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”Ja, da können Sie sagen: Die Merkel war’s”それは「Merkelの責任だった」と言われても仕方がないかもしれませんね。 —---本インタビューでAngela Merkel前首相は、Donald TrumpやWladimir Putinとの関係、Friedrich MerzやFDPに対する評価について語ります。また在任中の政策判断ミスなどに関する問題に対して回答しています。—--- Angela Merkel(70)は、彼女が回顧録を執筆したアパートに私達を迎え入れてくれた。Berlin-Mitte地区にある、複雑な間取りの古風なアパートだ。本番印刷前の見本ではあるが、Merkelはどこか誇らしげな表情でその本を見せてくれた。700ページもの大著となったこの回顧録の執筆には、Merkelの側近でブレーンでもあったBeate Baumannも関わっている。インタビューにはBaumannも同席していたが、口を挟むことはほとんどなかった。Merkelの機嫌は良く、自分自身や著書について前向きに話してくれそうだった。現在の政治状況をテーマに、インタビューは始まった。Spiegel:次から次へと危機が訪れ、世界情勢は混迷を深めています。将来を不安視するドイツ人が増えているようですが、あなたも不安を感じていますか。 Merkel:私はもともと楽天家なのですが、それでも不安を感じることはあります。在職中、初めの2年間は首相職に必要な土台を積み上げていましたが、そうこうするうちに多くの危機的な状況が発生しました。以降、紛争の数がどんどん増える様子を目の当たりにしてきました。 Spiegel:政治家ではない立場から見て、現在の状況をコントロールすることは難しくなってきていると思いますか。 Merkel:インターネットによる新しいコミュニケーションは、グレーゾーンに目を向けて妥協の方法を探る能力よりも、問題の白黒はっきりさせるという傾向を強めているようです。まとまって欧州を結束させることが、ますます大変になってきているのです。様々な意見に対処しなければならないとき、どうすべきか?フランシスコ教皇は助言して下さいました。「できる限り柔軟に対応するのです。しかし、壊してしまわないように気をつけなさい」と。とはいえ、私の任期中にそうすることは、すでに難しくなっていました。今日に至っては、状況はさらに深刻です。 Spiegel:アメリカ大統領選が始まる前に書き終えた回顧録が、間もなく出版されますね。その中であなたは、Kamala Harrisの勝利を「心底」願っています。Donald Trumpが選挙戦で勝利したと聞いたとき、どう思いましたか。 Merkel:またもや世論調査がはずれたということですね。多くの新聞が、Harrisはどうにか勝利を手にするだろうと伝えていました。それなのに、朝6時に起きてスマホを見てみたら…。 Spiegel:どうしましたか。 Merkel:がっかりしました。2016年にHillary Clintonが勝てなかった時も残念でした。負けるとは思っていませんでしたし。 Spiegel:Trumpについてどう思いますか。 Merkel:政治にWin-Winの関係を許さず、そこにあるのは勝者か敗者だけだとしたら、これは多国間主義にとっては大問題です。 Spiegel:あなたはもう公職にはないのですから、もっと率直に話してもいいのではないでしょうか。 Merkel:私はもともと率直な物言いをするタイプではありませんでしたから。おそらく東ドイツ時代の影響もあって、行間を読み取るということを学んだのでしょう。事の真偽が不確かな状況で相手を負かそうとすることは、政治的に正しいやり方だと思いません。そんなことをしたら、問題が頻発しかねません。ですから、状況の良し悪しにかかわらず、極端な言い方をしたくないのです。 Spiegel:Trumpと対峙したときに感じたことを教えてください。 Merkel:分かりやすい例を使って説明しましょう。2017年にホワイトハウスを訪問した際のことです。取材カメラマン向けに握手をしましょうと私は言いました。カメラマンが写真を欲しがっていることに、Trumpが気づいていないと思ったからです。でも、彼は握手を拒否したのです。もちろん計算の上でした。 Spiegel:ドイツの首相がTrumpと付き合うにあたり、何を心得ておくべきでしょうか。 Merkel:Trumpは好奇心旺盛で、細部まで事細かに知りたい性格です。自分を有利にするために慎重に調べたいのです。自分の力を強め、相手を弱体化させるためです。その場に人が多ければ多いほど、勝者になろうという思いは強くなります。彼と楽しくおしゃべりができるとは思わないほうがよいでしょう。彼と会う時はいつでも戦いです。お前と俺のどちらが勝つか、ということです。 Spiegel:回顧録の中でTrumpの政治スタイルについて、不動産王としての成功の始まりを基に説明しています。「どんな土地も一度しか取引されない。彼のものになるのか、それとも他人のものになるのか。」今後もドイツの首相はこの彼のスタイルに合わせていく必要がありますか。 Merkel:決してそんなことはありません。