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大変ご無沙汰してしまいました。何とか、日本に帰ってこられました。この数日は文字通り、怒涛の毎日でした。一時帰国の前前夜にはエジ友家族のうちで朝4時まで引き留められ前夜にやっと新居が決まりその夜、徹夜で引越し用の荷造りをし明けて帰国当日の4時間前にエジ友の緊急用件のためにパッキングそっちのけで駆けつけたのに相手が2時間も遅れてきたので激怒したら泣かれ罪滅ぼしに掃除をしてもらいつつ鬼のようにパッキングし最後に息子を保育園から引き取ってきて風呂に入れようと思ったら子連れの友人が突然お見送りにやってきて息子が風呂を拒否し無理やりいれた所で迎えの車が来て・・・とほほ。この間、扁桃腺がバンバン腫れ、もうあかん、と何度も思いましたが終わりよければすべてよし、どうにか飛行機には乗れました。飛行機の中は、息子がガーガー腹の上で寝るわ極度の疲れで体がだるすぎるわで私にしては珍しくよく眠れませんでしたが関空でさぬきうどん食べたら、元気でました。懸案の息子も、やっぱりうまい和食は食べる食べる。この2ヶ月で、和の舌、やつにしこませにゃあなりません。帰ってみたら、うちの狭いこと狭いこと。はあ。これから1ヶ月、あふれかえるものと格闘しつつ身辺整理三昧です。とっとと終わらせて、緑あふれる日本の自然を堪能しに旅に出たいなあ。取り急ぎ近況まで。また、ぼちぼち書いてきますね。
2004年07月29日
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また、自滅してしまった。自分の体調が悪いと、どうしても余裕がなくなる。子供のちょっとしたことが許容できなくなって何かにつけガーガー怒ってしまう。私の気持ちを3倍ぐらい増幅して息子がぐずぐず言ったり嫌がらせしたり意地を張ったり。それにまたかっとなって、誤解を恐れずに言えば、何度もメラメラと殺意が・・・。ほんと、もう、無限地獄(泣)。こういう時、世の中のありとあらゆるお母さんを心から尊敬する。「親業」なんて仕事は私の手に余る。何だかんだいって、いつも私は自分で手一杯なのだ。子供の存在は、楽しいし面白いし最高だけどバディとして、人生の先達として、できることはしたいけど「親である」ことだけは、どうにもなかなか難しい。この先、子供にちゃんと寄り添っていけるだろうか。不安。そんな殺伐とした家に、今夜も相棒が帰ってきた。疲れ果てた私を見かねて、自分も疲れきっているのに子供をお風呂に入れてくれた。ぼそぼそ声がする。のぞいてみた。何だかやけに静かに、息子に語りかけている。「とうさんさ、こうやって一緒にゆっくり遊べるの、 今週で最後なんだ。 この一年、ずーっと一緒にいられてほんと楽しかったよ。 どうもありがとう」そうだった。今週末に日本へ帰ったら、彼はまた激務の日々に逆戻り。またカイロへは戻ってくるけど、今度は海外に出ずっぱりの怒涛の毎日。月の四分の三は、家にいない。学ぶためだけに日々を過ごし三人で毎日食事をし週末はそこここに遊びに出かけ・・・。そんな夢のような時間は、もう終わるのだ。家が変わる、一時帰国する、荷造りする、ということはつまり、そういうことなのだということを私はすっかり忘れていた。泣けた。*一夜あけて、息子が保育園へ行き久しぶりに自分一人の時間ができた。自信がないとか、こんなはずじゃなかったとか、いろいろごねても、人生もう後戻りはできない。もういい加減、後ろ向きはやめようじゃない。せめて、これからの毎日を言い訳したり他人のせいにしたりせずに胸張って清清しく生きよう。こういうのを、日記で人目にさらすのってやっぱり恥ずかしいっす・・・。今までは、どうもこの一線が越えられず何となくな「カイロ事情」を書いてきたけどまあ、こういうブレイクスルーも私には必要なんだろう。さて、息子が帰ってきてこの静けさが破られたら私は不言実行で行けるかどうか。インシャアッラー(God willing)!
