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今日10/2はマイケル・ジャイルズさんの新譜が発売日ですが、まだうちには届いてませんw英国からなので仕方がありません。そこで最近のマイケルさんの反応をwこちらはトレンドセッターズが2度改名して1967年春にザ・ブレインになった時のお写真についてのコメントです。そしてこちらはオリジナル・メンバーのキング・クリムゾン映像を観ての反応です。
Oct 2, 2026
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キング・クリムゾンの4枚目作品、そしてピート・シンフィールドとフリップの双頭体制最後となったアルバムISLANDS。冒頭に収められたフォーメンテラ・レディの終盤にファルセットスキャットを漂わせた故ポーリナ・ルーカスさん。彼女の詳細な情報は近年も無いようですね。 日本盤LPでISLANDSが出された際に、ライナーには英国でのプレスリリースや記事を参考にしたのか長々とライナー文が書かれていたのですが、その中でもポーリナさんについてはマイク・コットン・サウンズにいた様な記述がありました。でもどう探してもマイク・コットン・サウンド(ズではないw)にポーリナさんがいた形跡が探し出せません。1965年から69年までの間にルーカスという歌手がバンドと共演してシングルも出していたようですが、このルーカス氏は黒人男性シンガー。思い切りソウルフルな声で全く無関係。マイクコットンサウンドにいたと言うライナー情報も怪しくなるわけです。マイク・コットン関連のファミリーツリーにもポーリナさんに該当する人物は見当たりません。 と、ここまではシド・スミスさんのクリムゾン本が出る以前の情報。シドさんの本が出ると、ポーリナさんは「サドラーズ・ウィルズ・オペラ」の歌手だった事が明らかになりました。とはいえいきなりまんま検索すると競走馬の系統名にぶち当たったりしますw 古来英国のオペラ・カンパニーのイングリッシュ・ナショナル・オペラがオペラを上演している訳ですが、このナショナル・オペラという名称になったのが1974年。それまではSadler's Wells Opera Companyと言われていたそうです。つまりポーリナさんは、ちゃんとしたオペラ歌手だった可能性が出てきました。オペラ関連の音源はたくさん出ているので彼女の参加した作品のCDなどの音源が残っている可能性もありそうですね。長年の疑問がちょろと解消されました。【送料無料】クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて シド・スミス著価格:2,800円(税込、送料別)
Jul 8, 2012
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日本のロック界において偉大な先人でした。ご冥福をお祈りいたします。
May 5, 2018
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キングクリムゾンのメンバーが日本のアーチストに関わった例は色々あったが、中でもセッション活動の多いメンバーほどその回数は多い。古くは山口百恵のアルバムでのゴードン・ハスケルや野口五郎のライブに参加していたトニー・レヴィンから、坂本龍一やTOKIOのアルバムのエイドリアン・ブリュー、BOWWOWでのジョン・ウェットンなど、挙げていけば結構出てくるのはマニアの方々ならご存知でしょう。んで、今回はこれまたセッション活動量が膨大で、多岐に渡って活躍するメル・コリンズで、中島みゆきである。夜を往けというアルバムにメル・コリンズの名前がクレジットされているが、その他の今剛や松原正樹といった日本の超一流ミュージシャンたちと名前が列挙してあるだけで、どの曲に参加しているが詳細が判らない。ただ、メル・コリンズ好きな方ならば、そのソロプレイを聴けば一発でわかる彼らしいよく唄う明るいトーンとフレージング。アルバムには表題曲の夜を往けと遠雷の2曲にサックスソロがフューチャーされているが、夜を往けのソロはフレージングが明らかにメルっぽくないしサウンドカラーも違ってるので古村敏比古さんなのであろう。一方、遠雷のソロは結構吹きまくっているが、メル独特の流麗で色っぽいフレーズが続々と紡ぎだされてくる。
Dec 18, 2009
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突然今夜ネットを駆け巡ったグレッグ・レイク氏死去のニュース。悲しい事ですが、彼の公式サイトに友人のヤング氏がかかれた様に現実らしいです。人は歳をとればいつかこの世を去らなければならないのは誰でも判ってはいるのですが、やはり大好きなアーチストの訃報は寂しく悲しいことです。今年は春にキースが亡くなったばかりだと言うのに。 ほんとはもっと自分の思いを整理して様々な功績を、そして追加情報を追いたい気持ちがあるのですが、いかんせん年末で多忙な為それも叶いそうもありません。取り急ぎグレッグ・レイク追悼号として過去作品をまとめました。20MほどのファイルサイズのPDFです。ひと月ほど公開できるサーバーを利用しております。http://fast-uploader.com/file/7036760835518/ サイケデリックが67年に爆発した後、ロックンロール・リバイバルを経て、ロックは新しい地平を目指して爆発的にその表現力を押し広げていた時代だった1960年代末。