そんなことをしたら、政治的に行き詰まってしまうことになりかねません。 Spiegel:Trumpは世界平和にとって危険な存在なのでしょうか。 Merkel:特に多国間主義の観点からすると、Trumpは国際的にかなり厄介な存在です。難しい問題を突きつけられることになるでしょう。この大統領は、世界最強の経済力を味方につけているという点を挙げるだけでも、その理由がお分かりいただけると思います。さらに米国ドルは世界の通貨システムに強い影響力を持っているのです。仮に私達が米国企業との取引をストップするとの声明を出したとしましょう。でも、アメリカによる制裁の影響力に比較すれば、こんな声明は取るに足りないことです。 Spiegel:Trumpが引き起こし得る問題は、2016年の時よりも大きくなるのでしょうか。 Merkel:Trumpは巨大な資本力を有するシリコンバレーの大企業と密接な協力関係にあります。 Spiegel:つまりそれは、Elon Muskのことでしょうか。Trumpは彼を政府機関のトップに据えようとしていますね。 Merkel:宇宙に浮かぶ人工衛星の6割が一個人のものだとすれば、これもまた政治上の大きな関心事となるに違いありません。Spiegel:Muskが所有する企業帝国、そして彼のSNSプラットフォーム「X」の影響力を考えたとき、彼はTrump以上に危険な存在だといえるでしょうか。 Merkel:そこまで言うつもりはありません。しかし、政治家は力を持つ者と一般市民との間に社会的なバランスを取る必要があります。銀行危機や欧州危機、世界経済危機において最終的に正常化に導いたのは政治でした。もしこの政治という最終的な決定機関が、資本力やテクノロジーの力により過度の影響力を受けるならば、だれにとっても、これまでに経験したことのない未知のレベルの問題となるでしょう。 Spiegel:ネット上の巨大プラットフォームの前では、政治は無力だというのでしょうか。 Merkel:そうではありません、民主主義において、政治が企業の前で無力になることなどありません。とはいえ、ドイツではAfDがやっているようなSNSにおける過激な煽りに対しては、理性的に対処することが重要です。 Spiegel:煽るといえば、Olaf Scholzが信号連立の崩壊を告げたとき、彼は連立パートナーであったChristian Lindnerを激しく非難しました。ScholzはLindnerを「小心者」と呼びつけ、信頼を裏切ったのだと非難しました。Lindnerもまた、Scholz首相は首相就任時の宣誓を台無しにしたとやり返しました。政治家によるこのようなやり取りをあなたはどう思いますか。 Merkel:男性諸君!…でしょうか。 Spiegel:典型的な男性像というものを持っていますか? Merkel:例えば、物事を自分自身のこととして感情的に捉えてしまうことがあると思います。政治家としては、これは避けなければなりません。 Spiegel:Scholz首相のように、会見で不満や怒りを表明しようとしたことはありますか。 Merkel:私もそうでしたが、誰でも首相の立場にあれば、大きなプレッシャーにさらされます。困難の中で、常に冷静にバランスの良い対応ができる人間はいないでしょう。イライラがピークに達した時は、オフィスの壁に向かって大声を出すべきです。ドイツの世論にむけて発散してはなりません。首相時代、私も一日中同じ気分でいることなどできませんでした。ともかく不満や怒りはわきに置き、自分は前向きなのだと確認することが大切でした。 Spiegel:Scholzの振る舞いは、首相職の品位を損なったとおもいますか? Merkel:私がそれを「品位のあるべき姿」と感じていたら、そんな風にはいわなかったでしょう。連邦首相は憲法機関である連邦政府を率います。首相の職務には品位があり、その品位こそが常に政府関係者一人ひとりの指針になるべきなのです。 Spiegel:「ようやくOlaf Scholzが指導力を発揮した」という反応もあるようですが。 Merkel:そうですね。率直な意見で態度をはっきりさせると、特に自陣からは良い反応が得られるものです。でも、そのような効果はあまり長持ちしませんし、私の見たところ今回もそのような感じです。Olaf Scholzがあけすけな物言いをしたとき、世間には多少の不安感が生まれました。一部では、次のような見方もありました。「もし私達の首相がそこまで感情のコントロールを失っているとしたら…まいったな、ドイツの状況はそんなに悪いのか?」 Spiegel:あなたが組閣したFDPとの連立政権にも不協和音がありました。2013年、最終的にFDPは連邦議会から議席を失うことになりました。回顧録には次のように書いてあります。「政府与党でありながら、同時に反対派であろうとすることは、ほとんどうまくいきません」 Merkel:少数連立におけるFDPや連邦レベルでのCSU、そして緑の党も長い間そうでしたが、全体の利益を考慮することは苦手だったようです。様々な政治的立場や連邦共和国全体のことを考えるのではなく、各党それぞれの支持層に手厚く対応せねばならないという考えをもっていました。 Spiegel:FDPそのものに問題があったのではないでしょうか。