2004年07月20日
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ここ数日、息子が熱を出していた。体調を崩すと、子泣きじじいのようにくっついて離れない。保育園に行き始めてから、24時間密着しないのが当たり前になっているとこういう日が数日続くだけで、ほとほと疲れる。そろそろ元気の兆しが見えてきたかな、と思った矢先に計ったかのように私に、偏頭痛の発作が出た。昔っから、いつも、こうだ。きつい仕事があけた翌朝、心配事から解放された翌日、ちょっとほっとしてゆるゆるになったところに、やってくる。一度来ると、最低3日は辛い。吐くわ、起き上がれなくなるわ、光や音が頭にこたえるわ・・・。頭痛そのものが過ぎ去るのには、少なくとも一週間はかかる。ここエジプトに来てからこの偏頭痛、かなり頻繁にやってくるようになった。それも、思い当たる「解放感」がなくても起こるのだ。妊娠、出産を経て、薬を飲まなくなっていたためこちらにも偏頭痛の薬は持ってこなかったのだがこれは、カイロ生活最大の失敗だった。鎮痛剤なんかじゃ、ほんと全然だめなんです(泣)。友人の脳外科医がカイロに遊びに来た時に相談したら「そんだけ緊張して生きてたら、そりゃなるよ」と一言。しがらみから離れて自由にやってる、カイロはゆるくて楽しいなあ、そんなつもりでいたけれど、と、と、と、とんでもない。どうも傍目にもわかるほど、私、毎日テンパってるようなのだ。彼の考えるには、偏頭痛は人間の「防御反応」だという。緊張がずーっと続けば交感神経が働きっぱなしになり体に変調をきたす。だから「もうこれ以上はアカン」と判断された時点で、脳が副交感神経に命令し、体を無理やりリラックスモードへ切りかえる。その結果どばーっと脳の血流がよくなって、偏頭痛が起こる。だから、日々こまめに緊張をといておけば違うのだそうだ。で、彼がすすめてくれたのが、ユル体操。最近、日本で大人気だから、知っている人も多いだろう。骨から筋肉から内臓から、全部体をゆるゆるときほぐすと体が元気になる、というやつだ。これ、結構きくんですわ。でも、そういえばここ2週間、「え、カイロにあと数年?」「この家出なきゃ」「新居決めなきゃ」「一週間後に日本に一時帰国?」てな感じで、すっかり忘れてました。ユル体操。PCの電源切ったら、すぐにやります。それにしても、偏頭痛、何でこんなにしんどいのかなあ。偏頭痛持ちの人、一緒につらさ&対策等々、シェアしませんか?
2004年07月19日
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「エジプトでは太った女性が美人とされてたんだよ。 30年代40年代ぐらいまでは。」先日、前方を歩く巨大な壁(女性)を見ながら、エジ男友がそんなエジプトの秘密を教えてくれた。彼がいうには、最近は都市部の女性の間でダイエットがちょっと意識され始めていてスポーツジムの客が増えたり減量を指南する医者が儲かったりしているという。そういえばエジプトの人気アイドル「ルビー」がビデオクリップの中でダンベルでワークアウトしたらすぐにオンエア禁止になったっけなあ。そうか、ジムでワークアウトするのはかっこいいことになりつつあるのか。「カイロ一大きなスポーツジム、近日オープン!!」三ヶ月前から、こんなチラシが頻繁に郵便受けに入っているのもそういう流れを受けてのことなのだろう。(ちなみにこのジム、今もまだ建築途中。エジプトにワールドカップが来てたら、アテネ以上に大変なことになってただろう)その仰々しいチラシを見ていて、ふと思った。あ、またか。また、そういうかっこいいものは、「お金持ちだけが手に入れられる」みたいな幻想が作られつつあるんだなあ。*この国にいると、毎日のように「お金さえあれば・・・できるのに」といった幻想にとりつかれてしまった人に出会う。お金さえあれば、たらふく食べられるのに。お金さえあれば、学校に行けるのに。お金さえあれば、おしゃれができるのに。お金がないことが決定的に不幸につながり妬みや恨み、あきらめや怒りといった負のエネルギーにつながる。