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タイの人書く旅行ガイドは面白い。 たとえば次は、新聞の旅行欄に掲載された、ある町の紹介記事である。「平和で静かな町。空気は澄んですがすがしい。人々は品良く、男は美男、女は美女。みんな仲良くゆったり暮らしている。 どうにものどの辺りが痒くなりそうである、タイの旅行ガイドは大抵この調子だ。 男は美男、女は美女。みんな平和な素晴らしい町ばかりである。信じて出かけるとがっかりすることになる。 「美味しい店の紹介」の類にしてもおなじことである。 すべての店を、「おいしい!すばらしい!安くて親切サービスがいい!」と、褒めちぎっている。信じていくと本を破り捨てたくなるような店もある。 何が何でも賞賛することが前提になっているので、ときどき、どのようにも褒めようが無くて苦労しているような分や、あまり賞賛の言葉を並べすぎ、ついにはボキャブラリーに詰まってしまったような文にお目にかかることもある。他人に感情を損ねるようなことは極力文章にして公表しないという不文律があるようだ(ただ外国人に対しては別でにのびのびと好き放題かいている)。 もし批判じみたことを書こうものなら、それがたとえ事実でも、うんこが投げつけられる。 「熱い水は魚を生かし、冷たい水は魚を殺す」こんなことわざがる。 冷たく気持ちいい水には魚が集まるものだが、それはまた人や獣に狙われやすいことでもある。熱いところは辛いけれど、まず捕らえられることは無く、安全である。 甘言は人を喜ばせるけれど、その人のためにはならない。事実は得てして聞く人を不愉快にさせるものの、結局、その人のためになる、という意味である。 ことわざとか金言は、わかっていてもできないことをいうのだろう。
Aug 31, 2004
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象はどこの国おいても人気のある動物だ。でもそれらは、動物園の仕切りの中と外、見られる側と見る側の関係でしかない。タイでは街角からいきなり像が現れることがある。 かつてタイの象は、武将を背に乗せて敵陣へ突っ込み、敵兵を踏みつけた。戦場へ行かない像は、山できの切り出しに精を出し、汗を流した。象が最も活躍したのはアユタヤ時代である。 近代に入って、武将は前線を退き、像の代わりに戦車が走り回るようになった。人里近くの山は禿げて切る木も無い。 象たちは就職場所を失い、遥か山奥で昔ながらの木の切り出しを細々行っているいるほか、観光地でチンチンをして見せたり、ビア樽のような白人観光客を乗せて野を歩いたり、なかなか苦労している。 象ばかりでなく、象使いたちにとっても受難の時代である。幼い頃から象とともに暮らしてきた彼らは、象使い以外生きる道を知らない。象を飼うには餌代がかかる。働き口は無いやむなく巡業に出る。 彼らは象を連れて野宿を重ねながら町か町へと渡り歩く。行く先々の街頭でバナナなどを通行人に売って金を稼ぐのだ(飼った人はそれを象に食べさせる)田舎では「腹くぐり」をやることもある。 象の腹をくぐった子供は象のようにたくましく健やかに育つという民間信仰がるので、小さな子供抱いたお母さんたちが結構やってきては、幾ばくかの金と引き換えに象の腹の下をくぐっていく。 こういった巡業象を、象愛護協会や大都会に住む人たちは物乞い象と呼び、食べ物もろくに与えず長距離(数百キロに及ぶこともある)を歩かせるのは見るに耐えない、かわいそうだ、という理由で、物乞い象撲滅キャンペーンを展開している。物乞い象も町への立ち入りを禁じる県も増えてきた。 でも、これで食べている象使いはどうなるのであろう。彼らは悪人で象以下に見られても仕方ないのだろうか。 象がまた戦の主戦力として用いられ、象使いの存在価値が大きかった時代でさえ、象使いの社会的地位は低かった。 象使いだって能力と経験を必要とする立派な職業であると思うのだが、タイの人たちは伝統的に、自らの身体を使うものや職人に対して冷淡なのである。鷹匠が大名に出世したり、職人が政治家になったりするようなことは絶対にない。 