加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

October 7, 2005
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カテゴリ: 音楽
 昨夜、モネ劇場の来日公演「ドン・ジョヴァンニ」を見てきた。

 大野ファンなのか、会場におしゃれな女性多し。スカラ座やウィーンの来日公演に来ているマダムたちとは、ちと感じの違うお客が多かった。面白いですねえ。

 大野さんの指揮はほんとすばらしかった。流れがよくて鋭敏だけれど繊細で。レチタティーヴォから歌への移行があんなに絶妙なモーツァルト・オペラの演奏は初めて聴いた。(知り合いの評論家によると、とても計算しているそうだけれど)。オケも反応がとてもいい感じ。
 歌手は、それはウィーンとかに比べればまだ若手だし、一段階落ちるかもしれないけれど、全体的に若々しい活力があって、とても楽しめた。大野さんは歌手に歌わせるのもうまい。
 プログラムの記事によると、大野氏はすごく頭のいいひとらしい。話術、交渉も巧みとか。えらく貴重な人材ですね。

 ところで、「ドン・ジョヴァンニ」という作品は、(よく言われることだが)モーツァルトのオペラのなかで、かなり異質な、ロマン派の方へはみ出している作品である。
 今日とくにそれを感じたのは、登場人物の心の葛藤の激しさだった。

 ドン・ジョヴァンニと結婚して捨てられたドンナ・エルヴィーラはもちろんだし、口説かれては陥落しそうになるツェルリーナも当然、そしてよく論議の対象になるドンナ・アンナも。
 それぞれ程度は違うのだが、みなドン・ジョヴァンニに惹かれる気持ちがあり、葛藤しているのだ。
 葛藤のなかで、一番自分の気持ちを把握できないのが、ドンナ・アンナだろう。お嬢さん育ちで、たぶんそういう激しさを経験したことがないから、どうしていいか分からないんじゃないだろうか。
 ただし、よく(とくに男性から)言われるように、ドンナ・アンナが幕が上がる前にドン・ジョヴァンニと関係してしまっており、そのために惹かれている、と言う解釈は(そういう演出も多い)、私はとらない。
 だってドンナ・アンナはファザコンで処女(のはず。貴族の娘なんだから嫁入り前は厳禁でしょ)なのだ。だからこそ、闇にまぎれて忍んできた暴漢=ドン・ジョヴァンニを追っかける、なんて無謀なことができたのではないだろうか。もし本当にやられていたら、とても起き上がって追っかけてくる、なんて無謀なことは、精神的にも肉体的にもできないと思うよ。自分の恥をさらすようなものだし。

 まあ、ただ、私が感じたのは、やられてしまったのかどうなのか、ということではなく(それは最終的にはあまり重要ではない気もする)、その忍んできた男に、ドンナ・アンナはフェロモンを感じてしまったのだろうなあ、ということである。
 おとなしいお行儀のいい婚約者のドン・オッターヴィオと結婚するというレールを信じきっていた彼女が、自分でもわけのわからない感情に襲われているのではないか、ということである。
 けれど同時に、そのジョヴァンニは父の仇であるわけだから、それはそれでやはり許すわけにはいかない。
 つまり、どうしていいかわからない状態ではないだろうか。
 だから彼女の歌うアリアはわけがわからない。オッターヴィオの誘いを断るのは、ドン・ジョヴァンニへの複雑な感情に揺れているからだろうけれど、まさかそれを口に出すわけにはいかないから、父のことだけで逃げようとする。でもそれは本心の半分でしかないから、やはり心情のこもらない、半分空虚なわざとらしい感じがしてしまうのではないだろうか。オペラ・セリア型の大仰なアリアにしたのには、その心理表現もあるのでは。

 今回改めて認識したのはドンナ・エルヴィーラの女らしさ。モーツァルトは男の純情を描くのは得意だけれど、女の純情はあまり描かないな、と思っていたのだが、どっこい、これはすばらしき女の純情であります。揺れる女心を描いた第2幕の彼女のアリアには、本当に胸を打たれた。





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最終更新日  October 8, 2005 12:52:16 AM


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