営業的に大失敗に終わったジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップが新バンドへ進化する過程で、その最終兵器として加入したのが美声のイケメンレイク氏でした。現代に繋がるプログレッシヴ・ロックの開祖とか雛形ともいえる名盤「クリムゾン・キングの宮殿」はレイクの加入無しには誕生し得なかったわけですから、彼の存在がいかに偉大だったかと思わざる得ません。その後のELPでの大活躍もプログレファン層の裾野を広げる結果となりましたね。 欲を言うならば、レイクがマジソンスクエアガーデンで三夜連続、ELPとして公演を行なった日。フリップとの再会でレイクが問いかけた「僕らはいずれまた一緒に演奏するべきだ」という言葉にフリップが即断で否定せずにせめて一回限定でも応えて欲しかったと思ってしまいます。もうその願いは永遠にかなえられなくなってしまいました。オリジナルクリムゾンの一角が、その最大のピースがこの世から去ってしまいました。残念でなりません。 最晩年はガン闘病の日々だったそうですが、電話以外では取材に答える事も無く、その姿を見せなかったのは彼なりの美意識からだったのかもしれませんね。 どうぞやすらかにおやすみください。あなたはとても偉大でした。
Dec 8, 2016
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長年求めていたCDでようやく入手できた。昔LPを手放して以来四半世紀以上たってしまった。。。ストーリーズ、70年代の始めのニューヨークのアートロックムーブメントに短いながらも鮮やかな軌跡を描いた名バンドであった。66年のWalk Away Renee等の大ヒット曲を放ち今もカルト人気を持つレフトバンクの元メンバーであったブルックリン育ちのマイケル・ブラウン(本名マイケル・ロフコフスキー:Keyb)が、旧友のイアン・ロイド(本名イアン・ヴォンコンシグリオ:Vocal/B)と新たなグループを計画し、ニューヨークでスティーヴ・ラヴ(Guit)とブライアン・メイディ(Dr)を迎えバンド設立。カーマストラと契約し2枚のアルバムと世界的な大ヒットシングル「ブラザー・ルイ」で成功を収めたかにみえた。(ブラザー・ルイはオリジナルがホットチョコレートによる名曲であるが、当時世界的にカバーされており、中でもストーリーズの物は全米1位も記録している。日本に置いてもザ・ベストテンの前身の久米宏と小島一慶のラジオ番組において年間チャート7位にランクされた。ちなみにその年の1位がカーペンターズのイエスタディワンスモア。)バンドデビュー時にはツェッペリンのサウンドにロッド・スチュワートの歌声等と宣伝もされたストーリーズだが、元々ブラウンもイアンも英国のマージービートに多くの影響を受けただけにサウンドアプローチには英国的な解釈を数多く聴きとれる。この後、中心メンバーのマイケル・ブラウンの脱退によりバンドは再編成を余儀なくされる。ブルックリン生まれの達者なベーシスト、ケニー・アーロンソンを迎えイアンはヴォーカルに専念。ブラウンの後任のキーボードにはデトロイト出身の実力派ケネス・ビッチェルが加入した。本アルバム Traveling Underground は、バンド名をIAN LLOYD & STORIESとし、再出発を計る通算3枚目のアルバムとなった。この3枚目では大胆なアレンジメントとカラフルで変幻自在なサウンドが、バンドの新たな意気込みを感じさせている。IAN LLOYD & STORIES/Traveling Underground (米Kama Sutra)-1973CD再発は1993年 カナダ ONE WAY RecordsIan Lloyd : VacalsSteve Love : GuitarsKenneth Bichel : Keyboards, ARP Synthesizers, MellotronBryan Madey : Drums, PercussionKenny Aaronson : BassプロデュースはバンドとKenny kerner&Richie wiseシングルカットされた4、5曲目がKenny kerner&Richie wise1、BRIDGES(I.Lloyd)イアンの手によるアルバム冒頭を飾るドラマティックな名曲。ビッチェルの華麗なピアノから始まり、ラヴのうねる様な艶っぽいギターが印象的。エンディングのピアノとバンドの絡みは当時のELPのトリロジー等も連想させる。2、SOFT RAIN(S.Love,I.Lloyd)イントロでラヴの奏でる美しく重層的なアコースティックギターはグレッグ・レイクっぽくもあるが、歌が進行するとブリッジで一転、アメイジング・ブロンデルぽいアープの使い方が英国風の淑やかささえ感じさせる。メイディのドラミングはマイケル・ジャイルスっぽいかもしれない(笑)。3、HARD WHEN YOU'RE SO FAR AWAY(S.Love)ダイナミックでワイルドでたたみ込むドラミングソロのイントロ、カウントからバンドが一斉に演奏を開始するとまるでイタリアのPFMのような細やかなパッセージの応酬へと展開する。リズムセクションが鮮やかにさらりと淀み無く変化し、その実力の高さを意識させない。しかし楽曲の完成度もアルバム中1番かも。ビッチェルのアープのフルートサウンドがクリムゾンの宮殿風なのは彼なりのオマージュか。4、IF IT FEELS GOOD,DO IT(J.Stevenson)、シングルカット用にプロデューサーサイドで用意された楽曲なのかもしれない。黒人教会の日曜礼拝でのゴスペルの大合唱の盛り上がりを想像させるような乗りの良いシンプルなナンバー。