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初期ウルトラシリーズの名作「ウルトラセブン」において、地球防衛軍の熱血漢を好演していた元俳優でアクターズプロモーション社長の阿知波信介さん(本名:信雄 のぶお)が4日に亡くなられた。葬儀は近親者のみで行われたそうである。60年代から多くの作品で快活な若者役で活躍されていたが、三船プロ入社後マネージャーに転身。80年代以降は多くの俳優を擁するアクターズ社長として有名で、一時期は女優の多岐川裕美さんとも結婚なされていた。数多い所属俳優陣には初代ウルトラマンで知られる黒部進さんとその娘の吉本多香美さん(ティガに出演)というのも何やら多くの俳優に慕われた社長ならではか。個人的には麻丘めぐみや秋野ヨウコのイベントPAを担当した際に会場で恰幅のいいスーツ姿とあの笑顔を見かけたのが思い出される。スタッフ達が「ソガ隊員だ!」と騒いでいたことも・・・今夜のTOKYOMXテレビで放映されたウルトラセブン「第四惑星の悪夢」は奇しくもソガ隊員が主人公となるエピソードだった。ご冥福を御祈り致します。阿知波信介:主な作品映画血と砂(1965)太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965)殺人狂時代(1967)連合艦隊指令長官 山本五十六(1968)肉弾(1968)待ち伏せ(1970)赤毛(1969)激動の昭和史 沖縄決戦(1971)郷愁(1988、制作)樹の上の草魚(1997、製作協力)他TVウルトラセブン怪奇大作戦青春とはなんだ東京バイパス指令戦え!マイティジャックコートにかける青春他
May 7, 2007
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とはいっても質問してお答えをいただいただけなのですがw1967年、ロンドンでFleur De Lysが活動していた時代。ゴードン・ハスケルたち彼らは、「Hold On」という楽曲をRupert's People名義でシングルを発売し、直後にはシャロン・タンディのシングルでも同曲を演奏していたのでした。またこの歌はいくつものバンドにもカバーされており、中でもかれらFDLがシングル盤でバック演奏していたことのあったJohnny YoungはLPでホールド・オンをカバーしていたのでした。FDL関連ディスコグラフィーには載ってはいないアルバムでしたが、中古市場におけるジョニー・ヤング名義のLPではこの歌を収録しているSurprises(1968)のみが異様に値段が高くて今まで入手もかなわず謎の一枚のままでした。LPは長年入手できませんでしたが、問題のヤングがカバーしたホールド・オンのみがコンピ盤で聞くことができました。ルパーツ・ピープル版のオリジナルテイクをよく再現したカバーヴァージョンであることが判ったので、作曲者であるブリン・ハワースさんに質問してみました。彼からは「お便りありがとう。ジョニー・ヤングのを聞いたけど、演奏は僕らFleur De Lysじゃないんだ。とてもいいカバーだと思うけどね。」とのお答えをもらいました。ブリン・ハワースとゴードン・ハスケルがスタジオで急遽仕上げた楽曲ホールド・オン。多くのレコードではプロデューサーがブリンの名前を外してクレジットしてしまってました。ただし、このジョニー・ヤングによるカバーでは両名の名前が綴りに間違いがありながらも作者としてLPジャケットに記載されてます。めったに市場に出ないLPで長い間謎のままでしたがあっさり謎が解明されてしまいましたwもちろんブリン様には丁重にお礼をしておきました♪
Aug 3, 2018
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ELPがマンティコア・レーベルを立ち上げた70年代前半、日本盤も出ていたストレイドッグ。ワイルドでねちこくて、その癖構成力にずば抜けたアルバムが今でもマニアに人気だ。そのストレイドッグでセクシーなヴォーカルと唄いまくるギタープレイを聴かせていたスナッフィー・ウォルデン。バンドが短命に終わったあとは、Keith ChristmasのStories From The Human Zooやらラビットのソロアルバムとかエリック・バートンからみで名前を見た限りで何しているのかさっぱり判らなかった。どうやらスティーヴィー・ワンダーやチャカ・カーン、ドナ・サマーといった一流どころとの仕事をしたり、CMの仕事を手掛けていたようだ。