今となっては、LindnerやFDPのトップは数か月にわたり、連立を崩壊させようと画策していたことが明らかになっています。 Merkel:それについて事細かく説明することはやめておきましょう。とはいえ、FDPを単なる連立のパートナーと考えたことはありませんでした。FDPという政党が存在し、その状況を冷静に観察することから始まるのが政治だとだということです。 Spiegel:2017年、緑の党とFDPと共にジャマイカ連合を発足させることに失敗しましたね。信号連立政権の混乱を踏まえると、当時、ジャマイカ連合が成立しなくてむしろよかったと思いますか。 Merkel:そのようには考えていません。連立政権の行く末など、事前にわかることではありません。ジャマイカ連合が成立していたら、とても大変だったと思いますし、各党との調整に多くの時間を割かねばならなかったでしょう。しかし、Lindnerはジャマイカ連合を望まなかったのですから、そのような仮定も生じないでしょう。 Spiegel:700ページの回顧録中、16年の首相在任期間については400ページを割いています。あなたよりも在任期間が短いのに、もっと分厚い回顧録を書いた人もいました。なぜそんなにページ数が少ないのですか? Merkel:私たちの執筆の動機は少し違うのです。プロローグ部分には次のように書きました。「私は70歳になりました。初めの35年間を東側で、そして次の35年間は政治家として過ごしました。二つの人生のように見えますが、一つの人生に他ならず、後半の人生は、前半なしには考えられないものです。」ですから、私達はどうしても2巻本にする気にはならなかったのです。もしそうしたら、東ドイツ時代しか読まない人や、政治家時代しか読まない人が出てくるでしょう。なんといっても、700ページあれば十分に読み応えのある本だといえませんか? Spiegel:まぁ、値段が弱点でしょうか。Helmut KohlやBarack Obamaとの関係について目新しい情報はありませんでした。フランスや中国について割かれたページ数も少ないですね。イスラエルを除く中東については、情報がありません。もしかして執筆を早く終わらせたかったのではありませんか。 Merkel:そんなことはありません。元々の目標は500ページほどに過ぎなかったのですから。なにかを理解してもらうために際限なく巻数を増やす必要はありません。Beate Baumanと私は、特に1990年以降の政治家としての仕事についてはかなり抑制的に書きました。首相職という大きなテーマや、今日の批判的な問いから逃げたくなかったのです。関係者の中には、自分のことが本の中で言及されていないとがっかりする方がいるかもしれませんね。また、読みたいテーマについてもっと書かれていることを期待した読者もいるかもしれません。でも私達は、この本を歴史家のためだけに書いたわけではありません。一般の人にも分かりやすく、歴史的な事実をもとに政治について解説することを目指しているのです。 Spiegel:CDUとの関係について書かれているのは、あなたが本当に幸運を得た時のことだけのようですね。つまり、2000年の党首選について、こう書いてあります。「CDUと私が一体となる気持ちになった党大会は、これ一度きりでした。」 Merkel:それは本当に特別な瞬間でした。党首としてそのような経験をすることはそう多くはありません。とはいえ、CDUは私にとっていつだって居心地がよい場所です。CDUは18年にわたり私を支えてくれました。党員の忠誠心や私との連帯なしにはありえなかったことです。党大会に行くことはいつも楽しみでしたし、晩になれば仲間と食事をしながら、延々と話しをしていました。 Spiegel:しかしあなたは、党内のライバルがいかにあなたに対抗したのかについても書いています。男性党員により結成された派閥Andenpaktがあなたのことを「業務上の事故」だとみなしていたと。この時のCDUと、あなたはずっと距離をとっていたのですか。 Merkel:政党とは権力装置ですから、そこには権力争いがあります。Andenpaktに関する私の理解はこうです。彼らは80年代の中ごろから、Kohlの退任に備えていました。彼らにとってKohlの在任期間は長すぎたのです。そうこうするうちに、ドイツが統一し、とつぜん一人の東側の女性がやってきて、闇献金疑惑に乗じて出世したのです。だからといって、党との間に距離があったということにはなりません! Spiegel:一方で、CDUはMerkel時代の方針からは明らかに一線を引きました。 Merkel:国民政党には様々な意見や立場がありますし、18年間の私の首相在任後になれば、異なった方針をもつ人物を求める声があがるのはもっともなことだと思います。何週間か前にCDUが私の誕生日パーティーを開いてくれました。そこで私はFriedrich Merzの健闘を祈ると同時に、声を掛けて言いました。「CDUは私にとって今でも大切な存在です。たとえ今のCDUの政策の重点が以前とは異なり、共感しきれないことがあったとしてもです。」 Spiegel:Merzについて、あなたはこう書いています。「初めから問題はありました。私達はどちらも党首になりたかったのです。」また2002年に、あなたが彼から連邦議会議員団長の地位を奪い取ったとき、Merzは「大変がっかりしていた」と。