イアンのシャウトが曲にハマッている。5、MAMMY BLUE(Giraud/Trim)ポップトップスのヒットの他にも世界中で多くのアーチストが取上げた名曲。マネージメントサイドでは彼らに「ブラザールイ」の夢よもう一度と歌わせたのだろうか?以前のストーリーズっぽいサウンドであり、アルバムのプログレ臭濃密な作品群の中ではかえって浮き上がって聞こえるから面白い。演奏のタイトさとブルージィな歌声はこれはこれで味わい深い。ストリングアレンジはラリー・ウィルコックスでいかにも70年代初期の風合い。6、STORIES UNTOLD(I.Lloyd)LP発売時にはB面1曲目だった。サビの盛り上がりでグイグイ引っ張るイアンの歌声がストーリーズの真骨頂。アルバム全体に言えるがメロトロンの使い方は割と控えめであるし、オルガンもさほど前面ではない。リック・ウェイクマン顔負けのビッチェルの煌びやかなプレイは、やはりピアノやハープシコードやクラビネットの使い方の巧さによく顕われている。7、I CAN'T UNDERSTAND IT(S.Love)ラヴの手による73年当時のリアルなストレートロックナンバー。当時を知る世代には懐かしさも思い起こさせるギターアレンジである。ギター・ベース・ドラムスの演奏でシンプルに構成されておりビッチェルは参加してない。8、EARTHBOUND/FREEFALL(I.Lloyd, K.Bichel)打って変わって今度はビッチェルの華麗なピアノから重厚なオーケストレーションへ導かれる。オリジナルメンバー当時のキャメルや日本のサディスティック・ミカ・バンドの黒船、果ては初期イエスを思わせる繊細なサウンドの綴れ織り。9、TRAVELING UNDERGROUND(I.Lloyd)アルバムタイトル曲はのっけっから重たいリズム隊とシンセの洪水。そしてクールなラブのリフレイン。やはりここでもビッチェルのキーボードプレイのセンスの良さが最後まで聞き物になっている。シンセの使い方が若干色物めいているのは73年というまだシンセサイザー自体が珍しかった時代ゆえか。ちなみにストーリーズのアルバムは当時の日本でも全作品発売されていた。アルバムからカットされたシングルは73年にMammy Blue(米50位)、74年If It Feels Good, Do It(米88位)となっている。このアルバム発表後、グループはラヴの脱退から新ギタリストのリッチー・ラノの加入もあったが、程なく崩壊したようである。また、解散後にイアンがソロアルバム(以前取上げました、こちらからどうぞ)を制作するが、その作品がフォリナー結成のきっかけとなったのは以前紹介した通りである。このソロ作品には元ストーリーズのメンバーもかなり関わっており素晴らしいプレイを披露している。バンド解体後は、全員がセッションミュージシャンとしてアチコチに名前を残しており、イアンはフォリナー、フォトメイカー、イエス、ピーター・フランプトン他に自身のソロ。ビッチェルはホール&オーツ他、ラヴはジャニス・イアン等他のメンバーも様々な作品に足跡を残している。現在CDでさえ入手の難しいストーリーズの一連の作品ではあるが、この作品だけは現在アマゾンで新品在庫が出てきたようでまだ若干あるようである。中古CDでとんでもない高値で買う必要はないですな♪ベスト盤に5万とか馬鹿げた値段付いていたのには驚かされたものね。音が悪いけど試聴も出来るアマゾン内のこのCDの販売ページはコチラから============================余談:ちょいと前に取上げたHUNTER MUSKETT の再発CD新宿ディスクユニオン・プログレ館にありました(汗)「名盤!」と書いてありましたが至極当然のことであります!
Jul 26, 2006
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60年代、ビートルズのポール・マッカートニーが5年間恋人として付き合っていた英国の女優ジェーン・アッシャー。ポールが彼女の実家に居候していたのは有名だが、数々のビートルズ本のなかに彼女の具体的な記述が実のところほとんど無い。これは彼らが婚約を解消した後に、互いに付いて一切言及していない点からきており、当時の様子をうかがわせるのはマジカルミステリーツアーの映像など極一部のみ残されている。見事な赤毛の女性で、上流階級独特の英国婦人らしく育ちと品のよさを漂わせる当時のジェーンの画像は、今でもネット上でいくつか発見できる。現在、ジェーンはロンドンでケーキ屋さんをやっているとか。彼女のお店のサイトを見ると高齢になっても気品と美しさを保つご尊顔が拝める。Jane Asher Party Cakeshttp://www.janeasher.com/
Feb 13, 2011
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先ほどニューヨークタイムズが報じたアランの死亡記事で、死因は心臓発作と報じられました。ロンドンの会長によると娘のルイーズさんが昼食に出て自宅へ戻るとすでに亡くなっていたそうです。以前より心臓病を患っているというニュースが伝えられておりましたが、その悪化が彼の命を奪ったわけですね。遺族によるアランの葬儀費用を捻出する為のクラウドファンディングは現時点で10万ドルを超えました。おそらく十分にアランの葬儀は賄えるようになったと思います。今後我々ファンは彼のベスト盤などを手にすることでご遺族のサポートができると思います。アランの在りし日の姿を振り返りますアランの訃報を伝えた米紙が意外な事実を記事で報じました。