確かに、象愛護協会の人たちが言うことももっともなのだけれど、無責任な立場の外人からすれば、巡業象そのものは、残して欲しいような気がする。街角でひょいと象に出くわすような素敵な出来事はほかのくににはないことなのだから。 ランパーン市郊外に象使い養成所がある。 ここでは外国人の希望者も受け入れていて、世界中から象使いの弟子たちが学びにやってくる。日本人も何人かいるようだ。 初歩コースは十日間で、象の世話の仕方、基本的な乗り方教えてもらう。まあ、お遊び、たびの記念といったところだろう。費用は一日1,500バーツである。自分専用の象が与えられる事を思えば高くは無い。山で働く象の平均賃金は、一日1,200バーツだそうだ。 中級コースは三十日間。象を使いこなすことに重点を置く。費用は初歩と同じ。 そしてプロフェッショナルコース。象のしつけ、暴れ象の扱い方、病気、健康管理、象に関するあらゆることを学ぶ。このコースは、無期限で象と結婚する決意が無ければだめだろ言われている。なんでもその道を極めるのは容易ではない。 世界各国から来ている象使いの弟子たちは、修行を積んで一人前の象使いになった後、それぞれの国へ帰っていく。帰国すれば動物園や撮影用に動物を貸し出している会社などで結構働き口はあるし、待遇もよいそうである。しかし、師匠であるタイの象使いたちは、像を持っていても、なかなか働き口が無い。あったとしても、得たお金はほとんど餌代に消えてしまい、厳しいどん底の生活を送っている。 象自体も減っているしこのままで行くとタイの象使いは消えてしまうのではないだろうか。 行く末は暗い。
Aug 30, 2004
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タイ最北の町メーサイの町にあるホテルの一室で、三人の台湾人男性が倒れているのを従業員が発見した。 一人はすでに死亡、一人は病院で息を引き取り、一人だけがどうにか命を取り留めた。 当初、精力剤の使用量を誤ったものと推測されていたのだが、死体解剖を行ってみると、オーホー!検視官は思わず声を上げた。胃、腸から出てくるわ。直系四、五センチのコンドーム玉が一人当たり二十も詰まっていた。 彼らはゴムを食べるのが趣味の奇人変人グループで、部屋でコンドームをフムフム喜悦に浸りながら貪り食っているうち、腸閉塞を起こしたのだろう、と思えばそうではなかった。コンドームの中には高純度のヘロインが詰められていた。三人は台湾暗黒業界大手の運び屋だったのだ。 その日彼らは、メーサイで中国系のミャンマー人から産地直売の出来立てホカホカヘロインを買い付けた。 さて、これをどうやって台湾まで持って帰ろう。近頃はチェンライ周辺の検問が厳しい。カバンの奥に入れたところですぐにばれてしまう。ここは一つ身体に隠す方法で行くことにした。密告でもされない限りまず安全だ。 三人はヘロインをせっせとコンドームへ詰め、口を括って小さな玉にした。 人は考える葦である。そして身体は一本の管である。管であるからには入り口と出口がある。彼らはその両端からコンドーム玉を押し込んだ。とてもじゃないが、シラフではやってられないから、覚せい剤の原料となる強力な薬品を蜂蜜に溶かし、それを飲み飲み異物挿入である。男だってやれば出来るのだ。 無事に二十個のコンドーム玉を飲み込み、尻へ詰め、やれやれ。三人は思い思いベッドや椅子に腰掛け、残りのスーパー覚せい剤をつめていた。 ところが三人は次々に気を失って、その場にばったり倒れてしまった。 どうした弾みか、二十のコンドーム玉のうち、三分の一ほどが腹の中で破裂してしまい、そこから致死量の数十倍のヘロインが血管に吸収されたのだ。 恐らく、経費を渋って大安売りしている粗悪コンドームを使ったもので、スーパー覚せい剤が何らかの化学変化を引き起こしたのだろう。薄くても丈夫な日本製をちゃんと使ってればこういうことにならなかったかもしれない。 しかし、助かった一人だがこういうのを運がいいというのだろうか。所持量からしてまず死刑である。病院で回復を待った後、取調べ、裁判、入獄、そして処刑である煩雑な手続き経ないと死ぬことも許されないのだ。複雑な世の中である。 タイのニュース番組では毎日麻薬関係の逮捕者がテレビ、新聞を一面を飾る。皆さんもタイに行った時は麻薬には気をつけよう密告制度もあるからね。
