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ともだちから、入籍の手続きが終わったという葉書が届いた。書き出しは暑中見舞い。ポストで拾い上げて、そうか、と思いながら自室へ入って。すると。涙が出て止まらなくなった。喜びや祝福ではなく、急に何か感極まったというのか。切ない。なにか一区切りというか。寂しい。泣きながらメールで返事をした。メールでごめん。勝手なことを言ってごめん。葉書ありがとう。ともだちといっても、ふつうのともだちでなかったからか。とても大事なともだちだったからか。大事な、という言葉は、合っているけど少しおこがましい。ただ単に、自分の人生にとって大事なだけで。連絡もとっていなかったし。ここ1年、ほぼ疎遠だった。確か、去年の今頃。外国人の恋人が出来たと話してくれて。年末年始はその人の国へ行き、実家にも行く話をしていて。一回、その人がどうしても私に会いたいと言うから、と行って、少し駅の中の喫茶店で三人で話した。なぜ、私などに会いたいと言ったのか。なぜ。今年の春頃。一緒に住むというメールが来た。それきり情報が更新されなかった。他のオトコやオンナに持っていかれるなら、まぁ外国人なら感覚的にどこか越えていて、面白いし、等と無理矢理納得していた自分。あー。シツレンだな。これ。以前、他の友人が、そのともだちを「はるかぜのようなひと」と表現していた。とてもしっくりくる。はるのひだまりのような、そのくせ紫外線もばりばりみたいな、9月生まれだけど、秋っぽい色が似合うけど、芯の通った、はるかぜのようなひと。いつまでも君らしくいてください。君からもらったものや手紙を捨ててしまいそうな気持ちの自分に苦笑しながら、涙がとまりません。おかしいね。
2005/08/15
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仕事後に行ってきた。天気が良くてなにより。パレードは、代々木公園イベント広場を出て、渋谷方面へ。明治通りから表参道を上って戻ってくるコースは、3年前に参加した時と同じ。私が会場に着いた頃はもう中間地点を過ぎている時間で、逆走していけば~とスタッフの方に言われたが、結局戻ってくるんだから、とゴールで待っていることに。会場内で各ブースをうろうろと物色。生き方にはいろいろな色があるんだぜ!という思いの込められた、レインボー(七色)グッズや、ゲイである事をカミングアウトした人の本、性同一性障害やエイズ関連の冊子。各地のサークル紹介、映画祭の案内。そのうちにパレードの先頭が意気揚揚と帰還。…しかし次の集団がなかなかこない。車や信号で途切れてしまうのだろう。私がパレードというものに参加したのは、3年前のこれと、去年秋の札幌のピース・パレード。ただ車道をぞろぞろ歩くだけなのに、なぜか面白くて、そしてなぜか結構、疲れる気がする。…まぁ「ただ歩く」だけではない人もたくさんいるのだが。ワーッと音楽や歓声と共に、パレード隊がひとかたまりずつ戻ってくる。装飾された巨大なフロート(山車)に続いて、歌う!踊る!シャボン玉を飛ばす!スマイルを振りまく!七色の風船、思い思いのプラカード、仮装・変装・女装・男装?フツーのおじさん・おばさんもいれば、ビキニやハッピのお兄さん(!)・お姉さんも、いかにも外国人な人も、♂♂や♀♀のラブラブ・カップルも、気合いの入りまくりなドラァグ・クイーンの皆様も。とくに元気がいいのは、体育会系?の男性陣。めちゃめちゃ楽しそう。「来て良かったー」「パレードっていいよなぁ」←遠くから来たカップルらしい。「こないだアイツ、女の子に告られてさー無理だって言ったんだって。 そしたらその子、じゃあ私が始めての女になるって…無理~(笑)」「カワイーね」「キレーだなぁ(悔しそう)」←女装な人を見て。「アンタも女装しなさいよぉー(笑)」いわゆるいつもの社会に戻ると、こうはいかないだろう。要らんお世話だろうが、そんな事をちょっと考えてしまうと切ない。…そしてまた、我が身を見直すと、切ないなんて言っていられなく(笑)。以前、「名前」というものにも違和感があり、「自分」は「自分」という存在なのだ、とここの日記に書いたが、「性別」も「年齢」も自分の外側にくっつけられたもののように思える。自分以外の他人に対しても同じなのだが。例えば年齢は、誰かが自分の誕生日を教えてくれなければ、そしてカレンダーがなければ、自分では絶対にわからない。先日のアフガン支援をしている人の話では、アフガンでは出生届が整っていないので、自分の年齢を知らない人も多いということだ。性別もそうだ。世の中が、男女の差や役割をしつこく丁寧に刷り込んでくれるものだから、多くの人がそういうもんかなーと思ってしまうのではないか?そして「もう何歳だから云々」とか「男なら云々が当然」とかあれよあれよと窮屈で便利な生き方の見本みたいなものが出来上がる。本当にそうか?と勘ぐることをしない。もちろん、勘ぐった上でも自分はこう生きたい、という人もいるだろう。窮屈でも便利で合理的な場合が多いから。でもそれを他人にまで当然のように押し付けて、自分を安心させようとするのはどうか?その人を不安にさせたり、疑問の迷宮に陥れたりするのはどうか?つまりは他人のアイデンティティを受け入れない人が多すぎるのだ。…遺伝子レベルの問題かも知れない。遺伝子レベルでの自動的な保身本能が、他を排除しようとするのかも知れない。すると、こっち側はどうなのだ。