彼の実の父親は実は判らないのだそうで(※2018年11月16日追記、その後両親の名の出てる記事では判明しました。アランは母ヴェラ・ホールズワースと父ジョシュア・ホリンズの間に生まれた息子だったそうです。)、SamおじいさんとElsieおばあさんによって育てられたのだそうです。彼の紹介記事ではよく父親がジャズピアニストでと書かれてきましたが、それは実の父ではなく、親代わりだったおじいさんを指したことだったようです。おじいさんもまた労働者でその生活は貧しいものだったそうです。ジャズピアニストというのもセミプロ活動だった可能性が高いです。(右側でおもちゃのサックスを吹くのがアラン)時代はまだビートルズが大人気だった60年代前期、17歳からギターを本格的に始めたアランはいくつかのローカルバンドで演奏を開始します。ルックスが良く地元ではアイドル人気も得ていたようです。(※2018・11・22追記:その後の見つけたいくつかのインタビューで、14歳の時ギターをプレゼントされたの事)この画像、オカッパに近い髪型からして1966-67年あたりだろうか?レコードデビューバンドのイギンボトム70年代初頭のソウルバンド「グレン・サウス・バンド」時代。昼間工場に勤めながら。夜は仲間とバンド活動をしてたようです。イギンボトム時代からの仲間の話ではこのバンドは7カ月演奏していたそうです。(うちアランが参加したのは三か月ほどの模様)翌72年には60年代末英国北部での演奏家ユニオンツアーで同じステージに立ったサキソフォン/フルート奏者レイ・ウォーリーから連絡が入り「まだ演奏しているのかい?」と尋ねられています。工場勤めしながら演奏していたアランをロンドンへ呼び寄せたのも実はレイだったようです。72年春からはレイの家に居候し、彼からおこずかいをもらい、ロンドンのミュージシャンのたまり場で多くのミュージシャンに紹介されていたそうです。その過程でジェイミー・ミューアらとサンシップを組んだり、レイとその仲間たちパット・スマイスと演奏したり、イアン・カー名義のアルバム、ベラドンナのセッションへ参加。アランがクラブ:ロニー・スコッツでのギターフェスティバルで注目されたのは1972年9月13日で確定。噂を聞いたジョン・ハイズマンがテンペストにアランを誘ったきっかけにもなっているギグで、ロバート・フリップがアランを称賛したと言われてます。共演はバニー・ケッセルとジョン・ウィリアムス。ダブルベースにロン・ハーマン、ドラムスにナイジェル・モリス。ケッセルからアランは「どんな弦を使ってるんだい?」と不思議がられたと当時の記事が伝えてました。テンペスト時代1973年、この時点ではまだトレモロアームを使用してなかったアラン。このバンドを抜ける直前、新加入したオリー・ハルソールと共演し、その変態ギタープレイに影響を受けたのでしょう。アランは多くのバンド遍歴を重ねましたが、それは彼が気まぐれだったからというよりも彼のあふれんばかりの才能から、様々なバンドからの引き合いが絶え間なくあったことの裏返しでもあったと思います。実際、彼の70年代のギグ記録を記載したサイトでは常に複数のバンドを掛け持ちしていたことが読み取れました。彼が短期間だけとはいえ一つのバンドにだけ契約で縛られていたのは、UK在籍の頃だけだったようです。ソフトマシーン1974-75ソフトマシンに在籍してた頃もいくつものセッションへと参加してます。トニー・ウィリアムスやジャック・ブルースとの共演。近年公開されたパット・スマイスとの1974年コラボ映像ライフタイム在籍時。このバンドで二枚のアルバムと初ソロ作を制作しツアーも行いましたが、バンドを抜けた時、英国への帰国費用の為、マネージャによってアラン愛用の白のSGが売り飛ばされてしまったそうです。GONGBILL BRUFORDソロアルバム セッションUKBRUFORDジョン・アンダーソンやジャック・ブルースらとのオールスターバンドアラン・ホールズワース・バンド1994年、キアヌ・リーヴスの大ヒット映画「スピード」のサントラにアランが参加してた件について。セッションには参加したが、実際映画を鑑賞したアランには自分の音は聞こえなかったそうです。どうりてサントラいくら聞いてもわからないはずです。一応参加はしたから映画のエンドロールやサントラ盤にアラン・ホールズワースの名が残されてるようですが、彼のソロを期待して映画を見たりCD聞いても彼のプレイは聞けないようです。映画でのクレジットでLが一個足りてないのはご愛嬌という事でw※2018年2月13日追記:アランがギターを始めてからの使用ギターが語られたインタビューから。61年頃最初は何か判らんフラットトップ→カール・ヘフナー・プレジデント→ハンク・マービンに憧れてストラトキャスターを半年→それを売ってギブソンSGをほぼ10年間。(2019年6月15日追記◆最初のSGは赤、イギンボトム解散後に売却し、ヴァイオリンとカールヘフナーのColoramaを購入するも全く使い物にならず。白いSGカスタムに買いなおしたそうです。テンペスト時代に一部写真にあるES-335はヴォーカルのポール・ウィリアムス所有。アランはこれを弾いて気に入り、そのままレコーディングに使用したそうで、その後のソフトマシーン参加時にもレコーディングでSGカスタムとともに使用されたのだとか。)SGカスタムは渡米して初ソロアルバムの頃まで使ってましたが、英国に帰国する際マネージャーに飛行機代として売られてしまったそうなので、そこまでがアランのSG時代だったと言えるんでしょうね。70年代前半画像には他にも335やレスポールを弾く画像が残されてはいますが、彼にとってのメインはこの時代SGであったと言えるのかもしれません。BrufordのころにサブギターながらSGをまたまた弾いてましたね。
