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2010.04.21
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私は、森の保育園という選択理論心理学(自分で判断し、自分で選択し結果に責任をもつ子どもを育てる)を用いて、玄米自然食の献立を提供し、またさまざまなツールを活用して子どもたちを化学物質からまもりつつ、育む保育園を2つ経営しています。

一昨年ほど前から、「そんな森の保育園の小学校が設立されたらいいな!」というご意向をいただいておりました。
私は保育士、福祉が専門。
そんな私に小学校が作れるのだろうか・・・。
ピンとこない日々が続きました。

しかし、昨今子どもたちが虐待死する悲しいニュースが続きました。
「お母さん、お父さんもくるしいのだろうなあ。」と胸をいためながら。
両親学級を設立いたしました。
沢山の父母の方々がご参加いただきこの考え方で小学校ができるといいねと言われました。


虐待死していく子どもたちを守るため。児童相談所や子育て支援センター、また不登校児童担当部局、教育委員会と連携をとり。現代孤独な子育てで悩んでおられる方々や、アレルギーや学習障害など悩み多き子育てに取り組んでおられる保護者のかたがたのために。
全寮制小学校を開設し
豊かな自然と地方の情深き人とのかかわりで、子どもたちの抱えている問題悩み症状を改善していこうと考えました。

まずは、夏休みにサマースクールを行い、ついては教育委員会のご理解のもとに一か月単位の山村留学を試み。最後に寮生活で6年間滞在する子どもたちを迎えたいとおもっております。

さて、そう決定つけたのは。
鹿児島との出会いでした。
私のサイドワークの仲間の一人が半年前に鹿児島の古民家を借りて住むことになりました。
彼女は著名な日本画家であり陶芸家です。
地域教育のお手伝いでその町の市長さんとお話しているうちに、私の夢の話になり。
ちょうど今年の3月31日で廃校になった小学校があるので、その人の話を聞いてみたい。といわれました。

東京に住む私は、たしかに廃校の有効活用のお話を探しておりました。

突然のお話に戸惑いました。鹿児島は行ったこともない遠いところのように思いました。

しかし、ポジティブな私の恩師たちや仲間は「とにかく行ってみて考えたら。きっと何かかが待ってると思うよ。」といって励ましてくれました。

たまたま、今年から、定年後を活かして週一回幼児クラスに指導に来てくださることになった元校長先生にもついてきていただけることになり。二人で鹿児島に行きました。

空港が近付いたら豊かな自然に驚きました。
まるでグアムの空港にそっくりでした。


市長さんにお会いして3つ感動した出来事ありました。
一つ目は私の質問に対してのご返答でした。
「この小学校が今年度から廃校になることについて、活用方針はどの程度ご検討されているのでしょうか?現状をお聞かせください。」
私は東京での行政とのやり取りで学んで身に付けたスキルで精いっぱい質問いたしました。
ところが。市長さんやそのほか6名の担当の方々は穏やかに微笑みながらこうおっしゃりました。
「最後まで通う子どもたちの気持ちを考えて、僕たちは3月31日まで後の活用については検討しないようにしていました。」
・・・。私は自分が恥ずかしくなりました。
「その通りですね。私は自分が恥ずかしいです。世知辛い東京でもっと子どもたちの気持ちを考えてください。と願いながら自分も知らず知らずのうちにここに通う子どもたちの気持ち抜きでお話を初めていました。本当に素晴らしいお役所ですね。ここには市政にとって一番大切な心がありますね。市長さんのような方と共に一つの事業に取り組むことができたら私たちはどれほどまでに大切なこと学ぶことができるでしょう。」とお礼を言いました。

次に感動したのがその市長さんが市長さんになった理由でした。
実はこの市には、日本中の方々が感謝すべき歴史がありました。
「薩摩藩英国留学生出航の地」だったのです。知らない方はインターネットでぜひ調べてくださいね。
19名の若者が鎖国の最中の時代に命をかけて英国に渡りました。開国する日本のために必要な学問を手に入れるために。うち2名が死に1名が行方不明。残された16名が無事に学んで帰国してあの東京大学を設立し、また別のものは文部省初代大臣となり、商工会議所を創った人、警察を創った人。さまざまな現代の日本の礎を築いてくださったのです。
市長さんはもとは県議会議員でした。その立場で長い間、「薩摩藩英国両学生の記念碑」をたてることを要請し続けていました。しかしなかなか時間ばかりがかかりました。
それで、自らその地の市長に立候補しその夢を実現されたのです。
感動いたしました。
市長さんはその碑のところまで車で私たちを案内してくださいました。碑には渡航した若者の和歌が書かれてありました。
「この地で、日本の教育を学びたい・・・・。」と私は純粋に願いました。

最後に分かれ際に市長さんがこう言われました。
「私たちは、長野さんがお忙しいなかここまで来てくださり、この小学校を活用しようと考えてくださっただけで感謝なんです。出来る限りのことはさせていただきます。地域の人たちもみーんな情深く良い人たちです。小学校は町の灯でした。もう一度その灯がともるなら僕たちは出来る限りのことをさせていただきます。」

驚きました。
わたしがいろんな交渉をしていく行政の方々はどこが威張っていて、私たちを法律の物差しでしか計ることしかできないように感じていました。

私と夫は11年間私財をなげうって、大きな借金を抱えて地域の待機児童のために一生懸命ご支援させていただいているつもりでも。
東京の行政では、そんなことは何の関係もなく。
皆さん保身にまわる発言しかできないとご自身で自己評価されわたくしに言われています。「長野さんの熱意はわかりますが、僕たちはしゃくし定規なことしかできないんですよ。」と。誰が決めたのでしょうか。行政はしゃくし定規なことしかしてはいけないと。
そんなことのために、薩摩藩英国留学生は命をかけてイギリスに渡り日本を世界に通用する国にしようとしたのではありません。
もっと公務員の皆さんは志をもって、周りの風習に負けないで「何が一番大切なのか」を考えてお仕事された方が、たぶん人生が楽しいと思います。


ここの役所の方々はまだ何の書類も出していない私たちに「ありがとう。」といってくださるのです。「ここに、古き良き日本の心ありき!」

失ってしまった心
それがこの鹿児島に残されていました。

鹿児島に全寮制小学校を創りたい。たとえそれがどんなに困難であろうと。
ここには、心がある。沢山の東京の子どもたちを連れてきてあげたい。

ここには、薩摩隼人の当たり前のことを当たり前とする
「天敬愛人」の節度と理性と品格が存在しているのです。

ご支援くださる方々のご連絡をおまちいたしております。
(*^_^*)







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Last updated  2010.05.03 08:55:32
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