そして、町を歩く外国人(=「金持ち」)は二言目には、お金かモノをせびられる(泣)。確かに、その通りなのだ。お金があればなんでもできる。でも、それだけじゃないようにも思うのだ。知識だってナイスバディだってセンスだって本当に手に入れようと思ったら、お金じゃだめなのだ。痩せ薬やらダイエット食品やら通販器具やらにつぎこんでも全然結果が出てない人、うじゃうじゃ日本にいるじゃないか。(自戒を込めて書いてます)事実、エジプトの友人の中には、お金がなくてもものすごい努力をして英語を完璧に操るようになった高卒の配管工もいるし、決して豊かとはいえない土地の出身ながら英語を独学でマスターして洋画を楽しみ、高級住宅街の誰よりもセンスのいい格好で闊歩する友達もいる。もちろん、この国で何かを手に入れようと思ったら社会階層の壁アリ、イスラムの厳しい戒律アリで日本では想像もできない障害や苦労があるに違いない。しかも、手に入れたからといって何が変わるとも限らない。エジプトはそういう、なかなかムズカシイ国ではある。それでも「お金がないから」「うちは貧しいから」と親の仕事を手伝い、日々の雑事に心をすり減らし、人生をあきらめてしまっている10代を見ると、そういう足枷をはめたまま生きていくかどうかは、あなた次第なんだよ、と英語の教科書の一つもあげたくなるのだ。こういう思いに駆られるのは、私が「豊かな国ニッポン」から来たおごった外国人だからなのだろうか。*ナイスバディが作りたかったらみんな、うちでガンガン踊ればいいのに。こちらの女性は誰でも踊りが上手で特に腰ふりは、恐ろしく妖艶で美しいのだ。どんなでかい尻のおばちゃんでもびっくりするほどセクシーに腰を振る。お金作って「先進国風に」ジムに行って無機質なマシンなんか相手にするより体に染み付いたエジポップで踊る方が、ずっとエジ女性らしいし楽しいんじゃないだろか。あとは、山積みになったアラブ菓子をなるべく見ないようにしてお茶に入れる砂糖の量をちょこっと減らせば・・・。(お茶に入れる砂糖のカイロ標準量はティースプーン3杯です)お金をかける前にいろいろできることがあるのになあ、外国人の私なんかは、ついそんな風に思ってしまうのだが・・・。
2004年07月14日
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エジプトでいいと思うものの一つに、「超ストレッチ」ジーンズがある。とにかく、よく伸びる。「ストレッチ」だからってババくさくない。脇に凝った刺繍がしてあったり、すそにラインストーンが入れてあったりヒップハングだったりしても安くても、高くても、ちゃんと、伸びる。*私はこの国に来て、半年で5kg近く太った。来たのが息子の卒乳直後だったことや、慣れない土地でのストレス、そして何より、食いしん坊なことが災いしたががはずれたように食べてしまったのだ。特に、エジプト菓子。うまかった。そして強烈に甘かった。焼いた春雨状の小麦粉生地の中にピスタチオなどのナッツやクリームを巻きこんで固めシロップを染み込ませた「コナーファ」こてこてのバターケーキにシロップをたっぷりかけた「バスブーサ」クレープ生地+牛乳+ナッツ+ドライフルーツの甘いグラタン「ウンム・アリー」お米のプリン「ルッズビラバン」練乳プリンのような「ムハッラベイヤ」・・・。日本の外に出たら、可能な限り現地の食べ物とお菓子を食べてみることが身上の私は、どれも試した。あまりの甘さと、そして量の多さに最初は気絶しそうになったが一つ、また一つと手が伸びるようになるのにそう時間はかからなかった。気がつけば、完全な「白砂糖中毒」だった。折り悪く、一年で最もお菓子が消費される断食月(ラマダーン)がやってきた。ほろほろと崩れるような口どけのクッキー「カハク」に惚れこんだ。たったの4ヶ月で、持ってきたズボンはすべてはけなくなった。で、ストレッチジーンズなのだ。背伸びしてちょっと細身を選んでも、恐ろしく伸びるので、必ずはける。いつかまたスリムになったときにも着られる、そう思うと財布のひもはゆるむ。