その後映画やドラマの劇伴の音楽家になったようである。彼の公式サイトを見ると過去から現在までのその活動歴が見て取れるが、劇場映画あり、ドラマあり、ウィンダムヒルでリリースしているイージーリスニングありと、往年のあの野獣の様なスナッフィーを期待するとかなりスカされる。しかし、元気で何よりではある。The Official W.G. Snuffy Walden Websiteエミー賞の受賞歴が凄い。ところで、ストレイドッグのライブが収められたCD(ブート?)が出ているそうな。以前から気になっていたがまだ未聴。そそられます。YOUTUBE動画Stray Dog - Tramp (How It Is)そして近年のステージ活動の動画L.A. Blues Alliance - "What A Life"おもいきりブルースバンドですw 彼の公式サイトでは往年のストレイドッグ共々近年のバンドで出したCDも紹介されています。ファンの方は是非一度見てみてください。
Nov 29, 2008
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1970年代、漫画雑誌の少年チャンピョンが絶頂期だった頃があった。ブラックジャックやドカベンなどに混じって連載をしていた作家に「あすなひろし」という涼やかな美しい画風の漫画家がいた。マンガ少年で当時に活躍していたひらがなのペンネームの「ますむらひろし」じゃありませんのでご注意。今から20年ほど前にあすなさんは表舞台から去り、2001年にお亡くなりになっていたのを最近知った。近年復刻本の流れで彼の作品が再評価されている。いかにもあの時代の雰囲気を感じさせる絵柄が懐かしい。あすなひろし追悼公式サイト
Feb 6, 2007
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梅雨が明けて一気に夏らしい暑さが連日続いています。家のネコも涼しい道具置き場でグタ~っとのびております。こんな天気に表で二日ほど大汗をかいて、ふと顔を洗っていると、自分の顔が引き締まって小顔になったのが判るほど。さて、赤坂のサカス広場で開催中のNatsu Sacas'09では、隔週の日曜日ペンギンがお目見え。以下の写真は19日の様子。今後予定されているのは8月2日(日)8月16日(日)8月30日(日)。夕方には虹が・・・
Jul 20, 2009
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先月当ブログで2008年に亡くなられたティノ・リチニオさんを取り上げました。まだ10代のロバート・フリップやゴードン・ハスケルの学生バンド仲間で、レイヴンズやリーグ・オブ・ジェントルメンではリーダー格だったとか。 60年代半ば、バンドが他の連中と喧嘩した際にロバート・フリップが止めに入ってクチを引き裂かれ大怪我をした事件で、その時喧嘩していた張本人がこのティノさん。バンドリーダーとしてよほど腹に据えかねる事があったのかもしれませんね。彼も顔中ボコボコにされたそうですが、この事は陰に隠れてみていたゴードンの証言としてシド・スミスさんのクリムゾン本に収録されてましたね。 そんなティノさんと、フィールズ参加でも知られるアラン・バリー、そしてグレッグ・レイクとバンドを組んでたジョン・ディッケンソン。このボーンマス出身三人が組んで1977年に出したアルバムが、今回紹介する一枚。(2015年4月追記、英国での発売は1977年年末だったようです。日本盤や諸外国のは、もしかすると78年発売かもしれません。米国ビルボード1978年3月にハーベストレーベル広告で掲載を確認したのでアメリカ盤はその時期に出た可能性があります。)King Harry - Divided We Stand (1977)EMI EMC 3188 (EMI Japan EMS-80968)Side 1Fighting Talk (Dickenson, Licinio) You Stand Accused (Dickenson) Keeping The Peace (Licinio) Grandpa's Farm (Dickenson) Side 2Dear Mathew (Dickenson) Can You Hear The Music (Licinio) Dressed Up To Kill (Dickenson) Endless Miles (Dickenson) King Harry:Engineer, Keyboards, Producer, Vocals : John Dickenson Guitar, Bass, Vocals : Tino Licinio Lead Guitar, Bass, Vocals : Al Bowery Drums : Harold King Recorded At Movement StudiosMixed At Movement Studios King Harry Family Tree (※その後情報が出てきた分にて2025年7月21日加筆修正Ver.53)PDF版https://chop100.doorblog.jp/King%20Harry%20202507.pdfこのファミリーツリーは、かなり大きなPDFなのでダウンロードしてからみられることをお薦めします。情報を整理する為に作った上記のファミリーツリーで、彼らがどれほど複雑な人脈を絡ませていたかその一端を見られると思います。ただしあくまでもキング・ハリー中心なことを予めご了承くださいw(※ファミリーツリー編集時にグレッグ学生バンド時代の不明な点をツイッターにおいてKimmyさん、シャイ・リムズにフリップが関わった情報をにゃん玉99さんに、ザ・シェイムのシタール奏者をグレッグ・レイク・ウェブサイト管理人様他様々な方にそれぞれ提供していただきました。ありがとうございます。2015/4/10) レコーディングは、中心人物ジョン・ディッケンソンの作ったムーブメントスタジオ。ここでEMIに売り込む際のデモ録音を行い、そのテープがバンドが契約を勝ち取れた理由だとされています。 これが日本盤出てたんですねー。先月発見したときも驚きました。邦題が「音楽への招待」。ライナーを読んでみましたが、ライターさんもバンドがどれほど多くのプログレ人脈に結びついてるか当時知る由も無かったのか、全くの新人バンドとしてみて文章書いてますね。今読んでもインタビュー以外に情報源としての価値が乏しいですが、それでも出てたのは凄いw 77年の日本でですよ? ライナーではニューウェーブの登場で強者だけが生き残る時代に、こんなポップバンドを出すEMIという書かれ方をしてます。EMIが当時出していたバンドを引き合いにレーベルの独自性が解説され、キング・ハリーの紹介はほとんどありません。情報が無いから仕方ないですがw こちらは欧州盤シングルのジャケ写真 左からティノ、ジョン、アランと並んでいるようです。とにかく、3人とも有名なミュージシャンと古い関わりがありながらも、主流から外れた人物ばかりで情報というものが皆無に近いです。歴史に埋もれるというより最初からほとんど注目もされてこなかったということでしょうか。 スタジオを自ら作り、アルバム制作の全てを仕切ったのがジョン・ディッケンソン(キーボード・ヴォーカル) 彼はグレッグ・レイクの学生時代からのバンド仲間で、レコードデビューをグレッグと共に1967年のThe Shameで果たしてるのが知られてます。後に再編したバンドはShy Limbsとなりドラマーにはキング・クリムゾン加入前のアンディ・マカロックがいたりした初期クリムゾン周辺人物ですね。シャイリムズでは重厚サウンド作りをシングル二枚に残してましたが、このキング・ハリーにも所々のオルガンの音色などその面影をサウンドに残しています。アルバムでも多くの曲を書き上げてます。 次にティノ・リチニオ(ギター・ベース・ヴォーカル) 彼は、ロバート・フリップやゴードン・ハスケルと学生バンドを組んでいた事で知られますが、実はこのレコード以外に彼の関わった作品を知りません。レイヴンズからリーグ・オブ・ジェントルメンと活動した後、丸11年の間の活動歴が不明です。ただ、日本盤ライナーにはEMIからのプレスリリースを参考にしたのか、キング・ハリーの三人は「ボーンマウス」というバンドを過去に組んでいたと書かれてます。アルバムでは3曲に作者クレジットがあるので、それらの曲を歌ってるのは彼ティノ自身なのかもしれません。拙作ファミリーツリーに書いてあるように、彼の「ティノ」という呼び名は「ヴァレンティノ」のティノだけ抜き出した呼び名です。(2015年4月追記。本稿の最後に、その後判明したリチニオとバリーのバンド、アクトレスを紹介しています。) 最後にアル・ボウリー(リードギター・ベース・ヴォーカル) 彼のプレイがプログレファンには一番なじみがあるかもしれません。