Oui, c'est la vie.

2015.05.09
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カテゴリ: *旅行*




     ワルシャワへ戻りまして 聖十字架教会 へ向かいます。

     教会近くにあった建物 ポーランド科学アカデミー前の像は、地動説を唱えた コペルニクス
     右手にコンパス、左手には天球儀を持ってたわ。よく見ると..地面に8つの惑星がありましたっけ。
こぺ.jpg
     そして...男の子がスネて全く動こうとせず ママンに怒られてたがなw



     歩道にあった1778年の聖十字架教会と周りの様子を描いたパネル。
まち.jpg



     ショパンがワルシャワを離れたのは、1830年11月2日。
     その後二度と祖国ポーランドに戻ることはなかったのよね。。。
     パリ滞在中の1849年 病に倒れた際、会いに来てくれた姉ルドヴィカに せめて心臓だけでも持ち帰ってほしいと伝え、
     同年の10月17日 39歳という若さでこの世を去ってしまうんだけど、
     遺言通り ショパンの心臓は死後ワルシャワへ戻り、この聖十字架教会の柱の中に安置されたのでした。
     (遺体はパリに埋葬。)
聖十字架教会.jpg
     プレートには “HERE RESTS THE HEART OF FREDERICK CHOPIN” と刻まれてました。
心.jpg
     17世紀末に建てられたこの教会は、ワルシャワに移り住んだショパン一家が通っていた教会でした。




     ショパンが15歳の時に礼拝のオルガニストを務めた ヴィジトキ教会
ヴィジトキ.jpg

     17世紀に建てられたワルシャワで唯一 のロココ様式の教会。
     戦火をくぐり抜け 奇跡的に破壊を免れたため、現在でもほとんど原型を保っています。
ヴぃじとき.jpg
     講壇(説教台)がお船の形だったわ(画像左上)。

     これがショパンの時代から変わることなく残っているオルガン。
ヴぃじ22.jpg
     パイプの大部分は取り替えられたけど、2~3本はショパンが弾いていた当時のまんま 残っているものもあるんだそう。




     この付近に ショパンがワルシャワを出る前に暮らした最後の家(チャプスキ宮殿)がありました。
家.jpg
     この建物の3階の一角が「ショパン家のサロン」になってて、現在一般公開されてるんですって。

     宮殿の正面には「1830年にワルシャワを去るまで、ショパンはこの家に住み作品を生み出した」というプレートが掲げられています。



     あ。私の好きな曲貼っとこうかな^^
     いっぱいあるけども。。。。。ん~っと、じゃあツィマーマンでb

     YouTubeで「舟歌」って検索したら、案の定一番上に 八代亜紀って出て来て草不可避。
     ありゃ「舟唄」でしょうよーʅ(‾◡◝)ʃ


     以上で、ショパンゆかりのスポット巡りは終了です(た、たぶん^^;)





     この後ヴィラヌフ宮殿へ。











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最終更新日  2015.05.10 00:10:18


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