Apr 19, 2017
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2015年3月19日に心臓麻痺でこの世を去ったマイケル・ブラウン氏(享年65歳)。 1960年代に、レフト・バンクにおいてそのセンス溢れる楽曲で注目を浴び、70年代には前期ストーリーズでも活躍した作曲家/鍵盤奏者。日本においてもザ・タイガース他GSバンドの多くがカバーした「いとしのルネ」の作曲者として知られていました。 近年は身体が弱り、表立った活動はありませんでしたが、晩年2013年4月にニューヨークでのレフト・バンク・リユニオン・コンサートで登場し、プリティ・バレリーナを演奏している映像が残されています。既に弱りきっており、介添え無しでは登場も出来ないほどでしたが、観客の暖かい拍手に手を挙げて応えていました。The Left Banke w/ Michael Brown - Pretty Ballerina (live) 往年のレフト・バンク映像からTHE LEFT BANKE "WALK AWAY RENEE" 1966 全米チャート最高位5位そして永遠のエヴァーグリーンであり続ける名曲THE LEFT BANKE- "SHE MAY CALL YOU UP TONIGHT" モンタージュとして出したアルバムよりMontage - Desiree 残念ながら以前あったマイケル・ブラウン在籍時のストーリーズTVCM映像が現在無くなってるので、当時の楽曲を。1972年の1stアルバム(全米LPチャート最高位182位)からStories - High and Low 1973年エディー・クレーマーを招聘、バンドと共同プロデュースで制作されたセカンドLP(全米29位)から
Oct 21, 2015
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以前YOUTUBEにあったものよりブロックノイズもなく画質向上の感がありますね♪Eddie Jobson - Turn it Over - MTV 1983 おまけ:ロンリーハートPVからエディの映ってる数少ないコマをキャプチャーwそして
Oct 24, 2016
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仕事から戻り、ぐったりして寝て起きたらキンキンの訃報。愛川さんの元気な姿を見て育った世代としては、にわかに信じられない気持ちです。 声優としてDJとして親交深かった故・野沢那智さんが生前、「元々彼は二枚目で俳優としてエリートだった」と愛川さんの若き日を称していましたが、それでも60年代は俳優としてまだブレイクできずに、おはようこどもショーのロバ君役で着ぐるみに入り、今のふなっしーさながらのハイトーンボイスでキャラクターを演じたり。洋画やアニメ吹き替えでは、ジャック・レモンやスーパースリー、あと有名な物では「いなかっぺ大将」で主人公に指導する猫「ニャンコ先生」で陽気な印象を子供にも残しましたね。ハクション大魔王でのジングル的な存在「それからどうしたの?」の突っ込みおじさんも忘れられません。 そのキンキンが最初にテレビで若者向け情報番組でMCとして活躍したのが、フジテレビで1972年から放送された「リブ・ヤング!」。 そう、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(1972年7月16日)やショッキング・ブルーなど海外ロックアーチストや国内のロックバンドも生出演した番組でした。愛川さんの横に座ったまだ若手タレントだったイガグリ頭の柴俊夫さんをその姿から「すずめ!」と愛称で呼んでましたね。 またTBSラジオでは深夜のパックインミュージックが人気番組に。毎回番組始まりにアドリブで今で言うラップまがいのおかしな「松葉節」を演りましたが、あのバックサウンドの軽快なパーカッションも元パーカッション奏者としての愛川さんの意外な一面でした。また、友人でもあった田宮二郎氏の死去に誰よりも悔し涙を流して惜しんだのもこの番組でしたね。 昼間のTBSラジオにそれ行け!歌謡曲で進出すると、久米宏や平野レミといったキャラバン隊が出張収録で活躍しましたね。一度声優仲間で最初の天才バカボンでパパを演じられた雨森雅司さんが「パパなのだ!」と生放送で飛び入り参加したこともありました。 11PMの司会になると、リブヤング!でも情報紹介役だった今野雄二氏を起用し、ブロンディなど当時の新進洋楽アーチスト出演や、時にはプログレ廃盤特集のような他では考えられない企画も放送されてました。 今現在テレビに多く存在するいわゆるグルメ番組も、彼の「探検レストラン」の大ヒットが深い影響を今日に残していると思います。 情報番組や歌番組、バラエティでもヒットを連発し、俳優としても多くの作品に出演。トラック野郎シリーズはあまりにも有名ですが、彼の初監督作品「さよならモロッコ」も忘れられません。またテレビで主演されたドラマ「東京メグレ警視シリーズ」でのダンディな演技も印象的に思い起こされます。 歌手としてはアニメ関連作品に多く歌声が残されていますが、ソロ歌手としては二枚のアルバムと他にもシングルを発表されており、シュールすぎるコミックソングから、愛川さん作詞の地味深い名曲も生んでいました。死ね死ねブルース愛川欽也 村はずれ その活躍の幅が余りに広く数多く、そして息の長い芸歴ゆえ、一度に彼の功績を思い出すのが難しいと思われる方もいらっしゃる事でしょう。多くの愉快な時間を与えてくれたキンキンに感謝すると共に、今一度その功績を称えたく、僭越ながら今回取り上げさせて頂きました。 お疲れ様でした。そして今までありがとうございました。ゆっくりとお休みください。余談:今から10年ほど前、2005年8月6日放送、アド街ック天国|谷中エンディングでジャイルズ・ジャイルズ・アンド・フリップの「サースディ・モーニング」が掛かっていた。。。と書いたのが10年前の私wイボンヌ・エリマン「愛の食事」での記述でした。忘れていましたよ、読み返すまで。http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/200508060002/