彼はフィールズに参加したアラン・バリー本人であり、ゴードン・ハスケルがインタビューで「世界的な腕を持ちながら注目されなかった悲運のギタリスト」と称してた人物。ハスケルのセカンドソロアルバム参加でも印象的なプレイを残してますが、実はハスケル自身がアルバムに呼び寄せたことが後のインタビューで判明してます。このキング・ハリー参加時には綴りを60年代初期にジャイルズ兄弟と共に在籍してたダウランズ時代の名に戻しています。アルバムではコーラスが多いのですが、一部アランがリードヴォーカルらしき部分も後半に聞き取れます。フィールズの「イーグル」で聞かせた苦もなく高速パッセージを弾きこなす一面は、このキング・ハリーでも健在です。またスライドプレイも披露しています。 ドラムスのハロルド・キングはスペシャル・サンクスあつかいで、正規メンバーでは無いようですが、彼もこのアルバム以外に活動した痕跡の無い謎の人物です。(2015年2月追記、セッションドラマーを何人か使ったとの事で、その総称としてのハロルド名義だそうです。アランスミシーみたいなものとでもいうかw。)(2017年8月23追記、キング・ハリーの制作を手伝った事をサポートドラマーだったデイヴ・ミューラー氏にFacebookで確認済。) アルバムの印象を海外では「パイロット」や「10CC」と比較しているひともおりますが、華やかさはあってもパイロットほどの洗練されたサウンドではないですね。誰かが黙って「これイタリアのバンド」なんていって聞かせたら信じちゃうかもしれない、そんな妙な明るいサウンドカラーを持っています。日本盤での各曲タイトルはSide1 1 ファイティング・トーク 2 哀しみの人生 3 優雅な気分 4 農園の想い出 Side2 1 ディア・マシュー 2 キャン・ユー・ヒア・ザ・ミュージック 3 最高の気分 4 終わりのない道 このアルバム、CD化されていない・・・と思ったらなんとロシアでCD化していました。毎度の事ながらロシア恐るべしw ただ日本に入荷しているのかは不明です。LPはebayやGEMMといった海外通販で、今でも格安で購入できます。アルバムは英盤と欧州盤など様々、シングルも各国で出てたようですね。このバンドがどの程度まで活動したのか?その後の様子はわかっておりませんが、リーダーのジョン・ディッケンソンはその後自身のスタジオで80年代以降も多くのバンドをプロデュースしていたようです。フィールズでみせたアラン・バリーのプレイを期待すると歌モノ中心のポップスに期待を外された感じを受けるかもしれませんが、よーく聞き込むと彼ならではのギタープレイ、独特なメロディ感覚が感じ取れるでしょう。パンクが芽吹いてベテランが冷遇された時代、ギリギリのタイミングでよくもアルバムを残せたと思います。You Stand Accused (Dickenson)おまけ動画:ディッケンソンがグレッグ・レイクやアラン・バリー、アンディ・マカロックらとシングルを出したShy Limbsは、二枚のシングル盤を残してます。シングルA面の曲はどちらもプログレ臭がかなり濃い作品で海外でのプレミア価格も相当高いようです。Shy Limbs - ReputationShy Limbs - Lady in Black (1969) 2014年8月24日追記:1969年2月にアラン・バリーとティノ・リチニオ、そして元リーグ・オブ・ジェントルメンのドラムス、スタン・レヴィが組んていたジ・アクトレスで発表したシングル曲です。THE ACTRESS - IT'S WHAT YOU GIVE (14 Feb 1969)Shy limbsとLeague of gentlemen人脈がKing Harryへと至るキーパーソンがアラン・バリーだったのでしょうね。THE ACTRESS 関連記事http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201408230000/※2015年10月追記紙ジャケットCDとしてめでたくリイシューされました。※2017年5月追記当時の映像が見つかりました♪King Harry - Dear Matthewこちらも同じ内容の動画ですが予備でw追加情報は以下にてhttps://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201705210000/
May 19, 2012