*しかしなぜ、エジプトのジーンズはストレッチなのか。それはエジ女性の「下半身力」が半端じゃないからである。道を歩いていると、自分の明らかに倍はある腰まわりのおばちゃんがわんさかいる。子持ち女子の多くは「これから四つ子産みます」なみの腰つきで胸騒ぎどころの話ではない。どうも、思春期を過ぎた頃から膨張の加速度は高まるようだ。上半身だけ見ると「いい感じ」でも下半身は「爆発寸前」の女の子、すでに「爆発後」で歳不相応に風格のある子などがごろごろいる。*女性の圧倒的な下半身を毎日眺め私もすっかり、目がエジ化してきたようだ。あれだけ無残に思えた自分の下半身も最近では「まあまあいいんじゃない」などと思えるようになった。もっとも相棒も「キミの腰つきが結構イイと思えるようになってしまった。やばい」なんて言ってるから、まあいいんだけど。エジプトにいる限り、私たちは幸せだ。追:そんなこの国でも、最近ダイエットがちょっとしたブームだ。これについては、また明日。
2004年07月13日
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最近、2歳の息子があまり和食を食べたがらない。少し前までは、ご飯に味噌汁、肉じゃが、煮物、量は少なくとも何でも喜んで食べたのだがこのところ、白いご飯などは絶対に食べようとしない。味噌汁も汁だけで、具はパス。煮物もちょこちょこつまむだけ。極めつけは今朝の言葉だ。「かあさん、コシャリたべようか」コシャリってあなた、まだ起きたばっかりなんですけど・・・。*コシャリとは何か?小さいマカロニとご飯、バターいための細いパスタ、レンズマメ、ヒヨコマメ、揚げたたまねぎをミックスし、その上からトマトソース、好みで辛いトマトソースや酢にんにくをかけ、ぐわっと混ぜて食べるエジプトの国民食だ。これ、ほんとうまいんです。とびっきり辛くしたのを、暑い中ガツガツ食べるのがいい。一度食べたら、たいていの日本人は病みつきになる。しかも、腹いっぱい食べて1.5~5ポンド(40~100円)ぐらい。(値段は、地域や店の衛生状態によって異なる)自分たちで作ってみたことも何度かあるがトマトソースがどうやっても同じようにはならない。エジプトならではの何らかの力学が働いているのだがそれがどうしても解明できないのだ。作ると手間も時間もかかるが、買えば安くて早くてうまい。(日本の牛丼と同じですね)普通は日中、店の前に並んで立ち食いするのだが最近は有名コシャリ屋のデリバリーをネットで頼めるようになり夕食に登場することも増えた。(ちなみにこのデリバリーシステム、エジプトにしてはあまりに画期的で日本にもぜひ導入してほしいものの一つなので、また後日、熱く詳しく書きます)たしかに、おいしい。私も相棒も大好物だ。好きなものが全部入っているのだから息子も嫌いになるわけがない。いやもう、2歳のくせにエジプト人なみに気に入っている。でも、朝ご飯にリクエストされると、ちょっと複雑な気分だ。*海外で子どもを育てている人は、どうやって子どもに自分たちの味覚を受け継がせているのでしょうか。保育園などに行っていると、家めしと外めしの比重はあまりかわらなくなるしうちでも毎食日本食を作るわけではない。「味の継承は二世で途絶える」とはどこかで聞いた話だが実際に子どもにご飯を食べさせているとそれも大いにありえるなあ、と不安になる。さあ、明日のごはん、どうしたものだろうか。
2004年07月05日
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カイロで髪を切った。色まで入れた。我ながら勇気ある行為だと思う。私には、姉妹のように(といっても10歳も年下なのだが)仲のいい、おしゃれなエジプトギャルがいる。一生懸命バイトで稼いだわずかなお金を、ほとんど服や化粧品に費やしてしまうような彼女だが、もともと庶民的な地域の出身だけあって、お金をかけずにおしゃれをすべく頑張っている。その彼女が、髪を切るのがうまい友人がいるので彼女の妹も一緒に、みんなで髪を切ろうと言う。