Apr 17, 2015
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元ナイスのリー・ジャクソンが、70年に結成したグループがジャクソンハイツ。1stアルバムは英カリスマから発表されたが、この時のメンバーはこれっきり。2nd以降はヴァーティゴに移籍、メンバーもリー以外は総取替えし、リー・ジャクソン(ヴォーカル、ベース、チェロ、メロトロン)、ジョン・マクバーニー(ヴォーカル、ギター、メロトロン)、ブライアン・チャットン(ヴォーカル、キーボード。元フレミングユース→ジェネシス前のフィル・コリンズのいたポップバンド)のトリオ。新メンバー2人は、ソングライティング能力も高く、ヴォーカリストとしてもなかなかなツワモノなので気持ちの良いコーラスもハイツの持ち味になる。「フィフス・アベニューバス」「ラガマフィンズ・フール」と続けざまに良質なポップ&フォーク作品を発表し、ドラムス等のツアーメンバーを従えてのギグも行っていたようだ(米盤ラガマフィンズ・フールは英盤と違い、ライブ写真を何枚もコラージュしたジャケット)。アルバムではドラムスに元クリムゾンのマイケル・ジャイルスや元オーディエンス(これも良いバンドだったね)のトニー・コナー等が参加していた。通算4枚目となる本作バンプングラインドはラストアルバム。これまでのハイツのアコースティックで爽やかなサウンドからがらりと雰囲気もゴージャスになり、まるでヨーロッパの繁華街を巡るような華やかな作品に仕上がっている。どの曲を聞いてもその明るく楽しくカラフルでユーモア溢れ、それまでに無く録音のクオリティもよい。今回もドラムスにマイケル・ジャイルスとイアン・ウォレスという元クリムゾンの二人。その上、モジュラームーグの貸与と音色セッティングでナイス仲間のキース・エマーソン(ELP)も協力している。ハイクオリティなアルバムを作り上げこれからを期待されたジャクソンハイツだったが、リーダーのリーが元ナイスのブライアンディヴィスンと元メインホースのパトリック・モラーツと新バンド「レフェジー」結成する為、ジャクソンハイツはその歴史を閉じることになった。残された2人は暫く「ハイツ」名義で活動したがその後別々の道を進んだ。ジョンはキキ・ディーバンドやセッション。ブライアンはロックフォリーズやセッション、ベイシティローラーズ脱退後ソロで来日したパットマッグリンバンドでその姿があったようだ。このアルバムも某クリムゾンサイトでこき下ろされたりしていたが、どうもプログレじゃないと駄目みたいですな(笑)そのサイトは。オイラは大好きです。たぶん死ぬまで聴くよん。(CD版が出ているのかどうか知りません。LPだと80年代にヨーロッパで出回っていたフィリップス社のベスト編集盤が比較的に安価で手に入ると思う。)=============================================================■A, 1. I Could Be Your Orchestra (4:22), 2. Spaghetti Sunshine (3:30), 3. Long Necked Lady (3:40), 4. Public Romance (2:40), 5. Bump and Grind (3:30), , ■B, 1. Cumberland County (4:30), 2. It's A Shame (4:25), 3. Ladies In The Chorus (3:10), 4. Whatever Happened To The Conversation (4:03), , (Total: 33'50) / Brian Chatton: vo, pf, clb, org, mel, hc, cels, TubBell, electric pianette, MoogSynthe., John McBurnie: vo, acG, mel, perc,, Lee Jackson : vo, bs, congas, perc, eleVc., +, Mike Giles : ds (A 1, 2, 4, B 1),, Ian Wallace : ds (A 3, B 2, 3, 4),, Roger McKew : eleGuit (B1), Johnny Van Derrick : fiddl (A3),, Billy Bell : banjo (A3),, , Moog Synthe.Loaned and Programmed by Keith Emerson, , Strings Ensemble: 12vn, 4va, 4vc, cb + banjo., solo vn; Johnny Van Derrick, arr, & cond; Ian Green, , Prod. Lee Jackson for Stonewall Productions, EX.Prod. Johnny Toogood ・・・[LP (Vertigo) 6360 092]
