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・8、12、月
何時だったか、サッカー世界大戦の韓国日本戦で日本が勝った時、韓国の戦手たちが猿の物真似をして日本人を揶揄していた。
今や経済大国となった韓国も、精神的にはまだまだ発展途上だなと思った。
しかし昔からアジア諸国では日本人を猿と呼んでいたようだ。
元々はロシア皇太子が猿と呼んでいたことが始まりであるようだが、これは小柄で卑屈そうに背中を丸めている姿からそのように揶揄していたようだ。
しかしこの皇太子は、明治時代に日本訪問中に京都の大津で暗殺されかけた苦い思い出からそう悪口を言うのだそうだ。
アジア諸国は、明治政府がヨーロッパからすべて学び入れ、服装や軍艦や建物まで西洋化して行く日本を見て「猿真似の猿」という意味でそう呼んでいたようだ。
周りがそう悪態を着くほど、日本人は敵からでもどんどん文化を取り入れて行く。
客観的に見ていると、この人の真似という意味では恐るべき貪欲さを感じる。

人の作ったものから、バリエイション化させてもっと良いものを考え出す力もあるようだ。
しかし、何もないところから素晴らしい思いつきとアイデアを持って、地道に何かを生み出すという才能は著しく乏しい。
よって明治維新以後の開国以来、日本独自の文化なり技術なり、商品なりというものがほとんど生み出されていないように思える。
これこそが、経済的なピークを過ぎてしまった時、何も残らないという喪失感となるのだろう。
猿真似でインスタントに手に入れた栄光は、やはり泡のように消えて行くのかもしれない。
じゃあ我々の独自の文化、商品、技術とは何か?
それは明治政府開国のころの無邪気な日本人を見ていれば分かる。
勤勉さ、正直さ、素直さ、そして埃。
そこにもう一つ付け加えるのならば、独自のナショナリズム。
それらが我々の特質であり、おそらくそこからのみ不況に負けない力が得られるのだろうと僕は思っている。

ーーーーーーー

「bakumatusaigotdyno.329-(12:24).mp3」をダウンロード
中国とイギリスの間で起こったアヘン戦争は隣国・日本に衝撃を与えずにはおられな
かった。当時、長崎でこのアヘン戦争についての詳報に接した吉田松陰は驚愕した。
平戸滞在中に松蔭が読んだとされる書物に「阿芙蓉彙聞」七冊があり、松蔭がその後
も必読書としてあげているものにも「阿片始末」がある。

、日本は崩壊してしまうと思っても不思議ではない。それが歴史的事実だからだ。吉
田松陰自身は安政の大獄に連座して処刑されたが、彼の思想はその後長く日本政治に
影響を及ぼした。
つまり、世界でもまれに見る「無血」の政権交代、つまり260年続いた徳川幕府が江
戸城を無血開城して、内戦をほとんどしないで明治維新を迎えたのは、必ずしも偶然
ではなかった。
当時の江戸幕府はまだかなりの力を持っていたし、戦闘能力もあった。しかし、ヨー
ロッパの強い圧力が「そんなことをしていると危険だ」という雰囲気を作り、そこに
西郷隆盛、勝海舟という英傑が登場して政権が委譲されたのは日本にとって幸運なこ
とだった。
当時、イギリスから派遣されていた大使オールコックなどヨーロッパ諸国は日本の利
権の奪い合いをしていたが、日本人はどうも他のアジア民族と違うという意識はあっ
た。
オランダから寄贈されたスヌービング号という蒸気船を指導に来たオランダの技師カ
ッテンディーケはちょんまげを結い、刀を差し、白昼でも甲板で所構わず小便をする
「武士」という集団が、臆することもなくスパナを握って蒸気船のエンジンに取り組
むのにビックリしていた。
ヨーロッパの学問や技術をためらうことなく吸収する日本人は指導したオランダ人に
は奇異に感じたらしい。
日本刀を腰に差して結局単独でスヌービング号を江戸に回航した。こんなことは他の
アジアアフリカの人にはない特徴だった。また黒船を東京湾に進出させて「一般公開
」すると「普通の日本人」が我も我もと小舟に乗ってきて乗船し、物珍しげに船内を
見ることも驚きだった。
他のアジアアフリカ民族なら遠巻きにするし、上層部は別にしても庶民が平気で近づ
いてくるなどということは無かったからだ。
このような現象は「ヨーロッパの学問的書籍の翻訳」でも日本らしさが爆発した。杉
田玄白の解体新書が日本語に訳されたのは有名だが、理工学書の多くが翻訳され、福
沢諭吉はヨーロッパの単語を翻訳できるように、膨大な造語辞典を作った。
ヨーロッパの言葉がわからなければダメというのではなく、日本人なら誰もがヨーロ
ッパの学問を勉強できるようにしたのも、アジア、アフリカ広しといえども日本だけ
だった。
当時、世界でヨーロッパの侵略を免れていたのは、中国の日本だけだったが、中国は
衰えた清が政権交代しないで次々と領土や利権を外国に手放したのに対して、日本は
衰退した徳川幕府を明治政府に変えることができたので、ヨーロッパ勢も日本への侵
略には躊躇していた。
あれほど人望があり、維新の最大の貢献者が「征韓論」を唱えたとき、鹿児島から明
治政府に入っていた人も、その他の重要人物も西郷隆盛から離れた。「我々の敵はヨ
ーロッパ勢だ」ということについてのコンセンサスが日本の上層部にあったからだっ
た。
かなり足早に進んできたけれど、歴史はまず「大きな流れ」から整理を進める必要が
ある。細かい年号も歴史の専門家なら当然必要であるし、細かい年号が決定的な意味
を持つこともある。でも、それより遙かに重要なのは「歴史の大きな流れ」であるこ
とは間違いない.
「明治維新はなぜ起こったのか?」、「なぜアジア・アフリカ・アメリカのなかで日
本だけがアーリア人に占領されなかったのか?」ということをまず考えて見ると、も
ちろん、偶然ではなく、ヨーロッパ勢が世界制覇を進め、その最終段階として中国と
日本を取りに来た.中国は「清」という古い政権のまま持ちこたえようとしたけれど
、失敗して領土を食い荒らされていた.日本は何とか徳川幕府から体制を入れ替えて
近代化を進めて、侵略されるのを防ごうとした.その一つの理由が日本人が科学技術
を理解できる民族だったこと、階級制がなくヨーロッパの書籍を翻訳したことなどが
考えられる。
歴史的事実としては、日本はその後、軍事力によって独立を保って植民地になるのを
防ぎ、さらに日本自体がヨーロッパ勢の仲間入りをして国の力を増やしていった. 
日清戦争から大東亜戦争にいたる約50年。日本の取った道は、必然的だったのか?
 侵略的だったのか? 最も望ましい選択をしたのか? まだ日本の歴史はその見解
を示してはいない。
でもすでに大東亜戦争が終わって70年。充分に冷静に歴史を考える時間は与えられ
ている.そこでここでは、日清戦争から大東亜戦争までの経過を最小限のスペースで
整理をして、さらに理解を深めていきたいと思う.
(平成25年8月7日)
武田邦彦





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最終更新日  2013.08.12 23:26:21
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