「トイザらス」事件の詳細はまだ話していなかったが私がちょっと後ろ向きになっていることを電話で察知し、何とか気持ちを切り替えようとしてくれているのだ。ちょうど伸びた髪を切りたかったこともあり、二つ返事でO.K.した。案内されたのは、繁華街の狭間に突如現れる、超庶民的な一角。足元は水浸しでちょっと小便臭く、そこいらをにわとりや七面鳥が走り回っている。かなりの珍客なのか、上から下まで舐めるように人々の視線が絡みつく。 「ここに来る時は、必ず私と一緒にね」入り組んだ路地の角にある花模様のドアを開けるとそこには8畳の花園があった。鏡と美容椅子が二組、ぼろぼろのソファが一つ、流しがひとつ。壁面には歌手の写真に、親戚の子どもの写真。テーブルの上には読み古された雑誌の一部。そこで、一人のお兄さんがはさみを奮って髪を切り、染め、もう一人が糸を奮ってうぶ毛をとり、まゆを整える。私が髪を切る横で、エジおばちゃんが顔のお手入れ。待っている5歳と3歳の子どもを、待っている別のお客が遊んであげる。流れるエジプトポップに合わせて、お兄さんの手と口が糸を操り、うぶ毛をとっていく。うぶ毛の処理が終わったら、あるいは髪が染まったら、自分で流しのホースを使ってじゃばじゃば洗う。ぬれた髪を友人の妹がていねいにとかし、ブロウをしてくれる。ドライヤーの当て方を、お兄さんがちょっと直す。金と赤のシマ染め、なんて恐ろしく時間のかかる友人の要求も、赤いハイビスカスティーやターキッシュコーヒー、タマリンドジュースが潤してくれる。君もやんなよ、今はこれがファッションだよ、とお兄さんが私の前髪に赤を入れ、眉毛を細く山形にする。もっと細く、角度はこうよ、と友人が口出しする。天井の扇風機が、生ぬるい風をかきまわし、何とも言えないゆったりとした時間がそこに流れていた。気がつけば、4時間がたっていた。女友達と家に集まって、カーラーやブローの研究をしたりマニキュアの色をみたり、お化粧のやりっこをしたり・・・。そんな高校生の頃のような、密やかな手作りの美の時間を久しぶりに堪能した。髪を切り、一部分色を入れ、顔のうぶ毛をとり、眉をととのえ、それで25エジプトポンド(500円)。友達の友達だから、これでいいのだそうだ。意気揚揚と帰って相棒に見せたら、80年代ポップにかぶれた田舎のヤンキーみたいだってさ。確かに、ちょっとアニー・レノックスみたいだ。しょんぼり。でも、この髪、エジプトギャルには好評だ。息子の保育園の保母さんたち(20代)が絶賛。「その髪どこで、いくらでやったの?」と聞かれたが25ポンドには皆が驚き、美容院の場所にまた驚き。普通の日本人が行くようなところじゃないんだろうな。たぶん。昨日私は、カイロのある層の人たちの怒りやあきらめ、開き直りに愕然とし、後味の悪い思いをした。今日私は、同じ層の人たちの底抜けの明るさやたくましさ、そしてあたたかい心に触れ、心地よい思いをした。またちょっと、エジプトに近づけた気がして嬉しい。
2004年07月04日
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せっかくの休日(イスラム圏では金曜が休日)に嫌な気分を味わい、立て直しにちょっと時間がかかってしまいまいました。*親子三人でショッピングモールへ行った。このモール、カフェやゲームセンター、フードコートも入ったカイロではおしゃれで物価の高い場所の一つなのだが、エジプト唯一の「トイザらス」が入っているので、時々足を運ぶ。顧客は大邸宅に住むエジプト人の金持ちなのだろうか、大型遊具がたくさん置いてあり、しかもそれで子どもが遊んでも咎められない。外遊び環境の厳しいカイロでは貴重な遊び場なのだ。結構な長居をしてから、最後に息子とレゴに没頭していた時のことだった。4歳ぐらいの少女を連れた中年女性二人と若い女性一人が声をかけてきた。「どっから来たの」「子どもはいくつ」。すでに何組もの家族と店内でこうしたやりとりをしていたので、別段不思議とも思わず対応した。通りすがりの人にも丁寧に応対する夫は、「働いてるの?」「カイロ以外の都市は行った?シャルム(世界一綺麗な海としてダイバーに人気の紅海リゾート)には?」