CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN @ Re[1]:鎌倉パスタ、創業地は岡山県(09/01) >オウルさんへ サンマルクは今年京都に…
オウル@ Re:鎌倉パスタ、創業地は岡山県(09/01) サンマルクは数ヶ月前に京都市に本社機能…
CAPTAIN @ Re[1]:一旦書いたエントリを消す(07/21) >七詩さんへ 七詩さんも、そういうこと…
七詩 @ Re:一旦書いたエントリを消す(07/21) 同じようなことをいつも考えて書いていま…
CAPTAIN @ Re[1]:続・静岡市と船橋市(05/30) >佐々木さんへ その可能性はあるかもし…
2022.09.18
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テーマ: 人口減(187)
昨日のエントリで 会津地方の人口動態 について書きましたが、2000年以前の国勢調査における人口動態も、一応調べてみました。結論から言うと、1970年以前の人口減少率が、とんでもないことになっています。

1950年 415,854人
1955年 423,850人(7,996人(1.9%)増)
1960年 410,045人(13,805人(3.3%)減)
1965年 380,372人(29,673人(7.2%)減)
1970年 354,765人(25,607人(6.7%)減)
1975年 341,253人(13,512人(3.8%)減)
1980年 341,820人(567人(0.2%)増)

1990年 336,785人(3,614人(1.1%)減)
1995年 334,205人(2,580人(0.8%)減)
2000年 325,400人(8,805人(2.6%)減)
2005年 310,931人(14,469人(4.4%)減)
2010年 291,944人(18,987人(6.1%)減)
2015年 277,754人(14,190人(4.9%)減)
2020年 256,403人(21,351人(7.7%)減)
2022年 248,352人(8,061人(3.1%)減)※8月1日現在推計
1955~2022年までのトータル 175,498人(41.4%)減

戦後から1990年代にかけては一貫して自然増が続いていたから、1955~75年にかけての人口減の主要因は地域外への転出ということになります。それにしても、自然減がメインとなっている今と大して変わらない人口減少率を記録していたとは、知りませんでした。
また、現時点で人口のピークとなる1955年に会津地方の人口が42万人もいたことにも、少なからず驚かされました。今も当時も都道府県で人口が最少である鳥取県の人口が当時614,259人でしたから分県論議までは出なかったでしょうけど、それに近いマンパワーは有していたことになります。


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Last updated  2022.09.18 15:41:59
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Re:2000年以前の方が酷かった(09/18)  
RON さん
福島は故郷ですので時々読ませていただいております。
會津の人口減少、そんなに酷いのかと驚きました。
会津若松の出身で 一番人口が多かった1955年の生まれです。まあ中学、高校の同級生はかなりの頻度で他県に流出しており私もご多分に漏れずその組です。高校の同級生の方が流出割合が多く、たぶん95%は地元に住んでないかも。戻れる家業があるとか公務員、教師、医師など以外は大学に行くと他に就職すればまず戻りません。まあ職(会社、役所、次げる自営?)が無いので当たり前なのです。

定年後に戻っているのも1クラス50人に5人?くらいでしょうか。
中通りはまだ地元に就職先があるみたいですが 会津には大卒以上の職の受け皿はあまり無いですね。

磐越西線が不採算なのは知ってましたが人口がそうではやむを得ないところです。興味深いエントリー有難うございます。 (2022.09.20 13:56:30)

Re[1]:2000年以前の方が酷かった(09/18)  
>RONさんへ
コメント、ありがとうございます。もしかして以前にもコメントくださったことがあったでしょうか(磐田市のネタを書いた時でしたか)?

それにしても、会津の人口減少がここまで長期にわたって続いていることに、私自身も言葉を失っています。市町村別の人口を確認すると、1955年の人口が今の倍以上という所も少なくないですね。特に1955年当時ダム建設で活況を呈していた只見川沿いの町村に、その傾向が顕著です。
特に1960年代に会津の人口が減っている主要因はいわゆる団塊世代の就職に伴う転出と推察されますが、この時期は郡山・常磐地域の新産業都市指定や双葉郡の原発建設があり、これらの地域では基本的に人口が増えています(いわき市は横ばいですが)。会津からこれらの地域に転出した方も多かったのかな…と思います。 (2022.09.20 21:04:15)

Re[2]:2000年以前の方が酷かった(09/18)  
RON さん
CAPTAINさんへ
そうですね、静岡磐田市の件でコメントしたことがありました。

>1955年当時ダム建設で活況を呈していた

会津若松市内の私の中学の同級生は父親が東北電力関係の人が多く その後に転勤で居なくなった記憶も。
やはり水力発電などインフラ系の産業が去ると厳しかったのかも。

1960年代には観光振興策で鶴ヶ城の天守閣再建や 富士通などのメーカー工場誘致など努力の跡はあるものの 産業が人口を支えて行けない様になったのでしょうね。潮流としてグローバル経済やジャストインタイムが田舎の工場を必要としなくなったのもあります。また高速道路が逆に一泊観光旅行の距離範囲を遠くして関東近県の温泉旅館は衰退しました。(磐梯熱海、東山、芦ノ牧そういえば鬼怒川や水上もそうですね)

親より良い生活を子供にさせるため またより上の学校に進学する人が増え そうなると収入向上のために東京など他県に出て行く若い人が増えてそれが戻ってこない。これが何世代か続くと人口は激減する。会津に限らず浜通りでも静岡県でもどこの地方県でもある話なのですが。若い人が減ると負のスパイラルと成るようです。

企業と学校を政府が意志をもって地方へ移転しないとその流れはどうしようもないので 法人税課税率でも変えて誘導するしか地方創生は難しいと思えます。 (2022.09.20 22:12:10)

Re[3]:2000年以前の方が酷かった(09/18)  
>RONさんへ
再びのコメント、ありがとうございます。

会津の場合観光業に活路を見出した側面がありますが、たまたま今月初旬に猪苗代町に行った際、2016年に開設された道の駅が賑わっている一方で志田浜や世界のガラス館あたりは以前に比べお客さんがだいぶ減っていて、一ヶ所が継続的に賑わうのは難しいのかな…と感じました。これでは定住人口の増加にも寄与しづらいですね。
ただ、会津の北隣にある米沢市をみていると、大学が昔からあり製造業も相応に発展しているにも関わらず人口減少に歯止めがかかっていない現実があるので、今できる限りの施策をしても過去に人口流出があった地域の再生はかなり難しいなぁ…とも感じています。 (2022.09.21 06:26:47)

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