May 26, 2005
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前回に続き第三回目です。アルバム「The Cheerful Insanity Of Giles, Giles & Fripp」は、2月26日から5月18日にかけて、ウェストハムステッドのブロードハーストガーデン(ここにはクリケット場があった)にあるデッカ第二スタジオにて録音された。プロデューサーの任に就いたのは元ピート・ベスト・フォーのベーシストだったウェイン・ビッカートン。トリオの奇妙な音楽観に対し、しきりとビッカートンが売れ行きの心配を口にしてたのをグループはこの当時の思い出としている。しかし、彼は心配してたにも拘らずGGFに自由な制作の場を与えていたし、とどのつまり完成の為にはエンジニアのビル・プライスの手腕に負う面が大きかった。(後年、プライスはパンクロックの時代にプロデューサーとして大きな成功を収めた。)レコーディングに際し、幾人もの一流スタジオミュージシャンが手配され、その中の一人にはローリング・ストーンズとの仕事など音楽業界での需要が高かったニッキー・ホプキンスも含まれていた。ピーター・ジャイルズは、ピアノ内部にチェーンをぶら下げたり、ハンマーフェルトに画鋲を打ち付けてサウンドの可能性を探求し続ける熱心な演奏家としての彼を覚えている。アイバ-・レイモンド*はアレンジャーとして、女性グループのザ・ブレイカウェイズをバッキングボーカルに起用した。レイモンドは非常に尊敬されてたアレンジャーで、ダスティ・スプリングフィールドに書き下ろした「I Only Want To Be With You」から「Summer Is Over」までのヒット曲の仕事でも大変有名だった。そして、GGFのアルバムにおいてもサウンド作りに重要な役割を果たしていた。(※4/8追記、アイバー・レイモンド*は、1964年にイアン・ウォーレス、ジョン・アンダーソンらウォリアーズのデビューシングルもプロデュースしてました。)ジャイルズ、ジャイルズ&フリップは、奇天烈音楽の盛り合わせを追及した訳ではなかった。68年当初はビートルズがレディ・マドンナを書くに至ったロックンロール・リバイバルも手伝い、サイケデリック・ムーブメントはあやふやなまま過ぎ去り、GGFがその風潮に悩まされる事は微塵も無かった。アルバム冒頭曲North Meadowは、ピーター・ジャイルズが生真面目な歌詞を試みて牧歌的な子供時代への賛歌を追憶を惜しむ様に具現化している。「目を赤く腫らした太陽があくびすると、草原は目覚め、朝になり、次の一日が始まる」レイモンドによる優美なストリングスとブラスアレンジメントが愛情のこもった歌を盛り上げていく。ピーターのユーモアは二面性が顕著で三つ作品に寄与している。「Digging My Lawn」は忘れがたい一節を持っている。「彼女はドイツ系ハーフ。身体が半分ベッドからはみ出てたが、それが『どちらの半分』だったかなんて言ってる場合じゃない。」トマス・エリオットだってこんなセリフは書けなかった!(※訳注、トマス・スターンズ・エリオット/英国詩人・劇作家)同様の出来となったのが「Newly Weds」。リチャート・ブライアーズとプルネラ・スケールズ主演で人気だったホームコメディ、マリッジラインズ(1961-66)のテーマソングとしても場違いにならない無邪気な夫婦を皮肉った一曲。ピーターの他の曲では・・・「Call Tomorrow」は秘匿された愛情とその感情を抑制する歌で、つかの間の出来事とその報いを入念に描いている。重々しいピアノがジョージ・オーウェル作品を思い起こさせる奇妙な感覚を駆り立てており、「Sunday-minded people of the parish」の一節はまるで小説「牧師の娘」や「空気を求めて」の様であり、保守的な中部イングランドの息の詰まる怠惰と切実でぶっきらぼうな下らない価値観を切り取って見せている。兄のマイケル・ジャイルズが多作のコンポーサーであった事は、あまり知られてないが、アルバムに作品提供で最も貢献したのが彼であった。おかしな16ラインのナレーション「ジャスト・ジョージ」と彼の作った6曲は、自身の才能を何年も磨く為の面倒さを厭わない稀有な性格を示している。「One In A Million」はキンクスの「危険な街角(Dead End Street)」や「ミスタープレザント」とたぶん同じ町を想定しつつも別の日における日常生活の断片を細かく描写いている。「The Crukster」はロバートの巧みなクロスピッキングに合わせるように、ジャイルズ兄弟が頻繁に出会ってきたであろう音楽業界人(ペテン師(CROCK)と広告屋(huckster)=調子だけいい無責任な業界人を示す造語(Crukster?)のキャラクターを描いた詩を詠んでいる。マイケルの気まぐれな作品群において「象の歌 Elephant Song」はおそらく最高の喜劇性をアルバムで受け持っており、シュールな才覚を充分に備えてたピーター・シンフィールド(若くして多作である為の何かを掴んでいた)が、シンフィールド作品(クリムゾン楽曲)サーカスの後日談に流用すべきと思わせるほどだ。「The Sun Is Shining」に例示されてるように、パームコートオーケストラ(※軽音楽楽団)とテンペランス・セブン(※1950年代半ば登場した20年代風の古風なジャズバンド)が出会い、古風なボードビリアン風装飾を加え、彼ら最上の皮肉を行う手法をも知っていた。