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エディが若かりし頃からのファンとしては、これからの彼のバンド活動再開を心待ちにしているところですが、彼のUK時代を思い起こす時欠かせないのが、ヤマハCS80でしょう。ポリフォニックシンセサイザーがぼちぼち出始めた頃、まだ2音や4音ポリの機種が多い中に、いきなりドーンと100kgの凶悪なボディで登場したCS80。わざわざ触りにあちこち都内をうろついたものでしたw今のデジタルキーボードからすれば馬鹿らしいほどのデカさと重量ですが、今の楽器には無い面白い機能が色々ありましたね。今回、Stage6という動画サイトで、エディがCPとCS80を弾きまくる動画を見つけてきました。Jethro Tull - Bachrock 1 (1985)動画の右のリンク欄にはパート2もあるのでお楽しみに♪※ご覧になるには、フリーウェアのDivxをインストールしていれば、視聴が可能です。
Oct 20, 2007
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長年求めていたCDでようやく入手できた。昔LPを手放して以来四半世紀以上たってしまった。。。ストーリーズ、70年代の始めのニューヨークのアートロックムーブメントに短いながらも鮮やかな軌跡を描いた名バンドであった。66年のWalk Away Renee等の大ヒット曲を放ち今もカルト人気を持つレフトバンクの元メンバーであったブルックリン育ちのマイケル・ブラウン(本名マイケル・ロフコフスキー:Keyb)が、旧友のイアン・ロイド(本名イアン・ヴォンコンシグリオ:Vocal/B)と新たなグループを計画し、ニューヨークでスティーヴ・ラヴ(Guit)とブライアン・メイディ(Dr)を迎えバンド設立。カーマストラと契約し2枚のアルバムと世界的な大ヒットシングル「ブラザー・ルイ」で成功を収めたかにみえた。(ブラザー・ルイはオリジナルがホットチョコレートによる名曲であるが、当時世界的にカバーされており、中でもストーリーズの物は全米1位も記録している。日本に置いてもザ・ベストテンの前身の久米宏と小島一慶のラジオ番組において年間チャート7位にランクされた。ちなみにその年の1位がカーペンターズのイエスタディワンスモア。)バンドデビュー時にはツェッペリンのサウンドにロッド・スチュワートの歌声等と宣伝もされたストーリーズだが、元々ブラウンもイアンも英国のマージービートに多くの影響を受けただけにサウンドアプローチには英国的な解釈を数多く聴きとれる。この後、中心メンバーのマイケル・ブラウンの脱退によりバンドは再編成を余儀なくされる。ブルックリン生まれの達者なベーシスト、ケニー・アーロンソンを迎えイアンはヴォーカルに専念。ブラウンの後任のキーボードにはデトロイト出身の実力派ケネス・ビッチェルが加入した。本アルバム Traveling Underground は、バンド名をIAN LLOYD & STORIESとし、再出発を計る通算3枚目のアルバムとなった。この3枚目では大胆なアレンジメントとカラフルで変幻自在なサウンドが、バンドの新たな意気込みを感じさせている。IAN LLOYD & STORIES/Traveling Underground (米Kama Sutra)-1973CD再発は1993年 カナダ ONE WAY RecordsIan Lloyd : VacalsSteve Love : GuitarsKenneth Bichel : Keyboards, ARP Synthesizers, MellotronBryan Madey : Drums, PercussionKenny Aaronson : BassプロデュースはバンドとKenny kerner&Richie wiseシングルカットされた4、5曲目がKenny kerner&Richie wise1、BRIDGES(I.Lloyd)イアンの手によるアルバム冒頭を飾るドラマティックな名曲。ビッチェルの華麗なピアノから始まり、ラヴのうねる様な艶っぽいギターが印象的。エンディングのピアノとバンドの絡みは当時のELPのトリロジー等も連想させる。2、SOFT RAIN(S.Love,I.Lloyd)イントロでラヴの奏でる美しく重層的なアコースティックギターはグレッグ・レイクっぽくもあるが、歌が進行するとブリッジで一転、アメイジング・ブロンデルぽいアープの使い方が英国風の淑やかささえ感じさせる。メイディのドラミングはマイケル・ジャイルスっぽいかもしれない(笑)。