あなたはMerzとの関係性の中で、過ちを犯しましたか? Merkel:いいえ。どうしてそう思うのですか? Spiegel:Merzは明らかに裏切られたと感じていました。あなたはMerzのようなCDUの有力者を味方の側につけておくべきではなかったのですか? Merkel:それは当時の彼の決断だったのです。2002年に私もEdmund Stoiberとの首相候補争いに敗れましたが、これはなかなか難しいものでした。しかし私は、もしCDUの一部が常に反対派で占められるならば、私達は選挙戦にかつことは難しいだろうということに気が付きました。StoiberはCDU・CSUを私よりもうまくまとめることができたのです。他の人たちも、そこに気づいてほしかったと思っています。 Spiegel:Merzには閣僚経験がありません。また自制心に欠けることがままあるようです。首相職を担えるでしょうか。 Merkel:今Merzは選挙戦を指揮しています。その中で彼は証明することでしょう。 Spiegel:あなたは彼が首相になることを期待しますか? Merkel:彼はいろいろなことをやり遂げてきた人なのですから、それなりの才能をもっているはずですし、能力もあると思います。理由もなく首相候補になる人はいませんよ。 Spiegel:回顧録中、あなたが女性であること、あなたの外見への悪口が重要なテーマとして取り上げられています。あなたに付けられてネガティブなあだ名をこの場で口にしようとは思いませんが。 Merkel:私が政治活動を始めた頃、どうしてそのような攻撃を受けるのかと、心を乱すことがよくありました。そんなとき、Baumanさんはいつも私に言ってくれました。労働社会問題大臣だったNorbert Bluemがどのように攻撃されていたかを見てごらんなさい。Helmut Kohlにいたっては、「洋梨」なんていうあだ名で呼ばれていたのですよ。振り返ってみると、落ち込んでいた私の気持ちに同情しなかったことに、とても感謝しています。政治とは、自己憐憫に沈むようなタイプの人には向いていない仕事です。私がいつも思っているのは、もしキャリアがほしいならば、繊細過ぎてはならないということです。 Spiegel:女性として政府を指揮したいという強い思いが、あなたの原動力だったのでしょうか。 Merkel:政府を率いる意思はありましたし、女性としてそうしたいという気持ちもありました。ですが、女性であることが私の象徴であるなどと大げさに考えたことはありません。私も女性達にがっかりさせられることはあります。女性である私達が常に団結していたということはありませんでした。 Spiegel:あなたは女性として、フェミニストとしてアピールしていたことは決してなかったという印象は正しいですか。 Merkel:はい。ですが、それは意識的に、戦略的におこなったことではありません。何かを話す際に、女性であることを意識してはならないと言われたことはありません。また、「国民の皆さん、ここで言っておきたいことがあります。私は女性です」といつも言わねばならないと考えたこともありません。東ドイツ時代、私は研究グループのなかで唯一の女性研究者でした。私以外の女性は、秘書の方だけでした。ですので、私は多くの男性のなかで自然に振舞っていたのです。 Spiegel:あなたが持つ、女性としてのアイデンティティーと東ドイツ人としてのアイデンティティー。どちらが強いと思いますか。 Merkel:それについては執筆の際に頻繁に議論しました。東ドイツ人としてのほうが強いと思います。東ドイツの生活では、正直でい続けることには相応の勇気が必要でした。別に反体制活動家が持つ勇気のことを言っているわけではありません。それは私の勇気よりももっと大きなものです。私にとって勇気とは、困難な状況でもあきらめないでやり遂げることです。後に私は西ドイツの人々や同僚議員を眺めて思ったものです。もし国家保安局に勧誘されたら、彼らはどうするだろうかと。そのまま勇敢な言葉を使い続けられるのだろうかと。 Spiegel:在任期間が終わる直前のこと、あなたが東ドイツ出身だという事実は「重荷」であると見なされたことを、あなたは批判しました。回顧録であなたは、「長年にわたる東ドイツでの生活では、『自己検閲』なしに会話をすることはできなかった」と書いています。あなたにとってDDR時代は、やはり重荷だったのではありませんか。」 Merkel:DDR時代の過去が、投げ捨ててしまいたいような重荷だったことはありません。それは私の人生の一部なのです。1992年10月3日のある会合で、大学時代のマルクス・レーニン主義に関する必修課題について話をしたところ、ドイツ統一後の数年間に渡って私はジャーナリストたちに追求を受けたことには戸惑いました。「文書はどこだ?」「一体何を書いたんだ?」「見つけたぞ!」と声をそろえて迫ってきました。一部のメディアでは、東ドイツでの私の生活をスキャンダラスな記事を書くために利用しようとしていました。とはいうものの、このような空騒ぎにかまっている時間も余裕もありませんでした。 Spiegel:あなたの首相在任期間中すでに、東部ドイツでは政党のあり方が大きく変化しました。AfDはあらゆる地域に定着しています。SPDは各地で二桁得票率の確保に奮闘しています。