記憶の記録

2005.04.29
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カテゴリ: 記憶



今日は日本に帰る日だ。
朝8時ころ、ホテル日航をでて
オルリー空港に8時40分に着き
まっすぐルフトハンザのカウンターに行き
チェックイン。
となるはずだった
2週間も休暇を取り
ゆっくり旅行ができて
24時間後には
日本に帰り
また日常的な毎日が始まる
はずだったのだ。
しかし
カウンターの中のフランス美人は、
英語で何か言っている。
”あなた達の座席はない”
”次の便に席を用意するからそちらに乗ってください”

そんな感じのことを行っている
なんでそうなるの
と、ごねてみたが
どうにもならない
ダブルブッキングですでに満席と言うことだ
日本に帰れば
仕事が山積みになっている
予定通り帰りたい
なんとかならないか
と、食い下がるが
nonの繰り返し
このころのエアーはダブルブッキングはよくある話で
航空会社も手慣れたものだ
悪びれた様子も見せず
冷たくあしらわれる
すったもんだの後
仕方なくあきらめる。
数時間パリにいる時間が長くなったと思えばいい
コーヒーとケーキとおしゃべりで
あっという間に待ち時間が過ぎ
機上の人となる
この後もひどかった
新婚旅行だというのに
ワイフの席は遙か後方で
おしゃべりもできない状態が24時間も続くのだ。
このころのヨーロッパ線は、
南回りだと24時間は当たり前でしたねBG。
アテネ、ボンベイ、香港、成田と
長い旅でした。
成田でワイフと再会し、
実家へただいま帰りましたと電話を入れる。
ところが
なんだか変なのだ
受話器のむこうがさわがしい。
”うわーー”

もりあがっている。
オリンピックの時期でもあるまいに
いったい何に興奮しているのか。
受話器から母の声が漏れる
”ほうら生きていた”
いったいなんのこっちゃ
”後で話すから気をつけて帰ってきなさい”
と言われて
車に乗り込み
家に着いたのは4時間後でした。
そして、
聞かされた話は、
僕らが乗るはずだった飛行機が墜落したということ
全員が死亡したということ
乗っていた日本人の名前が、曖昧な状態だったということ
などなど
背筋に冷たいものが走った瞬間でした。
あの時
無理に席の占有権を行使していたら・・・・
ひえ~~






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Last updated  2010.03.26 21:06:42 コメント(7) | コメントを書く


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