マイケルは人を食った最高の深さでヴィブラート歌唱を見せており、ブレイカウェイズも同時に彼女らの扁桃腺がブルブル震える様誇張しながらリアルさを添えた。その上にアイバー・レイモンド(アレンジャー)もまたオーケストラでその情緒性をけしかけていたが、過度な感傷主義の甘さに陥る一歩手前に留めている。マイケル作品のメロディー面においては「木曜日の朝 Thursday Morning」が挙げられる。「North Meadow」にも似たもう一つの田園風景に溢れる夏の日に、少女が持ちえる美しさを祝福している。これまで彼らのリード・ヴォーカルはマイケルでもピーターでもなく、両者で同時に可能だと考えてきてたが、この曲への登板でマイケルはその力量を証明している。フリップはアルバムに4篇で寄与しており、この内には、彼による無意味な物語「The Saga Of Rodney Toady」(道路清掃やトイレ掃除を軽視する酷い一面がある)、そしてドロドロした感傷の一塊を描いた彼による最初の曲「Little Children」。これに対し「Suite No. 1」「Erudite Eyes」という彼の他の二つの楽曲は類型にはまっておらず、個別の形式で構成されている。フリップによって構成された二つのトラックには、どこから曲構成がやってきたか彼の意図が見て取れる。前者のネオクラシカルなモチーフ、後者のフリーフォームでモーダルな曲終わりの展開にフリップの求めてた方向性を識別できる。(夏になりイアン・マクドナルドの加入で)4人組となった彼らは再びデラムから呼び出された。それは世間の無関心に対し驚くべき信念の元に行われた、「木曜日の朝」と「象の歌」シングルリリースに向けてのリレコーディングで7月6日にスタジオ入りした。デラムが示す関心によって支えられてはいたが、バンドは無一文で生活にも支障が生じる状態が続いていた。そこでイアン・マクドナルドは融資を受けようと彼の伯父アンガスにアプローチする事を思いついた。イアン・マクドナルドの父の姉フィリスと結婚していたアンガス・ハンキングは、エンタテインメント事業への投資する申し出をかなり喜んだ。9月初めに関係者全てが策定し、バンドのメンバーはそれぞれ週30ポンドの手当てを受けると正式に調印された。(※シド・スミス氏著書によると結婚していたマイケルのみ40ポンドの記述あり)グループがダンロップのテレビコマーシャルのパイロット版のひとつに出演者として選ばれたことは、グループの将来を心強くさせていた。二日にわたる撮影はロスオンワイ(※ウェ-ルズ)でのロケで、演奏旅行で移動に苦労するバンドを中心に据え、彼らのゴム底(タイヤ)の安全性・信頼性は、そのまま滑りやすい斜面を彼らがスターダムまで駆け上がって行くのを支援するというプロットに基づいて行われた。一部のパートではこの共演で出会った後すぐにマイケル・ジャイルズと結婚する事になるモデルのメリー・ランド(歌手役担当)とのシーンに割り当てられた。若き日のジャイルズ兄弟が駆け抜けた1960年代 最終回へと続く
Feb 24, 2016
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YES研究者としても知られるデヴィッド・ワトキンソンさん。特にジョン・アンダーソンが60年代に活動したウォリアーズなどの写真展を開けるほど猛烈な秘蔵写真などをお持ちです。この方の書いたウォーリアーズからイエスに至るまでを描いた書籍が12月に出るそうで、現在バーニング・シェッドで予約受付がはじまりました。日本への送料含めると約5千円と高価ですが、250部の限定ハードカバーなのでちょっぴりお値段も張りますwしかし彼しかもっていない貴重な情報の数々にそそられて予約しちゃいました!リンクはこちらですhttps://burningshed.com/david-watkinson_jon-anderson-and-the-warriors_book
Nov 15, 2019
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オリジナル・メンバーの映像は以前から噂がありましたが遂に!https://youtu.be/8_ItAVdKobk?si=09SmCYfYRI41i4V2上記ビデオは音声にレコード野正規音声を当てはめてますが、下記映像は生演奏音声です。https://x.com/chop100/status/2100425805361017019/video/1
Sep 17, 2026
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2012年からはじめた相関図の更新を行いました。 今回は、60年代半ばにグレッグ・レイクが最初に組んだユニットフォーからタイムチェックスに至る変遷が、グレッグのご遺族が公開した当時の資料から判明したので編集しました。 全体図はリンクから https://mobile.twitter.com/chop100/status/1470323276291657730/photo/1 注目点は、グレッグとタイムチェックスで一緒だったハワード・ペトリッジ! 写真だとグレッグの隣りにいます。 彼は1967年にロバート・フリップと短期間クリメーション(火葬)というひどい名前のバンドを組んだ記録がありました。 1972年には、元リーグオブジェントルメンのティノ・リチニオとホライズン名義ほかで二枚のシングルレコードに名を残しました。とはいえ、相変わらず謎の多い人物です。
Dec 13, 2021
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