Aug 29, 2004
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これは買い物に限らず、すべてのことに当てはまる大原則である。手に入れた金は意地でも返さない。 安物製品にはマイペンライ精神が発揮されていて、ネジや部品、備品など、何かがかけていることが多いのだが、そういうときでも、交換は出来ないものの、気に入らないから返すと言うわけにも行かない。物はよく確かめて買おう。・・・・・・店の人が愛想がよいのは金を受け取るまでである・・・ 店の人にとって、客が客であるのは支払いが終わるまでである。愛想と笑みは期限付きなのだ。もし商品を返却でもしようものならば、その顔は夜叉に変わる。・・・・値段を聞くことは買う意思表示である・・・・ 多くの商店では商品に値札がついていない。買い物は値段を聞くことから始まる。しかし値段を聞いて買わないと店の人は露骨に嫌な顔をする。買わないなら値段を聞くなと言いたげだ。それなら値段をつけろ! 同様に、見るだけと言いながら客の袖を引き、見て買わないと怒る人もいる。・・店のおばさんは赤字だと言いながらうれしそうな顔をする・・ 店のおばさんに、まけてくれというと、「じゃあ、赤字だけど、あなただけ特別にまけてあげます。誰にも言わないでね」と、おばさんはにこにこ顔で答える。しかしおばさんは同じセリフを別の客にも繰り返す。・・・・代金の計算は必ず多めに間違える・・・・ 一般に物売りのおばさんたちは計算、特に安産が苦手である。客があれこれ品物買ったりすれば、すぐさま電卓を取り出し、人差し指ででキーを突っつく。 電卓をつかわずぱっと数字が出てきたら、それはインド系か中国系である。 電卓を買い渋っている節約家のおばさんは鉛筆を舐め紙に書いて計算することもあって、たいてい計算違いするのだが、このとき、代金より多めに間違えることはあっても少なく間違えることは絶対にない。不思議だ。 そのくせ、つり銭が足らないことはままあっても、多くもらえることは滅多に無い。どうしてだろう。・・・・受け取りをもらわなかった時に限って問題が起きる・・ 面倒なのか、タイでは何事につけ、明文化しないことが多い。「あのー、受け取り、まだもらってないですけど」「あなた私が信用できないのですか?」 こう言われると弱いのが日本人。なんだか相手を疑っているようで決まりが悪い。つい、「あ、それならいいです」と引き下がってしまう。 でもこういうところに限ってトラブルが起きる。 たとえば、カメラや電化製品を修理に出す。そして約束の日に取りに行くと、「そんなもの受け取ってません」 と、とぼけられる。・・・最初安い時は後で値上げする・・・ 最初の契約料金や入札価格が安いからと言ってとびついてはいけない。そういうところは大抵後から色々理由をつけ、値上げを要求する。応じないとふてくされてぞんざいな仕事をする。・・・約束の時間には絶対に遅れる・・・・・たとえば店の人が、「・・・時に持って行きます」と、いったら、そのくらいに行動を起こしそれから半日以内にはつくであろうと言うことである。 万が一にも本当に時間通りに来たら災いののまえぶれかもしれない。お祓いをしよう。だから、「・・・時においで下さい」と、いわたときは必ず遅れていくこと。遅れそうだと思った時はまだまだ早い。遅れて悪いなと思った時でもまだ早い。約束を忘れ、思い出して駆けつければちょうどいい。・・女のの店員の仕事は化粧をする合間に物を売ることである・・ デパートなどの女の店員はいつ見てもショーケースの後ろ辺り座り込み、コンパクトを握って顔を叩いている。 それほど広大な面積ではないのだけれど、何重にも塗ったくるので時間がかかるのだろう。入念に化粧する女に限って土台が悪い。いや、土台が悪いから修正に苦労するのだ。 