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・8、29、水
もちろん僕も何度か批評家には困惑させられた。
困惑というのは、彼らは畢竟何のために存在するのか考えさせられたからである。
彼らはこの世で最も滑稽な人々である。
僕なりに批評家の意義を探してみるに、例えば音楽の世界なら、その民衆の文化としての芸術を高め鼓舞して、その発展に尽力するというものであろう。
そのためには自分が批評する分野を熟知し、豊富な知識と優れた耳を備えなくてはならない。
僕が思うに、批評家自身が演奏家であり、その苦労と喜びを知っていて、知識だけではない体で感じる経験を持たねば、他人を批評することなど不可能である。
さらにピアニストが声楽家を、ヴァイオリニストがホルンを、更に調律師や一合唱団員が各楽器奏者を批評することなど不可能なのである。
元々芸術一般を、何が正しく、何が悪いかなど誰にも限定できはしないのだ。

また東京大学、京都大学で音楽美学を学んだということで、紙の上の知識だけを振りかざす先生も少なくない。
しかしどの批評も文章力(批評学)が巧妙なだけで、よく読んでみると全くトンチンカンである。
僕自身は貶されても褒められても、その批評に感服する文章を目にしたことがない。
更に驚くべきことに、その素人がコンクールのジュリとして審査員席に座ることも多いという事実だ。
そしてもう一つ重要な傾向は、有名人は兎に角褒め、無名なものはできるだけ貶すという彼らのやり方である。
そんなことなら三歳児でもできる。
要するに何が良いのか分からないから、世間が認めているものを褒めておけば間違いはないということだ。
外国から来る有名演奏家を批判する勇気など、彼らには到底持ち得ない。
全く無名な優れた音楽家、芸術家を発掘する能力があれば、彼らの意義も大きなものとなるのだが。
世の中には奇妙な地位を持って仕事をしている者が居るということだ。

芥川の「侏儒の言葉」の中に下記のような作品があったので引用する。


批評学  
    ――佐佐木茂索君に――

 或天気の好い午前である。
博士に化けた Mephistopheles は或大学の講壇に批評学の講義をしていた。
尤もこの批評学は Kant の Kritik や何かではない。

「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解になったかと思いますから、今日は更に
一歩進んだ『半肯定論法』のことを申し上げます。『半肯定論法』とは何かと申すと
、これは読んで字の通り、或作品の芸術的価値を半ば肯定する論法であります。しか
しその『半ば』なるものは『より悪い半ば』でなければなりません。『より善い半ば
』を肯定することは頗るこの論法には危険であります。
「たとえば日本の桜の花の上にこの論法を用いて御覧なさい。桜の花の『より善い半
ば』は色や形の美しさであります。けれどもこの論法を用うるためには『より善い半
ば』よりも『より悪い半ば』――即ち桜の花の匂いを肯定しなければなりません。つ
まり『匂いは正にある。が、畢竟それだけだ』と断案を下してしまうのであります。
若し又万一『より悪い半ば』の代りに『より善い半ば』を肯定したとすれば、どう言
う破綻を生じますか? 『色や形は正に美しい。が、畢竟それだけだ』――これでは
少しも桜の花を貶したことにはなりません。
「勿論批評学の問題は如何に或小説や戯曲を貶すかと言うことに関しています。しか
しこれは今更のように申し上げる必要はありますまい。
「ではこの『より善い半ば』や『より悪い半ば』は何を標準に区別しますか? こう
言う問題を解決する為には、これも度たび申し上げた価値論へ溯らなければなりませ
ん。価値は古来信ぜられたように作品そのものの中にある訳ではない、作品を鑑賞す
る我我の心の中にあるものであります。すると『より善い半ば』や『より悪い半ば』
は我我の心を標準に、――或は一時代の民衆の何を愛するかを標準に区別しなければ
なりません。
「たとえば今日の民衆は日本風の草花を愛しません。即ち日本風の草花は悪いもので
あります。又今日の民衆はブラジル珈琲を愛しています。即ちブラジル珈琲は善いも
のに違いありません。或作品の芸術的価値の『より善い半ば』や『より悪い半ば』も
当然こう言う例のように区別しなければなりません。
「この標準を用いずに、美とか真とか善とか言う他の標準を求めるのは最も滑稽な時
代錯誤であります。諸君は赤らんだ麦藁帽のように旧時代を捨てなければなりません
。善悪は好悪を超越しない、好悪は即ち善悪である、愛憎は即ち善悪である、――こ
れは『半肯定論法』に限らず、苟くも批評学に志した諸君の忘れてはならぬ法則であ
ります。
「扨『半肯定論法』とは大体上の通りでありますが、最後に御注意を促したいのは『
それだけだ』と言う言葉であります。この『それだけだ』と言う言葉は是非使わなけ
ればなりません。第一『それだけだ』と言う以上、『それ』即ち『より悪い半ば』を
肯定していることは確かであります。しかし又第二に『それ』以外のものを否定して
いることも確かであります。即ち『それだけだ』と言う言葉は頗る一揚一抑の趣に富
んでいると申さなければなりません。が、更に微妙なことには第三に『それ』の芸術
的価値さえ、隠約の間に否定しています。勿論否定していると言っても、なぜ否定す
るかと言うことは説明も何もしていません。只言外に否定している、――これはこの
『それだけだ』と言う言葉の最も著しい特色であります。顕にして晦、肯定にして否
定とは正に『それだけだ』の謂でありましょう。
「この『半肯定論法』は『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』よりも信
用を博し易いかと思います。『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』とは
先週申し上げた通りでありますが、念の為めにざっと繰り返すと、或作品の芸術的価
値をその芸術的価値そのものにより、全部否定する論法であります。たとえば或悲劇
の芸術的価値を否定するのに、悲惨、不快、憂欝等の非難を加える事と思えばよろし
い。又この非難を逆に用い、幸福、愉快、軽妙等を欠いていると罵ってもかまいませ
ん。一名『木に縁って魚を求むる論法』と申すのは後に挙げた場合を指したのであり
ます。『全否定論法』或は『木に縁って魚を求むる論法』は痛快を極めている代りに
、時には偏頗の疑いを招かないとも限りません。しかし『半肯定論法』は兎に角或作
品の芸術的価値を半ばは認めているのでありますから、容易に公平の看を与え得るの
であります。
「就いては演習の題目に佐佐木茂索氏の新著『春の外套』を出しますから、来週まで
に佐佐木氏の作品へ『半肯定論法』を加えて来て下さい。(この時若い聴講生が一人
、「先生、『全否定論法』を加えてはいけませんか?」と質問する)いや、『全否定
論法』を加えることは少くとも当分の間は見合せなければなりません。佐佐木氏は兎
に角声名のある新進作家でありますから、やはり『半肯定論法』位を加えるのに限る
と思います。……」
    * * * * *
 一週間たった後、最高点を採った答案は下に掲げる通りである。
「正に器用には書いている。が、畢竟それだけだ。」
ーーーーーーーーーーー
[広告]
「侏儒の言葉」十二月号の「佐佐木茂索君の為に」は佐佐木君を貶したのではありま
せん。佐佐木君を認めない批評家を嘲ったものであります。こう言うことを広告する
のは「文芸春秋」の読者の頭脳を軽蔑することになるのかも知れません。しかし実際
或批評家は佐佐木君を貶したものと思いこんでいたそうであります。且又この批評家
の亜流も少くないように聞き及びました。その為に一言広告します。尤もこれを公に
するのはわたくしの発意ではありません。実は先輩里見とん君の煽動によった結果で
あります。どうかこの広告に憤る読者は里見君に非難を加えて下さい。「侏儒の言葉
」の作者。

[追加広告]
 前掲の広告中、「里見君に非難を加えて下さい」と言ったのは勿論わたしの常談で
あります。実際は非難を加えずともよろしい。わたしは或批評家の代表する一団の天
才に敬服した余り、どうも多少ふだんよりも神経質になったようであります。同上

[再追加広告]
 前掲の追加広告中、「或批評家の代表する一団の天才に敬服した」と言うのは勿論
反語と言うものであります。同上





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最終更新日  2012.08.30 00:46:23
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