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以下の歌詞を『津軽海峡冬景色』のメロディーで口ずさんでみてください。 成田発の夜行便を 降りたときから バーレーン空港は 砂のなか 町へ急ぐ人のむれは 誰も無口で ヒゲ面ばかり おりました 私もひとり 連絡バスに乗り 眠たそうなラクダ眺め 泣いていました ああ ホルムズ海峡 砂景色『ホルムズ海峡』は最近のニュースによく登場します。イランとオマーンに挟まれたペルシャ湾の入り口です。日本が必要とする原油の多くは、この海峡を通過します。マラッカ海峡とともに、日本の生命線です。イランの核開発に関連して、イランが「封鎖するぞ」と脅しをかけています。私などの『団塊の世代』は、ついつい『第一次石油ショック』を思い起こしてしまいます。「やるぞ、やるぞ」という脅しは、国際政治では常套手段です。したがって、それほど悲観することはないのかも知れません。しかし、万が一ということもあります。そうなると、今の政権では何とも心配です。上記の替え歌は、今から30年前に日本航空バーレーン支店長として3年間滞在した人の回顧録に載せられていました。さらに、「アラブの厳しい日常生活を強いられている駐在員の、何となく自嘲的な気持が共感を呼ぶのか、カラオケ・パーティーのヒット曲となっていた」とも書かれています。『津軽海峡冬景色』が不滅であるように、『ホルムズ海峡砂景色』も歴代の駐在員に歌い継がれているのでしょう。
2012.01.29
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1941年(昭和16年)12月10日、マレー半島沖のシャム湾で、イギリス東洋艦隊の戦艦2隻が日本軍機の攻撃で撃沈されました。日本とアメリカ、イギリスは2日前の12月8日、戦争状態に突入していました。日本の陸軍部隊は、当時のイギリス領マレーのコタバルに上陸し、シンガールを目指して進撃を開始しました。撃沈された2隻の戦艦の名は『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』です。『プリンス・オブ・ウェールズ』はイギリス皇太子の称号ですから、イギリスの象徴そのものです。その戦艦がわずかの数の飛行機で撃沈されたのですから、イギリスが受けた衝撃は大きかったでしょう。2日前、日本の真珠湾奇襲攻撃を聞いたイギリスのチャーチル首相は、「これでイギリスは勝った」と叫んだといわれています。なぜならば、アメリカは『モンロー主義』を捨てて、第二次世界大戦にイギリスの同盟国として参戦したからです。しかし、マレー沖海戦の知らせはチャーチルを再度、絶望の淵に追い詰めたといわれています。これまで、戦艦は海の王者でした。しかし、航空機、特に軍用機が発達すると、その座を失いました。味方の空軍の支援を得られなければ、いかなる巨艦も海の藻屑になるだけとなりました。それを実証したのが、日本でした。その日本は、4年後、戦艦『大和』を航空支援なしで沖縄へ出撃させ『プリンス・オブ・ウェールズ』と同じ運命をたどらせたのです。
2010.12.09
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