名前も年齢も性別も自由自在のオリジナル。もしくは戸籍上とは違うもので自己を認識している人達。それはそれで充分存在意味があるような気がしてきた。なぜならそれも遺伝子の中からきているだろうから。…ところで札幌のゲイ・レズビアンパレード=レインボーマーチは、毎年素晴らしく盛り上がるので有名だ。札幌市長の挨拶の言葉に、参加者が感動して涙を流した、という話を聞いた。少数派へ向けての気持ちをどのように語ったのだろう。…ここ数日、日航機事故の話題が20年経過で持ち上げられている。「家族の無念の死を、教訓にして欲しい」という遺族。JR西日本のスピード出し過ぎ脱線事故の遺族。オウムのサリン事件の遺族。阪神淡路や中越の大震災の遺族。この遺族の皆さんも少数派の部類に入ると思う。報道されなくなっても、その人達は確実に今、一緒に生きている。自分の身に降りかからないことや、自分の範疇外のことは考えられない?ちっとも遠くない地球のどこかの国の大変な様子は、考えられない?…理想なのだろうか?えぇカッコしいなのだろうか?人類には無理難題なのだろうか?でも、こうして考えることも何か意味があるだろう。私のせいではなく、遺伝子レベルなんだ。きっと。★東京レズビアン&ゲイパレード < http://www.tlgp.org/index.shtml >★札幌レインボーマーチ < http://rmis.waavie.net/ >
2005/08/13
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今年も扇風機と団扇である。自室には窓がなく、冷暖房を取り付けられないからだ。おそらく鉄筋。真東向き。玄関側が真西で、採光はあるが風は通せない。でもまぁ、快適だ。夏は暑いものなのだ。それより、冷蔵庫のパッキンが歪んで冷えがよろしくない方が問題だ。自分の冷蔵庫を中越震災の救済センターへ寄付し、実家へ戻る友人の冷蔵庫を譲り受けたのだが、元から歪んでいたのだ。徐々に変形の度合いが増してきている。電気代にも響いているかも知れない。ペットボトルのお茶がちょっと温め。頭痛を冷やす為に冷凍庫から取り出した保冷枕が少々柔らかい。枕としては利用し易くていいのだが…ガチガチだと寝にくい。ところで先日、アフガンで女子校を建設している人の話を聞いた。「津波等の震災もそうだが、まだまだ支援が必要なところは沢山ある。 どうか、忘れないで欲しい」支援の流行が過ぎると、ニッチモサッチモいかなくなりだすという。視野が狭い。考えが浅い。未熟。自己中心的。それが解るなら、どうにかすればいいのに。どうにもできないなら、いっそ理解できなければいいのに。そうもいかない。…ニンゲンらしい、という事なんだろうか?皆、つながっているんだな、という事をどうして実感できないのだろう。こんなにも「つながって」いるのに。アメリカの軍隊が、劣化ウラン弾という兵器を使っている。原子力発電をした際に残るゴミが劣化ウラン。それを詰めて、空から落とす。要は原子爆弾と同じで、周囲の人々は被爆させられてしまう。その威力は45億年消えない。ピカの後、広島ではある場所の土を総入れ替えしたという。土も水も木々も空気も放射能を帯び、生物に影響を及ぼすからだ。自分の住んでいる地球をこんなにも侵し、言わば自分そのものを、自分の親兄弟の人生を侵し、平気でいるとは。風に乗って別の地域へも拡散する。風下の場所でガン発症率が上昇している。いつになったら、もう少し賢くなるのだろう。思想とか宗教とか、考え方の違いではないと思うのだが。「どうやって生きたいか」という事が、そんなにも違うのだろうか。面倒な物事は避けて歩いて、得する人が得をして、損する人は損をして、ズルイ人も個性、何も考えない人も個性、太く短い一生も、長く細い一生も、騙す人も騙される人も、すべてが尊重されるもの?すべて平等がいいとは言えない。そもそも基準が違うからだ。長生きだけがいいとも言えない。もちろん、成績が良いのがいいとかお金があるのがいいとか、言えない。そこからして、まず意識の差を感じる。しかし。「みんな違ってみんないい」という精神からすると、それでいいのかも。誰でも平和が好きなのだと思っていたが、戦争が好きな人もいるのだ、多分。自分と自分の周囲の人とが死なず、いや、死なないどころかより楽しく、よりハッピーになる為の戦争ならバンザイ、なのだ。怖いなぁ。愚かだなぁ。情けないなぁ。そう思うのも、個性。思わないのも個性…らしい。「戦争をなくすには、どうしたらいいのでしょう」という問いの答えが、「電気を消しなさい」だという。どれだけの人が、それを理解するだろう。今の生活を変える事。ずっとずっとこんな生活をしてきたじゃないか、と錯覚している人のなんと多い事か。みんなやっているじゃないか、と責任転嫁している人も。そしてまた、こんな事を言い出すと「偉そうに」「偉いね」「じゃあお前はどうなんだ」「今更、止められないだろ」「どうせ自分が死ぬ迄には何も起こらない」「もし何か起きても仕方ないし、その時に考えるよ」「自分の子ども達だって同じ。そういう未来に生きる運命なんだろう」卑屈になるのも詰まらないし、確かに説教臭くなるのもどうかと思うので、せめて今年も冷暖房のない部屋で過ごそう。何故って、窓がないから…(笑)。えーと、冷蔵庫のパッキンは…どうしよう。プラマイゼロか??
2005/08/05
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