3、HARD WHEN YOU'RE SO FAR AWAY(S.Love)ダイナミックでワイルドでたたみ込むドラミングソロのイントロ、カウントからバンドが一斉に演奏を開始するとまるでイタリアのPFMのような細やかなパッセージの応酬へと展開する。リズムセクションが鮮やかにさらりと淀み無く変化し、その実力の高さを意識させない。しかし楽曲の完成度もアルバム中1番かも。ビッチェルのアープのフルートサウンドがクリムゾンの宮殿風なのは彼なりのオマージュか。4、IF IT FEELS GOOD,DO IT(J.Stevenson)、シングルカット用にプロデューサーサイドで用意された楽曲なのかもしれない。黒人教会の日曜礼拝でのゴスペルの大合唱の盛り上がりを想像させるような乗りの良いシンプルなナンバー。イアンのシャウトが曲にハマッている。5、MAMMY BLUE(Giraud/Trim)ポップトップスのヒットの他にも世界中で多くのアーチストが取上げた名曲。マネージメントサイドでは彼らに「ブラザールイ」の夢よもう一度と歌わせたのだろうか?以前のストーリーズっぽいサウンドであり、アルバムのプログレ臭濃密な作品群の中ではかえって浮き上がって聞こえるから面白い。演奏のタイトさとブルージィな歌声はこれはこれで味わい深い。ストリングアレンジはラリー・ウィルコックスでいかにも70年代初期の風合い。6、STORIES UNTOLD(I.Lloyd)LP発売時にはB面1曲目だった。サビの盛り上がりでグイグイ引っ張るイアンの歌声がストーリーズの真骨頂。アルバム全体に言えるがメロトロンの使い方は割と控えめであるし、オルガンもさほど前面ではない。リック・ウェイクマン顔負けのビッチェルの煌びやかなプレイは、やはりピアノやハープシコードやクラビネットの使い方の巧さによく顕われている。7、I CAN'T UNDERSTAND IT(S.Love)ラヴの手による73年当時のリアルなストレートロックナンバー。当時を知る世代には懐かしさも思い起こさせるギターアレンジである。ギター・ベース・ドラムスの演奏でシンプルに構成されておりビッチェルは参加してない。8、EARTHBOUND/FREEFALL(I.Lloyd, K.Bichel)打って変わって今度はビッチェルの華麗なピアノから重厚なオーケストレーションへ導かれる。オリジナルメンバー当時のキャメルや日本のサディスティック・ミカ・バンドの黒船、果ては初期イエスを思わせる繊細なサウンドの綴れ織り。9、TRAVELING UNDERGROUND(I.Lloyd)アルバムタイトル曲はのっけっから重たいリズム隊とシンセの洪水。そしてクールなラブのリフレイン。やはりここでもビッチェルのキーボードプレイのセンスの良さが最後まで聞き物になっている。シンセの使い方が若干色物めいているのは73年というまだシンセサイザー自体が珍しかった時代ゆえか。ちなみにストーリーズのアルバムは当時の日本でも全作品発売されていた。アルバムからカットされたシングルは73年にMammy Blue(米50位)、74年If It Feels Good, Do It(米88位)となっている。このアルバム発表後、グループはラヴの脱退から新ギタリストのリッチー・ラノの加入もあったが、程なく崩壊したようである。また、解散後にイアンがソロアルバム(以前取上げました、こちらからどうぞ)を制作するが、その作品がフォリナー結成のきっかけとなったのは以前紹介した通りである。このソロ作品には元ストーリーズのメンバーもかなり関わっており素晴らしいプレイを披露している。バンド解体後は、全員がセッションミュージシャンとしてアチコチに名前を残しており、イアンはフォリナー、フォトメイカー、イエス、ピーター・フランプトン他に自身のソロ。ビッチェルはホール&オーツ他、ラヴはジャニス・イアン等他のメンバーも様々な作品に足跡を残している。現在CDでさえ入手の難しいストーリーズの一連の作品ではあるが、この作品だけは現在アマゾンで新品在庫が出てきたようでまだ若干あるようである。中古CDでとんでもない高値で買う必要はないですな♪ベスト盤に5万とか馬鹿げた値段付いていたのには驚かされたものね。音が悪いけど試聴も出来るアマゾン内のこのCDの販売ページはコチラから============================余談:ちょいと前に取上げたHUNTER MUSKETT の再発CD新宿ディスクユニオン・プログレ館にありました(汗)「名盤!」と書いてありましたが至極当然のことであります!