新党BSWはどの政治的な枠組みにもあてはまりませんね。連立の形成はますます複雑化し、チューリンゲンやブランデンブルク、ザクセンなどの地域では、不可能な場合も出てきています。 Merkel:むしろ大切なのは、連立可能な政党が、連立形成の可能性を自らつぶしてしまわないことです。 Spiegel:連邦レベルでの黒緑連立を望みますか。 Merkel:私には次のような根本的問題があるように思えます。つまり、Markus SöderをはじめとしたCSUの党員やCDUが、緑の党をこれほどまでに見下したような発言をすることは正しくないということです。もちろん緑の党が持つ政治的な見方は大きく異なるものですし、どんなに慎重に考えても私が同党のメンバーになることはありません。私はCDUの人間なのです。しかし、連立を組む可能性を維持することは大切です。特にノルトライン=ヴェストファーレン州、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州、バーデン=ヴュルテンベルク州では、黒緑連立政権が成り立っているのです。これら各州が上手くいっていないというわけではありませんよね。 Spiegel:政治家はAfDに関する話題を「しつこく」取り上げるべきではないし、「問題解決の具体的な処方箋無しに口先で勝ち誇るべきでもない」と、あなたは求めました。これはCDUに対する指摘ですか? Merkel:いいえ、それはすべての政党に対するメッセージです。特に政府与党です。与党には状況を変化させるに足る過半数の議席があるとはいえ、日々変化を要求し続けることは適切ではありません。また、選挙でAfDに勝つには、ドイツに来る難民の数が多すぎることを手厳しく指摘すべきだと考えている人がいるようですが、このような勘違いをしたら、正反対のことが起きてしまいます。 Spiegel:与党はゾーリンゲンで起きた刃物襲撃事件のような不快なテーマを避けたがっているように聞こえるのですが。あるイスラム過激派が3人を殺害した事件です。 Merkel:そのような意味ではありません。ゾーリンゲンで起きたような襲撃事件は恐ろしいものでしたし、民主政党ならば状況を改善する具体的な手立てについて発言するべきでしょう。とはいうものの、もしイスラム原理主義のテロリストというテーマが何週間にもわたり政治的トピックの全体を左右したり、特に議論の方向性に影響するようなことになれば、それは問題解決にも、AfDの抑止にも役に立たないでしょう。Spiegel:2015年の大みそかにケルンで起きた集団暴行事件や、2016年にベルリンのブライトシャイト広場で起きたイスラム原理主義者による襲撃事件については、あなた自身も書いています。でも、結論を述べることは避けていますね。 Merkel:そうは思いません。その内容を扱う章では、解決策についても取り上げています。とはいえ、極右勢力に対する戦いがNSU(国家社会主義地下組織)の恐ろしいテロ行為を防げなかったように、どんな移民政策もイスラム過激派による攻撃を根絶やしにすることはありません。 Spiegel:そのような犯罪行為は、開かれた社会が人道的であるための代償なのでしょうか。 Merkel:それはシニカルな見方だと思います。とはいえ、どんな自由な社会にも恐ろしい犯罪があります。ドイツでもそれは移民を契機に始まったことではありません。法治国家に厳格さはもちろん必要ですが、さらに大切なのは、私たちの人間としての自由と尊厳という価値観を決してテロリストに手渡してはならないことです。それを許すことは、テロリストの勝利につながってしまいます。 Spiegel:犯人が私たちドイツ社会に根を持つ人物なのか、それともドイツにやってきた難民なのかという違いには、意味がないということですか。 Merkel:意味はあります。だからこそ私たちは、不法移民が状況を左右するような事態を避けるために、ドイツを目指してくる人々に目を光らせている必要があります。 Spiegel:2015年9月のとある週末の日に、あなたは正反対の決定をしていますよ。ハンガリーに留め置かれた難民たちをドイツへと来させたのです。その後、効果的な入国管理なしに、さらに多くの難民がやってきました。 Merkel:その時私は、ヨーロッパの素晴らしい価値観や人間の尊厳などの言葉が形式に陥り、広く信頼を失ってしまうのではないかと考えていました。例えば、ドイツの国境に放水車を配置するような考えはとんでもないことに思えましたし、そもそも何の解決策にもならなかったでしょう。 Spiegel:回顧録の中であなたは当時の状況を、1989年の壁崩壊直前の在プラハ西ドイツ大使館の状況と比較しましたね。数千人もの東ドイツ人が敷地内に逃れ、西側への出国を求めていました。2015年、あなたが難民と連帯したのは、旧東ドイツ体制下でのご自身の経験が影響していたのでしょうか。 Merkel:その時の私の行動は、いつも二つの視点から説明されています。ひとつは、私が国連事務総長のポジションを狙っていたという説です。そのため、できる限り多くの国々から人気を得るために、すべての人々をドイツに入国させたかったというのです。もうひとつは、私が東ドイツ人としてのトラウマに苦しみ、そのために国境問題にセンチメンタルな感情をもっていたというものです。