そして彼女たちは人前で唇をチンパンジーのように突き出し顔をゆがめて唇を引くのにやぶさかではない。毎日叩いて鍛えてているもので面の皮が厚くなっているのだ。 そういう作業中に声をかけてはいけない。気分を害された彼女にけんもほろろにあしらわれ、買い物は不成功に終わるだろう。テガダルクナッテマタコンパクトを手放すときがあるからそれまで待ちなさい。 ・・・店員の商品に関する知識は九割が想像である・・・・店員に言わせればすべての商品は素晴らしい。使ったことの無いものでもこれはいいという。月給の数倍はするものでも安いという。飲んだことのない洋酒でもこれはおいしいですという。 ○○システム使用可能かと問うと、使えないと言う。ところがよく見れば商品の箱に使用可能と明記してある。それを指摘すると嫌な顔をする。 二つの製品を比べてどこが違うのかをたずねると、結局本当に理解しているのは値段の差だけであるのがすぐ知れる。それくらいならこちらにも分かる。・・・・領収書を請求すると高くなる・・・・ 個人商店では値の張る買い物をしても、催促しないと領収書を出さないところが多いし、領収書には店の名前が書かれていないこともある。 店の名の入った領収書を催促すれば、「一割ほど高くなるよ」と念を押される。 これを彼らは「脱税」と呼ばないで「節税」といっている。二重、三重帳簿は当たり前。政府も苦労するわけだ。 領収書好きな日本人はタイでも領収書収集に熱心だけれど、タイ語で書かれた領収書なんてもらってどうするのだろう。ある日本からの出張者は、「ドラえもん様 竹コプター 十万バーツ」などとタイ人に領収書を書いて、もらっていた。これが通ってしまうのだから日本も相当形式主義である。
Aug 28, 2004
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タイ旅行の注意として、肝炎とかマラリアについてはガイドブックでもよく言及されるのだけれど、実際にはこれよりデング熱のほうが身近で罹る率の高い病気である。 デング熱はマラリア同様、蚊によってウイルスが媒介される。ただ、マラリアは森の奥地とか、病気の見られる地域が限られているため、一般の人はそう心配する必要はない。対し、デング熱は田舎でも町でも年間通して発生する。季節も場所も無関係なのが恐れられる原因の一つである。 症状は、発熱、頭痛、関節の痛み、紅疹など。タイ語でカイルアドオーグ(出血熱)と言う。毎年十万人以上が感染し、百数十人が死亡している。 抵抗力の弱い子供は無論、女の人が整理に時にかかると出血が多く、特に注意する必要があると言う。 今回タイに行った時、偶然タイ人の友人のお母さんが不慮の事故で亡くなってしまった二日目でしたね。そこで私も葬式に参加しました。式はお寺で行われました、チェンマイから車で二時間くらいすっごい山の中の集落で電気は来てましが携帯が繋がらないようなところでした。タイでは集落があれば必ずお寺と学校はあります。お寺へ入っていくと棺が隅のほうにあって(真ん中ではないんです)入り口にはお母さんの若かりし頃からつい最近までの写真がボードに張られていました、棺には電飾が飾られクリスマスツリーのように光が点滅してた。 表にはテントが張られテーブルといすが沢山並べてあって時間になると村の人が全員集まってきて(多分)食事を出されそれを皆さんみなさん食べていました。どこにもたちの悪いのがいて呑めること幸いに昼真っから酔っ払っているおじいさん、やおばあさんあまりひどいので、追い出されていました。その食事を出すのは死者が荼毘にふされるまで続くのです遺体を焼くのはいつでもよいわけでなく日本のように友引はだめだとういうのがあるらしいです。だから一週間くらい続く時もあるのだそうだ。 タイでは、ではお寺で荼毘に付すそうですが、その火葬場が簡単なもので蒔きの上に古タイヤをおいてその上に棺桶を置き囲い無いに等しい、タイの火葬場ってみんなそうなのだろうか分からないが、友人には悪い気もするが、いい経験しました。タイでも香典みたいなものはあるそうです。服装は何でもいいみたいでした。 アルバムもぜひ見てください首長族が待ってますよ。!!!!
