JAL303便に搭乗。9:10福岡空港に到着しました。(小雨で窓越しの撮影のため飛行機部分画像が流水で歪んでいます)地下鉄で博多駅に出てJR快速荒木(久留米)行きに乗車。ここで乗り換え熊本に向かいました。JR九州は型がいろいろな車両が走っていて車両の中もヘッドレストの付いた座席でした。12:09 熊本駅着。会が実施されるホテルの送迎バスが来る新幹線口団体バス乗り場を確認後在来線駅東口に移動しました。駅前には市電や熊本城周遊バス(しろめぐりん)が走っていました。熊本城の絵が描かれたマイクロバスしろめぐりんに乗車。13:23 桜の馬場城彩苑で下車しました。熊本県下の特徴のあるお店が勢揃いする桜の小路を散策。イメージキャラクターのくまモンやひごまるもありました。その後お城を一周して熊本駅に向かうバスに乗車。お城を一周して再び城彩苑に着くとバスは私達だけとなりました。バスの座席は木製のベンチで車窓から熊本城と白黒のコントラストが美しい長塀や加藤清正像が見えました。14:28 JR熊本駅に到着。ここでサクラさんと分かれました。15:00 JR熊本駅のホテル送迎バスが来る駐車場で7人の友と再会。16:07 熊本空港に寄り3名が加わりました。16:43 宿泊ホテルホテルグリーンピア南阿蘇に到着。乗用車やレンタカーで駆けつけた友も加わりました。1名緊急の用事で出席できませんでしたが古希を過ぎた15名の友と再会しました。宿泊は2名の友と同室。窓からはやや霞んだ阿蘇の景色が見えました。入浴後18:00から会食。順に近況報告をし歓談。その後も場所を移し二次会をしました。翌朝は雲のたなびく阿蘇外輪山を望見。朝食後、再会を約して9:00 発のホテル送迎バスに乗車しました。10:49 ホテルの送迎バスはJR熊本駅に到着。友と分かれた後白い駅舎の在来線駅東口に移動しサクラさんと再会しました。前日はしろめぐりんで熊本城(公式HP)を外側だけ見ましたが折角来たので中も見学することにしました。11:28 二の丸駐車場で下車。備前掘横を通り西大手櫓門(桁行23m×梁間8m×高さ12.6m)に到着。1632 加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利はここで駕籠を降り敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後54万石を拝領仕りまする」と深々と頭をたれたと伝えられています。そして頬当御門を潜ると目前に大小天守閣が迫りました。熊本城(詳細写真)は1601(諸説あり)に加藤清正が築城に着手し1607 に落成。現在の天守閣は1960 に再建されました。大天守閣は石垣から27.5m、外観3層内部6階地下1階。小天守閣は石垣から19m、外観2層内部4階地下1階の建造物です。11:38 五郎の首掛石前を通り城に近づくと赤い傘を持った案内者がいましたので写真を撮らせていただきました。城内に入ると闇り通路と呼ばれる地下通路を通り本丸御殿に行きました。鶴之間(60畳)・梅之間(35畳)・櫻之間(28畳)桐之間(24畳)が連なる大広間は広大で荘厳。昭君之間は付書院を備え王昭君(中国の前漢の時代の悲劇の美女)の物語を描いた障壁画や天井画があり華麗でした。加藤家、細川家、西南戦争の資料を展示してある部屋には大天守閣の鯱のレプリカも置かれていました。天守閣からの眺望を堪能した後熊本城を後にしました。加藤清正は豊臣秀吉の死後、関ヶ原の合戦では石田三成、小西行長らとの確執から東軍につき小西滅亡後は肥後南半国も領して54万石の大大名となりました。しかし豊臣家に対する清正の想いは並大抵のものではなく1611 二条城で秀吉の遺児秀頼と徳川家康をとりもつことに奔走。会見に成功し熊本に帰る船中で発病。熊本城で亡くなりました(享年50歳で清正の没4年後に大阪夏の陣で豊臣家は滅亡)。加藤清正の子 虎熊、熊之助は幼くして死に三男の忠広が加藤家を継ぎました。若くして家督を継いだ忠広は家臣をまとめきれず気性が荒く問題が多かったといわれます。そして忠広の長男の光広は嘘の謀反の連判状を作って家臣をあわてさせて喜ぶという遊びを行いこれが幕府にもれて、諸々の罪状を加えられ、熊本藩加藤家は改易。1632 豊前小倉城主細川忠利(祖父:細川藤孝、父:細川忠興、母:明智光秀娘玉:別名ガラシャ)が入封しました。熊本城見学を終えその後関連情報をいろいろ調査。豊臣秀吉そして加藤清正が子供に恵まれ後継者へのバトンタッチがスムーズにいっていたら日本のその後の歴史はかなり違ったものになっていたろうと感慨深く思いました。続きは次回に投稿いたします。
2015.07.03
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