大阪CA声楽コンセルヴァトワール

大阪CA声楽コンセルヴァトワール

PR

×

プロフィール

Chaki-t

Chaki-t

コメント新着

http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(12/16) le quotidien en ducation sp cialishow e…
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(10/18) vergelijk viagra cialis levitracialis e…
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(03/31) cialis 20 mg costo farmaciafree cialis …
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(10/29) cialis per paypabuy online pill cialis …
http://buycialisky.com/@ Re:「今日一日生きて」(12/25) cost viagra cialiscialis in the ukuse o…

お気に入りブログ

まだ登録されていません

カテゴリ

バックナンバー

2026.10
2026.09
2026.08
2026.07
2026.06
2012.02.09
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
「今日一日生きて」
・2.9.木
結局、被曝による人体への影響ははっきりしていない。
一年の被曝が2ミリシーベルトで癌になるかもしれないし、100ミリシーベルトでも平気かもしれないということだ。
分らないのは、人によって差があるからではないのか?
とにかくそこで我々人類がとるべき行動は、予防原則というものを皆できっちり守って、安心できる生活を確保するということだ。
ところがその危険な値が実の所分らないということを逆手に取る輩が、利益を守ろうとする。
すべてこの国の法律が力を持たないことが大きな問題である。
法律が力を持たないということは、警察と裁判所と政府と大企業の癒着があるからだ。


一つは、バナナによる被曝だ。
バナナに多く含まれるカリウムという成分が、セシウムなどとは被曝の場所も状態も違うとしても、被曝には違いないらしいのだ。
そんなことを言えば、カリウムを多く含む食べ物はたくさんある。
カリウムは体に必要な成分であり「セシウムを取り込まないためにもカリウムを取りなさい」と教授して来たばかりではないか。
バナナの話はまだ詳しく説明されていないので、気ばかり引かれてほったらかしである。
それと、宇宙人存在をさりげなく当然のように話したことだ。
「宇宙を汚すことは、宇宙人が居るからだめだ」というような内容の一言であった。
科学者の間では、宇宙人の存在はもう当然の事実なのだろうか。
これももっと詳しく説明が欲しい。

ーーーーー
知の侮辱(5)・・・被曝:現代人の知恵の彼岸

関係が学問的に判っている」という「学者」が多かったことです。学問というのはそ
れを専門とする人がデータや理論で論理的に納得し、定説となったものをくみ上げて
作るものですから、ある学者は1年0.1ミリ(ドイツの学者が中心)、ある学者が
1年100ミリと1000倍の違いがあって、学問とは言えないのです。
学問と言えない段階のものは、学問的には不明と言うのが学問です。学問は、社会の

は全く無関係で、学問的に被曝と健康の関係が判っていれば明確に答え、判っていな
ければ判らないと答えるものだからです。
放射線が外部から体を貫くと、たまには遺伝子や体の重要な部分を損傷する可能性が
あります。また放射線が活性酸素を作り出し、それが体のどこかを酸化する可能性が
あります。さらにはヨウ素やセシウム、ストロンチウムが体の一部に蓄積し、それが
病気の引き金を引く場合もあります。
自然放射線は1年1.5ミリですが、それに何ミリぐらいが加算されると健康にどん
な害があるか、カリウムには放射性を出す物もありますが、それとセシウムが入った
牛肉とを単にベクレルで比較できるのか?そんなことは学問的には判っていません。
研究例があり、調査結果があるに過ぎず、それは相互に大きく異なった結果を与えて
いるからです。
このような場合、「環境を守る」という点では世界での合意があります。この合意は
水俣病などの辛い経験をもとに人類が築き上げてきたもので、それを「予防原則」
と言います。予防原則はそれ自体が学問と言えるものですが、「科学的に判らないが
、危険の可能性もある場合、社会的合意によって規制することができる」というもの
で、論理的には立派な学問的成果です。
被曝と健康の関係は学問的に判っていないのですから、社会的に必要なら予防原則で
規制するわけで、それが「1年1ミリ」です。もちろん、1年1ミリでも「膨大な実
験データと調査結果」に基づいて「詳細な被曝計算」をするのですが、実はそれらは
「学問」ではなく、「技術」に属することなのです。
つまり、1年0.1ミリまで安全という学者のグループと、1年100ミリまで安全
というグループがいるのですから、当然、学問として結論が出ていないのですが、た
とえば、それらのデータの平均値を取るとか、安全側を採用するなど、一応のデータ
に基づくことはできるのです。
・・・・・・・・・
科学が社会の信用を得るためには、科学者の発言が信用できるものでなければなりま
せん。それは若干、慎重なことになるかも知れず、生産現場や医療現場はそんなこと
は言ってられないと思いますが、それは現場に限ることで、現場でもないところに非
科学的なことをそのまま伝えるのは誤解を招く原因になります。
現在、被曝を心配している一般の人に対して、原子力や放射線の学者は次のように言
わなければならないでしょう。
「残念ながら多くの学説はありますが、まだ学問の段階には至っていないので、どの
ぐらい被曝したらどうなるということは判っていないのです。そこで、社会的には予
防原則を採用して「外部被曝と内部被曝の合計が1年1ミリ」を被曝限度としていま
す。それが現在の人間の限界で、日本の法律もすべてこの基準を適応していますし、
それから食品や土壌などの1キロ何ベクレルという基準も作っています。」
学問は圧倒的な数のデータがあり、再現性があれば「相関関係(何かの変数を変える
と結果が変わる)」だけでも、なんとか学問になることがありますが、普通は「相関
関係」だけではなく、その関係が何らかの科学的な「因果関係(原因と結果が論理的
に明確であること)」を持たなければなりません。
その意味で、被曝と健康の問題は私たちの現在の学問が及ばざるところで、まだ「彼
岸」にあると言えるでしょう。私が原子力委員会の研究開発部会で原子力の安全研究
を促進するように進言したのはこの様な認識だったからです。
「なんだか判らないけれど、このような傾向だ」というのはまったく学問ではないので、「どのぐらい被曝したら、患者さんがこの程度でた」というデータはあまり役に
立たないのです。このことを温暖化の時、「CO2が増加すると気温が高くなる」と
いう科学者が多かったので、それなら「武田の年齢が増加すると気温は高くなってい
るのですが」と冷やかしたことがあります。
今度の福島の事故で、私は多くの方が学問とはどういうものか、なにが科学的でなに
が非科学的かということを考えていただいたのはとても良かったと思っています。で
も、学問的な結論もないのに「大丈夫」などと言い、5歳の子供が大人を信じて被曝
して15歳で発病したら私たちはどうしてそれを償うことができるのでしょうか? 
私たちは判らないのですから、謙虚で慎重でなければなりません。子供は私たちを信
じているのです。
(平成24年2月6日)
「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.417-(8:17).mp3」をダウンロード
武田邦彦





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012.02.10 00:39:10
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: