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・12、31、月
ある人物がレッスンを見学したいと申し出て来た。
思えばそれはもう6年以上前の話になるのだ。
彼は部屋に入って来ると何も言わず皆から少し離れた後ろに座を占め、レッスンの間ほとんど瞬きもしないようにこちらを眺めていた、というより睨んでいた。
そしてレッスンが終わるとゆっくり僕の方に近づいて来て「先生、私も歌、やりますわ」と低い声で言った。
その日から彼は4年間の間月二回きっちりグループレッスンに参加するようになった。
彼はその時点で84歳。
歌などはカラオケさえ歌ったことがなく、楽譜も当然のことながら全く読めない。
20歳終わりに立ち上げた会社を80歳まで社長として勤め、ようやく息子に代を譲ってから、様々な稽古ごとを始めた。

だが彼が会社を退いてから始めたもっとも注目すべき活動は、朝の散歩である。
もちろんただの散歩ではない。
会社時代に使用していた黄色い作業着を着て、何処かの国の変わった帽子をかぶり、片手に塵取り、片手に長いはさみを持っての散歩。
一人暮らしをしているマンションの部屋から自分で決めた何キロかのコースを毎朝歩きながら、それでたばこの吸殻を拾って歩くのである。
「最初仕事を辞めて朝に散歩に出ると、道に一面シマシマ模様が見えるんですよ、一体なんやろうと思ったら、それが全部たばこの吸殻やないですか。
びっくりしてしもて、仕事をしている間はそんなもん注意して見もしませんでしたからな。
それで、ただ散歩するだけでは芸がないんで、ちょっとでも皆の役にたつことをしたいと思て、それでこれを始めたんですわ。
そやけどそのゴミ拾いと一緒に心がけてることがあります。
それは必ず道で会った人に『おはよう!』と声を掛けることです。
初め皆気味悪がってわざと目を反らして逃げるように行きましたけどな、だんだん毎朝同じ道で声を掛けられると皆少しずつ返事しよるようになりますね。
道で挨拶し合うちゅうのは気持ちのええもんです」

そうこうしているうちに彼はその辺りで有名になって来て、クリスマスには保育園に呼ばれてサンタクロースの衣装を着てプレゼントを配る役目まで仰せつかるようになり、彼の手で通りのあちこちに設置された吸殻入れの缶の表面に彼の似顔絵を見ても、皆それが誰の顔か分かるようにまでなった。
そして始めてから6年目に、市長から感謝状を受けるために市役所を訪問した。

レッスンが終わってから、度々興味深い彼の身の上話を聞いた記憶と、彼が残した著書(本にはならなかったが)から総合してその一生を集約すると~
彼は18歳で大阪第四歩兵隊に入隊。
兵舎での興味深い体験は短編に描かれている。

憲兵時代のことは一切著述には残していない。
「敗戦が決まった時、わしら憲兵は皆でわーっと山に逃げ込んだんですわ。
皆捕まって戦犯に掛けられるっちゅう噂が流れたもんで。
そやけど結局誰も捕まえに来よりませんでした」
その後彼は闇市を営業する。
憲兵で軍曹まで勤めた彼は、その時代に培ったアメリカ軍の上の方の人脈を使って、海外の生地を大量に横流ししてもらいそれを売った。
「兎に角着る物も不足してた時代やったさかい、そらもう飛ぶように売れて、ものすご儲けたんですわ。
あの当時何億手にしたさかい、今の値打ちに換算したらどれぐらいになるやろ。
そやけどあかん、簡単に手に入れた金は簡単になくなる。
わしも若かったんやな、全部遊んで無くしてしもた。
それで27歳の時倒産しかけた工場を買い取って、鉄工所を始めたんや。
今何とか100人ほどの従業員を抱える会社にしたけど、一時はその日も食えん毎日が続いた時代もあった。
家財道具には全部差し押さえの赤札が貼られて、電気も止められとるさかい、子供らは真っ暗の部屋で宿題もできひんね。
そんな時代が10年は続いたで。
そんな時も心の中で『俺は商売の才能があるんや!』って、闇市時代を思ってずっと自分を励ましてた。
そんなピンチが何度もあって、その度歯を食いしばって乗り越えて来た。
そやから今は金やったらなんぼでもあるね。
今の年寄りは年金が少なくて苦しいとか言いよるけど、そんなもん自分がしっかり先まで考えとらへんから悪いんや。
今の70代のもんを見てると、何につけても弱いわ。
皆なんやっちゅうとすぐ病院に行きよるけど、わしら兵学校で毎日寒風吹きすさぶ朝早くに並列させられて、軍人勅語を大声で朗読させられる。
大体毎朝一人か二人が余りの寒さに気を失いよるね。
いまやったらすぐ救急車を呼ぶところやろうけど、軍では倒れてるもんの顔目掛けて教官がバケツに汲んだ水をぶっかけよるね。
ほな大体のやつはふと気が付いて、そのまま立ち上がって軍人勅語の朗読を続ける。
どうや、安ついてええやろ」