「子どもは保育園にいってるの? どこの保育園? 保育料は?」「日本に行きたいのよ。いつの季節がいいかしら」「(若い女性を指して)彼女、○大学の出身でフランス語も英語もできるの。貴方は」などと容赦なく質問責めにされた。押しの強い「いかにもな」エジプトおばちゃんで、私はどうも会話にノリきれずにいたが、タイミングよく息子がウンチ(!)をしてくれたので、夫を残してトイレへ行った。戻る途中で、さっきの四人組が足早に通りすぎていった。熱心に話しかけてた割には素っ気ないなと思いつつ戻ってみると、そこに文字通り苦い顔をした夫が立っていた。「あれから、嫌なことがあったよ。子どもの前ではちょっと話したくない」。聞くと、私たち二人が消えた後、彼女たちが豹変したというのだ。会話は和やかに進み、「今度うちに招待したいから連絡先を教えて」「それもいいね」なんてところまで行ったのだと言う。そこで住所も電話番号も渡した途端、突然「私たちにはお金がない。この子も本当にひもじい思いをしている。金をくれ」と言ってきたのだそうだ(これまでの話はすべてデタラメだった)。予想外の展開に夫も一瞬驚き、断固拒否しようと考えたらしいのだが、少女の姿が目に入り、やむなく「お金をあげるというような文化はうちらにはない。理由もないのにお金はあげられない。どうしてもというのなら、金ではなく物で。その子の欲しい物を一つだけ買ってあげる」と対応し、結局、犬のぬいぐるみを買ってあげたのだと言う。・・・今こうやって書いてみると、これ、外国で日本人が遭遇する典型的な「だまし」テクだよね。でも、私たち、外国で隙を見せないことではかなり自信のある方なのだ。なのになぜ、こんなことに??カイロでは、階級に応じた住み分けがかなりきちんとされている。高級住宅街や高級店でこういう話に遭遇することは、まずない。物乞いや詐欺師らしき人間が現れようものなら、総出で追い払って中に入れないようにする。だから、彼らは普通「路上」にいる。間違っても「店内」にはいない。で、油断したのだ。「トイザらス」といえばこの国では超高級店。日本に比べれば価格は安いけれど、それでもエジプト人にしてみれば、おもちゃ1個で月給1ヶ月分がポンと飛ぶような場所だ。だから、店内にいる人ならほぼ無条件に、それなりの金銭(とそれに伴う常識・品位)を持ち合わせた人だろうと思いこんでしまったのだ。彼女たちの服装はそれほど場違いでもなかったし、もともとエジプトおばちゃんの服装センスは理解を超えたところにあるので、判断のしようもなかった。「通りすがり」からいい友達になったケースも過去にはあったので、つい、魔が差したように心を開いてしまったのが、痛かった。悔しいのはやっぱり、子どもをだしに使われたこと(うちの息子も少女も)かなあ。常々、やむを得ず子どもにバクシーシ(喜捨。持てる者が持たざる者に施しをするというイスラムの教えから来ているが、実際には、老若男女問わず持たざる者が「隙あらばせびる心づけ」のようなもの)をする時は、お菓子のように必ず子どもが直接享受できるものだけを渡すようにし、絶対にお金は出さない(即、親に搾取されるからね)ようにしている。その方針を何とか貫けたんだから、まあ、よかったといえばよかったのだが...。あのモール周辺に渦巻く「金と力を持つ者」へのとてつもない怒りと憎悪を見せられた気がして、とても後味が悪かった。ちなみに、エジプト人の平均収入は日本人と比べれば相当低い。公務員の月給でも1万円相当。公定価格のパンは5円。一方で、日本では考えられないような金持ちもいる。でも、エジプト人の名誉のために言うが、ごくごく普通の人たちはみな、それなりに誠実で誇りを持って生きている。この国がだいぶ好きになってきているだけに、こういう些細な出来事一つでも結構へこむ。ちなみにその後、うちに怪しい電話はまだかかってこない。
2004年07月02日
