Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2025年01月04日
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カテゴリ: 霊魂論



第13項 ルシファーとサタンを知る-5
 神の意志から創造され最も愛された大天使長ルシファーを、魔王サタンとして堕落を決意までして神との対決を決意さすまでに嫉妬させた神の意志「神は人間を自己に似せて作られた。」その真相は今までに取りざさされた文献は枚挙に暇がない程です。創世記第1章26節では「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。天地創造の六日目、いよいよ神が人を造られたという大詰めの盛り上がり、クライマックスです。神が人間を造られた、これがどういう意味を持っているか、それを明らかにしたいと思いますが、そのためにはさまざまな問題を持ち上がり、それぞれにクリアしなければ我々は肯んずることがなりません。例えば、神は神自身というものがあれば、御身を表すのに「我々」と言います。キリスト教では、神は「唯一の神」だと教えられてきたの何故に複数形なのか。次には「我々にかたどり、我々に似せて」とは一体どういうことなのか。人間が神にかたどられ、神に似せて造られた。それは、外形的なことなのか、あるいは、内面としての精神的なことか。これも昔から長い間議論されてきたことです。聖書は神の意思によってこの世界のすべてを造られ、すべてのものが神によって「よし(*良し、善し等の幾つかの文字が考慮される。)」とされて存在していると語ります。ただ哲学的にもその存在の仕方は、大きく二つに分けることができます。一つは天然自然です。いわゆる「もの」の世界。もう一つが生命としての形相を持つ人間存在です。その違いをはっきり示しているのが第1章26節なのです。天然自然の「もの」と「人間」との違いが、ここでは二点挙げられています。第一は、人間が他の物と違って神のかたちに、神にかたどって造られたという点です。神の「かたち」とは人間に与えられた自由、あるいは主体性のことです。天然自然と人間とを区別する第二の点は、魚、鳥、家畜、獣などを人間が支配する権限を与えられていることです。天地創造の業は、すべて神の意思通りに直ちにできました。光をはじめ、海の魚、空の鳥にいたるまで、造られたものの意思や主体性や自由はありませんでした。草や木、月や星はすべて神の意思に従う以外に道がないのです。例えば、水を取り上げてみましょう。水は「高きより低きに」流れる。流れざるを得ない。そのように定められています。ですから、物理学上、水は、自からの意思で低い所から高い所へ流れようと思ってもそれはできない。このように、天地万物は、自らの自由、自らの意思、自らの判断によって、その在りようを自ら選択するということができない、そういう可能性は与えられていない。これが「もの」の世界、自然の世界の大きな特徴です。では動物はどうでしょう。動物は植物と比べてはるかに自由ですし、意思を持っています。判断能力も十分にあります。最近、「犬語翻訳機」があるそうです。それは犬の鳴き声にも犬の判断や意思がそこにあるという前提で構成されています。とはいえ、動物は本能に従って行動する限りにおいて、やはり「必然性」に服していると言わざるを得ません。最近の理学はヒトの遺伝子の(DNA)の塩基配列総数は3万ぐらいで蝿の約2倍であることが判明しました。こんなに少ないのはたかだか人間は蠅の王ではないかと勘ぐりました。また、ヒトの遺伝子の脳設計は精々猿よりはましな程度だとされています。それを究めていくと蝿の動はほとんど遺伝子が決めている本能行動。ヒトにも本能的な部分もありますが、大部分の行動は遺伝子では決められていなくて「後天的」なものです。大部分の行動は遺伝子では決められていなくて、「後天的」なものだそうです。ヒトだけがもつ言語、芸術、文化や科学、技術など、人間の人間らしいところは遺伝子には書かれていなくて、豊かな環境と教育によって後天的に脳が発達するとされています。神が「初めに創られた人間」は、遺伝子だけを創られたのか。自由や主体性、その意思は先天的か後天的か完全には判明し得ません。ともあれ、動物の行動はほとんどが本能行動だとわかりました。いまはそれだけで十分です。蛇は蛙を飲み込みます。それが本能行動だからです。然し乍ら、人間の社会活動では、カエルを飲みこむヘビ(*事実は存在しますし、子どもを餌として捕食する蛙も存在します。)は、小国を侵略する大国とは区別しなければなりません。ヘビは生きていくために、時にはカエルを飲み込まざるを得ませんが、大国は小国を侵略せざるを得ないとは決して言えないからです。悪魔のささやきが聞こえそうです。聖書に著(あらわ)された「神のかたち」とは何か。神のかたちとは自らの意思を持っていること、自由と主体性をもって自らが判断できること、自ら考え、自ら決めた通りに行動することができること。それが神のかたちに似せて、神のかたちにかたどって造られたという意味です。人間はまさに神の本質に似せて造られたということです。ルシファーはこの特権を持たされていたのでしょう。それ故に人間ごときに此の能力を与えられたことは甚だ我慢できる限界を超えていました。これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。神がそうであるように人間もまた自由意思をもった主体として造られたのを明快にするために、これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。
参照画像:蛇を捕食する蛙




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最終更新日  2025年01月04日 07時07分56秒
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