Jul 26, 2006
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1960年代初頭からアマチュアバンド、ザ・ジャガーズでドラマーとしてのキャリアをスタートしたイアン・ウォーレス。1964年レコードデビューを控えたジョン・アンダーソンらのザ・ウォリアーズに引き抜かれレコードでもプレイしました。奇しくもそのレコードを手掛けたのが、後にジャイルズ、ジャイルズ&フリップのオーケストレーションを担当したアイヴァー・レイモンドという因縁もあるシングルでした。ウォリアーズはメンバーチェンジをしつつ1967年夏まで活動。その後ジョンは一時ソロ歌手へ、チャットンはフィル・コリンズとフレイミングユースへ、残されたイアン・ウォーレスとベースのデイヴ・フォスターは西ドイツで度々共演していたビッグ・サウンドへ加入しました。ただ、当時の資料がこれというものが今までありませんでした。今回、当時のメンバーの御家族がビッグ・サウンドの貴重な画像を公開されていたので、貼らせていただきます。画像下に、イアンとデイヴが並んでコラージュされてます。この後、バンドは元ウォリアーズギタリストのロドニー・ヒルを加え新バンド、スリーピーへと再編され初期ソフトマシーンぽいサイケなシングルを60年代末に残しました。当時のイアン・ウォーレスはジョン・アンダーソンとルームシェアしていたそうで、ビルが一時抜けてた最初期YESでも一晩叩いたそうで、「うちに入らないか?」と勧誘されるもスリーピーにいたイアンは固辞したそうです。サンディ・ショウのレコーディングに参加したり、ボンゾ・ドッグ・バンド関連で叩いた当時には、キース・エマーソン宅に居候し、キースの子どものおしめを替えたり、なかなか食えない苦しい時期もあったそうですが、その後キング・クリムゾンのオーディションをキースに紹介され「ああ!これでやっと食える!」と安堵したとイアンは当時の思い出を語ってましたね。2025/8/28追記1967年7月ウォリアーズ解散後、ビッグサウンドへイアンとデヴィッドが加入した時の写真が公開されましたので、以下に貼ります。
Jan 2, 2025
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グレッグ・レイクらとのShylimbsやKing Crimson、Fields、Greensladeなどに参加し60年代末から70年代末に活躍した元ドラマー、Andrew McCullochさん。以前よりたびたび取り上げてきたように彼は現在ヨット指導者として、また観光ヨットの船長として生活しています。最初に確認した当時はギリシャ周辺の海域をテリトリーにしてましたが、近年ギリシャの世情が不安定な為、観光にも深刻な影響があるといわれており、彼の近況がとても心配でした。で、現在アンディ本人が関わるヨット観光の企画自体が一新され、トルコ周辺での観光ヨットとして新たなスタートを切った模様です。なんにせよお元気で何より。Turkey Sailing Holidayshttp://www.turkeysailingholidays.com/
May 13, 2013
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