レッスンでも全く歌などに縁のなかった彼が、最後にはかなり難しい日本歌曲やイタリア歌曲を朗々と歌っていた。
そこにはかなりの努力があった。
毎日歌の練習の時間を決めて、MDに取った録音を聴いてかなりしっかり予習復習をこなして来る。
さすが口だけではなく、かなりの根性と根気を持ち合わせた人物だと思った。
発表会にも毎回出演した。
他の生徒さんが「今回の出演はどうしようかな」と呟くと「あんた何言うてるね、発表会に出んと歌を習ってる意味が何処にあるね」と檄を飛ばしていた。
僕は「80歳以上の人に限り楽譜を見ての演奏を許可する」としていたが、彼は暗譜演奏を常に目指した。

文学学校の方でも、それまで本、小説などというものには全く縁も興味もなかったが、学内で発行される雑誌には毎回作品が選ばれ載った。
作品が出来上がると、僕の方には必ずメールで送ってもらって読んでいた。
それはすべて完全な私小説ではあったが、その豊富な体験、経験から作品はかなり面白かった。
彼は持ち前の聡明さで何をやっても器用にこなせたのだが、その裏には驚くべき前向きな馬力で努力する能力を備えていたのだ。
80代半ばでありながら、その物事に対する情熱は20代に匹敵しただろう。
彼に出会い、彼の生き方が僕に余りに強いショックを与えたことで、今周りの70歳そこそこの人たちが弱音を吐いたり、後ろ向きな愚痴をこぼしたりしているのを見ると、思わずカツを入れたくなるのだ。
僕もまた彼の年齢まで生きていれば、たとえ体はぼろぼろになろうとも、前向きな情熱だけは持ち続けたいと憧れている。

彼が87歳を迎えるころ、僕のところに来て言い出した。
「先生、わし自分の誕生日会をやりたいんですわ。100人ぐらいの友人を呼んで、皆にうまい料理を振る舞って、わしの歌を聴いてもらいたい。
大体10曲ほど今から練習して用意したいんですわ。
帝国ホテルの何とかの間というところももう予約して来ました。
そやさかい、先生、これから一層びしびしやっておくなはれや。
それと先生も必ずその誕生日会には出席して下さいや」
そして実際彼はその会を実現した。
最初皆の前に出て来て挨拶した時はタキシード。
その後10曲続けて演奏した時はジーンズにピンクのシャツ。
最後に自分の今までの人生をふり返る内容の話をした時には大島紬。

そんなある日文学学校の関係から「一つその他人にはない経験、体験を小説にして本として出版する方向で話を進めてみないか」というチャンスが彼に舞い込んだ。
もちろん彼はやる気満々でそれに取り組んだ。
しかし締め切りを切られることで、彼は毎日のように夜遅くまでパソコンに向かうことが増え(彼はパソコン・携帯も巧みに操った)、時には徹夜も余儀なくされた。
ある日娘さんが彼のマンションを訪ねると、彼はベッドの上に眠ったままの状態で息を引き取っていた。
享年87歳だった。
「わしは110まで生きるから」と言っていたし、周りも確かにあの人ならそこまで生きるだろうと思っていたから、葬儀では「早く行かれましたね」という呟きがあちこちで聞こえた。

僕は彼から多くのことを学んだし、彼の生き様に感服している。
しかし一つ今でも納得できない点がある。
それは彼の憲兵時代だ。
小説でも雑談でもその時代の身の上話は一切出なかった。
ある日レッスンが終わって雑談に入った時、他の生徒さん(70代男性)が「軍では何をされていたんですか?」と尋ねた際「わしですか、憲兵で軍曹やっとりましてん」と下顎を前に突き出して(彼が何かを自慢するときの独特な表情)と答えると、その生徒さんが「こわー!」と苦笑した。
するとまた同席していた生徒さん(70代女性)が後ろから「憲兵に捕まると死ぬより怖いと言いましたからね」と言った。
するとまた別の80歳丁度の女性の生徒さん(そのクラスはたまたま年配者のクラスだった)が静かに「貴方もいろいろあったんでしょうね」としみじみ言った。
そのような話題の中で、彼は終始無言であった。
その後で僕が「憲兵って何です?」と質問して、皆に大笑いされた記憶がある。
それから憲兵について様々に調べてみると、その極悪非道さに驚いてしまった。
軍曹にまでなった彼が、平穏にその時代を過ごしている訳がない。
もちろん、その時代背景の中で生きなければならなかった彼らを攻めるものではないという意見もあるだろう。
でも彼の前向きな生き方、自分に厳しく、一度決めたことはやり遂げる力を持つ強い彼が、何故その時代をふり返ることが出来なかったのか。
否、懺悔と後悔の念に内心苦しんでいた影は見受けられなかった。
もちろん心の奥底の傷などは他人に見えるものではないのかもしれないが、そのように結果彼を非難する念が僕の中で残ってしまうことが残念でならない。





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最終更新日  2013.05.13 11:50:35
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