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フセイン元大統領の肉声が流れるというので、アルジャジーラをつけたら、ちょうど手話の同時通訳がつく時間だった。このアラビア語の手話通訳、いつ見てもおもしろい。アグレッシブに全身を使って、ヒゲオヤジがものすごい形相で身ぶり手ぶりをするのだ。アラビア語の手話だからなのか? それとも、単にやっているのがアラブのオヤジだからか? ともかく、画面の左6分の1ぐらいの大きさなのに、気づくといつも手話オヤジに目が行っている。でも、有り余る勢いの手話を見て、どんなにエラいニュースなのかと本画面に目をやると、どこかで会議が行われただけだったりする。今回も悲しいことに、久々に見るフセインより、手話オヤジのインパクトの方が強かった。でも、カイロ市民の声を聞く中継が始まると、現れたアナウンサーが人差し指をつきたて、腕を振り上げ、カメラに食いつかんばかりの勢いで・・・手話に勝った。アナウンサーなのに・・・。そういや、だいぶ前に手話のついたカレンダー型チラシをもらったなあ、と思って探してみたら、あったあった。手話の例文が笑える。書かれた英訳をそのまま並べてみるとI love youDoesnt matterOptimisticHe has leftNot arrivedGod helps youGod only knowsChallengingStupidProndTypingBrotherSpy曜日の名前(一応カレンダーなので)こういうのは普通、挨拶とか日常よく使う表現を載せると思うんだけど・・・。これがそのラインナップ・・・なのだろうか?まったく、エジプトって国は。
2004年07月01日
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カイロは今日も暑い。容赦ない日差しに嫌気がさして喫茶店になだれ込み、ふと見ると、頭上のテレビに懐かしい(といっても新曲の出るつい最近までかかっていたのだが)ビデオクリップのタイトルが出ていた。Kelisの「Milkshake」ヤラしくてかっこよいお姉さんが、ミルクシェイクを飲みつつエロ光線を出しまくって、男がわらわらと吸い寄せられる、という、アレです。実は、かなりお気に入りのビデオクリップなのだが、ここカイロの街中だと、そうも言っていられません。・・・女と座る男に向かって、Kelisが胸をボイーン。谷間からピカッ☆ 星を出した瞬間に、 ☆バチ☆別の星が出て、映像が切れた。また、だ。このビデオ、いつも必ず、ココで切れるのだ・・・。こんな切られ方したら、終わりまで見たことのない人はたぶん、その後の展開を巡ってすごい妄想しちゃうんだろうなあ。 *カイロでは、学生が行くようなこういったちょっときれいな喫茶店に入ると、たいてい「メロディ」や「ロターナ」といったアラブ版MTVが流れている。「メロディ」などはアラブポップとヨーロッパ、アメリカものが混ざって流れるので、喫茶店に入り浸っている人なら誰でも、映像を通じて海外の音楽シーンを「のぞける」。でも「ちゃんと」見られるわけではない。というのもここでは、イスラムの教え上まずい表現、特に「ポルノっぽい」と見なされる描写は、容赦なくカットされたり放映禁止になったりするからだ。問題は「ポルノっぽい」とされるその中身なのだが・・・・エジプト人やレバノン人歌手だと、バーで挑発するのもワークアウトもだめ。肌が黒かったら、エッチな腰振りもだめ(ベリーダンスに代表されるアラブ系の腰振りも結構エッチに見えるが、これは「健全」とされる微妙な一線を超えなければO.K.らしい)。なのに、ブリトニー・スピアーズのビデオがカットされたところは見たことがない。(ブリトニーもカットされてたとの情報、ぜひお待ちしてます)。 *なぜ???この不思議な女性観、街中を歩いていても時々出くわす。どうも、白人=ファンタジーとしての欲望の対象、アジア人=自由に享受できる(気がする)欲望の対象、肌の色が近い人=リアルな欲望の対象という感性が働いているような気がするのだが・・・。この問題、要考察です。ちなみに街角ではカットされる映像も、自宅に衛星放送を入れれば基本的に自由に見られる。厳しい規制がある一方で、お金さえ積めば何とかなってしまうことが多いのも、この国の面白い所だ。