どちらもナンセンスです。もちろん、西ドイツ大使館に逃れた東ドイツの人々に、ドレスデン経由の特別列車での出国が許されたときの光景は、脳裏に焼き付いています。でも、その記憶が2015年の出来事に大きく影響しているわけではありません。 Spiegel:もしドイツ国境の封鎖を可能な限り行っていたならば、防げたイスラム過激派による犯罪があったかもしれないという考えが、心理的な重荷になっていませんか。 Merkel:大量の移民流入やイスラム過激派のテロなどに対する不安感を、いつでも私は真剣に受けて止めています。地域のお祭りに行っても、背後で誰かがナイフを抜こうとしているかもしれないと心配になるならば、実際にはそのような危険性がなくても、不安を感じずにはいられないでしょう。他方、ドイツがあまりにも不寛容で冷淡になってしまうことに不安を感じる人々もいます。首相としては、どちらにも真摯に対応せねばなりません。 Spiegel:国境開放の決断をした数日後に、Spandauにある難民申請者の初期受け入れ施設を訪問しましたね。そこで撮られたのがあの有名な自撮り写真です。難民になることを促すのではないか、との非難が持ち上がりました。 Merkel:笑顔の写真を見たからといって、故郷を去ろうと決心する人はいません。私は東ドイツからの難民を多く知っています。Helmut Kohlとの握手の場面を見たからといって、国を去った人がいると思いますか。 Spiegel:それはちょっと単純化しすぎではありませんか。あなたは親しみやすい首相として、独裁国家から逃げてきた人々の目の前に現れたのです。 Merkel:何か大切なものを諦めなければならなかった人、家族や友人をあとに残さねばならなかった人がいたら、まずは親切に対応しますよね。それは、当然なことではありませんか。彼らがドイツに滞在できるとか、できないとかとは別の話です。ここドイツで、彼らが期待するようなすばらしい生活が約束されているわけでもありません。 Spiegel:その後すぐ内務省では、国境を実質的に閉じるような措置をとることが検討されました。発令が準備され、難民申請者は送り返されるべきだとされました。しかしこの計画は、あなたが阻止したと言われています。 Merkel:当時、そのような命令を目にしたことはありませんでしたが、後日そのことについて書かれたものを読みました。私がThomas de Maizière内相に伝えたのは、国境管理は不可欠ですが、難民を拒否せよということではありません。もし難民申請があれば、それは調査されるべきです。 Spiegel:現在CDUは、まさにこのやり方、つまり国境で難民申請者を追い返すことを求めていますね。 Merkel:私はこの対応を正しいと思ったことはありません。当時、私達は適切に国境管理を行い、その他にも適切な対策を講じました。一定の効果もありました。一方、難民申請を国境で阻止すれば問題全体が解決するというのは、幻想だといわねばなりません。EUは全体としてこの問題を、EU外部の国境で解決しなければなりません。そうしないと、移動の自由と単一市場に悪い影響をあたえるでしょう。これはヨーロッパ統合にとって一歩後退となり、予測できないような結果をもたらしかねません。 Spiegel:あなたが言った「私たちならやれる」という言葉が広まりましたね。でも、過去を振り返った時、理想を持ちすぎていたとは思いませんか。例えば、流入した人々の数やそれらの人々を受け入れるための多大な労力やコストなどに関してです。 Merkel:毎日1万人の人々がやってくることはないと、私にはわかっていました。それで私は、EUとトルコの難民対策合意の交渉を行いました。もちろん難民の流入による問題は生じましたが、ドイツができることは何かを示すこともできたのです。 Spiegel:2010年、Merkelさんは政治家として次のようにもいいました。「多文化主義は完全に失敗」しました、と。 Merkel:その時は感情的に言ってしまいましたが、今同じように発言をすることはないでしょう。ただし、各方面からの努力なくして異文化との共生は可能だというような考えは、大失敗に終わったのです。 Spiegel:各方面からの努力、ですか。受け入れ側の社会が背負うべき義務のように聞こえますが。 Merkel:その通りです。受け入れ側社会が開かれておらず、また変化へ対応する意欲に欠けては、社会への統合は難しいでしょう。多少なりとも他の文化に関する知識を持つことが最低限必要ですし、私は他の文化にいつでも関心を持っています。 Spiegel:今日、あなたが残した政治的遺産について議論するならば、とくに対ロシア政策とエネルギー政策がテーマになるでしょう。そこで、Wladimir Putinについて質問させてください。元KGB将校のPutinは、かつてDDRで出会ったシュタージ将校を思いださせるというのは本当ですか。 Merkel:彼はとても小さな声でドイツ語を話します。昔のシュタージの将校も、そのように話していたのです。私はそれに気がつきました。 Spiegel:2000年に、あなたは初めてPutinに出会いました。彼は計画どおり物事を進めてきたのでしょうか。それとも彼は徐々に急進化していったのでしょうか。 Merkel:私は、彼に幻想を抱いたことは決してありません。