Aug 27, 2004
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そういえば、ミャンマーの商店街には、ストリートチルドレンが沢山いましたね、事前にタイ人の友人から絶対にお金を渡さないようにと言われてましたので、可愛そうだけれど無視して歩きました、服を引っ張る子供、買い物したおつりをくれという子供、もしそこでお金を渡すとどこからか沢山の子供が集まってきて大変なことになるそうです。 さて次の日ホテルを7時に起き朝食を済ませ8時30分には、ホテルを出ました、そこからカレン族の村まで4時間くらいかかりましたかね、途中何回も検問ありそこには軍隊が4,5人いて機関銃を肩からぶら下げていました。麻薬の密輸が多いのでこうして検問をしてるそうです。途中何回かパスポートを提示させられました。車内の検査もねなんか機関銃を見せられると怖いですね。 しばらく行くと山の中の崖っぷちのところにちらほら茅葺屋根のみすぼらしい家が何軒か集まって村を形成している、本道をはずれ急な坂道の砂利の道を上がっていくと小さな村があり、車を降りるとメオ族の村でした手作りのみやげ物家の軒先に並べてあり、おばあちゃんたち慣れない英語を使って客を呼んでいました。 少し歩いていくと村のはずれここからカレン族の村に行くのには、料金を払っていくらしいお金を3人分払い300メーターほど獣道みたいなところを下っていくと、いましたやっと会えることが出来ました。首長族といわれている山岳少数民族です。そこでもやっぱり手作りのみやげ物、銀製品少し買い記念撮影、山の中だけあって携帯は圏外でした。電気もなく水も山の湧き水を飲んでいるらしい、今度は家の中を見せていただきびっくりしました竹の床ほとんど家は竹で出来ていました。その中で火を起こし料理しているようでした。広さは4畳半くらいでしたねこんなところでも生活できるんだなと感心しました。いい経験をしました。今度の旅行は充実してましたね。
Aug 26, 2004
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皆さん長らくご無沙汰いたしました。チェンマイから帰ってきて注射を二週間あまりサボったせいか身体の調子が悪かったですがやっと回復しました。またこれからも日記書きますのでリンクされている皆様よろしくお願いします。今回は、北の方へ初めて家族を連れて行ってきました。 以下の工程です。チェンライ~メーサイ~ミャンマー~ラオス~チェンライ泊~山岳少数民族の村、カレン族(首長族)訪問 チェンマイのホテルを朝8時に出て車で約4時間ほどでチェンライにつきそのまま国境の町メーサイへそこで中国の雲南料理を食べました。内容はマーボ豆腐、野菜の炒め物、卵スープ、チャーハン、しいたけの焼いたのなんか色々食べました。5人で総額800バーツほどでした、何しろ美味しかったですよ。そこから国境はもうすぐでした。イミグレーションへ行き色々手続きをして国境の橋を渡りました。橋を渡ればそこはミャンマー橋を渡ったところに結構たくさんの商店みやげ物みたいなものが売られていました。一歩そこへ入るとタイとはまた違った雰囲気が漂っていました。おばさんたちがタバコを買わせようと必死した、タバコが安かったのでマルボロを一つ買ってみました1カートン200バーツ”えっ安っ”タバコは買ったのでも歩き出すと今度は違う人がタバコを売りに来た、もういらないと言うと150、100、80バーツさっきの半分以下になった、安いからと思いもう一つ買ってみた帰ってタバコを開けてみるとなんとパッケージだけがマルボロで中身が違うでないかだまされました。ミャンマーには1時間ほど滞在してタイへ戻りました。 そこからゴーデントライアングルまでは30分位小高い丘の展望台らしきところへ行き下を見下ろすとメコン川が見えました、タイ、ミャンマー、ラオスが国境があるそうです、線が引いてないから分かりませんでした。 丘を下りて今度はラオスへ行くためにボートに乗り川を渡ります、ついた所は川の中州でお店がちらほらあり、まあ30分もいれば飽きてしまいました、また船に乗りタイへ戻りそこから地元の小さい市場によって見ました、そしたらいました世界で一番でかいなまずが売られていました、でかかった切り身になっていないものは初めてでした。 続きはまた明日
Aug 25, 2004
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ご無沙汰してます。なんとか生きて帰ってこれました。チェンマイ、チェンライ、ミャンマー、ラオス 15日間の旅行でした。また楽しい話を書きますのでお楽しみに!!!!!!
Aug 24, 2004
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