2004年06月30日
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向こうから、子どもを抱っこした女性が歩いてくる。声をかけたい。そんな時、どう切り出しますか。「わあ、かわいいお子さんですねえ」「男の子ですか。女の子ですか」「おいくつですか。1歳?じゃ、夜泣きとか大変でしょ」・・・。東京だと、こんな感じで話が続くだろうか。カイロは違う。オヤジでもおばさんでも兄さんでも姉さんでも、いきなりぎゅーっと抱きしめて、ぶちゅーっとほっぺにキス。そして、おもむろに尋ねる。「ぼく、なまえは?」(子どもが話せない場合のみ、思い出したように親に訊く)「ほうか。○○か。いーいなまえだ」「ほら、おいちゃんとあそぼうぜ。○○」「○○、だいすきよお。○○~。ぶちゅー」名前を連呼しつつ、じゃれついたり、持ちものを取り上げて反応を見たり、勝手に「たかいたかい」したり、子どもじゃ歯の立たないお菓子をあげたり。大の大人がしばし、子どもと二人だけの世界に没頭する。親はその間、石ころ同然だ。子どもの名前と声。一緒に遊んだ時間。彼らの頭に残るのは、たぶんそれだけだ。親のことなど、これっぽっちも残らないのだろう。これが結構、気に入っている。 * 東京だとこういう時、子どもと話すつもりが、いつのまにか親と話していることが多い。話題もいつしか、子どもの話から親の話に刷り替わっている。会話のだしにしか使われなかった子供は、当然退屈だ。「はやくかえろうよお」となり、親が声を荒げることになる。こちらでは、子どもと話がしたいなら、子どもしか相手にしない。「小さなミスター」=子どもに、全力でぶつかってくる。親の存在が最初から最後まで視界に入らないことも、ままある。(どちらかといえば、早く帰りたくなるのは親の方だ)。彼らが、まず名前を訊くのは、そんな対面の関係を子どもと結ぶためなのだろう。 * そういえばイタリアやスペインでも、通りすがりの子どもに大人は全力投球だった。いや、東京のどこかでもこれに似たことがあった・・・と考えて思い当たったのは新宿中央公園在住のホームレスの皆さんだ。まだ子どもが歩かなかった頃、よくベビーカーを押して近所の新宿中央公園へ行った。ホームレスのおいちゃんおばちゃんは、珍客にデレデレだった。「ぷくぷくのおててで、これ持てるかなあ」「おいしそうだなあ。たべちゃうぞお」。次々と寄せられる微笑み波状攻撃に、子どもはきゃっきゃ喜ぶ。本当に食べられちゃいそうで内心ドキドキしている私のことなど、誰も目に留めない。自分が入りこんだら崩れてしまいそうな空気に、ただただ、笑って石化するしかなかったけれど、子どもにだけ陽があたり、自分が背景と化す時間は、思いがけず心地よかった。子育てをしていると時々、人と話している間に、親としての自分の不安や苛立ちを、垂れ流してしまうことがある。自分の言葉が結果的に相手の目を曇らせ、子どもに負のレッテルを張りつけてしまう、なんて本末転倒はしょっちゅうだ。でも、そういった心配は青テントの前では無用だった。おいちゃんたちの目に映っているのは「今そこ」にいるナマの子どもだけなのだから。子どものそのまんまを、相手が受け入れてくれる。そんなシンプルなことが、実は大人とのどんな会話よりも、親としての自分を満たしてくれた。こわいものだ。通りすがりの大人と話すうちに、魔が差したように自分の悩みを打ち明けてしまい、あとで思い出しては自分のバカさ加減に腹が立つ・・・。そんな弱々しい日々を送っていた産後数ヶ月頃のことである。* * *通りすがりの子どもの名前を訊くことは、日本ではあまりない。でも、「あの子のことはよく知らないけど、歳や性別、親なら知ってる」というよりは「歳も性別も親もよく知らないけど、あの子の名前と声はわかる。遊んだことあるから」、そういう大人でいきたいと思う。日本に帰ってからも。
2004年06月28日
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