彼は常に独裁的で、自己を正当化する態度に私はよくイライラしたものです。でも、大統領に就任した2000年当時、彼がウクライナ攻撃計画を考えていたとは思いません。そこには状況の変化があったのです。この変化に際して、西側の私たちは適切に対処できていたのか、考えてみる必要があるでしょう。 Spiegel:正しく対処できていたのでしょうか。 Merkel:はっきりと答えることは難しいです。でも、明確に言えることもあります。Putinがウクライナを攻撃したことを正当化できる理由は、昔も今もないということです。とはいえ、西側がもっと結束していればよかったことに間違いありません。私たちは強くなれたかも知れないのに、それほど力を発揮できませんでした。 Spiegel:そのような結果になった原因には、あなた自身も含まれていますね。アメリカといくつかの東ヨーロッパの国々は、2008年のブカレストにおけるNATO首脳会議で、ウクライナを防衛同盟にスムーズに加盟させる意思がありました。でも、あなたはそれを阻んだのですから。(SPIEGEL 38/2023)) Merkel:ブカレストでは、ウクライナとジョージアを加盟候補国とするアクションプランの採択を議論しました。私には、希望的観測にもとづく政治的議論だったように見えます。アクションプラン採決からNATO加盟が実現するまで、数年もの期間が必要であることを念頭に置いていませんでしたから。この暫定的期間を脅威と捉えることなく、Putinは傍観し容認していたとは思えません。だとすると、何が起こりえたのか。2008年当時、NATOが軍事介入をしていたとは考えにくいですよね。もし介入していたとすれば、ウクライナにもNATOにも、どんな結果が待っていたか想像できると思います。私はそのことを慎重に検討したのです。 Spiegel:それがNATOを分断させた原因ですか。 Merkel:それは違います。アメリカの方針反対したからといって、それが分断を引き起こした原因だとみなされるのはなぜでしょうか。当時私は、加盟候補国になることには反対しましたが、ウクライナとジョージアがいつの日にかNATOの一員になることを原則的に認める、という点で妥協したのです。とはいうものの、私達はこの立場で孤立していたわけではありません。フランスをはじめ多くの国々が同じ意見でした。 Spiegel:ブカレストにおける対応を理由に、この戦争に対する責任を不当に負わされたのだと感じますか? Merkel:そう感じる、というよりも、実際に不当に責任を負わされているのです。例えばSelenskyjはブチャでの虐殺事件後、元フランス大統領Sarkozyと私に、ブチャへの訪問を要請しました。これは明らかに、ブチャ虐殺事件の責任がブカレストにおける私達の対応にあったと言っているのです。 Spiegel:それは不当だと思いますか。 Merkel:戦争が始まっておよそ3年経ちますが、Selenskyjの勇気と決断力には感心させられます。でも、ブカレストのことに関しては反論せざるを得ません。2008年のブカレストにおいてもそうでしたが、私は何度も何度も警告したのです。私は同意していませんが、Putinはソ連崩壊を20世紀最大の地政学的悲劇と捉えています。そして、ロシアの存続に対する現実的な脅威が存在すると理解したのです。彼は、紛争を発生させ、可能な限り旧ソ連の共和国を抑え込もうとしました。私の警告は正しかったのです。実際、2008年には、Putinはジョージアに侵攻しています。 Spiegel:あなたはPutinに、ウクライナのNATO加盟に関する拒否権を事実上認めたのではないですか? Merkel:いいえ。それは当時も今も、一方的な決めつけです。 Spiegel:Putinに何ができるのか、当時はっきりと分かっていたのなら、なぜあなたは対策を講じなかったのですか。 Merkel:そんなことはありません。ロシアとの対立を平和裏に治めるために、できる限りのことは試してみるべきだと考えていました。同時に、NATO二重決定のコンセプトのように、抑止の原則も強化しました。2014年のウェールズでのNATO首脳会議では、すべての加盟国がGDPの2パーセントを国防費に拠出する目標が設定されました。ただ、正直に申し上げると、それを推進しようとする勢いには限界がありました。 Spiegel:ところで、この目標の推進に対するあなたの熱意を鈍らせたのは何だったのでしょうか。 Merkel:ドイツにおいて、その責任の所在がCDUにあったとは言えません。私の内閣における歴代の防衛大臣は、連立与党のSPDと何度も話し合いました。詳細は省きますが、例えば、武装ドローンやドイツにおけるアメリカの核弾頭の近代化などについてです。でも、上手くいきませんでした。 Spiegel:とはいえ、あなたは首相、つまり内閣のボスだったのではありませんか。 Merkel:もちろんそうです。私はボスでした。でも、民主主義におけるボスは制限のある中で権限を行使しますし、それには正しい理由があります。 Spiegel:あなたはPutinを決して過小評価したことはないと主張されていましたね。他方、彼の攻撃的な行動に対して効果的かつ未然に防ぐことをしませんでした。ドイツの防衛力強化も、ウクライナへの武器供与も、ロシア産ガスへの依存脱却もです。この回顧録を読んでも、これらの根本的な矛盾については解消しません。 Merkel:この本を書いても議論が終わることはないだろうなと、執筆しながら考えていました。今となっては、多くの重要な視点が見落とされています。例えば、ウクライナもポーランドも、ドイツへのロシア産ガスの輸入が、両国の領土を経由して通過料を得られる限り、反対していたわけではないのです。 Spiegel:2014年のクリミア併合後も、Putinの戦争資金につながるようなノルトストリーム2によるガス供給計画を推進したのはなぜでしょうか。 Merkel:ロシアが戦争を始めたとき、ノルトストリーム2は一度も稼働していませんでした。今日では、他の国々がプーチンの戦争資金を支えていると言ってよいでしょう。仮に当時、私たち西側諸国が一体となってロシアとの経済的な関係を断っていたとしても、結局は同じ状況になっていたでしょう。 Spiegel:今でも、ノルトストリーム2稼働計画を停止しなかったことは、正しい判断だったとお考えですか。 Merkel:私は、自分の決断が正しかったと考えています。ドイツ経済のために安価なガスを入手することは、私の大切な任務であると考えていました。現在私達は、エネルギー価格の高騰がドイツに与える影響を目の当たりにしています。ロシアとのガス取引の打ち切りに関し、私が政治的に過半数の支持を得ることはなかったでしょうし、ましてや経済界でも賛同されることはなかったでしょう。私は、ノルトストリーム2は政治的にも理に適っていると考えていました。Putinは、一部の歴史家からは修正主義者とも呼ばれています。冷戦後の新秩序の中で、豊かさを分かち合うことを前提に、このような人物と関係を維持する方法はあったのでしょうか。 Spiegel:今日、パイプラインは失敗だったと認めることに抵抗を感じるのはなぜですか。 Merkel:なぜなら、私は現在のような状況になることを阻むべく、全力を尽くしたからです。2015年のミンスクでの交渉の際、私はロシアのウクライナ東部への侵攻を止めようとしました。また当時の私には、経済関係の中断を、このタイミングで宣言することは賢明ではないと思われました。経済的なつながりは、Putinにとっても重要だったからです。ついでに言えば、私はヨーロッパで孤立していたわけではありません。EU諸国を何度も説得し、少なくともいくつかの制裁を課すことで納得させることは困難でした。 Spiegel:クリミア併合後、ウクライナに対する武器供与に反対だったのはなぜですか。 Merkel:ウクライナ国内では、ロシア軍をウクライナ東部から武力で排除すべきではないかという深刻な議論がありました。私は、成功の見込みがあるとは思っていませんでした。他方、私はウクライナを無防備な状態にしてはならないということも理解していました。これはまさにジレンマでした。最終的にドイツからは武器供与を行いませんでしたが、NATOのあらゆる取り組みには全面的に協力しました。 Spiegel:首相としての任期の終わるころ、あなたの危機管理は評価されました。しかし、メルケル時代は、チャンスが十分に活かされなかった時代でもありました。デジタル化の停滞、インフラの老朽化、エネルギー転換の遅延などです。これらのテーマには回顧録で触れられていますが、それに関する説明は見つかりませんでした。 Merkel:私は16年間首相を務めていたので、ドイツの良い面もそうでない面も、ある程度私の責任といえるでしょう。もちろん、すべてが満足のいく結果だったわけではありませんし、不十分な点もありました。連邦と州との相互協力が欠かせない連邦制には、常に課題があります。デジタル化の成功には、各自治体の首長も連邦首相も一致団結して推進する力が必要です。私の任期中にはこれが欠けていました。そうですね、それは「Merkelの責任だった」と言われても仕方がないかもしれませんね。 Spiegel:今後の予定について教えてください。 Merkel:楽しみにしていることが沢山あります。旅行したり、友人に会うことです。読書をしてリラックスしましょうか。わたしはこの回顧録が、若者たちと民主主義や連邦共和国の歴史について、また、歩み寄ることの大切さについて話し合うためのよい出発点になるのではと思っています。私はどんな政治家も「他党からのものであれ自党からのものであれ、異なる意見に対して寛容でいられるだろうか」と自問しなければならないと考えています。政治家が模範を示すことで、人々もお互いに耳を傾けあうようになるのです。 Spiegel:あなたの側近であるEva Christiansenは、アメリカに行ってBarack Obama財団の活動を視察しました。あなたにも同様の計画があるのでしょうか。結局、回顧録のおかげであなたはもうすぐ億万長者になるのでしょうから…。 Merkel:Obamaさんのように、そんな大がかりなことが私にできるとは思っていません。どうなることやら。 Spiegel:Merkelさん、インタビューにご対応くださりありがとうございました。 出典:DER SPIEGEL Nr.48 / 23.11.2024
2025年08月12日
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